シリウスは、こんなわたしでもいっぱい愛してくれる、すごく大事にしてくれる。わたしがスリザリンの子孫だと分かっても、『あの人』に狙われていると知っても    ダンブルドアのことだって。
いや、やはりそれはちがう。頭から、そんなことはないと斬り捨てるわけではないけれど。でもシリウスは、いっぱい抱き締めていっぱいキスをして、からだの芯から温めてくれたあと、こちらの肩をそっと掴んでその熱を一気に冷やしてしまうようなことを言ってきた。

「ダンブルドアの……ことはさ。正直、俺も実際よく知ってるかって言われたら分かんねぇことだらけだけど。でも、無闇に人の記憶いじったりしてそのままなんて、そんなことするような人とは……あんま、思えねぇ。記憶のこと、ちゃんとダンブルドアと話したか?」
「……それは。はなして……ない」

他に何かないかと聞いたとき、ダンブルドアは何も言わなかった。話すつもりがないのだ。だったら。こっちから聞いてやる理由なんかない。彼は、わたしたちの記憶を変えたことなんて些細なことだと思っているのだろう。だから。
だがそんなを諭すように少しだけ表情を硬くして、シリウス。

「話聞いてみないと何も分かんないだろ、? もし、ダンブルドアがお前やお父さんの記憶を勝手に消したのが本当だったとしても、人には言えないような理由があったのかもしれねぇし。ダンブルドアの肩ばっか持つわけじゃねーけど……俺は、信じたいけどな」

信じる。信じるって、一体なに。わたしだって信じてたよ、ジェネローサスに会うまでは。でも、これまで漠然と感じていた疑念を説明付けたのは、ダンブルドアでもマクゴナガルでも、ハグリッドでもベンサムでもなかった。
これまでの『信頼』なんて、まったく根拠のない曖昧なものだったって分かったんだよ。

「一回、ちゃんと話してみろよ。怖いんだったら……俺も、一緒に行くから。このままだったら、お前もつらいだろ。俺だってがずっと苦しんでるの見てんの嫌だよ」
「……平気。自分で、話せる」

言いながらも、はシリウスの目を見なかった。代わりにスカートのポケットから親指ほどの小さなピンク色の布袋を取り出し、それを見たシリウスがあっと声をあげたのを妨げるように口をひらく。

「あのね……シリウス。まだ……言ってないことがあって」
「まだ何かあるのか? 、お前どんだけひとりで溜め込んで……」
「ごめんなさい。これでおしまい……でも、それはまだ、言えなくて」
「……、お前な」

半ば呆れたようにため息をつくシリウスには深々と頭を下げて詫びた。

「ごめんなさい。でも……これだけは自分で確かめたくて。シリウスのこと大好きだよ、心から信じてるよ。だから、絶対に話すから。だからそれまでは……待って。お願い」

シリウスは不服そうに顔をしかめて腕を組んだが、とうとう諦めたのか渋々と肩を落としてから右手の小指を突き出してきた。あ、指切り……覚えてて、くれたんだ。はそれに自分の小指を絡めながら、静かに微笑む。

「指切りげんまん、うそついたら針せんぼんのーます、指きった」
「約束したからな」
「……うん。ありがとう、シリウス」

シリウスのことが、大好き。離れたくない、ずっと一緒にいたい。でも。
小指を外したは間近で窺うようにしてシリウスを見上げ、手のひらの布袋を彼に見えるように持ち替えながら恐る恐る聞いた。

「わたし、こんなのだけど……これからも、『あの人』のこととかいっぱい迷惑かけるかもしれないけど。こんなに心配してくれて、大事にしてくれて、なのにまだ言えないことがあるってシリウスからしてみたらほんとにやだと思うけど。でも……大好きだよ、シリウス。卒業しても、シリウスと離れたくない。一緒にいたいって心から思ってる。だから……もし、こんなわたしでもいいって思ってくれてたら。もう一回……つけてもらっていい?」

つけてもらえないかもしれない。もしくは、少し時間をくれないか、とか。これまでの話を聞いた上で、結婚を考えるとなったら否応なしに慎重になってしまうだろうと思った。
だがシリウスはしばらく真顔でじっとを見たあと、すぐに取り上げた布袋から指輪を出しての左手を握ったので逆に取り乱してしまったはあたふたと声をあげた。

「ちょっ! ちょっと待って、真面目に考えてる? 結婚とかその場限りの問題じゃないよ、ちゃんと考えてるの?」
「こら、動くな。つけらんねーだろ」
「だ、だって……ねえシリウス、真面目に考えてよ」
「うっせーな、考えてるよ! どんだけ考えたって答えは同じだ、何回も言わせんな」

荒々しく言い返し、シリウスは何とか引こうとするの左手を押さえ込んでその薬指にもう一度、自分が数ヶ月前に購入したシンプルな指輪を通した。部屋にいるとき、こっそり着けてドキドキしていたことはあるけれど。
ぎゅっとこちらの背を抱き寄せて、シリウスが言ってくる。

「お前が何を言ったところで、俺がお前を離さない。絶対に。だからもう、つまんねぇこと言うな。結婚しよう……。俺が絶対にお前のこと守るから」

絶対とか、必ずとか。そんな言葉、何の役にも立たない。でも、大好きなシリウスがそう言ってくれたら。何で、どうしてわたしなのって思いはいつまでも消えない。それでも    心から、幸せだと思えた。
相手の首に両腕でしがみついて、子犬のように擦り寄る。

「ありがとう……シリウス。シリウス、あのね」
「ん?」
「わたし、シリウスのこと好きになれて幸せだよ。シリウスに愛されて……ほんとに、幸せ」
「……うん。俺も、最高に幸せだよ。に会えて、ほんとに良かった」

絶対に、失いたくない。手放してくれないのなら、これ以上傷付けたくない、悲しませたくはない。
だからこのことは    自分の手で、決着をつけなければならないのだ。

slugged at the Slug Club

最後のナメクジクラブ

「そうかそうか、は聖マンゴの付属学校に入学が決まったか。あそこのブルゴーという教官はわたしの教え子でね、すぐに紹介状を書いてあげよう」
「あ、いえ……お気持ちだけで。入学は決まりましたから、あとは自分で何とかやっていけると思います。いつも、お心遣いありがとうございます」

最後のスラッグクラブはクリスマスパーティほどでないにせよ、いつもより豪勢なものだった。たちの学年はスラッグホーンにとってとりわけお気に入りの生徒が多かったため、小規模な送別会を兼ねているのだろう。はリリーに負けず劣らず蜂蜜酒を注がれたが、誕生パーティーの失態をどうしても忘れられなかったので、適度なところで止めておいた。リリーは希望通り、魔法省の魔法事故惨事部でマグル界の情勢を把握する部署に、ハッフルパフのフィリップは予言者新聞のスポーツ部、レギーナはロンドンのジュエリーブランド・マッカリースの本店。レイブンクローのハビエルは地元の大きな酒屋に、ジュディアはグリンゴッツ(ラルフがロンドンで働くからかなと思う)。スリザリンのスネイプはクロイドンで薬剤師だかなんだか。あいつが薬学でトップクラスなのは周知の事実だけれど、でもスネイプの煎じた薬なんか飲みたくないというか……。
そして最後に    

「エバン、おいでおいで!」

まるで犬でも呼ぶように    これではどちらが犬だか分かったものではないが    スラッグホーンが楽しげに声をかける。いや、犬という表現はどちらにも当てはまらないかもしれない。忠誠心などあるはずもない、ただ蛇のように狙いを定めるだけ。でもそんなのって、かなしい。わたしがこんなふうに思えるようになったのは、わたしがグリフィンドールで過ごしたから? もしもあのままスリザリンにいたら、その特性である『狡猾さ』を一番に備えた魔法使いになっていたの?
いや、とはすぐさま思いなおした。確かにスリザリンより多少はマシだったかもしれないが、わたしはグリフィンドールに七年いたからといって、その最大の特性であるはずの『勇気』を身に着けたわけではないじゃないか。同じことだ、どこにいたとしても。ダンブルドアがわたしをグリフィンドールにしようがしまいが、わたしは。

スラッグホーンは主に七年生の間をちょこちょこと忙しなく動き回っていたが、ちょうどやリリーのところで雑談に花を咲かせているときに近くにいたロジエールを手招きした。するとリリーは神経質そうに眉をぴくぴくさせたが、あからさまにの前に立つわけにもいかない。「に妙なことしたら許さないわよ」とばかりに視線だけで脅しつける親友に、は「心配しすぎ」と声には出さずに苦笑した。もっとも、ロジエールは涼しい顔でしばらくスラッグホーンと卒業後のことを話し、こちらの無言のやり取りなどは気にも留めていないようだったが。因みに(どうでもいいけど)ロジエールは代々続く名家であるということで、卒業したらすぐに父親のあとを継いで当主になるらしい。本当にどうでもいい、というか父親って死喰い人でしょう。あなたもその腕に    すでに印がある。
ロジエールは夏だというのに長袖のシャツを着ていた。暑くないとか、怪我をしていて出したくないだとか適当なことを言っているのを何度か見たけれど。確かに、あんなに生々しい刺青、出せるはずがないだろう。おまけにあの模様、『あの人』の印。フィディアスの上に、浮かんでいた……。

ぞくりと背筋に走った震えをごまかすように、はグラスに残った蜂蜜酒を飲み干す。スラッグホーンがいきなりロジエールを呼びつけたのは不意打ちだったが、同時に願ってもないことだった。今度はリリーがスラッグホーンに質問攻めにされているうちに、さり気なくポケットから取り出した羊皮紙の切れ端をロジエールの手に押し付ける。きょとんと振り向いたロジエールを横目で睨み付け、嫌で嫌で仕方なかったがは物分りの悪いその男の、ズボンのポケットに無理やり羊皮紙を突っ込んだ。狭い空間に押し込まれメモはぐしゃりと縒れたが、そんなことはどうだっていい、読めればそれでじゅうぶんなのだ。あとはただ、知らない振りをとおせばいい。
はテーブルにあったバタービールの瓶を取ろうと手を伸ばしたが、それをひょいと取り上げたのはロジエールだった。にやりと笑い、空になったこちらのグラスを一瞥して、

「ヒーラー養成学校への進学、おめでとう。別れの杯でもひとつ」
「……あ、ありがとう」

先ほどがこっそりメモを手渡したことなど、互いにおくびにも出さずに。すっかりスラッグホーンと話し込んでいたリリーはその様子を横目に見て表情を険しくしたが、は大丈夫と笑いかけておとなしくロジエールにグラスを満たしてもらった。ロジエールのグラスにはエルフメイドの白ワインを注ぎ、軽く掲げてふたりで乾杯の仕草をする。相変わらずロジエールを前にすると不快感に苛まれるが、それも以前ほどではないことには気付いた。

「あなたは就職しないの?」
「まーな。それなりに由緒のある旧家を継ぐってのはあんたが思ってるより簡単なことじゃないんだよ」
「自分で言うわけ、それ。ふーん……あっそ。いいわね、それで食べていける人は。大抵の人はね、食べていけないから働くの! その上で就きたい仕事に就ければ幸せだけど」
「言っただろ、あんたが思ってるほど簡単なことじゃないって。代々と続いてきた家を引き継ぐってことは俺にとって天職みたいなもんだ。そうだろ、レグルス?」

そう言ってロジエールが当たり前のように問いかけたのは、いつの間にかの後ろに立っていたレグルスだった。不意をつかれて飛び上がったは僅かにバタービールをこぼしたが、レグルスは気にした様子もなく彼女の脇を通り抜けてテーブルに近付く。彼のグラスは空になっていた。

「そんなことどうでもいいから、ワイン」
「ワイン? レグルス、お前はこっちにしとけ」
「は? 忘れてるなら言わせてもらいますが、僕はもう立派に十七になったんですがね」
「知ってるよ、ちゃんとプレゼントもやっただろ」
「偉そうに言うな、あれはエバンじゃなくておばさんとおじさんからだろ!」
「お前、それが年長者に対する物言いか、俺の両親からのプレゼントは俺からのプレゼントだろ。お前みたいな恩知らずにワインなんか十年早い」
「十年! 一歳上のお前が飲めるものをどうして僕は十年かけなきゃいけないんだ!」
「お前みたいなお子様にワインの味が分かるか、バタービールで十分だ」
「エバンに言われたくないよ!!」

ワインを求めたというのにロジエールにバタービールを押し付けられ、不機嫌を丸出しにしたレグルスは思い切り顔をしかめてみせた。その表情がはっきりとシリウスに似ていて、はひどく複雑な気分を覚える。こちらが見つめていることに気付いたらしいレグルスはさらに険しく眉をつりあげ、ロジエールの掴んだバタービールの瓶を乱暴に取り上げてずかずかと奥のほうに戻っていってしまった。
ロジエールは苦笑しながらその後ろ姿を見送ったが、その目はまるで弟でも見るようにどこか優しい。ロジエールもこんな顔を、するんだ……レグルスのお兄さんが、彼だったらよかったのに。そうしたらシリウスもレグルスも、あんなふうに傷付かずにすんだかもしれないのに。無理な注文だろうか。ブラック家に生まれなければ、今のシリウスはなかったかもしれないのだから。レグルスの兄だったことも、ロジエールの親戚だったこともすべて。

「じゃ、俺はそろそろ。あんたの可愛いお友達がさっきから恐ろしい目で見てくるんでね」

ロジエールはそう言って、まだしつこくスラッグホーンに捕まっているリリーをちらりと一瞥した。リリーはにこにこと笑ってスラッグホーンの問いかけに応じているが、ときどき親友であるすらぞっとするほどの鋭い目付きでこちらを睨んでくる。が曖昧に笑いながらもう一度「大丈夫だって」と唇だけで伝えている間に、ロジエールは空になったグラスに今度は自分で蜂蜜酒を注いだ。

「じゃあな、。またどっかで(、、、、)会えるといいな」

それはさり気ない    だが確かに周囲に聞かせるための、言葉。
は挨拶代わりにほとんど空になりかけたグラスを軽く持ち上げて振り、スリザリン生の固まっているところに戻っていくロジエールの背中を見送った。
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(09.11.30)