「ふむ    つまり、ミス・プライア。君は今回の一件について、まったく思い当たる節はないということかな」
「はい。どうして私がここに呼ばれたのか、皆目見当もつきません」
「例の夜、五階のガルダ湖の教室に集まったという生徒のうちの何人かが、呼び出したのは君じゃと証言しておるが、それは彼女たちの思い違いということかね」
「……としか、言えません。それともなにか、私が関与していたという証拠でもおありですか?」

つらつらと、よどみのない言葉で応答してゆく。整然とした机の上で両手を組み合わせた老人は、半月眼鏡の奥から探るような目付きで、机を挟んだ向かいに立つ彼女を見上げた。小さく息をつき、首を振る。

「証拠は、何も残っておらぬ。なかなか巧妙な犯人でのう。形跡は何ひとつ残さんかった」
    プライア。なにもあなたが、故意にああいった結果を招いたと言っているわけではありません。ですがは、生死にも関わる重傷を負いました。知っていることがあるのなら、包み隠さず正直におっしゃいなさい」

彼女が呼び出された校長室で、椅子に腰掛けたダンブルドアの傍らに立つマクゴナガルが厳しい眼差しをこちらに向けた。アイビスは視線だけをそちらに移し、はっきりと告げる。

「神に誓って、私は何も知りません。先生、私のことを疑わしいとお思いなら、ウィゼンガモットにかけていただいても結構です。ミス・が突き落とされたという夜、私がずっと部屋にいたということはルームメートが証言してくれるでしょう」
「なるほど。証拠はない、君があの夜部屋にいたという友人の証言もある。となれば君の潔白は明らかというわけじゃな」

両手を解いたダンブルドアは、相変わらず真っ直ぐにアイビスを見上げて瞬きもしない。けれども平然とそれを見つめ返していると、やがて視線を落とした老人はしばらく黙した後、再び顔を上げて言った。

「最後に、一つだけ訊こう。ミス・に何か、伝えたいことはあるかね?」

マクゴナガルが、目を見開いてアイビスを凝視する。彼女はダンブルドアの青い瞳を正視して、無感動に告げた。

    どうか、お大事になさってくださいと」

Vague memories have risen up

少しずつ、蘇るもの

入院生活も四週間目に入ると、発声にはかなりの明瞭さが戻ってきていた。身体も自由に起こせるようになり、普通に歩く程度ならば問題ない。あと、もう少しだ。週に二、三回程度、夕暮れ時にやって来るマクゴナガルも、病院を訪れるたびに少しずつはっきりと発音できるようになっていくを見て安心したようだった。彼女いわく、クィディッチ開幕戦は見事にグリフィンドールが勝利したらしい。詳しいことはきっとジェームズが自分で話したがるだろうからといって、試合内容はあまり教えてくれなかったのだが。

「お父さん    私、もう大丈夫だから。もうすぐ退院できるだろうし……お父さん、バイトあるでしょう?早く日本に戻った方が」
「お前は心配しなくてもいいよ。お店には休暇願いを出しておいたから。それに、もうすぐクリスマスだろう?」

はちらりと壁にかかったカレンダーを見た。クリスマスまで、あと五日。クリスマス休暇はちょうど明日からのはずだが、今年はそんなものも関係なくなってしまった。あと一週間もすれば退院できるだろうと担当医には言われたが、ひとりで城に帰っても……どうせみんな、家に戻るんだろうし。だから休暇中はゆっくりとここで身体を休めるつもりだった。マクゴナガルにはまだ話をしていないが、プレストンは「それがいい」と休暇明けまでの滞在を勧めてくれた。

「あ……ねえ、お父さん。お母さんってひょっとして、若草色が好きだった?」
「え?」

病院から借りている寝巻きの予備を畳んで引き出しに入れていた父が、振り向いて目をぱちくりさせた。

「ああ……確か、そうだったな。どうした?あ、お父さんが渡したアルバムか?」
「ううん、そういうわけじゃなくて。なんか……最近、よくお母さんの夢を見るの」

は横になったまま、かぶった布団の中で冬の冷気に身震いした。

「……料理、作ってくれてる。若草色のエプロンつけて。オニオンのスープとか、クリスマスでもないのに七面鳥とか。おかしいよね、私もお母さんの手伝いして、タマネギの皮むきながら泣いてるの」

母は、自分がまだ赤ん坊のときに亡くなったと聞いた。一緒に料理をしたかったという願望の現れかもしれない。家族三人で散歩に出かけたり、公園でお弁当を囲みながら大きな犬とじゃれ合う自分の姿を見たように思った。そんなこと、あるわけないのに。母さんは死んだんだ。私が物心つく、ずっと前に。私たちの傍からいなくなった。
父は驚いたように瞬きし、呆けた口振りで呟いた。

「……そうか、どんなに小さくても、意外と覚えているものなんだな」
「え?なに?」
「若草色のエプロン    お母さん、確かにそんなエプロンも持っていたよ。家に帰ればどこかに仕舞ってあるはずだ」
「ほんとに?え、私ってすごい!」
「ああ、ひょっとしたら頭を打った拍子にいろいろと記憶の深層にあるものが顔を出してきたのかもしれないな。七面鳥だってうちではクリスマスというよりは、お前の誕生日に    

言いながら、父は自分の言葉に違和感を覚えたようだった。口を閉ざして眉をひそめ、考え込むようにして口元に手を当てる。そして何やらひとりでぶつぶつと呟きはじめた。

「いや、まさか……そんなこと、あるはずが」
「なに?どうしたの?」
「あ、いや……お父さんの勘違いだったみたいだ。お前の誕生日のたびにお母さんが七面鳥を焼いてくれてたような気がしたんだが……お父さんも、夢でも見たのかもしれないな。お母さんは、が一歳のときに病気で亡くなったんだから」

それは子供の頃から、聞いていた。だから、そう。七面鳥も家族みんなで出かけた散歩も全部、夢の世界で見た風景なんだろう。その気持ちだけで、不思議な高揚感があった。夢の中でいいから……また、会いたいよ。

「お父さん、お母さんのどういうところが好きになったの?」

ふとした瞬間に何気なく問い掛けると、父は照れ笑いを浮かべながら、トイレに行ってくるといって逃げ出した。
「お母さん!これ、ここでいい?」
「あら、持ってきてくれたの?、ありがと」
「えへへー。ねえねえ、他にお手伝いすることある?あ、それひょっとしてパンケーキ?」
「そう、、好きでしょう?それじゃあ大きなお皿、二つ出してくれる?」
「はーい」

にこにこと上機嫌に笑って、少女は近くの引き出しに駆け寄った。年の頃は四、五といったところか。背中まで伸ばしたさらさらの黒髪はキッチンに立つ母親とお揃いだ。
若草色のエプロンをつけた母親がボールに併せた材料を泡立て器で掻き混ぜていると、突然背後からガシャン!と大きな音がして、それにけたたましい娘の泣き声が続いた。

    

はっとして、胸元にボールを抱えたまま振り返る。手を滑らせたのか、少女は周囲に割れた皿の散らばった食器棚の前で泣きじゃくっていた。

「ご、ごめんなさい、お母さん……ごめんなさい、……ごめんなさい……」
「いいわ、そんなこと。誰だって間違いはあるもの。それより、危ないから動かないで」

ボールを置いて、母親は足早に少女のもとへと近づいた。泣き止む気配すら見せない娘を抱き上げて、足元の惨状を見渡す。引き出しの中身をほとんどぶちまけてしまったのか、その量はかなりのものだった。ああ……先週買ったばかりの、お気に入りのセットだったのに。
そこで彼女は、ふと気が付いた。娘の立ち竦んでいたまさにその場所。陶器の破片と化した皿は辺りに散乱していたが、娘のいたそこだけは何事もなかったかのように綺麗なままだった。まるでそれらの破片が、少女のことだけは避けて広がったかのように。

母親はそのことに目を見張りながらも、腕の中で未だにしゃくり上げている娘に優しく声をかけた。

、大丈夫?どこも怪我してない?」
「……、なんともない……でも、お皿……ごめんなさい……」
が怪我してないなら、良かったわ。お手伝いしてくれようとしたんだものね。ありがと、。次からは気を付けるのよ?」
「……うん、ごめん、お母さん。ごめんなさい……」
「大丈夫よ、。お母さんこれからお片付けするから、は向こうに行ってなさい。お皿の割れたところに触ったら怪我しちゃうから」

母親はそう言って、陶器の残骸を避けるようにして歩きながら、娘を隣の部屋まで運んでいった。椅子にそっと座らせながら、洟を啜る少女の頭を優しく撫でる。

「お母さんだってお皿くらい落としちゃったことあるから、泣かなくたっていいのよ。お片付けが終わったら、一緒にパンケーキ、焼こう?お父さんがびっくりするくらいたくさん作ってあげるんだから。ね?」

少女はやっと、涙ながらに頬を緩めて、微笑んだ。それを見て、安堵したように母親もにこりと笑い返す。
誰の中にもあるはずのない(、、、、、、、)、そうした記憶。
けれどもそれは着実に、彼女の意識の中に、少しずつ、少しずつ芽生え始めてきていた。

あるはずのない、記憶。
それならば、一体。
    それは一体、どこからやってきたのだろう。一体、誰のもの(、、、、)なのだろう。
父は突然飛び込んだ魔法使いの世界に、始めはずいぶんと戸惑ったようだった。母は魔女だったが、結婚して二人が住んだアパートはマグルの街にあったし、魔法界で就職した彼女は仕事のことをあまり話さなかったらしい。家ではまったくといっていいほど魔法を使わず、彼女を訪ねてくる魔法使いの友人もごく僅かだったため、魔法界のことはよく分からないままに、父は母の死後日本に戻ったのだ。父はの個室の隣にある空き部屋に寝泊りしていたが、の入院している病棟を出ればあまりにも奇怪な姿形をした人たちが平然と歩いているということで、気味悪がって必要最低限の範囲内しか移動していなかった。

「私も早く外に出たいな    この病棟の、外」

ぼんやりと窓の外を見つめながら呟くと、クリスマスプレゼントにポインセチアを持ってきてくれた担当医のプレストンがくすりと笑っての頭を撫でた。

「もう少し頑張ったら、な。別の病棟にはいろんな患者さんがいるから、少なくとも反射神経は取り戻しておかないと歩いてるだけで背後から飛んできた呪いに当てられることも」
「こ、ここってそんなに危ないところなんですか!?」
「まあ、それは冗談として」

冗談かよ!彼は真面目な顔をして度々いたいけな患者をからかっては喜んでいる。本人いわく、それが患者にとって良い脳の運動にもなっているのだとかいないのだとか。それすらも冗談めかしていて実際のところはよく分からない。

「この後マクゴナガル先生がいらっしゃるそうだから、休暇いっぱいここにいるって話、僕の方からもしておくよ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「それじゃ、ゆっくりお休み。メリークリスマス」

プレストンの笑顔を見送ってから、は窓際に置かれたポインセチアを眺めた。入院患者には全員プレゼントして回っているらしい。父は用意された隣の部屋に戻っていた。四六時中父親にぴったりくっつかれていては娘さんも『少しだけ』息苦しいでしょうとプレストンが優しく諭しているのを聞いたことがある。せっかくイギリスにまで来てくれているのに、ごめんね、お父さん。だけど、先生の言う通りなの。父さんの不器用な愛情は、うれしい。でも、やはりひとりになりたいときもある。
枕元には今朝送られてきたクリスマスプレゼントの小さな山があった。スーザン、メイ、マデリン、ディアナ、ピーター、ラルフ……グリフィンドールの友人たち、ハグリッド。『早く元気になってね』『がいなくて寂しいわ』『退院したら、美味いヌガーをいくらでも食わしてやるからな!』    ありがとう、みんな。うれしくて、せつなくて。早くホグワーツに帰りたい。けれども今、一番会いたい友人たちからはプレゼントはおろかカードすらなくて、は一方的な期待だと自分に言い聞かせながらも、心の片隅にすっぽりと穴が開いているのをごまかすことができなかった。私のことなんて、忘れてしまったのかな。箒から落ちて死にかけるなんて情けない魔女……とうとう見放されたのだろうか。だって彼らは、ホグワーツの中でも一二を争うほどの優秀な魔法使い。こんな間抜けな私のことなんて……。

、起きていたのですか?」

ベッドの上で膝を抱えてぼんやりしていると、唐突に声をかけられてははっと我に返った。タータンチェックのマフラー、手袋に身を包んだマクゴナガルが外の寒さに頬を紅潮させてちょうど病室に入ってくるところだった。

「メリークリスマス、ミス・。具合はいかがですか?」
「メリークリスマス、先生。もうだいぶ良くなりました。外に散歩に行きたいなって思ってたくらいで」
「まあ、それをプレストンは許可したのですか?」
「あー……いえ、まだ少し早いって」
「そうでしょう。退院したら、自分の体と相談しながらいくらでもホグワーツを散歩できますよ。それまでもう少しの辛抱ですね」
「あ、マクゴナガル先生。プレストン先生からお聞きになられましたか?クリスマス休暇中のこと……」
「ええ、ここに来る前に聞きました。ですが彼らを見たら、あなたもきっとすぐホグワーツに    

そのときだった。パチン、と軽やかな音が聞こえたかと思うと、マクゴナガルの現れた背後から色とりどりの大きな風船のようなものが次から次へと部屋の中に舞い込んできて、はその光景に目を見張った。飛び込んできた風船が触れたマクゴナガルが、まるでシャボン玉のようにふわりと浮き上がったのである。さらに別の風船が当たったスツールや花瓶、の洗濯した寝巻きなど、様々なものが踊るように宙に浮かんでゆっくりと輪を描いていく。とうとうのところにまでやって来た風船が彼女の頭を直撃すると、あっという間に無重力にでもなったかのようにの身体も虚空へと浮かび上がった。
始めは驚いていたらしいマクゴナガルが、すぐさま唇を真一文字に引き結んで声をあげる。

「ポッター!ブラック!私はあなた方をここへ連れてくることには同意しましたが、こんな悪戯を仕出かしても良いなどということは一言も言っていませんよ!」
「だって、先生、久しぶりにに会うんだから何かちょっとした演出でもって……」
は病人ですよ!何を考えているのですか!」
「はい、ごめんなさいすみません今すぐヤメマス」

しゅんと落ち込んだ声がして、再びパチンという音が聞こえた。同時、部屋中を占拠していた無数の風船が弾け飛び、やマクゴナガル、浮き上がったスツールなどはゆっくりと元通りの場所へと収まる。布団の上に呆然と横たわったまま、は病室の入り口から新たに二人の少年が入ってくるのを見た。

「やあ、!ジェームズサンタが君に最高のプレゼントを持ってきたよ!」
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(07.12.18)