「エバン」

会合を終え、闇の帝王が広間を立ち去ったあと。素早くそれに続こうとしたたちの背中に、声を投げかける者がいた。
すぐ脇の回廊で前に回り込んできた魔女は、美しい黒髪を払いながら横柄に腕を組む。呼びかけはの隣に立つロジエールへのものだったが、その冷たい眼差しは流すようにこちらを見ていた。
平然とした面持ちで、ロジエールがそれに応じる。

「ああ。久しぶりだな、ベラトリクス」
「まったく。しばらく見ないうちに、ずいぶん立派になったもんだね。昔はまだまだちっちゃい『エバン坊や』だと思ってたが」
「まあ……最後に会ったのは俺がホグワーツに入学する前だったからな」
「聞いたよ。家名を継いだそうじゃないか。うちの本家の馬鹿と違って、お前はまともに育ってくれて……うらやましいこと」

それははっきりとに向けられた言葉だった。反論さえしなかったが、射るように睨み返すに、傍らのロジエールは苦笑して肩をすくめた。

「うちには俺しかいなかった。兄弟がいればどうなってたか」
「謙遜かい? 伯父がいつもこぼしてたよ、ロジエールの息子は早くから自覚があってうらやましいとね」
「その話はいいじゃないか。結果的に丸く収まったわけだから」

口を挟んだのは、部屋から遅れて出てきたブロンドの魔法使いだった。彼のことも、その後ろにひっそりたたずむ男のことも、は昔から知っていた。こんなところで顔を合わせることになろうとは、きっと互いに想像もしていなかったはずだ。
いや、もしくは    
男はその場を収拾しようとしたのだろうが、かえってベラトリクスの神経を逆撫でしたらしい。そちらを見やり、彼女は噛みついた。

「どこが丸いものか。ブラックから『裏切り者』が出るなど恥辱以外の何物でもない、この手で殺してやりたいくらいだよ」
「ならお前は本家の心配をする前にまず自分の妹を始末してくるんだな」

被せかけるように、それまで沈黙を保っていたジェネローサスが口をひらいた。への明らかな挑発を繰り返していたベラトリクスは、ぱっとそちらに向き直って声を荒げる。

「お前に言われるまでもないね! 『裏切り者』の弟ひとりまともに殺せないオーラー崩れが!」
「否定するつもりはないよ。わたしは、たったひとりの弟を、愛して(、、、)いたからね    
「二度と」

ベラトリクスが鼻先で嘲笑うよりも先に。
その場にいる全員を見渡しながら、は一語一語、ゆっくりと言い聞かせた。

「わたしの目の前で、フィディアス・リンドバーグの話をしないで」
「あら……怖い顔。心配しなくとも、どうもしやしませんよ。どうせ何もできない身体でしょう」
「聞こえなかったの? 彼の話はするな(、、、)と言ったのよ」

作っていた薄ら笑いさえ、消し去って。まるでガラス玉のように極限まで見開いた狂気の目を、ベラトリクスはズイとこちらに近づけて唸った。

「あの方の孫だか知らないが、調子に乗るんじゃないよ、お嬢ちゃん」
「ベラトリクス、やめろ、」
「純粋な血の中にも紛い物が混じることは間々あってね。あのろくでなしのシリウスが良い例さ。お似合いだったと思うがね」
「ベラトリクス    
「お前のその目は、奴と同じ、所詮は同じグリフィンドールさ。身の程を弁えて、おとなしくしてるんだね」
「悪いけど」

顔色を変えて間に入ろうとするマルフォイは完全に無視して、の瞳はまっすぐにベラトリクスを見ていた。
その危うく光る視線を受けても、怯む理由などどこにもなかった。

「言ったはずよ。わたしはある男に復讐するためにここへ来た。あなたたちの信念に興味はないし、あの人との血縁を笠に着るつもりもない。お互い利用できると思ったから帝王との契りを交わしただけ。 あなたたちの主人がわたしの扱いについてあなたたちにどう命じたとしても、それはわたしには何の責任もない」
    貴様……」
「だからあの人にとってわたしが有用である限りは、あなたのほうこそ、もう少し(、、、、)、身の程を弁えたほうがいいんじゃない? わたしは闇の帝王の血を引いてるのよ。その血を軽んじることは、あなたたちが何百年と守り抜いてきた血の重みを軽んじることと同義じゃないかしら?」

誰もが言葉を失って呆けた顔をした。あのロジエールでさえそうだった。ただひとり、ベラトリクスだけが顔を真っ赤にして憤り、だが、何も返すことができずに戦慄いている。 その沈黙を破ったのは、腹を抱えて弾けたように笑いだしたジェネローサスだった。

「ハハハッ! いや……これは……ハハ、ハ……とんだ獅子だな、蛇をも喰らうか? もっとも、天高く舞う鷲には関係のないことだがね」

そして後ろから歩み出て、とベラトリクスの前に立った。

様の言うとおりだ。ベラトリクス、今後そのような口を利くつもりならあの方の不興を被るだろうな?」
「……わたしは……」
「これまで築いてきたものをみすみす失う手はないだろう? 我々にとって有用か、そうでないか、決めるのは我々ではない。そうだろう、ルシウス?」
「……は」

曖昧な声を出して、マルフォイが瞼を伏せる。だがジェネローサスはさほどこだわる様子もなく、くるりと彼らに背を向けて離れた。

「邪魔したな、ロドルファス。行くか、エバン?」
「ええ」

あっさりと同意して、ロジエールがそのあとに続く。も黙ってふたりの後ろを歩いた。
いかにも重厚な扉を抜けて、夜の闇へと踏み出す。妖精のちらちら舞うほのかな明かりは掻き消されてしまいそうな、そんな、満月の晩だった。

A SLIGHT KEY

新たな主人

ほんの、数ヶ月前。愛する人と共に戻ってきた片田舎の実家は、あまりにも苦い思い出だった。ジェネローサスの定めた、今回の旅のスタート地点。 いつも父が仕事で不在にしている時間帯を狙って訪れたのだが、その心配も杞憂に終わった。郵便受けには、すでに大量のダイレクトメールがたまっていたからだ。

「……なるほど」

ドアノブにかざした杖を引きながら、ジェネローサスが独りごちる。鍵は開いたようだったが、彼もまた、確かな違和感を抱いたらしかった。
彼の仮説によると、こうである。つまり夢見としての彼女の由来は、魔法使いの血とは反発するものである、と。

「どうして?」

その問いは、ロジエール邸で発したものだった。の学生時代から彼女のことを帝王より一任されていたジェネローサスは、彼女がロジエールのもとに留まることを提案した。夢見としての活動に集中する環境を整えるため、 七年来の同級生である彼の屋敷こそが、最適な避難所だろうというのだ。
純血一族のひとつであるレストレンジ家に立ち寄ることの多い帝王は、もまたそちらに滞在することを想定していたようだが、最終的には彼の提案を受け入れた。最も重要なのは彼女をそばに置くことではなく、魔法省を手中に収めるための予言を得ることなのだ。

厨房の長テーブルに着いたジェネローサスが、ゆったりと腕組みする。

がわたしに『不思議な力』の話をしてくれた、という話はしたね」
「ええ」
「そのことを知ったダンブルドアは彼女のネックレスに魔法をかけて戻した。『悪夢』を抑える魔法を込めたそうだ。以来、確かに彼女がおかしな夢を見ることは減った」

この、ネックレス。言語能力を高めるだけじゃなくて、そんな、魔法が。
無意識に首元に触れたを見て、ジェネローサスは笑みを深めた。

「君が持っていたのか」
「一年生のとき、ハグリッドに渡されたの。母さんのものだったって」
「……なるほどな。はじめから君の力をコントロールするつもりだったか」
「は?」

は低い声を出したが、彼はむしろ合点がいったとばかりに目を細めながら、そののっぺりした顎を撫でつける。

「ダンブルドアはそのネックレスを与えて君の『夢見』としての力を抑え、君をスリザリンから遠ざけることでスリザリンの末裔としての力を抑制しようとしたんだろう」
「……初めから、あの男はわたしの力をコントロールしていた?」
「うまくいったとは思えないがね。と君とは状況がかなり違う」

何も知らなかった子ども時代を思い出して、歯がゆさに唇を噛む。このネックレスに英語を理解できる魔法がかけられていると知った当時のわたしは有頂天になった。 でも本当は、人の良さそうな顔をしたあの男が、わたしの『不思議な力』を抑えるために持たせていたなんて!
シャツの首元をきつく握り締めるへと悠然と右手を差し出して、ジェネローサス。

「だからそれはわたしが預かろう」
「は?」
「そのネックレスは君の夢を妨げる可能性がある。ダンブルドアの魔法を解除できれば君の手元に戻してもいいが、生憎わたしも暇ではない」
「それに    あなたにあの男の術を破れるかしらね?」
「そう。可能性の低いことに費やす時間は惜しい」

こちらの皮肉を気にする素振りさえ見せない。はかえって募る不快感をそのままに、手早く外したネックレスを投げた。ジェネローサスは難なくそれをキャッチした。

「お父様はお留守かな」

瞬くと、場所は日本へと戻っていた。ジェネローサスの背中を見やり、軽く頭を振る。

「しばらく帰ってないみたい」
「そのようだね。心当たりは?」
「……知らない」

見当はついていた。あんな手紙を送って、父が日本にじっとしているはずがない。
けれども。
わたしが自らの意思で姿を消したのだと、それだけは絶対に知っていてほしかった。だから。

「お父様の書斎は?」
「……こっちよ」

玄関からまっすぐに続く廊下を進み、左手の扉。夢見の家系は母のものであり、父には関係がない。そう言って遠ざけようとしたのだが、叶わなかった。 母の母、つまり闇の帝王の子を宿した女性はすでに過去の人であり、その血縁も知れない。ジェネローサスは彼女が身を寄せていたサザークの教会を訪ねたが、は天涯孤独といって転がり込んできたらしい。彼女の出自に関する資料をそちらから入手することは不可能だということだった。

「イギリスの……ああ、宗教の本が多いな」
「大学で研究してたそうよ」
「探しているのは日本の文献なんだがな」

背表紙をなぞるジェネローサスの首にはクロスのネックレスが掛けられている。彼は日本語を解せない。ふたりで効率的に作業をするためと、今回の旅に持参したようだった。
父の書斎はあらかた調べ尽くしたが、多くは事典を含む研究書、そして子どもの頃には気付かなかったイギリスのミステリー小説も多い。 引き出しの奥深くに眠っていた分厚い原稿を流し読むと、やはりイギリスを舞台にした探偵物のようだった。
途方もない罪悪感に、ずっしりと胃が重くなる。イギリスの魔法界で最も邪悪な魔法使いの手下と共に、父の不在を荒らしている    

書斎をあとにするとき、の意識に残ったのは本棚のごく一部を占める数冊の本だった。
なぜかその一角だけが、異質な気がして。
ほぼ例外なくイギリスに関する文献の中で、隅に置かれたそれは、かなり古びた中国神話の本だった。
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(13.11.29)