想像を遥かに超えた素晴らしいご馳走の数々に、はしばらくフォークを動かすことも忘れて呆然と手元の長テーブルを見下ろした。普段の食事でさえ、予想よりもずっと美味しくて満足だったのに(こちらに来る前、イギリスの食事は不味いと父から聞かされていたし、実際『漏れ鍋』の朝食はさほど食欲をそそるとは言えなかった)、広間中を満たすご馳走の香りだけで頬が落ちそうだ。丸々太った七面鳥のローストが数十羽、山盛りのローストポテトにゆでポテト、大皿に盛った太いソーセージ、深皿いっぱいの豆のバター煮、銀の器に入ったこってりした肉汁とクランベリーソース……。
テーブルのあちこちには魔法のクラッカーが山のように積んであった。はそのうちの一つを、隣に座ったハッフルパフの上級生と一緒に勢いよく引っ張った。するとクラッカーは大砲のような音を立てて爆発し、青い煙が周りにもくもくと立ちこめる。中からはきらきらと様々な色に光る風船と、生きたハツカネズミが飛び出してきた。
は驚きのあまりしばらく口も利けないでいたが、その様子を見て可笑しそうに笑った傍らのジェームズを見て、やがてつられるようにして大声で笑い出した。
テーブルを離れる頃には、の腕の中はクラッカーのおまけでいっぱいだった。花飾りのついた婦人用の三角帽子、自分でできるイボ作りのキット、金のスニッチのミニチュア、新品のチェスセット……これでみんなに、一日遅れのクリスマスプレゼントを送ることができる。けれどもチェスセットだけは今後のために自分で取っておこうと、は心の中で呟いた。
UNDER FIREWORKS
あの、空の下で
話し合いの結果、夕食時全員が大広間に集まってから、広間の窓からよく見える空に花火を打ち上げようということになった。ジェームズやブラックが持ち込んできた悪戯グッズにも限りがあるし、いつもならどこかでこっそり調合した悪戯用の薬品も、思い付きが当日だったものだから間に合わない。せめてみんなを退屈させないくらいたくさんの花火を上げて宴会を盛り上げようと、たちは誰にもばれないように、夕食前に校庭のあちこちに花火をセットして回った。
「それじゃあ僕ひとりで大広間に行って、みんなが揃ったら両面鏡でこっそり合図するからさ。だから君たちは校庭のどっかでスタンバイしててよ」
満面の笑みでそう言ったジェームズには思わず声を荒げそうになったが、すんでのところでそれを抑え込んだ。耐えろ、耐えろ……今夜ですべてが終わるのだ。ブラックも同じことを考えているのか、苦い顔をしながらもノーとは言わなかった。
夕食の時間にはまだ少し早いという頃に、きっちり防寒着を着込んで外に出る。小屋から出てくるハグリッドにも見つかるまいと、とブラックは花火をセットしたすぐ傍の茂みに隠れた。どきどきする。こうした『悪戯』は、本当に久し振りだった。しかも、今度はいくらホグワーツに残った生徒が少ないとはいえ、こんなにも大々的に……ば、罰則とか減点とか、あるのかな。勝手に花火を打ち上げてもいいなんて、そんなはず、ないよね。マクゴナガルがまた、怒るかも。けれどもこの計画を放棄しようとは思わなかった。
茂みの中にしゃがみ込んでから、しばらくは二人とも口を利かなかった。ブラックは右手に掴んだ両面鏡を見つめ、ひたすらジェームズからの合図を待っている。も取り出した杖を握り締め、着火の準備を整えるだけで何も喋らなかった。ホグワーツに入学して四ヶ月。基礎段階を越えてしまうと、にも魔法のコツというものが少しずつだが飲み込めるようになってきていた。
白い息を吐きながら、城の外観を眺める。もうすぐかな。ハグリッドがまだ小屋から出てきていないから、もう少し
。
「……冷えるな」
ぽつりと。こちらに背を向けたまま、不意にブラックが囁いた。あまりにも小さな声だったので、こんなにも静まり返った校庭でなければ聞き逃していたろう。けれどもそれは、確かにの耳に届いて彼女を驚かせた。
「そっ、そ、そうだね……」
「………」
「………」
あー、やばい。先が続かない。どうしよう。せっかく、せっかくブラックがきっかけを作ってくれたのに!
再び重苦しい沈黙が始まろうとしていたところへ、ブラックの大きなため息が流れた。
「……あー、続かねえなぁ」
な、なに、なによ。私のせいだとでも言いたいの!?
眉根を寄せて唇を引き結んだに、ブラックは物憂げに声をあげた。
「……お前さ、俺のどこが気に食わないわけ?」
はーー!?なーーにーーをーー!?
嫌ってるのはあんたでしょうって、一体何度言えば……。
ゆっくりとこちらを向いたブラックの横顔が、城から漏れ出る明かりを受けてあまりにも綺麗な輪郭を描いた。けれども彼の瞳は、逆光になっていてよく見えない。
「じゃあ聞くけど、あんたは一体、私の何が気に入らないんですか」
悪意のこもった口調ではっきりと問うと、ブラックは嘆息混じりに頭の後ろを掻いた。けれどもジェームズと違って、女である私が羨ましく思うほどさらさらの彼の黒髪は、そのまま流れるように定位置へと収まっていった。
「……こっちが聞いてんの。先にそういう態度とったの、お前じゃね?」
「ち、が!絶対あんただった!だって私、ホグワーツ特急でジェームズに紹介されたとき、よろしくって言ったじゃない!それなのにあんたは、挨拶ひとつ返さなかった!」
するとブラックは、明らかに呆れ返ったようだった。大袈裟に肩を竦め、言ってくる。
「お前、そんなこと……あー、あー悪かった、悪かった。でもな、あいにく俺は人見知りなんだ。誰にだっておんなじ態度とってる。それをいちいちそんなことで突っかかってこられたんじゃ、たまんねーって。お前だけだぞ、そんなこと言ってくんの」
彼のその言葉には、カチンときた。身を隠しているということも忘れ、はブラックの方へと上半身を倒して声を荒げた。
「なに、人見知りって!だからって挨拶しなくてもいいわけ?!自慢じゃないけど私だって人見知りくらい、するわよ!誰だって最初は人見知りでしょ!それをあんたのあの横柄な態度の言い訳にする気!?なーにそれ、腐ってる、挨拶しなくてもいいと思ってる人間なんて、
性根腐ってる!!あんたが人見知りなんて、初めて会った人間が知ってるわけないじゃない!あんな態度とられたら、そりゃ嫌われてるって思うわよ!」
怒鳴り返されると思っていた。これでもう、本当におしまいだと。そう覚悟を決めながら、言いたいことをすべて吐き出してしまった。どうせあと十分後には、すべてが終わっているのだから。
けれどもブラックは、何も言わなかった。城の明かりを背中に受けたまま、身動きひとつとらずに黙っていた。
やがて顔を上げたブラックは、の予想だにしなかった言葉をひっそりと口にした。
「……ジェームズがお前のこと好きになる理由、少しだけ分かった気がするわ」
えっ?彼の反応が信じられずに目をぱちくりさせるに、ブラックはあっさりと頭を下げた。
「
悪かった。これからは気をつけるように……できれば、する。俺だってもうジェームズとの仲がややこしくなるのは御免だしな。だからもう、やめにしようぜ。休戦……違う、終戦だ、そうしよう」
「え、あ、うん……そうだね、私ももう、疲れたよ」
言って、差し出されたブラックの手を、手袋越しにだがそっと掴んで握り締めた。ばかみたい。こんなつまらないことで、何ヶ月もずーっと胸を痛めて。解けてしまえば、こんなにも簡単なことだった。
(思ったより……素直な人のかも)
照れ隠しに再び膝を抱えて脇を向いたに、ブラックは内緒話でもするかのように声を落として言ってきた。
「なあ、お前、ジェームズのこと好きなの?」
「はっ?!」
いきなり、何を言い出すのか。彼の言っていることが『友情』のそれではないことはその口振りから明白だった。
「んなわけないでしょ!何でそんなこと言うの!?」
「隠すなよ、まあちっとも隠せてないけどな、お前の場合。生憎だが俺は応援してやらねーぞ。女ってのはめんどくさいからな」
「ち、違う!ほんとにそんなんじゃないって!だって私、ジェームズがハッフルパフの子と付き合ってたって聞いたときも全然ショックとかなかったし!」
「え?あれ、お前、そんなことまで知ってんの?」
意外そうにブラックが声をあげる。そう、だから全然、そういうのじゃないの!と叫んだに、ブラックは嘆かわしそうに首を振った。
「ジェームズもお粗末な男だな。自分を好きな女にまさかそんなことを……」
「いい加減にしてよ!その綺麗な髪の毛燃やしてあげようか?ブラックくん」
は冗談のつもりで杖をちらつかせたが、急に真顔に戻ったブラックは自分の髪の毛の一部を軽く摘んで、忌々しげにそれを見た。
「こんなもん、ほんとは要らねえんだけどな」
え……髪の毛が要らないとは、一体どういうことだろう。けれどもが突っ込んだことを訊くよりも先に、二人は突然茂みの上から顔を覗かせたハグリッドに驚いてその場で尻餅をついてしまった。仰天したのはハグリッドも同じようで、彼はその目をぱちくりさせながら訝しげに眉をひそめた。
「……?お前さん、一体こんなとこで何を
」
「あーあーあーあー!!ハグリッド!!お願い、これは見なかったことにしてそのまま大広間に行ってほしいの、お願い!!」
「な、何を言っとんだ、お前さん。もうとっくに夕食の時間は始まっとろう?」
「お、お願いだから……今日だけ、今日だけ何も言わずに行って!そして私たちのことは、誰にも言わないで!」
「おいおい……一体何があった?そっちにおるんは……」
ハグリッドには、ブラックの姿は見えてもそれが誰なのかまでは認識できていなかったらしい。暗がりで目を凝らしたハグリッドは、途端に顔をしかめてブラックを見据えた。
「お前さんは確か……ブラック家の……」
するとブラックの表情もまた、険しく、苦々しげなものへと変貌した。二人はしばらく、無言のまま見詰め合っていた。やがて彼から視線を逸らしたハグリッドが、まるで叱責するような口調でに問い掛ける。
「……、友達か?ん?」
「え?あ、うん、まあ……そんなところ」
どういうわけかハグリッドはふんと不機嫌そうに鼻を鳴らし、こちらの茂みへと倒していた上半身を起こした。
「、こんな時間まで外で遊び回っとったらいかん。さっさと中に入れや。それじゃあ、俺は先に行っとるぞ」
そしてどすどすと荒っぽい足音を立てて、城の中へと入っていった。ど、どうしちゃったんだろう……あの優しいハグリッドが、まるで警戒でもするようにブラックのことを睨んでいた。
眉根を寄せたままハグリッドの消えた玄関口を見据えていたブラックに、恐る恐る声をかける。
「えーと……あの……とってもいい人なんだよ、優しいし、動物のこととか、いろいろ教えてくれる。さっきは、その……どうしちゃったんだろうね?えーと、ひょっとしてあなたの家のことが何か、関係してるのかな?その……『ブラック家』、だっけ?私はマグルの世界で暮らしてたから、よく分からないんだけど……」
「分からなくていい。そんなもの、一生知らなくていい」
吐き捨てるようにそう言ったブラックは、完全にこちらに背中を向けてまた黙り込んだ。これは……『何も訊くな』オーラが。はハグリッドにあんな顔をさせた『ブラック家』のことが気になって気になって仕方なかったが、この場は潔く諦めて、後日こっそりジェームズに訊こうと思った。
ハグリッドが城の中に入ってからは、さほど時間はかからなかった。きっと最後の彼の到着を待っていたのだろう。ブラックの握った両面鏡が仄かな光を放ち始め、鏡面にはジェームズの顔こそ映らなかったが、コツンと小さくガラスを弾くような音が確かに聞こえてきた
今だ!
とブラックはほとんど同時に杖を振り、発火の呪文を唱えた。用意してあった複数の導火線に火がつき、一斉に打ち上がった花火が新月の夜空に華々しい模様を描いていく。途端に辺り一面が明るくなり、一度着火してしまうとあとは新しい花火が次々と空へと舞い上がっていった。実際にどんな花火が上がるのかを知らなかったは、あまりにもカラフルで様々な模様を映し出していくその様に心を奪われ、惚けたように空を見上げながら叫んだ。
「すごい!すごーい!最高だね、早く広間に戻ってみんなと一緒に見ようよ!」
飛び上がって城へと走り出そうとしたを、コートの裾を掴んでブラックが無理やりに止めた。思わず転びそうになってはイライラと声を荒げる。
「なによ!びっくりするじゃない!」
「いいだろ。なあ、もうしばらく、こっちで見てから行かないか?どうせすぐには終わらないんだしさ」
地面に座り込んだまま、楽しげに頭上を見上げたブラックが言った。ああ
彼のこんな笑顔、間近で見るのは初めてかもしれない。そう思うと嬉しくなって、は「仕方ないな」と笑いながら彼の隣に腰を下ろした。
お尻の下の雪は冷たい。今にも凍えてしまいそう。けれども。
満天の花火の下で過ごすクリスマスも、悪くないもんだね。
「あ
そうだ」
ふと、思い出したようにブラックが呟いた。
「寮に戻ったら、またチェスしようぜ」
夜空に咲いた色とりどりの花火が、いつの間にやらダンブルドアのにこやかな笑顔を描いて煌いていた。それから金のスニッチや、なぜかそれを追いかけて走り回るコミカルなマクゴナガルの姿。大広間ではきっと、渋い顔をしたマクゴナガルと嬉しそうに笑んだダンブルドアがこの空を見上げていることだろう。早く、ジェームズのところへ戻らないと。
肌を刺すほどに冷えきった空気を肺いっぱいに吸い込み、は飛び上がる花火の音に負けないくらい大きな声で笑った。
「次は負けないよ、シリウス」