新学期が始まって、何度かニースとの話し合いの時間を設けようとはしたものの、彼女はが傍に近づくだけでさり気なく姿を消したり、勇気を出して話しかけても「忙しいから」の一言で切り上げてしまうのだった。やっぱり、もう無理なのかもしれない……エバンスは相変わらずだし、スーザンやメイは気を遣ってしばしばを自分たちのところへ呼んでくれたが、ニースが彼女らと一緒に行動しているのでは「ありがとう」とだけ言ってそれをすべて断っていた。その代わり、食事中や教室移動のときはリネットやオリアーナのグループに入れてもらっていた。
彼女たちと話をするのも、楽しい。みんな良い子ばかりだ。けれども心のどこかに隙間風が吹き抜けているのを無視することはできなかった。
behind the scenes
ある『天才』の秘密
ジェームズはクィディッチの選抜試験で、なんと去年卒業したカール・アクロイドが務めていたシーカーの座を見事射止めた。キャプテンでチェイサーのセオドア・ホルストいわく、文句なしの逸材、だそうだ。一方ロジエールも無事選抜試験に合格したらしく、開幕戦で二人の例の勝負が決められることとなった。
「僕があんな蛇野郎に負けるとでも思ってる?」
心配でうずうずしているを見て、ジェームズは気楽に笑ってみせた。
クィディッチの練習は週に三回。開幕戦の十一月までは、去年のチームと同じようにこれが毎週続く。ジェームズは「セオドアは熱すぎるんだよなー」とぼやくことがあったが、それでも練習だけはきっちりとこなしているようだった。セオドアの親友で監督生のアイザックが、学年末の不祥事を水に流すには、何としてでも君たちの手で、今年はクィディッチ杯と寮杯のどちらも獲得するしかないと口を酸っぱくして言い聞かせていたからだ。
その言葉を受けて、もクィディッチの練習に勤しむジェームズに負けないようにと、授業中は進んで手を挙げるようになった。去年は罰則ばかりの汚名を返上しようとマクゴナガルの変身術の授業くらいでしか自ら発言しなかったのだ。シリウスは決して自分から進んで挙手するような生徒ではなかったが、実習の出来上がりが良くて上機嫌のスラッグホーンによく点数をもらっていた。
一度ピーターがこっそりスリザリンのクィディッチ練習を偵察しに行ったところ、ロジエールも他の選手とはまるで飛び方の切れが違っていたという。はそれを聞いてますます不安になったが、ジェームズは「だから何だよ。奴は奴、僕は僕さ」といってまったく意に介さなかった。
二年生に上がってから、は放課後を図書館で過ごすことが増えた。リネットたちと他愛ないことをお喋りするのもそれなりに楽しかったが、それよりは学年末の失態を返上するために、頑張って勉強しようと思ったのだ。学年末のエバンスの言葉が、未だにの中に深く残っていた。もう二度と、あんなことを言われなくても済むように頑張ろう。悪戯は、確かに私たちにとっての大切な日常の一部だったのだ。さすがにグリフィンドール寮にあんなにも多大なる迷惑をかけた後とあっては、もはや誰も悪戯の計画は企てなかったけれども。
苦手な魔法薬学の分かりやすい参考書を探して目当ての本棚に向かったとき、はそこに好ましくない人影を見つけてぎくりと足を止めた。向こうも同じことを思ったのか、棚から抜き出した本を掴んだまま、あからさまに顔をしかめてみせる。
スネイプはこれ見よがしに大きくため息をついて、吐き捨てるように言った。
「退け、邪魔だ」
一年前のあの日を思い起こさせるような、その台詞。けれども笑う気にはなれず、は肩を竦めてスネイプに道を譲った。ふんを鼻を鳴らしてさっさとその場を立ち去った彼の後ろ姿を眺め、目を細める。
スリザリンとの合同授業の多い魔法薬学ではもちろんスネイプと顔を合わせることもあったが、初めて出逢ったキングズ・クロス駅と同じようには互いにいがみ合わなかった。一年生の頃から彼は七年生にも負けないくらい怪しげな魔法をたくさん知っているという噂が流れていたし、見るからに陰鬱そうなその面構えから、できるだけ関わり合いにならない方が賢明だという結論に至ったのだ。ジェームズはときどき廊下で遭遇したときなどにスネイプに魔法を仕掛けることもあったが、それも彼とよく行動を共にしているロジエールがを揶揄してくることが何度もあったので、それに対する仕返しのようなものだった。スネイプもそのときばかりは例の『怪しげな』魔法で応戦したが、決して彼の方から杖を抜くことはなかった。大抵はジェームズとすれ違うよりも先に、回れ右して別の道を選んでいるのだ(何度か彼がそそくさと方向転換するのを目撃したことがある)。
「あ、いたいた!、僕らも一緒にレポートやってもいい?」
窓際の机に戻ってパラパラと参考書を捲っていたは、顔を上げて歩み寄ってくる三人を見た。ピーターにシリウス、そしてルーピンだ。ルーピンは居心地悪そうに苦笑して「僕は向こうの席でやるよ」と言ったが、を顎で指したシリウスが、「気にすんなって。こいつそんなに悪い奴じゃないから」といってルーピンを無理やり座らせた。ピーターとシリウスもの陣取った机に着いて、持ってきた羊皮紙や羽根ペン、インクを取り出す。ジェームズはこの時間、クィディッチの練習に出かけているはずだった。
「魔法史のレポートでしょ?私、それならもう終わっちゃったよ」
あっさりと言ったに、ピーターは椅子の上で飛び上がった。
「えぇ?あんなめんどくさいの?、ほんとに魔法史が好きなんだね……」
「まあ、確かに今回のはちょっとややこしかったけど。でも学期末にやったことと少しかぶってたから、ましだったよ」
「へー、そりゃちょうどいいや。なあ、そのレポート見せ
」
「ぜ・っ・た・い・に・い・や」
シリウスが言い終えるよりも先に、はその頼みをはっきりと拒否した。既にこちらへと伸ばされていた彼の手を蝿でも散らすように払い除け、完成済みのレポートを手元に引き寄せる。顔をしかめたシリウスは「いいだろ、減るもんじゃなし」と口を尖らせたが、は頑として受け付けなかった。
「自分でやらなきゃ意味ないでしょ。私だって頑張ったの!何でそう易々とシリウスくんに見せなきゃいけないんですか」
「『、僕たち友達だろー親友だろー』」
「ジェームズは本気で貸せなんて言いません」
その通りだった。ジェームズは去年も幾度となく『レポートを見せてくれ、ノートを貸してくれ、僕たち親友だろ!』と泣きついてきたが、本気で貸せと言ってきたことはない。何度か撥ねつけると、おとなしく自分で本を探しに出かけるのだ。彼にとってはそれも一種のコミュニケーションであって、の努力の結晶を強奪しようとするような人間ではなかった。
軽く舌打ちして背もたれに身体を倒したシリウスに、は嘆息混じりに言った。
「ほら、まず本探しに行きなよ。分からないとこあったらこの優しいちゃんが教えてあげるから」
「全部」
「本も探さず何が全部分かりませんよ。だったら先生にそう言えばいいでしょ!」
思わず大きな声を出してしまい、は口元を押さえて辺りを見回した。近くに座っていた数人のハッフルパフ生の集団が迷惑そうにこちらを振り向いたが、すぐに自分たちの勉強に戻っていく。素知らぬ顔で脇を向いているシリウスを睨み付けていると、声を押し殺してルーピンがくすくすと笑った。
「ご、ごめんルーピンくん……やっぱり一人の方が勉強できるよね。ごめん、邪魔して」
「ううん、さんが謝ることじゃないよ。それじゃあ、ごめんね。僕やっぱり、向こうでレポート済ませるから」
「あ
そうだ、ルーピンくん」
荷物をまとめて徐に立ち上がったルーピンを呼び止める。彼は不思議そうに瞬きした。
「あ、えーと、その……お母さん、ずっと具合が良くないんだって?」
するとルーピンの顔に、すぐさま影が差した。ああ、やっぱりそうなんだ……不安だろうな。つらいだろうな。はできるだけ声を落としたまま、囁いた。
「あの……大したことも言えないんだけど……早く、良くなるといいね」
「……うん。気を遣ってくれて、ありがとう」
疲れた顔で微笑んで、ルーピンは去っていった。寂しそうな背中。本当はずっと、お母さんの傍についていてあげたいだろうに。けれども同時に、そのために心を痛めることのできるお母さんがいるということが、にはやはり羨ましかった。
結局はがその大半を教えることになった魔法史の課題を、シリウスとピーターはその日のうちに無事終わらせることができた。クィディッチの練習から戻ってきたジェームズはというと、どうやらシリウスのレポートを拝借するらしい。そればかりはにもやめさせることはできず、見て見ぬ振りをして相変わらず薬学の本を読んでいた。それに、開幕戦を一週間後に控えて練習はより厳しさを増し、傍目にもメンバーが疲れ切っているのが分かるから
ジェームズは努めて元気よく振る舞っていたけれど、それでもその練習の激しさはひしひしと伝わってきた。
「あー、ムダムダ。そういうの、勉強じゃどうにもならねーの。センスがないと何読んだってどうにもならねーの」
部屋に戻るのがいやで、就寝時間を過ぎても談話室に居残ってひとりで黙々と薬学の予習をしていたに、シリウスは素っ気無くそんなことを言った。歯を剥いて、はホットチョコレートを飲みにきたシリウスに向けて枕にしていたクッションを投げ付けた。
「放っといてよ!どうせあんたとは頭の出来が違うわよ!邪魔するならさっさと寝ろ!おやすみ、おやすみなさい!ええ、さようなら!」
いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。ワンポイント・アドバイス……このとき、時計回りに二回攪拌を加えると美しいそら豆色になる……夢の中まで魔法薬学の勉強なんて。けれどもスラッグホーンやスリザリンの連中をぎゃふんを言わせてやりたいという思いは、確かに強くあった。君はもう、立派な魔女さ。ロジエールたちにだって、胸を張って堂々と立ち向かえばいい。そう、そうだよね、ジェームズ。いつまでも、このままの・ではいけない。ジェームズは私のために勝負に出ることを決めた。でも、私が、私こそがあいつらを見返してやらないと。
夢心地で大きめのクッションにしがみついていたは、ふと何かを感じてソファの上で寝返りを打った。重たい瞼をなんとか押し開き、煌々と明かりがついたままの談話室を見渡す。枕元に落ちた薬学の本をぼんやりした頭で拾い上げて身体を起こすと、ちょうど談話室の入り口でジェームズが透明マントを脱ぎ捨てるところだった。
「……ジェームズ?」
どうやらそこからは死角になっていたらしく、ジェームズが驚いた様子でこちらを見た。けれども彼は声の主がだと分かると、ほっと胸を撫で下ろして後ろ手に隠したマントを持ち直した。
「なんだ、か……びっくりした、まだいたんだ」
「悪かったわね。ところでジェームズは?どこ行ってたの?」
「あ、いや……別に、大したことじゃないんだけど」
ジェームズはばつの悪い顔でもぞもぞと身を捩った。就寝時間前、彼はピーターたちと一緒に男子寮に上がっていたはずなのに。
そのとき、はやっと気付いた。彼は後ろに箒を隠しているし、コートの下から覗いているのはクィディッチのユニフォームだ。まさか、こんな時間にたった一人で。
「……ジェームズ、まさか
一人で、練習してたの?そうなの?」
ジェームズはぽりぽりと頭を掻いて、「まいったな」と苦笑いした。
「んー、まあ……こんなところ見られちゃったら、仕方ないか。あー、もっと遅くに戻ってくれば良かったかな」
「な、何でこんな時間まで?だってジェームズたち、あんなに一生懸命練習してるじゃない。そんなにやらなくたって……それよりちゃんと休まないと。ジェームズ、そんなに頑張ってたら倒れちゃうよ。寒かったでしょ?待ってて、今ホットチョコレート作るから」
「ああ、大丈夫だよ。僕はこう見えて、けっこう丈夫なんだ」
そう言ってジェームズは軽快に笑ってみせたが、はなんだか泣きそうになった。
「何で?そんなに頑張らなくたって……ホルストが、こんなにいいシーカーいないって言ってたじゃない。大丈夫だよ、ジェームズならきっと
」
「それじゃ、足りないんだ。僕が勝たなきゃならないのは、グリフィンドールのメンバーじゃない。ロジエールなんだよ。僕はあいつに勝たなきゃならない。子供の頃から有名な飛行術の教室に通ってる、ロジエールに勝たなきゃならないんだ」
はっとして、流し台に行こうとしていたは足を止めてジェームズの方を振り向いた。彼は笑っていたが、その眼差しは今までにないほどとても深い色彩を放っているように見えた。
たまらなくなって、は涙混じりに口を開いた。
「いいよ、もういいよジェームズ。ジェームズがシーカーになったのは嬉しいよ、みんな頑張ってるのも知ってる。でもこんな時間までひとりで練習して……ロジエールのことなんて、もういいよ。私、頑張るから。マグル育ちだなんて陰口叩かれなくてすむように、頑張るから。だからいいよ、そんなに頑張らなくたって。ジェームズが優しいの、知ってる。気持ちだけでほんとに嬉しいから。いつものジェームズで、大丈夫だから。勝てるから。だから、そんなに頑張らないで……」
なんでもすぐに物にしてしまうジェームズ。いつも明るく振る舞うジェームズ。友達のために身を粉にすることのできるジェームズ。そんなジェームズのことが、大好きだった。そんなジェームズが、ここまでしてあの勝負に懸けようとしてくれるのが、とても嬉しくて、とても心苦しかった。こんなにも、私はジェームズを追い詰めていたんだ。真夜中にこっそりと、あのジェームズが練習に抜け出さなければならないほど。
「泣き虫だね、は。そういうところも好きだけどさ」
嗚咽を抑えようとして唇を塞いだを見て、ジェームズは小さく笑った。
「でも、が気にすることなんてないよ。僕が勝手にそうしてるんだ。今度の試合だけは、どうしても負けられないから」
そして箒を近くの壁に立て掛け、手袋を外しながら悠然とこちらに歩み寄ってきた。は泣き顔を見られるのが恥ずかしくて下を向く。そんな彼女の頭を、まるで子供でもあやすようにそっと撫でた。
「のことだけじゃない。シリウスのことも、僕自身のことも。何もかもひっくるめて、僕はロジエールと勝負してみたいと思ったんだ」
わけが分からず窺うように視線を上げたに、ジェームズは優しく微笑んだ。
「ホグワーツに来る前から知ってるんだ、ロジエールのことは。シリウスの親戚で、小さい頃に何度か見かけたことがあった」
「し、親戚?シリウスの……」
「純血の一族は大抵みんな血縁関係にあるんだ。純血婚を考えれば、選択肢はそう多くないからね。まあ、僕なんかはまったく蚊帳の外だけど」
そっか……ロジエールはしきりに、シリウスのお母さんのことを口にしていた。親戚ならば実際、顔を合わせたことも一度ならずあろう。父は親戚付き合いをまったくしなかった人なので、にはそういった相手はいないが。
「ロジエールは純血主義をそのまま形にしたような奴だよ。だから僕は、昔からあいつのことが気に入らなかった」
ジェームズはそう言って、僅かに腰を屈めての顔を覗き込んだ。そのとき初めて、本当に彼の背が伸びたんだなとは実感した。心臓の鼓動が、静かに不思議な脈を打っているのが分かる。
「そういうわけだから、、君は本当に気にしなくていいよ。そんなことは関係ない
これは僕とロジエールの、一対一の勝負なんだ」
むしろ口実を与えてくれて、感謝してるくらいさ。そう言って、ジェームズはにんまりと笑んだ。はなんとか笑い返そうとしたが、物の見事に失敗して彼の前に歪んだ泣き顔を晒してしまう。その様子を寮に続く階段からこっそりと眺めていた女子生徒は、にやりと笑って静かにその場を立ち去った。