ホグワーツを離れる日の朝、エバンスやニースは荷物を運び出すために一度部屋に戻ってきたが、には目もくれず必要なものだけを持ってすぐさま出て行った。ニースを呼び止めようとはしたものの、彼女の後ろ姿がそれすらも拒絶しているようで、結局は何も言えずには呆然とそこに立ち尽くしていた。

、どうしたの?ニースは?」
「……うるさい!関係ないでしょ、放っといてよ!」

ひとりでトボトボとホグズミード駅まで向かう途中、運悪くジェームズたちに見つかっては声を荒げた。やだな……ニースに嫌われてたなんて、あまりに惨めで今は誰にも会いたくない。
目をぱちくりさせるジェームズたちに背を向けて、すたすたと歩き出す。そんなを追いかけて走り出そうとしたジェームズを、無表情のシリウスが止めた。

「放っときゃいいだろ、放っといてって言ってるんだから」
「はあ?そんなの本音のはずないだろ、お前って友達甲斐のない奴だな!」
「子供じゃねーんだから放っときゃいいんだよ。女の喧嘩なんて面倒だしさ」
「そんなこと関係ないだろ!悩んでる友達を放っておくのがお前の優しさか!ああ見損なったよ、好きにしろ!僕はのところに行くよ!」

そしてなぜか荷物を置いたままを追いかけていったジェームズを見て、シリウスは大きくため息をついた。ピーターは遠退くジェームズの後ろ姿を見て、おろおろと意味もなく辺りを見回している。

「まったく……過保護なんだよな、あいつは。なあ、そう思わねえ、リーマス?」

シリウスは傍らのリーマスに呼びかけたが、返事がないので瞬きしながら横を向いた。ぼんやりと前方を見つめていたリーマスは、はっと我に返って慌ててこちらを見た。

    そうかも……しれないね」

A RASH PROMISE

二人の『シーカー』

「……ふーん、そんなことがあったんだ」

は追いかけてきたジェームズと一緒に、空いていたコンパートメントに乗り込んだ。相変わらず彼の優しさが嬉しくて思わず泣き出したに、ジェームズはそっと彼女の肩を叩きながら黙って話を聞いてくれた。エバンスの言葉。ニースに、あなたの何もかもがいやなのだと言われたこと。それが原因で、数日前の悪戯計画をフィルチにばらされたのだということ。

「エバンスの言うことももっともだと思うし、僕らだってジャスパーや上級生たちに同じようなこと言われたよ。ニースもそのことで、ちょっと怒ってただけじゃないかな」
「……そんな感じじゃなかった。なんか、溜まってたものが一気に溢れ出したみたいな、そんな感じで……ずっと、嫌われてたんだって分かった」
「そうかな?またの、『思い込み』なんじゃない?」

ジェームズが努めて明るく振る舞おうとしていることには気付いたが、はとてもそんな気分になれずに重苦しい表情で下を向いていた。あのときのニースの眼差しが、一夜明けた今でも痛々しく思い出される。

「私、ホグワーツに来る前は……友達って、思える人もいなくて。ここに来てから、ジェームズやピーター、シリウスとか、ニースとか……友達って呼べる人がたくさんできて、毎日もすごく充実してて。すごく、楽しかった……日本にいた頃はずっと、本音を殺して生きてきたの。誰も、信じられなかったから。周りのみんな、上辺だけの友情で凝り固まってるみたいに見えたの。それを、ようやくここで外に出せるようになって、ほんとに楽しく、やってたつもりだったのに……ニースもずっと、本音を殺して私と一緒にいたの」

また涙が溢れ出しそうになったので、は瞬きを我慢して窓の外を見た。汽笛が鳴る。もうすぐ、この汽車はホグズミードを離れ、ロンドンに向けて出発する。

    女の子が、嫌いだった。みんな、自分を取り繕って過ごしてるように見えたから。ずっと、女の子が嫌いだった。素直に生きてる男の子たちが羨ましかった。だからイギリスに来て初めて話したのがハグリッドで良かったし、初めて友達になったのがジェームズで本当に良かった。ハグリッドがいたから、ジェームズがいてくれたから、私、女の子たちとだって本音を出して話せるようになったんだと思う。ほんとだよ?ジェームズたちのお陰で、私は『自分』を出せるようになった」

それなのに。がたん、と音を立てて、ホグワーツ特急が動き出した。

「それなのに……私が、一番近くにいたニースに、自分を殺させてたの……」
「考えすぎだよ、。一度ニースとよく話し合ってみればいいじゃないか。じゃなきゃニースが何に怒ってるかも分からないだろう?」
「それは……そうだけど」

もごもごと言って向かいのジェームズから視線を外したとき、はコンパートメントの入り口で意地の悪い笑みを浮かべている数人の男子生徒に気付いた。ジェームズもつられてそちらを見やり、瞬時に眼差しを鋭くする。
ロジエールたちスリザリン生は、さも愉快そうに唇を歪めながらを見ていた。

「あんな大恥さらしたんだ、そりゃあ『友達』くらい失くすだろうよ。いい気味だ」
    出て行け、ここはお前らが来るところじゃない」

ジェームズが低めた声で唸ったが、ロジエールはふんと鼻を鳴らして目を細めた。

「自分が一度でも組み分けされた寮が見てみたかった、だとよ。惨めだな、。あんな醜態をさらしてまで
    シリウスがお前みたいな女と付き合ってるなんて知ったら、さぞあいつのお母様は悲しまれるだろうな」
は関係ない。俺がお前らの鼻を明かしてやりたかった    俺がそれにを付き合わせただけだ。分かったらさっさとそこ退けよ、邪魔なんだ」

いつの間にやらロジエールたちの背後に姿を現したシリウスが、吐き捨てるように言った。振り向いたロジエールは、にやりと笑んでシリウスを見やる。

「お前もとんだ『友達』とやらに恵まれたな。まあ心配するな、この一年のお前の数々の愚行についてはお母様には秘密にしておいてやるよ」
「うるせえ、言いたきゃ言えよ、俺には関係ねえ。退けっつってんだろお前ら、聞こえなかったのか!」
「やめろ、シリウス」

ロジエールの傍らにいたウィルクスに向けて拳を振り上げたシリウスを、ジェームズの鋭い囁きが止めた。

「こんな奴ら、殴る価値もない」
「ハッ。お前はいつも口だけだ、ポッター。殴る度胸がない……それだけだろ。偉そうな口を叩くな」
「てめえ!」

声を荒げたのはシリウスで、彼は勢いよくロジエールの胸倉を掴んで後ろの壁に叩き付けた。彼らから少し離れたところに立っていたピーターは「ひっ」と悲鳴をあげ、一瞬顔を歪めたロジエールは、すぐさまいつもの余裕すら滲ませた笑みを浮かべてシリウスの眼を見返す。やめろ、ともう一度静かにジェームズが言うと、ようやくシリウスは相手のローブを放した。

    僕が口だけだって言ったな、ロジエール」

ゆっくりと立ち上がったジェームズが、襟元を正すロジエールと対峙して告げる。

「だったらこうしよう。お前、確か来年クィディッチでスリザリンのシーカーになるって言ってたよな」
「ああ。俺は必ずシーカーになってみせる」
「幸い、僕もシーカーの座を狙っててね。どうだ、来年のクィディッチ開幕戦で、ずっとお預けになってたあの勝負を決めるっていうのは」

は目を丸くしてジェームズとロジエールを見比べたが、ロジエールは満足そうに口角を上げた。

「面白いな。だったらどちらかが選抜に落ちた時点でゲームオーバー……それでいいな?」
「ああ。僕らが晴れてチームの一員になったら、開幕戦のグリフィンドール対スリザリン戦で、先にスニッチを掴んだ方の勝ち、だ」
    いいだろう。その話、乗ってやるよ」

尊大な物言いで頷いてみせたロジエールに、ジェームズはすかさず言った。

「但し、僕が勝ったらもう二度とに構うな。シリウスのこともだ」

とシリウスが、ほとんど同時に顔を上げてジェームズを見る。ロジエールはしばらく口元から笑みを消してじっとジェームズを眺めていたが、やがて小さく嘲笑って口を開いた。

「いいだろう。後で吠え面かくなよ、ポッター。おい、行くぞ」

周りのスリザリン生に顎で合図して、ロジエールたちはぞろぞろと立ち去っていった。ようやく空いた入り口を通って、シリウスにピーター、そして先ほどまではスリザリン生の陰に隠れて見えなかったルーピンが入ってくる。シリウスはジェームズのトランクを持ち主に押し付けながら、不快そうに眉をひそめた。

「ジェームズ、お前な……あんな奴、まともに相手する必要なんてない」
「お前に言われたくはないな。いちいちあいつらの嫌味に付き合ってるよりも、一発決めてやった方がずっといいだろ?大丈夫、絶対勝ってみせるからさ」
「……ごめんね、ジェームズ。私のせいで……」

しゅんと項垂れるに、ジェームズはとんでもないと首を振った。

「何でが謝るんだよ!僕が勝手に決めたことだ。それに、この一年僕の素晴らしい飛びっぷり、見てただろ?自信はあるよ、だからそんな顔しないで」

誇らしげにそう言って胸を張るジェームズに、は涙混じりにようやく笑うことができた。ジェームズのことが大好きだ。どこまでも友達思いで、優しくて、気遣いがとても上手で、どんなときだって明るく振る舞おうとして。彼がいれば、大丈夫。彼がいればきっと、何があっても大丈夫。強くそう思えて、は涙を零しながら笑った。すごい顔だぞ、とからかってみせるシリウスに、拳を振りかざしながらも笑い続ける。幸せだと思った。こんな素敵な、友達を持てたことが。ピーターは大慌てで荷物の中からハンカチを取り出してに手渡した。ありがとうといってはそれを使おうとしたが、「ピーター、それひょっとして昨日のじゃない?」というルーピンの言葉に、はっとして顔から離す。苦笑しながらルーピンが差し出してくれたティッシュを受け取り、はそれで思い切り鼻をかんだ。

ニースに嫌われていたという事実は、あまりにもつらかったけれども。ジェームズがいてくれて、シリウスがいてくれて。ピーターがいてくれて、本当に良かったと思う。ありがとう。本当に、ありがとう。
夏休みはイギリスを離れていたせいか、ニースのことであまりくよくよせずに過ごすことができた。かなりの距離があり、一往復するだけで一週間もかかるのでそう頻繁には無理だが、ジェームズはしばしばふくろう便を送ってくれたし、スーザンやメイ、マデリンはニースとのことを心配して手紙を書いてくれた。ホグワーツを離れる日、ニースがとは別行動をとっていたので、二人が喧嘩したらしいという噂は仲間内であっという間に広まったようだ。

父はが暖炉から飛び出してきたとき、心底嬉しそうな顔で娘を迎え入れた。こんなにも温かい歓迎はきっと生まれて初めてで、は素直に笑って父と話をすることができた。嬉しい。やっぱりきっと、イギリスに行ったのは間違いじゃなかったんだ。離れていることで、かえって父との絆を深めることができた。
夏休みは、一年間の復習や宿題、そしてジェームズたちに手紙を書いたり、父と共に過ごす時間を作るだけで嘘のように早く過ぎていった。日本の『友人』たちと会うつもりはない。もともと、厄介事がいやで一緒に行動していただけの人たちだった。だから日本に戻ってきていることも知らせていない。ただ、それまでは頑なに拒否していた父との外出をするだけで十分に楽しい休暇だった。やはり照れ臭さは、今でも残っているけれども。

「今年もクリスマスは向こうで過ごすのか?」

食事中に何気なく訊いてきた父に、はしばらく「うーん」と唸りながら天井を見上げた。

「どうだろう……友達が残るんなら残ろうかな。誰もいなかったら帰ってくるよ。あ、それとも帰ってきてほしい?それならこっち戻ってくるよ」
「いや、お前の好きにしていい。だが、決めたらまた手紙を送ってくれ」
「はーい」

ほんとは帰ってきてほしいくせに。そういうところは、やっぱり今でも不器用だな。父のためにも帰ってきてあげたいという思いもあったが、はあの城で素晴らしいご馳走に囲まれて、友人たちと過ごす休日も捨てられずにいた。

「そうだ!もし向こうに残ることにしたら、ホグワーツのお菓子、送るね。すごいんだ、去年のクリスマスのご馳走……まるで王女様にでもなった気分!」

父はありがとうとだけ言って再びご飯を食べ始めたが、その黒い瞳は嬉しそうな、それでいてどこか寂しそうな物悲しい色を帯びて煌いていた。
母との思い出を、何度か聞こうと思った。けれどもやはり気恥ずかしくて何も言えないまま、はマクゴナガルにロンドンへ戻る日程の手紙を送った。学期末に聞いたのだが、煙突飛行ネットワークは通常イギリスの、しかも魔法使いの家の暖炉にだけ繋がれている特殊な魔法らしい。それをの実家に、特別措置として一時的にネットワークを繋ぐことにより、は日本とイギリスとを行き来できるのだという。だからロンドンに戻る日程を決めたらすぐに手紙を書けという寮監の指示通り、は新学期が始まる一週間前の土曜日に日本を離れる旨を伝えた。

みんな、どんな夏休みを過ごしているのかな。ジェームズは両親と旅行に出かけたり、ホグワーツの同級生で近くの町に住んでいるウィルフレドたちと遊びに行ったりしているらしい。シリウスとは会っていないのかというの質問に、彼は羊皮紙の最後に短くこうまとめていた。『あいつは自由に家を出られないんだ。』
自由に家を出られない。どういうことだろう。よほど厳しい親で、息子が遊びに出かけることを許さないのかな。そんな。ホグワーツに入学する前、たった一人の家族である父のことが大嫌いだっただが、だからといって家に軟禁されるだとか、そういったひどいことはなかった。『立派な』家柄であることのしがらみ……そういうことか。息子の自由な外出を許さないだなんて、シリウスが家を嫌っているという理由は、いやというほどよく分かった。シリウスのために、何かできないだろうか。そう思っては、彼にも手紙を書いた。けれどもシリウスからの返事は、一度も届かなかった。

「手紙くらいは書けると思うんだけどなー。あ、でもシリウスって筆不精っぽい……ねえ、返事書くの、いやそうにしてた?」

何度か日本とイギリスを往復させられて疲れきったムーンはの膝の上で眠り込んでいた。声をかけるも、まったく目覚める気配はない。潔く諦めて、はホグワーツに戻る準備を始めた。
一通り荷物を詰め終え、部屋を見回す。一年前まではずっと、ここが私の唯一の城だった。けれども今は、ホグワーツこそが私の『城』になっていた。魔法という未知の世界を学び、新しい友達を授けてくれた。ここには大切な家族がいる。けれども、やはりあの城は私にとって。

やはりこのままではいけないのだ。は意を決して、決めかねていた手紙を書いた。
BACK - TOP - NEXT
(07.10.27)