……お前に、手紙だ」

FATHER and MOTHER 1

語りだす

彼女    は、父の言葉に驚いて目を丸くした。
手紙?一体誰だろう。は同じ学校にしか友人がいなかったため正月にしかハガキを受け取ることはなかったし、どこでアドレスを手に入れたのか、わけの分からない会社からのダイレクトメールしか着たことがない。しかも、そんなものは見つけた時点で父がすぐゴミ箱に放り投げるというのに。手紙?一体、誰から?

は慌てて父の手から封筒を受け取ると、まず裏返して差出人を確認しようとした。が、それよりも先に、予想外の事態に素っ頓狂な声をあげる。

「え?何これ、英語じゃないの!」

表に書かれた宛名は、流れるような外国語で書かれていた。ローマ字くらいは読めるので、一応自分に宛てられたものだということは分かる。『』。急いで裏返すと、そこには見たこともないようなアルファベットの並びがあった。

「ほ……ほぐわーと……まぎ、こ……」

何とかローマ字の知識で読み取ろうと奮闘していると、父がうめくように言った。

「ホグワーツ魔法魔術学校だ」

は封筒から顔を上げて眼前の父を見た。今、何て?魔法……魔術学校?聞いたこともない。それ以前に……魔法、だって?
この人は頭がおかしくなったのだろうかと思った。

「……お父さん、何言ってるの、魔法の学校なんて……あるわけないじゃん」

手品や占いの類は彼女とて、嫌いではない。必要以上に固執するミーハーな同級生たちにはついていけないが。だがそれと『魔法』とはまったくの別問題だろう。

「お父さん、私が英語読めないからってからかってるの?」

言いやると、父は眉間にしわを寄せて僅かに声を荒げた。

「……こんな冗談、言うわけないだろう!」

あ、ヤバい。怒ってる。
とりあえず、は相手の血圧を上げすぎないようにと注意して父の顔色を窺った。父は大きく溜め息をついて軽く頭を振り、今度は疲れたような顔をして彼女の手元の手紙を指差した。

「……信じられないなら、その手紙をおでこに当ててみろ」
「え?」

今日の父は、突拍子もないことを言う。だが反論はせずに、はおとなしくその封筒を自分の額に押し付けた。すると。

    ……番地 一番奥の部屋 
    ホグワーツ魔法魔術学校

頭の中に突然すっと流れてきた聞き慣れない声に、は仰天して父を見上げた。

「何、今の!うちの住所と……ホ……何とかワーツ魔法魔術学校って聞こえた……!」
「ホグワーツ魔法魔術学校、だ」
「何これ!どんな仕掛けがあるの?」

こんなに驚いたのは動く写真を見た時以来かもしれない。胸がドキドキと、まるで恋でもしているかのように脈打つ。
だが父は真顔で、「それが魔法だ」と言った。

父は冗談を言うような人ではないと思っていたが、そうではなかったのか。魔法なんて、あるはずがない。きっと三十世紀の科学技術レベルの仕掛けがこのたった一通の手紙の中には込められているに違いない。それこそ非科学的な話かもしれないが、はそう確信してひとりでうんうんと頷いた。

そんな娘の考えを知ってか知らずか、父は「中も読んでみろ」と言った。はライオンとワシとアナグマとヘビの絵が描かれた美しいシールを剥ぎ、言われるままに中の手紙を取り出した。その紙は彼女が日常では決して使わないような、ゴツゴツした不思議な感触のものだ。それに、これまた綺麗な筆記体で英語がつらつらと書かれている。彼女は再びその手紙を額に当てた。

    ホグワーツ魔法魔術学校 校長アルバス・ダンブルドア
    親愛なる
    このたびはホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。
    新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしています。敬具
    副校長ミネルバ・マクゴナガル

は手紙から顔を離し、変わらず何とも言えない顔をした父に向かって口を開いた。

「ねえ、これ何なの?魔法の学校だとか、ふくろう便だとか……意味が分かんないよ、何なのこれ?」

父はしばらく、俯いて黙り込んでいた。強く迫ってやりたかったが、何とか我慢する。怒らせれば何も話してくれなくなるかもしれない。は『魔法』の存在など微塵も信じていなかったが、だがこの手紙の正体はどうしても知りたい。
やがて父は、ぽつりと独り言のように言った。

「まさかにこれが来るとは……」

放っておけばそのまままた口を閉ざしてしまうような気がして、彼女は急いで声をあげた。

「ねえ、お願い教えて!この手紙は何?お父さん何か知ってるんでしょう?」

すると父は、ゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐに彼女の瞳を見据えた。かつてこんなにも父と見詰め合ったことがあっただろうか。は父の黒目が思っていたよりも大きいのだと気付いて驚いた。

    もうお前には、話すしかないだろうな……来なさい」

そう言って父はリビングへと入っていった。その背中が何だか寂しげで、彼女は少しだけ胸が痛んだ。
父は彼女に簡単な夕食を出してくれた。白飯、豆腐の味噌汁、スーパーのお惣菜コーナーで買ってきたと思われる焼き魚。父はバイトの帰りに軽く食べてきたのだと言った。

は手紙の話聞きたさに食事など放り出してしまいたかったが、父は食事の後に話すと言い自室へと一旦戻っていった。彼女はテレビのバラエティ番組をつけて味噌汁をかき込んだが、そのどちらも五感で味わうことなど到底できなかった。

食事を終え、食器を無造作に片付けて父の部屋へと飛んでいく。ドアを乱暴にノックすると、中から低い声で「入れ」と言われた。

書斎とはこういう部屋を言うのだろうとは昔から思っていた。そう何度もこの部屋に入ったことはないが、とにかく壁際には本棚がずらりとあり、その中にも隙間なく小難しそうな本がきちんと並んでいる。机の上には、分厚い辞書や原稿用紙、そして万年筆などがあった。
父は小説を書くのが好きだった。読んだことなどはないが。どうせ意味の分からない哲学的なことが不必要なほど書かれているのだろう、こんなに太い本ばかり読んでいる人間の創るものだもの。はそう決め付けていた。これだけの本を本当に読んでいるのならば、きっとそうに違いない。見栄でこれだけのものを買い揃える余裕など、我が家にはないのだから。

彼女は部屋の中を見て、まず声をあげた。父の机の上に、鳥がちょこんと座り込んでいたからだ。置物にしてはあまりにリアルだった。

「ちょっ……お父さん!いつからふくろうなんて飼ってたの?うちそんな余裕ないでしょ!」
「父さんが飼っているんじゃない。さっきの手紙を運んできてくれたんだ。わざわざ、イギリスからな」

言われてふと、先ほどの手紙の中身を思い出した    『ふくろう便にてのお返事をお待ちしています。』
ふくろう便?まさか、本当に?
しかも    イギリスだって?

は数年前のダンボールの中を思い出していた。母の、イギリスのガイドブック。写真の背景の建物は洋風のものだったし、母と共に写っていたのはどう見ても西洋人だった。時々黒人も混じってはいたが。
やはり母は、イギリスに関連していた?
でもそれは一体?わけが分からない。

は無意識のうちに口を開いていた。

「それ    何かお母さんに関係してるのね?お父さん、そうでしょう?」

父は、少なからず驚いたようだった。腰を下ろしている椅子から僅かに身を乗り出して言ってくる。

「…………気付いて……?」

口元を引き結んで、ゆっくりと頷く。ああやっぱり、そうなんだ。

「……昔、お母さんのものが色々入ったダンボール、押し入れにあったでしょう?あの中身、いろいろ見たから。イギリスの本も、何冊かあったし」

そうかと小さく呟いて、父は再び背もたれに身体を預けた。は側にあるソファに座り、黙って父を見た。
父は大きく息をつくと、こめかみに手を当てて顔を顰めてみせる。

「……にはいつか……話さなければと、思っていたんだ。だが、もしもそうしないで済むものなら、できれば……」

父の言葉に、思わず大声をあげる。

「何で!お母さんはお母さんでしょう!いくら私が小さい時に死んじゃったからって……それは変わんないじゃん!私だって、知る権利があるはずだよ!私はお母さんのこと、知りたいよ!」

胸の奥から喉を焦がすほどの熱がこみ上げてきた。ひどいよ。娘が親のことを知りたいと思って何が悪いんだ。もう父の神経を逆撫でしたって構うものか。父をギッと睨み付け、拳を握る。

だが父は、怒鳴らなかった。彼はを真っ直ぐに見据え、椅子の上で座り直してその口をゆっくりと開いた。

    分かった、話そう。でも、、約束するんだ」

一拍置いて、そのあとを続ける。

「これから父さんがお前に話すことは、常識では考えられないことだ。さっきお前が魔法などありえないと言ったように、お前や、また多くの人々にとってそれは馬鹿げた妄想と同じだ。でも父さんの話すことは全て、真実だ。だから知りたいと言うんなら    約束しなさい。何を聞いても、信じると」

動揺していて支離滅裂なことを喋る時以外に、父がこんなに口を動かすことはなかった。にはそれすら考えられないようなことだったが、力強く頷いた。
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(07.07.07)
(08.07.16 加筆修正)