また、負けた。
勝ち誇った顔で右の拳を握ってみせたシリウスに、は愕然と項垂れた。今朝手に入れたばかりの自分の駒が、やはり持ち主の非力ぶりを目の当たりにして野次を飛ばす。
けれども二人の勝負を傍らで見守っていたジェームズは、心底嬉しそうな眼差しでに声をかけた。
「でも、ルールは一日で覚えたんだろう?大したもんだよ。一ヶ月もすればシリウスなんてすぐ追い抜くさ」
「どういう意味だよ」
眉をひそめて切り返したシリウスに、ジェームズはにやりと笑う。
「だってこいつ、何百回やったって僕に一度も勝てたことがないんだ」
in the afterglow of that night
あの日の余韻に浸りつつ
クリスマスの夜、何十発と打ち上げられた花火は、彼らの不在ですぐにたちの仕業だとばれた。厳格なマクゴナガルや、古代ルーン語のバブリングは無断であんな悪戯を……と渋い顔をしていたが、三角帽子のてっぺんに可愛らしいピンクの花を生やしたダンブルドアは「素晴らしいパフォーマンスをありがとう」といってたち三人に、それぞれ十点ずつを与えた。花火と同時に、ジェームズがこっそり仕掛けていた魔法が効いて、大広間は花火が舞い上がるごとに様々な色の花を咲かせたのだ。ダンブルドアの三角帽子に花が生えたのも、その魔法のせいだった。
「さすが、ダンブルドアは粋だね!マクゴナガルと違ってユーモアってものを分かってるよ!」
「でもホグワーツの先生がみんなダンブルドアみたいな人ばっかりだと、それはそれで立ち行かない気がするな」
きっと、マクゴナガル先生みたいな人がいてちょうどいいんだよ。そう言ったに、「君ってマクゴナガルが好きだよね」と苦笑したジェームズがふと顔を上げると、彼は談話室の窓の向こうにバタバタと忙しなく羽を動かす一羽のふくろうを見て不思議そうに瞬きした。
「なんだろう
誰かに荷物かな」
彼の言葉で初めてふくろうの存在に気付いたとシリウスは振り向いて窓の方を見た。その小さな体には酷だと思われるほどの大きさの包みを持ったふくろうに、はあっと声をあげて立ち上がる。
「ムーン!」
「え、のふくろう?」
首を傾げたジェームズに、そう、といっては慌てて駆け寄った窓を開けた。その隙間からやっとのことで入り込んできたムーンは、が差し出した腕の中にぽとりと崩れ落ちるように落下する。疲れきった森ふくろうは、どうやらそのまま気絶してしまったようだ。
「ムーン、ムーン!どうしよう、ねえ、飼育学の先生に見てもらった方がいいかな?それともハグリッド?」
「どうしちゃったんだろうね?まだそんなに年ってわけじゃないんだろう?」
「だって八月に買ったばっかだもん!まだ一歳にもなってないってお店のおじさん言ってたよ!」
どうしよう、どうしよう!ムーンが死んじゃう!涙目になってうろたえるに、ムーンを覗き込むジェームズの後ろからひょっこり顔を出したシリウスが言った。
「それより先に荷物外してやれよ、絶対重いだろ、それ」
「えっ?あ、そっか、そうだね」
急いでムーンの脚に縛り付けられた紐を解こうとするも、頭の中が混乱していてなかなか解けない。どうしよう、どうしようと小声で繰り返し、奮闘していると、呆れ顔でため息をついたシリウスが「貸せよ」とムーンを自分の膝の上に取り上げてあっという間に紐を解いてしまった。
「あ、ありがとう……あああどうしよう、ムーン、ムーン……!」
「、これ、お父さんからじゃないか?」
ムーンの運んできた茶色い包み紙を覗き込んだジェームズが声をあげた。見やると
本当だ。表に、『・様。・より』とある。それを見て、ジェームズは可笑しそうに笑った。
「なーんだ。、大丈夫だよ。その子、日本まで飛んで戻ってきたわけだろ?そりゃあ疲れるさ!一晩休ませてあげればすぐに元気になるよ。大丈夫、僕が保証する!」
「……ほ、ほんと?」
「ほ・ん・と・う。ふくろうって意外と丈夫にできてるんだよ」
言ってジェームズは、シリウスの膝の上で死んだように眠っているふくろうをそっと撫でた。
「頑張ったね、ムーン。お疲れ様」
はっとして、もムーンに優しく声をかける。
「ありがとね、ムーン。ゆっくり休んで」
「……それはいいんだけどな、見も知らない俺なんかよりも、飼い主様の膝の方がずっといいと思わねえか?」
「あ、ごめんごめん。ありがとう、シリウス」
はシリウスからそっと森ふくろうを受け取って、自分の膝の上に載せた。きらきらと目を輝かせたジェームズが、「ねえ、それってクリスマスプレゼント?なになに、早速開けようよ!」と急かしてくる。クリスマスには間に合わなかったが、ひょっとしたら今までに父からもらったどんなプレゼントよりも大きいその包みを、は逸る気持ちを抑えながら開いた。
中から出てきたのは、数え切れないほどの日本のお菓子だった。が昔から好きだったスナック菓子や、キャンディ、チョコレート、醤油せんべい、するめいか、あられ、干し梅……は嬉しさと懐かしさのあまり胸が詰まりそうになったが、それ以上に大きなリアクションをとったのはジェームズだった。
「すごい、すごいね!これって日本のお菓子?こんなにたくさん!ねえ、、これは何?」
「それは『カステラ』だよ。食べてみる?」
「えっ?いいの?やったー!、ありがとう!」
一切れずつが個別に包装されているカステラの包みを開け、はその半分を割ってジェームズに手渡した。本当に幼い子供のように目を輝かせ、その表面をまじまじと見てから、ジェームズがカステラにかじりつく。そして嬉しそうに頬を緩めながら「美味しい!」と叫んだ。良かった、と笑って、残りの半分をシリウスに渡す。彼はジェームズとは対照的に不審そうにそれを眺めてから、ようやく少しだけ口に含んだ。ゆっくりと口腔で噛み締めて、「……美味い」と呟く。
「どれでも適当に食べていいよ。こんなにたくさんあっても食べきれないし」
「えーほんとに!?嬉しいなぁ。あ、ねえねえ、、これは?」
「それは『コンペイトウ』だよ。あ、抹茶葛湯が入ってる!やったー、私これ大好き」
「えー何それ何それ、舐めるの?」
かつては自分の周りに当たり前のようにあったもの。それをこんなにも、楽しそうに食べてもらえるなんて。けれどもそれは、ジェームズたちも同じなんだろうか。マグルの世界で育った友人たちに、自分の育った世界を知ってもらえる喜び。
は初め、自分が魔法界に馴染めるかどうか、本当に魔法を使えるようになるのかとても不安で、魔法使いの子供として、当然のように魔法がある環境に育ちたかったと思うこともあった。けれどもここでようやく、日本という国、そしてマグル社会に生きてきた自分というものをしっかりと見つめられるようになった気がした。
「舐めるんじゃなくて、ほら、ここに説明書きあるでしょ?えーと、器に入れて、それからお湯を百八十cc……」
「、僕たちイギリス人なんだよ?日本語なんて、読めないよ……」
ジェームズが困った顔で頭を掻いた。そのとき、ふとした違和感に気付く。日本語……この説明書きは日本語で、ジェームズたちは、イギリス人……私は、イギリス人の彼らと喋ってる……。
「えっ、ひょっとして私、英語喋ってる?」
「「はあ!?」」
完全に声をかぶらせて、ジェームズとシリウスが眉をひそめた。はびくりと身を強張らせ、ソファの上で思わず後ろに背中を反らせながら目をぱちくりさせる。
「え、その、あの……」
「お前、頭おかしくなったのか?この数ヶ月、当たり前みたいにずーっと英語喋ってたろうが!」
「えっ!?あ、ひょっとして、今も……?」
「……、ほんとにどうしちゃったの?今君が喋ってるのは、紛れもなくとっても流暢な英語だよ」
ま、まさか!まさか、まさか……けれど、いや、これは、確かあのときと同じ……。
「私、ちょっと出かけてくる!」
「は!?おい、もう就寝時間過ぎてるぞ!」
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから!行ってきます!」
シリウスの制止をかわし、ムーンを無理やり彼の腕に押し付けては談話室を飛び出した。太った婦人の声もきっぱりと無視して駆け出す。おかしい。あのときハグリッドは、フルーパウダーの効果はそう長くは続かないだろうと言った。だから英語は自分で勉強しろと。それなのに、おかしい。あれからもう五ヶ月も経つというのに、状況はあの夏とまったく変わらないのだ。
どうしよう。やっぱり聞くならハグリッドかな。ああ、でもコート……マフラー、手袋……何も持ってない。これは危険。寒すぎる。どうしよう、帰ろうかな。いや、でも無茶をして飛び出した手前、そう易々とは……。
いつの間にやらペースを落とし、グリフィンドール寮から階下へ下りるための最後の廊下をゆらゆら歩いていると、どこからか甲高い声で下品な歌を歌う声が聞こえてきた。あれは
ピーブズ!
見つかっては大変だと、は大慌てで近くの教室へと飛び込んだ。ドアに身体を押し付けて耳を澄ませ、ピーブズの歌声が遠ざかっていくのを確認してから安堵の息をつく。授業前に何度かピーブズに見つかって、でたらめな道を教えられたりチョークの粉を浴びせられたりと(この現場にたまたまスリザリン生が居合わせたことがあり、その日はとんでもない揶揄に晒された)散々な目に遭っていたは、どうしてもこんな時間にあのポルターガイストには会いたくなかった。
「おやおや
こんなところで奇遇じゃのう、ミス・」
突然、背後から声をかけられては飛び上がった。まさか人がいるなんて
暗闇に慣れてきたの眼が捉えたのは、すらりと背の高いあの老人。
アルバス・ダンブルドアが、窓のすぐ近くに立っていた。
「せ、先生……ど、どうしたんですか、こんなところで」
「わしかね?わしはのう、先ほど布団に入ろうと思うたら……ほれ、クリスマスに君たちが上げてくれた花火のことを思い出してのう。あんなに素敵な花火は久し振りじゃ。ずいぶんと手間がかかったのではないかな?」
「えーと……あの花火に手を加えたのは、ジェームズとシリウスなので。私は、そんなには……」
「とても素晴らしかったよ。それでふと、空が見たくなってのう。知っておるかね?この窓からは、君たちが花火を打ち上げてくれたあの辺りの空がよく見えるんじゃ。見てごらん」
咎められそうな気配がまったく感じられなかったので、ほっと胸を撫で下ろしながらはダンブルドアのもとへと歩み寄った。彼の指差す窓を見上げても、それがあの花火の弾けた空なのかはよく分からなかったが、けれども視線を下ろせば確かにここからは大広間の窓が見えた。
「あの晩の花火を再現する魔法はあるが……そんな無粋なことをするのは、君たちに失礼じゃな?」
「い、いえ、そんな……でもそんな魔法、あるんですか?」
「あるには、ある。それを使う魔法使いは滅多におらんがのう」
ダンブルドアはひっそりとそう言って、窓の外に視線を戻した。そんな魔法があるのなら、是非とも披露してもらいたかったが……そうだよね、こんな時間にまたあんなうるさい花火をぶっ放すわけにいかないよね。
「
さて。今度はわしから質問させてもらっても良いかな?ミス・。こんな時間に、こんなところで一体どうしたのかね?」
はっとして、は顔を上げた。そうだ、私はこんなところで油を売っている暇は
あ、でも、そうだ!
「あ、あの……先生、私どうしてもお聞きしたいことがあって」
「何かな?わしの分かる範囲なら、何でも答えてあげよう」
良かった!ダンブルドアは、話の分かる人だ!は急くあまり、ときどき息を詰まらせながら必死に捲くし立てた。
「私、イギリスに来てすぐのとき……私は普通に喋ってるつもりなのに、英語喋ってるってハグリッドに言われたんです。ハグリッドの喋ってることもちゃんと分かったし、でも私、英語なんてちっとも勉強したことなくて……ハグリッドが言うには、ダンブルドア先生がフルーパウダーにそういう魔法をかけたんだろうって。でもそんなに長く効かないだろうから、英語は自分で勉強しろって!それなのに、先生、私って今、英語喋ってるんですよね?先生の言うこともみんなの言うことも分かるし……これ、どうなってるんですか?まだ先生のフルーパウダーの効果が続いてるってことですか?」
するとダンブルドアは、不思議そうに少しだけ片方の眉を動かした。
「おや……君はハグリッドから、そのことを聞かなかったのかね?」
「え、何をですか?フルーパウダーの効果が続いてるってことですか?」
「いや……あの粉にかけた魔法は一時的なものじゃった。今君が我々イギリス人と何の支障もなく話しておるというのは、君に渡してもらったはずの、あのネックレスの効果じゃよ」
ネックレス
まさか、これ?は首からさげたそれを、セーターの下から引っ張り出して見せた。
「これのことですか?この……先生が、母から預かっていたっていう、この」
ダンブルドアはほんの一瞬だけ、そのネックレスに触れようと手を伸ばしかけたが
が気付かないほどにすぐさま、その腕をローブの下に戻した。
「その通りじゃ。そのネックレスには、言語能力を極限まで高める魔法が込められておる。君は意図せずとも頭の中で我々の言葉を理解できるし、思い通りの英語を紡ぐこともできる。だから言葉の問題は、何も心配しなくとも良い」
「そ、そうだったんですか。ハグリッド、言ってくれたらいいのに……意地悪。じゃあお母さんも、このネックレスの力で英語が喋れたんですか?でも、お母さんってイギリスで育ったんじゃ
あれ、でもお母さんってマグル生まれなのに何でそんなすごいネックレス持ってたんだろう……」
「
いや。お母様は日本生まれじゃと、わしは聞いておる。だからその魔法を込めたネックレスを……わしから彼女に、贈ったんじゃ」
「先生が?」
目を丸くして、はじっとダンブルドアを見つめた。そもそもこれは、ダンブルドア先生のものだったんだ。
ダンブルドアはにこりと微笑んで、静かにの肩に手を添えた。
「さあ、質問は以上かね?それなら、もう寮に戻ってはどうかな?こんな格好では風邪を引いてしまうじゃろう」
「あ、あの……もう一つ、だけ」
を出口へと促すダンブルドアに、振り向いて呼びかけた。穏やかな眼差しで、老人がを見下ろす。
「母は……どうして、父と結婚したんだと思いますか?ハグリッドから聞きました。お母さん、ホグワーツですごくモテてたって。それなのに何で、お父さんを選んだんでしょう。お父さん、何も言わないから。先生なら、何かご存知かなって思って」
ダンブルドアはあのときのハグリッドと同じように、くすくすと笑った。
「ミス・。男と女というものは、二人にしか分からぬものがあるんじゃよ。きっとわしが何を語ろうとしても、それが彼らにとっての真実であるとは限らぬ。君にもいつか、分かる日が来るじゃろう」
にはよく分からなかったが、これ以上何を聞いても欲した答えは得られないような気がして、別のことを訊ねた。
「ダンブルドア先生は、奥さんのどんなところに惹かれたんですか?」
するとダンブルドアは、まるでジョークか何かでも聞いたかのように可笑しそうに笑んだ。
「残念ながら、わしは独り者じゃよ、ミス・」
「えっ?ど、どうして結婚されなかったんですか?出逢いがなかったんですか?」
「幸い、素敵な出逢いには恵まれたと思うがのう。それでも……そうじゃな、家庭を持とうと思うたことはほとんどない」
だから、といって、ダンブルドアはそっとの頭を撫でた。
「だから君のご両親のように永久の愛を誓い合った人たちを、わしはとても、尊いと思うのじゃよ」
そのときは気付かなかったのだけれども。
私はとてつもなく失礼なことを、何の遠慮もなくずばずばと口にしてしまったのだ。