何度も、夢に見た。玉座に腰掛ける、赤い瞳の男。周りに控える黒ずくめの男たち。自らの意思とは無関係に、その眼前に跪く自分。
それは決して夢などでは、なく。
「ジェネローサス、の面倒を見てやれ。かつてはお前の弟が可愛がってくれていたのだろう?」
「は。ですが、我が君。ご存知の通り、わたしは国内を点々としている身です。様をそのような生活に付き合わせるわけには」
言って、ジェネローサス・リンドバーグはその長い右手を伸ばす。
「ロジエールにお任せになってはいかがでしょう。エバンは様の同級生です。様も、他の人間と共に過ごすよりはよほど安心して仕事に集中できるかと」
帝王の鋭い視線が、傍らのを通り過ぎて何席か離れた若い男の視線を捉えた。程なくして、滑るようにこちらを流し見て、気楽に聞いてくる。
「そうなのか、?」
「……はい」
「そうか。お前がそう言うのならそうしよう。だが、アルビテル、エバン、の身にもしものことがあった場合は
分かるな?」
「もちろん、そのようなことは決して」
答えたのは、もよく知る若い男のほうだった。静まり返った広間の中に、無音の揶揄がささやかに広がっていく。だが当の本人も、闇の帝王もまったく気にした様子がなかった。
「よし、エバン、お前に任せよう。が最善の状態で仕事ができるように全力を尽くせ。ジェネローサス、お前もだ」
「心得ております。我々の、完全なる勝利のために」
完全なる、勝利。彼らは本当にそんなものを信じているだろうか。こんな小娘が導くべきものだと。思わず笑い出しそうになったが、とても笑えなかった。笑える気分などではなかった。何もかもが滑稽だというのに、もうとても笑えそうにはなかった。きっと何が起こっても、一生。
それでも、信じなければ。わたしが信じなければ。こんな世界で、一体どうやって生きていけるというのか。
(夢だ、これは……こんなもの、現実なんかじゃ)
虚しい願いは、喉の奥ではじけて消えていく。これは紛れもなく、自分の記憶だ。血の契りを交わした自らの、始まりの記憶でしかない。それは夢などでは、なく。
手の内の鏡が、何かを映し出すことはない。千年の時を経て、鏡面は錆び、曇ってしまっている。それでもこれを手にしたとき、にはすべてが分かった。ジェネローサスが探し求めていたものは
わたしのこの血が求めてやまなかったのは、間違いなく。
自分の中に流れる血が、沸き立つのが分かる。だが喜ぶことはできない。罪なきマグルを殺してまで、こんなもの、手に入れたかったわけじゃない。
濁った鏡面に向けて、つぶやく。あなたは一体、誰なの。わたしは一体……何なの。
わたしの血があなたを求めてざわつくこの意味を、教えて。
日本で見つけたこの鏡を、肌身離さず身に着けることをジェネローサスに強要された。それと同時に、七年を半身として過ごした魔法の杖は、この手から引き離された。
魔法の力はもう必要ない。夢見としての予言を得るために、魔法使いの血は捨て去るのだと。
「返してよ! どんな権限があって
」
「取引は簡単だろう? 初めの契約通りだ。君の予言を得て、省を落とすことができれば杖は返そう。君にはカーラもついている。魔法が必要だとは思わないがね」
八年前。マグルであることを疑いもしなかったあの頃、当然、自分に杖など必要なかった。
けれども。魔法の杖を取り上げられた今、こんなにも心許ないなんて。
泣きたい思いで、目を閉じる。錆び付いた鏡を胸に抱いて、瞼を伝う涙をこぼしながら。
魔法省が陥落した世界。
そんなもの、わたしは望んでなどいない。
それなのに。
SECOND CAUSE
うらはら
「ウォーディントンの様子がおかしいって?」
「ああ、どうも……表立って出すことはないんだが、奴と話しているとマグルへの敵意を感じるというか」
「でも、あいつはもともと魔法使いの家の出でしょう? それだけで決め付けるのは早計すぎない?」
「違うんだ。確かに奴の頭は空っぽだが、これまでの付き合いでマグル蔑視の姿勢を見せたことはなかった。
気になるんだ……こちらの取材に対して、巧みにマグルへの反発を煽るような一文を混ぜてくるようになった」
「それを、クロス・プレスはどうするの? おとなしく掲載する?」
「今のところはそのつもりで編集作業を進めてる。下手に手を入れて警戒されれば引き出せるものも引き出せなくなるからな。少し奴の周囲を探ってみるよ」
仲間たちの会話を、背中に聞きながら。
リーマス・ルーピンは激しい雨の打ちつける暗い窓の外を見つめていた。この数日は悪天候が続いている。会合の時間まではまだしばらくあったが、すでにほとんどのメンバーが集まってきていた。
もちろん、外せない任務や仕事を抱えている面子を除いてだ。ジェームズやリリーはいない。シリウスも恐らく任務に就いている頃だろう。
(ピーターは……遅いな)
もしかしたら、今日も現れないかもしれない。母親の仕事を手伝っているピーターはしばしば会合を欠席した。会合場所として騎士団が不定期に利用しているのは、ここ『三本の箒』を入れて二箇所。
もうひとつの建物にピーターは足を踏み入れたことさえないはずだ。狙って避けているとは思わないが。
ちらとテーブルを振り返って、目を細める。ベンジー・フェンウィック。彼はどうも、ピーターを快く思っていない節がある。自分が快く思われている、という意味ではないが。
彼は由緒ある
これはごく最近まで知らなかったのだが
クロス・プレス社の記者で、リンドバーグが眠り続ける今、その後継とも言われているらしい。
リンドバーグは、媚びない報道人として定評があったという。そして、屈することもない。その気質を、考え様によっては当人以上に受け継いだベンジーは、
はっきりしない態度を取ることの多いピーターを前にすると目に見えて苛立つことがあった。
(まぁ……こんな時代だ。誰もがみんな、不安だらけで苛立ってる)
エドガーが殺されて、まだ二週間も経っていない。また、まただ。仲間の訃報を耳にする度、どうしようもない無力感に苛まれる。『不死鳥の騎士団』という名は、
みなの士気を高めるためにダンブルドアが名付けたものだ。が、実際はどうだ。イギリスで最大手の日刊預言者新聞は『あの人』の一味を恐れて国民に正確な情報を与えない、
先ほどのベンジーたちの話では、省の内部にも奴らの手が伸びている可能性がある。幸い、魔法大臣はダンブルドアの活動に好意的のようだが、
彼らだって国中で多発する事件をとても追いきれず後手に回るばかりだ。いつもいつも、できることは『すでに起こってしまったこと』への追跡、調査しかない。
それでも、ダンブルドアを、ダンブルドアをこそ信じなければ。無力な自分に一体、何ができるというんだ。
怖い、本当は怖くてたまらない。次に死ぬのが自分じゃない保証なんてないんだ。それでも。
(……)
声には出さずに、名前を呼んで。軽くもたれかかっていた冷たい窓ガラスに、そっと瞼を閉じながら額を押しつけた。雨音がさらに強まったらしい。
振動さえ伝わってくるような隔たりにすべてを預けるような心地で、リーマス・ルーピンは息を吐いた。何のために、自らを危険に晒してまで戦うのか。国のため、家族のため、
友人たちのため。いずれも間違いではないだろう。だが騎士団に身を置くことにした決定的な要因、それはとあるひとりの同級生、そのことに疑いの余地などはなかった。
(……君がいなくなって、僕たちの関係も変わってしまったみたいだ)
ふと、学生時代のことを思い返す。、そしてリリーというストッパーを失ったシリウスとジェームズが、最も荒れていたあの頃。僕は何も言えなかった。止めることができなかった。シリウスはシリウスだし、
ジェームズはジェームズだ。だが彼らがふと我を忘れてしまいそうになる、そんなとき。
それを取り戻すために君を見つけたいのだと言ったら、君は失望するだろうか。
(それでも、。僕たちには君が必要なんだ)
君がいなくなって、一年が過ぎた。僕らの中には常にどこかしらで隙間風が吹いている。七年……七年だぞ? それを、たったの一年で。君は。
(君は……僕にとっても、)
胸中ですら言葉にするのを憚られて唇を引き結んだ瞬間、蝶番を軋ませながら部屋のドアが開いた。
「くそっ
」
いつもそうだ。微かな期待をもって駆けつけても、いつもいつも空振りで終わる。国中で絶え間なく起こる事件の処理だけで手一杯の魔法省は、の捜索を騎士団に押し付けた。顔を合わせる度、フランクは申し訳なさそうに目を伏せるが、フランクが苦しんでいることは自分だってよく知っている。彼を責めても仕方がない。
が、大きなことを言っておいて、手が回らなくなればあっさりとの件を切り捨てた魔法省、正確に言えばジェーン・ベンサムのことは、憎くて憎くてたまらなかった。
「シリウス、やりすぎよ。あとは省に引き渡してわたしたちは戻りましょう」
言われて、はたと我に返った。杖先を突きつけたその男は、黒焦げになって地面にひっくり返っている。燃え上がる怒りを中途半端に燻らせるシリウスの横で、
エメリーンは淡々と男の両手首に縄を巻きつけていった。
今や完全に気を失っているらしい男の襟首を魔法で摘んで持ち上げながら、エメリーン。
「大した被害がなくて良かったわ」
「安心するのは早いんじゃないか? このやろ、他にも何か知ってるかもしれねぇ。省に連れてく前に吐かせたほうがいい」
「たった今、あなたが尋問したじゃない。こんなつまらないことしかできない小物よ、それに」
まだ若いその男を、エメリーンは腕組みしながら顎で示してみせた。
「
服従の呪文よ。どうせこいつは何も知りやしないわ」
「何でそんなことが分かる。ムーディだって見分けるのは至難の業だっていつも言ってるじゃねぇか。俺は『疑わしきは罰せず』なんてものに同意するつもりはない。
何でもいい、誰でもいい……少しでいい、俺は情報が欲しいんだ」
あいつの行方を探し出すために、あいつが不信を抱くダンブルドア率いる騎士団へ入った。すべてはあいつのため、奴らに捕らわれているかもしれない、あいつを救い出すために。
一日だって、あいつを探す足を止めたことはない。騎士団に属する以上、任務を割り当てられればおとなしく従う。それがを見つけ出す手がかりになるかもしれないと信じて
思い込んで、ただただ走り続けるしかなかった。だが、そんな自分を嘲笑うかのように。
「旧友なのよ」
「えっ?」
「ホグワーツの同期なの。まるでマグルの兄弟みたいな変わった人でね」
エメリーンの伏せがちな眼差しは、こちらも、捕らわれた男のことも見ていない。彼女の同期ということは、見た目ほど若くはないということだろう。
俯いてそのまま黙り込んだエメリーンに、シリウスは先ほどよりも大きな声を出した。
「だからって、こいつが事情を知らない理由にはならねぇだろ。こいつは確かにマグルの町に放火しようとしてたんだ」
「……そうね。でも、」
「らしくねぇな。あんたが敵の肩入れするなんて」
はっきりと突きつけた皮肉に、彼女の表情が歪んで凍りついた。八つ当たりだということは分かっていた。ジェームズやリリーにしょっちゅう窘められる。が、こればかりは
どうしようもないと思った。俺のこの遣る瀬無さはきっと、を取り戻して再び抱き締めるまで消えることはないだろう。、頼む。頼むから。
お前がいないと俺は
また、ただの『嫌な奴』に逆戻りだ。
「ジェネローサス・リンドバーグ」
そうと分かっていても、俺は自分のこの意地の悪さを止められない。引きつった輪郭で目を見開いたエメリーンと、正面から向かい合う。
「あんたはフィディアスの件でも、同期だったっていうそいつのこと庇ってるらしいな」
「……彼が犯人なんて。アラスターがそう言ってるだけだわ」
「でもムーディの推論は納得できる。他人の杖なんて普通なら盗んだところで自分に馴染むわけじゃない。それを奪っていったってことは、よっぽどリンドバーグの杖に執着があったってことだ。
フィディアスの杖は、リンドバーグ家の家宝だったって
」
「早く行きましょう! どちらにしても尋問はわたしたちの仕事じゃないわ」
こちらにくるりと背を向けたエメリーンの声はいつものようにはきはきと、だがはっきりとこちらを拒絶するようにして吐かれた。勢いを削がれ、
食い下がるでもなくシリウスは開いた口をそのまま所在無く噤む。しばらくして、後悔はした。空しくもなった。だが今さら頭を下げられるほど、自分は。
(これがヴォルデモートの十八番だっていう、『不和の誘発』、か?)
だとすれば自分は、まんまと乗せられていることになる。が、そもそも初めに信じられなくなったのは
ダンブルドア、あんたのせいじゃないか。
それだというのに、そのダンブルドアに頼らなければならないほど。
(頼む、……帰ってきてくれ)
このままだと、俺は。
お前が愛していると言ってくれた、俺自身を二度と愛せなくなってしまう。