僕はジェームズ・ポッター、十八歳。見習いとしてこの夏から魔法省の闇祓い局に勤務している。研修期間は基本的に二年、実力に応じて短くもなるし、その逆も然りだ。グリフィンドールの一年先輩で面倒見の良かったアリス・ローチ    いや、今はロングボトムだが    は、人手不足ということもあるが一年とニヶ月ですでに実戦に出ている。彼女は優しい性格だがとても強くなっていた。逞しいねと言ったら殴られそうになった。そう、彼女はとても強くなったが、根は学生時代のままなのだ。
フランクの隣で笑う彼女はとてもきれいだった。陳腐な言い方だが、内面からにじみ出る、というやつだ。リリーはいつだって美しい。だけど、アリスみたいに    ああ、僕は彼女の笑顔を翳らせたりしてはいないだろうか?

リリーは魔法事故惨事部のマグル対策本部で働いている。魔法族はマグルから隠れて生活しているが決して明確な境界線などあるわけではなく、同じ国土に暮らす以上、トラブルは尽きない。そこで主にマグル界の情勢を把握して問題解決に努める、それが彼女の仕事だった。マグルボーンの彼女にとって、魔法使いの醜い陰の部分までもが垣間見える職場だと思う。それでも彼女は気丈に働いた。あの日以来、涙は見せなかった。

そうそう、言い忘れたけど、僕たち結婚したんだ。今はロンドンの郊外に部屋を借りて住んでいる。バタバタしていて挙式はしばらく無理だけど、落ち着いたらきっと心に残るような式を挙げてみせるよ。愛するリリーのために。そのとき    も参列してくれることを信じて。

が姿を消して、すでにニヶ月が経過していた。研修の身分なので僕は参加させてもらえないが、闇祓い局もできるだけの戦力を注いで彼女の行方を捜している。それでも、人手不足なのは目に見えて明らかだった。国中で不審な事件が多発している、その捜査だけでも手一杯だというのに、と。
それだけ、の失踪は魔法省にとっても大打撃だったようだ。正確に言えば、魔法省のごく一部にとって、だが。なぜなら、多くの闇祓いは彼女が第一級の警護対象であるということは知らされていても、その理由までもは聞かされていなかったからだ。スリザリンの血を引くに予知夢の能力があり、それが故に『あの人』が喉から手が出るほど欲していたなどということは。

の捜索を中断? どういうことか、ご説明いただけますか」

闇祓い局長であるスクリムジョーアへ伝言を頼まれていたジェームズは、半開きの扉の向こうに苛立った声を聞いて思わずその数歩手前で立ち止まった。答えたのは執行部部長のクラウチだ。

「わたしとて分からん、大臣からの命だ。闇祓い局は彼女の捜索にまで手が回らないだろう、そのことについては他の当てができた故、彼女の件に関してはひとまず置いてもらって良いと」
「他の当てとは? 彼女の失踪は我々の警護中に起こったものです、責任は我々が自ら取るべきだと」
「しかし、実際に手が足りていないこの状況で彼女の捜索ばかりに時間をかけるのは得策ではないでしょう。オーラーには他にこなして欲しい仕事がいくらでもあります。彼女のことは大臣に預けてください、局長」

どうやら執行部参事官のベンサムも一緒らしい。ジェームズは息を潜めて話の成り行きに神経を集中させていた。
やや沈黙を挟んで、スクリムジョーアが唸るように言いやる。

「……ダンブルドアですか」

クラウチもベンサムも、答えなかった。今度はさほど間を置かず、だが幾分か遣る瀬無さのようなものを含んでスクリムジョーアは締め括る。

「分かりました。の捜索は一時中断させます。では、これで」

あっ、と気付いたときには遅かった。素早く部屋から出てきたスクリムジョーアはジェームズに気付くと厳しい形相に微笑の片鱗すら見せずに淡々と聞いてきた。

「何か用か、ポッター」
「あ……はい、局長。ムーディ教官がコバムの処理は今朝完了したと。報告書は今日中にミスターベイリーが仕上げるそうです」

そうか、とだけ言って歩き出した局長のあとをジェームズは早足でついていった。凛としたスクリムジョーアは顔だけでなくその堂々たる立ち居振る舞いまでもがさながらライオンのようだ。
足を止めず、振り向きもせず、スクリムジョーアがすげなく言う。

「聞いた通りだ。彼女の捜索は中断する。どうせすぐには捕まらんだろう、ムーディにも伝えておけ」
「……はい、分かりました」

ジェームズはそれ以上何も言わなかったが、クラウチやベンサムの話には若干の覚えがあった。
    不死鳥の騎士団。アルバス・ダンブルドアが『あの人』に対抗するために設立した秘密組織である。

pure and simple

かんたんなこと

「ご主人様、シリウス様がお見えです」
「ああ……やっと来たか。待ちくたびれたぞ」

つぶやいて、彼は読んでいたページに銀のブックマークを挟んで閉じた。荘厳な革の表紙には『未来を視る』と記されている。もともと占い学の類に興味はなかったが、これは父が贔屓にしている古書店に頼んでわざわざ取り寄せたものだった。
呼びにきた屋敷しもべのカーラに茶を用意するよう命じ、書斎をあとにする。細い通路をしばらく歩いて抜けると、顔を上げた先    玄関口で落ち着きなく佇む男の姿を捉え、彼は大げさに声をあげながら近付いた。

「驚いたな。お前がこの家に来るなんて何年ぶりだ? いや……優に十年は過ぎたな。まあいい、上がれよ。茶くらい飲んでいけ」
「生憎だがお前の茶なんか飲みたくもないし、今はそれどころじゃないんだ」

男は果たして予想通りの答えを返してきたのだが、彼は嘆かわしいとばかりに深々と嘆息してみせる。

「相変わらずだな。茶を淹れるのはカーラだし、味は保証するぞ?」
「うっせえ。お前の家でのんびり茶なんか飲む気はねーって言ってるんだ」

吐き捨てるようにそう言ったシリウスの顔は青ざめてその困憊ぶりをはっきりと物語っている。こちらが何か言うよりも先に、彼は一歩だけ距離を詰めて、だが先ほどまでの荒々しさは霞み、まるで縋るようにして聞いてきた。

「……の居場所、知らないか」

もちろん、思うところはいろいろとあったが、彼はあくまで初めて聞くような顔をして眉をひそめてみせた。

? がどうかしたのか」

すると、あっという間に伸びてきたシリウスの手に胸倉を掴んで僅かに引き寄せられる。抗いもせず、彼は黙って相手の燃え上がった暗い瞳を見ていた。

「ふざけんな! お前らが会ってるの見た奴がいるんだ。は……その夜、いなくなった」
が? お前ら、結婚するんじゃなかったのか。土壇場で逃げられたってわけか、可哀相にな」
「ふざけるな!! お前……なんか知ってんだろ。そんなタイミングのいいことがあるか! あの日、に会ったんだろ……あいつに何をした!!」
「エ、エバン様!」

背後でバチンと音がして、続け様に慌てふためいたカーラの叫び声。エバンは振り返らず、軽く右手だけを挙げて心配性の屋敷しもべを宥めてやった。

「大丈夫だ、いつもの癇癪玉だよ。それより、茶ができたらあとはスコーンでも頼む。少し甘いものが欲しい」
「は、はい……畏まりました」

カーラの声はまだ震えていたものの、バチンと音を立てておとなしくまた厨房に戻ったようだ。エバンは嘆息混じりにシリウスの激しい眼差しを見据えた。

「一度に会ったことは認めるよ。だが彼女が消えたとして、俺には関係ないね」
「……ざけんな! 何のために……お前がに会う理由なんて、」
    好きだった」

はっきりと、告げる。シリウスは一瞬にして血の気を失ったように、立ち尽くした。その隙にゆっくりと相手の拳を解き、胸元から離しながらさらに続ける。

のことが好きだった。だから彼女が結婚する前に、けじめをつけておきたかったんだよ」

口からすらすらと出てきた、どうということのないフレーズ。だがシリウスは面白いほどに反応し、その場に釘付けにされたかのように動かなくなった。微かに上下させた唇も、それと分からない程度に震えている。

「……お前が。やっぱりお前が、を」
「けじめをつけたかったと言っただろう。俺は今や『ロジエール』の当主だ。何百年と繋いできたこの血を、さらに後世まで遺す義務がある。子供じみた恋心とはおさらばしなきゃいけなかったんだ。残念だが、の血は決して『純粋』とは言えないからな」
「……テメェ!」

目の色を変えて再び掴みかかってきたシリウスに、エバンは半ばうんざりと息をついて口を開く。

「お前は少しも変わらないな。そうやって怒鳴ることでしか人と渡り合う術を知らない。七年で何を学んだ? お前らがお似合いだと言う奴らもいたが、俺に言わせればお笑い種だ。お前はただに甘えてただけだ、甘えられる場所が欲しかっただけだ。その証拠に、お前は何ひとつ成長なんかしてない。頑なな子供のままだ。が出てったっていうなら、それはお前自身の不甲斐なさだろうよ。血でもない、金でもない名誉でもない、ただのお前そのものと一生を共にできる女なんかいるものか。おろおろする前に、自分自身を顧みてみたらどうだ」
「……知ったような口、利くんじゃねえ!!」

淡々と言い放つとシリウスは憤然とした面持ちで声を荒げたが、震える手で引き寄せたエバンの胸倉を押し飛ばさんばかりの勢いで手放した。代わりに自分のシャツの胸元をきつく握り締め、乱れた呼吸を覆い隠すように唸る。

「もういい……こんなところに来た俺が馬鹿だった」

そしてさっさと踵を返して出て行こうとするその後ろ姿に、エバンは軽い調子で声をかけた。

「シリウス」

振り向きはしないものの、シリウスがぴたりと足を止める。エバンは一歩だけそちらに歩み寄り、だが一定の距離を保ったまま言葉を継いだ。

「もう少し大人になったら、また来いよ。そのときは一緒に酒でも飲もう。レグルスも呼んでやるから、ガキの頃みたいにまた三人で」

弾けたように振り返ったシリウスは忌々しげに歯を剥き、声を張り上げる。

「馬鹿か、二度と来るか!!」

そして荒々しく出て行った扉をしばらく苦笑混じりに見つめたあと、エバンは何事もなかったかのように元の通路へ引き返した。だが書斎ではなく、その横に繋がる地下への暗い階段を覗き込みながら呼びかける。

「聞こえてただろう? そろそろティータイムにしないか。カーラがスコーンを焼いてる」

返事はない。それでも構わなかった。いつものことだから    どちらにしても、彼女は程なく上がってくる。一日中地下の一室にこもっていて、気が滅入らないほうがおかしい。だが陽光の差し込む部屋を宛がうことを提案すると、彼女は首を振るばかりだった。

厨房に入ると、すでにカーラが紅茶とスコーンを準備して耳をパタパタさせながら待っていた。横に長い木のテーブル、まだ少し慣れない座席にゆっくりと腰かける。数週間前まで、そこは父の定位置だった。『ロジエール』を背負う者として、きっと歴代の当主たちが何十年も同じ景色を見てきた……。

「ご主人様、今日はミルクになさいますか、それともレモンで?」
「ああ、今日はストレートでいい。もう下がっていいぞ、あとはわたしがする」
「で、ですが」
「下がれと言っただろう。ここはもういい、カーラ」

僅かに声の調子を強めて繰り返すと、屋敷しもべは恐縮しきった様子で深々と頭を下げて姿くらましした。ひとりになった厨房はあまりに広く、だからといってそれで居心地が悪くなるわけではない。ここは紛れもなく帰るべき我が家、寄る辺となるべき一族の故郷だ。決して    終わらせては、ならない。

ふと視界の隅で何かが動いて、エバンは顔を上げる。ドアの開いた厨房に入ってきたのは、初めてこの屋敷にやって来たときと同じくらい疲れた顔をした、その人だった。
サザークのアパートを出て、もう四日、いや、まだ四日    すでに、時の流れが分からなくなってきている。ほとんど一日中、日の当たらない地下室に閉じこもっているせいか。だがきっと、それだけではないだろう。はまるで毒素の溜まった息を細く長く吐き出しながら、ゆっくりと長テーブルに近付いて手前の椅子を引いた。この屋敷の主、ホグワーツの同級生であるエバン・ロジエールの斜向かいだ。すでに定位置となりつつあるその座席に浅く座ると、すかさずロジエールが温かい紅茶を出してくれた。

「ストレートでいいか? ミルクもあるが」
「……いい、どっちでも。それより少し、甘いものが欲しい」
「そうだろうと思ったよ。糖分が足りないと頭も働かないからな。お好きなだけ」
「……頭なんか、使うことじゃないわよ」

ロジエールの屋敷しもべは手製のジャムやクリームがとりわけ得意らしい。希望という希望を失ったにとって、今はこうした食事の時間だけが心を生き長らせてくれるのだった。ほかほかのスコーンを割って、クロテッドクリームを挟む。そして少しずつ口に運ぶと、身体の芯から温まるようだった。そんなものは、ほんの一時の作用だったとしても。
ひとつも食べきらないうちに、は欠けたスコーンを皿の上に戻す。ぞくりと背筋に悪寒が走ったのを感じ、両腕を抱え込みながら薄く唇を開いた。

「……何で、あんなこと言ったの」
「うん?」

こちらはクロテッドクリームと蜂蜜を塗ってスコーンをかじっていたロジエールが、不思議そうに顔を上げる。反射的に目を逸らしながら、は叩きつけるようにして聞いた。

「ちょっとは上がれとか、また来いとか。そんなことされたら……困るくせに。わたしがここにいるって知れたら」
「分かるだろう、あんたなら。あいつは天邪鬼だ、来いと言われたら二度と来ないさ。諦めて他を当たるだろう。俺はあんたについても責任がある、そう簡単に渡しはしない」

    責任。また、そうなんだ。わたしの与り知らないところで、誰かが誰かにわたしの責任を負わされている。わたしはいつだって、ただ守られているだけの。身を置く世界が変わっても、本当は何ひとつ変わっていないのではないか。
それでも、わたしは自分で『闇』に飛び込むことを決めた。

「まだ何か言いたげだな?」

手元のスコーンを見つめたまま押し黙っているを見て、ロジエールが聞いた。口にすべきではない。こんな結果を招いてしまった自分が、口に出していいはずがない。でも。
堪えきれずに唇を噛んだは、膝の上で拳を握り締めて細々と声を発した。

「……あんなこと、言わなくていいじゃない。離れたのは、わたしの勝手なのに……シリウスが悪いんじゃないのに。なのに、あんなふうにシリウスのこと……なんで」
「俺の知ったことじゃない。俺は俺の思うことを思うように言っただけだ、それが嫌なら自分で出てきて止めれば良かっただろう。あいつを傷付けるなとでも言うつもりか?」

核心を突かれたようで、は何も言えずにそのまま口を閉ざす。わたしが言っていいはずがない。一生大切にすると、誓った自分がこの手でぼろぼろにしたであろうシリウスを傷付けるなだなんて。わたしにそんなことを言う、資格なんかない。分かっている、そんなことは分かっているのだ。それでも。

「もういいのか?」
「……食欲、失せた。今日はもういいから、あとは邪魔しないで」

は結局それ以上スコーンにも紅茶にも手をつけず、ゆらゆらと厨房をあとにした。探さないでって言ったのに、シリウスはこんなところまで探しにきてくれた。分かってるんだ、あんな書き置きを残したって、シリウスは絶対に探してくれるって。分かってるんだ、全部……分かっているんだ。だからサザークに置いてきたムーンにも見つからないように地下の部屋を借りた。誰にも知られずに    このまま、忘れてくれるように。
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(10.01.21)