は新学期が始まる前にダイアゴン横丁で一緒に買い物をしようという手紙をニースに送ったが、返事は戻ってこなかった。やはりまだ、怒っているのだろうか。夏休みを挟めばニースも冷静に話し合う気になってくれるかもしれない。そう期待していたが、甘かったようだ。ニースからOKの返事が届けばもちろんそちらを優先しようと思っていたのだが、仕方がないのではジェームズからの誘いに返事を書いた。『私は新学期開始一週間前から『漏れ鍋』に寝泊りしているので、いつでも大丈夫だよ。』 そして二十六日水曜日の十時、フローリシュ&ブロッツ書店で待ち合わせをすることになった。
そうだ。ジェームズと会う前に、お金を下ろしておこう。母さんの遺してくれた金貨……グリンゴッツの金庫には文字通り『山のように』たくさんのガリオンがあるのだけれども、金銭感覚、特に魔法界でのそれに乏しいは、どれほどのペースでそれを使っていけばいいのかさっぱり分からなかった。欲しいものなんて、生きていれば次から次へと際限なく出てくる。どこかでセーブしなければ。そもそもホグワーツに七年間通うのに、どれだけの金貨が消えていくのだろう。ハグリッドによると、学費はあの金庫から自動的に引き落とされているという。やっぱり、それなりにはかかるだろうから……あんまり、無駄遣いはしないようにしよう。でもジェームズと一緒にお昼を食べるくらいなら、大丈夫だよね。
それから、みんなへの誕生日プレゼントも。一年生のとき、友人たちの誕生日を知っても買い物には出かけられないものだから、おめでとうを言うだけで何も贈ることはできなかった。だから今年は、夏休みに一年分のみんなへのプレゼントを買っていこうと思っていたのだ。
shopping with JAMES
ポッター一家と、ダイアゴン横丁
「鍵はお持ちでいらっしゃいますか?」
一年ぶりのグリンゴッツ魔法銀行。はバッグの中を探って金庫の鍵を探したが、あるはずの場所に何もないことに気付いて飛び上がった。ない、ない
まさか!ない!
「え、ええと……その……ちょっと、待ってください。確かここに……あれ、おかしいな……」
「お持ちでいらっしゃらない、ということですか?」
「あ、ええと……う……えー、その……」
カウンターの上にバッグを引っ繰り返して探したが、はとうとう鍵を見つけることができなかった。ど、どうしよう……誰かに盗られていたら!二度とあの金庫を開けられなかったら!無一文、私は魔法界で無一文!
浅黒い顔でまるで値踏みするように見上げられ、は泣き出しそうになった。こういうときはどうすればいいのだろう。失くしましたと正直に言って、警察に届ければいいのか……いや待て、魔法界の警察ってどこにあるのだろう。涙を浮かべて何も言えないでいるに、担当の小鬼は「少々お待ちください」といってさっさと奥へ引っ込んでいった。ど、どうしよう……怖いガードマンが出てきて、「鍵がないならおとなしく帰りなお嬢ちゃん」……いや、怖い、逃げよう!とりあえず『漏れ鍋』のトムに、警察の場所を聞いてから相談に行って……。
けれども小鬼が連れてきたのは決して厳ついおじさんなどではなく、若くて雰囲気の温かい女性だった。どこかで見たことが……知っている誰かに似ている?そんな不思議な感覚がふっと胸の中に湧いてきた。
「お待たせいたしました、様。担当のトンクスと申します」
トンクスによると、鍵を紛失した際には新しいものに替えることができるが、それには杖の登録と身分証明書の提示が必要になるとのことだった。杖の登録、はいいけれど……身分証明書?持ってませんと項垂れるに、彼女は「ホグワーツに在籍しているという証拠で良いですよ」といって、新学期の教科書リストを出すように言った。そんなものでいいんだ……ほっと胸を撫で下ろしながら、はバッグの中からホグワーツからの封書を取り出して手渡した。拝見します、と頭を下げて、トンクスが中身の確認をする。彼女はとても優雅な手付きでそれを封筒に仕舞い、人を安心させる柔らかい眼差しで微笑んだ。
「二年生になられたんですね。ホグワーツの一年目はどうでしたか?」
はニースのことを考えて気が重くなったが、なんとか愛想良く笑って相槌を打った。
「えーと……私はマグルの世界で育ったので、新しいことばっかりですごく楽しかったです」
「そうですか、良かった。ホグワーツ
とりわけ今の校長先生は、とてもユニークな方ですからね。今年も十分に楽しめると思いますよ」
トンクスから封筒を受け取ったは、彼女が手元の羊皮紙に何やら書き付けるのを見ながら何気なく訊いた。
「トンクスさんも、ホグワーツのご出身ですか?」
「ええ。私は一年前の卒業生ですから、ちょうど様とは入れ替わりということになりますね」
そうなんだ……ニアミス!こんなに素敵な人ならば、ホグワーツで出逢っておきたかったな。彼女の笑顔を見ているだけで、は先ほどまであんなに張り詰めていた緊張があっという間に解けていくのを感じた。
七年後、私は彼女のように素敵な大人になれているのかな。
「それでは、杖を登録させていただけますか?」
「あ、はい……どうぞ」
はポケットから取り出した杖をトンクスに渡した。にこりと笑んで、彼女はカウンターの秤にそれを載せる。そこからカチン、と小気味良い音がしてから、トンクスは無駄のない動きでに杖を返した。
「
結構です、ありがとうございます。それでは様、そちらのお席で少々お待ちください。すぐに担当の者が参ります」
金庫の鍵を新しく作り直してもらったは無事にガリオン金貨を下ろすことができて安堵したが、手数料として五ガリオンも取られてしまった。次は失くさないように気をつけないと。二度目は……さすがに、厳しい。
その翌朝、はジェームズとの約束の時間より一時間も早く『漏れ鍋』を出発した。二ヶ月ぶりに友達と会えるのが嬉しくて、昨夜はなかなか寝付けなかったのだ。ぶらぶらと通りを歩いて、いろいろな店を覗きながら、待ち合わせのフローリシュ&ブロッツ書店を目指す。新学期が始まるまでまだ一週間もあるので、人通りは疎らだ。途中、出店の『爆裂アイス』に強く惹かれたが、まだ……この後ジェームズと落ち合って、一緒にご飯を食べるのだ。今はまだ、ガマン、ガマン。
「!早いね、こっちこっち!」
本屋に着いたのは待ち合わせの三十分前だったが、なんとジェームズに先を越されてしまっていた。絶対私の方が早いと思ったのにな……しかもなんと彼は、両親と一緒だった。
「ジェームズこそ、早いね……えーと、こ、こんにちは」
「いやー、に会えると思ったら嬉しくてさ。目覚ましの二時間も前に起きちゃって」
楽しそうに笑いながら、ジェームズが大きく手を振った。そちらに駆け寄りながら、は彼の背後に立つお父さんとお母さんに頭を下げる。お母さんはの顔を見るなりパッと瞳を輝かせ、ずいと息子の前に進み出ての両手を握った。
「まあ、、お久し振り!元気そうで嬉しいわ。去年はジェームズがとってもお世話になったみたいね」
「いえ、とんでもないです!お世話になったのは私の方で……ジェームズくんには本当に、何から何まで……」
「
君が、『』かな?」
お父さんはジェームズにそっくりのクシャクシャの黒髪で、落ち着いた紳士といった感じの人だった。「はい、初めまして」といって頭を下げると、お父さんは優しく笑んで息子の頭をぽんと叩いた。
「ジェームズからいろいろと聞いているよ。とても素晴らしい友達に恵まれたとね。この子の相手をするのは骨が折れるだろう?昔からやんちゃでね」
「父さん、『やんちゃ』って褒め言葉だよね、もちろん?」
お父さんは呆れ顔で肩を竦めたが、息子の誇らしげな笑顔をちらりと見下ろして唇を緩めた。ああ……とっても良い雰囲気の、家族。は素直に羨ましいと思った。私もいつか、こんな風に父さんと笑い合えたら。もしもここに、母さんが生きていたら。
「ねえ、、僕たちこれから分担して新学期に必要なものを買いに行く予定なんだ。は僕と一緒に教科書を買って、それから洋装店に行こう。新しいローブが要るだろう?鍋屋と薬問屋、ふくろう百貨店は僕の父さんと母さんに任せておけばいいから」
「えぇ?そ、そんなの悪いよ……私は自分で買いに行くからさ」
「気にしないで、。みんなで手分けした方が早く済ませられるでしょう?買い物が終わったらみんなで美味しいものでも食べましょう。いいお店、知ってるのよ。時間は大丈夫?」
「あ、はい、時間はいくらでも……でも、私、ほんとに
」
「、誰も取って食おうなんて思っちゃいないよ。ねえ、裏通りにとっても美味しいケバブのお店があるんだ。僕らと一緒に行こうよ!」
ああ……厄介なことになってきたぞ。ジェームズが一人で来るものだとばかり思っていた。でも、そっか……ジェームズは去年だって、お父さんとお母さんと一緒に買い物に来ていたのだから、この程度のことは想定しておくべきだった。
恐縮してまだ答えを出せないでいるに、ジェームズのお父さんはとても穏やかな眼差しで微笑んだ。
「、君は確か、日本から来ているんだよね?私は東洋の建築にとても興味があってね。良ければ美味しいご飯でも食べながら、話を聞かせてもらえないかな」
「ジェームズ、背、伸びたんだね」
マダム・マルキンの洋装店で丈の短くなったローブを直してもらったは、ジェームズがサイズを測ってもらっているのを隅の椅子に座って眺めていた。は少し背が伸びただけなので多少の直しで済んだが、ジェームズはどうやらかなり身長が伸びたので新しいものを作り直す必要があるらしい。夏休みに入るまでは毎日ホグワーツで顔を合わせていたのでその変化にはほとんど気付かなかったのだが、確かにこうして見ると……少し、大人っぽくなったような気もする。この二ヶ月で変わったのか、それとも一年のうちに少しずつ成長していったのか。にはそのどちらともつかなかった。
マルキンにサイズを測られている間も、等身大の鏡に全身を映して髪の毛をいじっていたジェームズは、鏡越しに映ったに向けて誇らしげに笑いかけた。
「そう、この一年で十センチ以上伸びたんだよ」
「体つきも随分しっかりしてきましたからね」
ああ……そういえば。どちらかといえば身長というよりも、体つきの変化がローブを買い換える決め手になったようだ。マルキンが胸の周りをメジャーで測ろうとしたので、ジェームズは肩のところまで両手を上げた。
「この年頃の男の子はすぐに大きくなりますからね。毎年サイズ直しでは追いつかなくなるんですよ」
言いながら、マルキンはメジャーを仕舞って一旦奥に引っ込んだ。ジェームズは等身大の鏡が面白いのか、自分の姿を覗き込んではその前で様々なポーズをとったりしている。その様子を見ていればやっぱりまだまだ『オトコノコ』なんだなぁと笑ってしまうが、それでも……そうだろうな。男の子は、知らないうちに大きくなっていく。
戻ってきたマルキンは新しいローブをジェームズに着せ、丈を合わせ始めた。
そのときだった。ばん!と背後から突然大きな音がしたかと思うと、息を切らせたシリウスが店内に飛び込んでくるところだった。はあんぐりと口を開け、振り向いたジェームズも目を丸くして瞬きを繰り返す。
「
どうした、お前。まさか逃げてきたのか?」
「……はぁ、はぁ……見ての通りだよ、コンチクショウ」
シリウスは乱暴にドアを閉め、倒れ込むようにそのままどさりと座り込んだ。肩で大きく息をしながら、ゆっくりと呼吸を整える。そうしてようやく顔を上げたとき、彼は隅のに初めて気付いたようだった。
「はぁ、はぁ……も一緒だったのか……」
「うん、まあね。それよりいいのか?後でまた大目玉食らうことになるぞ。ただでさえこの夏はいつもより監視が厳しかったんだろ?」
「知ったことか……あいつら、俺のことなんてほんとはどうだっていいんだ……それなのに……」
裾直しは終わったようで、マルキンはジェームズからローブを脱がせて丁寧に包装し始めた。は立ち上がり、シリウスに歩み寄ってまだ呼吸の乱れている彼の背中をそっと撫でてやる。
「ねえ、大丈夫?それよりどうしたの?何から逃げてるって?」
「どうだっていいだろ、そんなこと。それより俺も新しいローブ、お願いします!」
の質問をあっさりと撥ねつけ、シリウスがマルキンに向かって叫ぶ。その様子から、は彼が例の『家族』のところから逃げ出してきたのだと分かった。
店の窓からそっと外の通りを覗いたが、それらしい人影はまったく見当たらなかった。シリウスの大嫌いな両親が、このすぐ近くにいる。
会ってみたいとは強く思ったが、彼の横顔があまりに苦々しげに歪んでいたので、まさかそんなことは言えずに口を噤んで下を向いた。