「……どうした?」
ぎゅ、と目を閉じて。はたと見開いて。目前に迫ったシリウスの顔が、不可解に歪んでいる。は仰向けに横たわった自分の上に乗る男をしばらくきょとんと見つめたあと、惚けたように言った。
「な、なに」
「考え事か? こんなときに」
「え、あ、ごめ……」
ん、と言い切らないうちにキスされた。はじめは軽く、啄ばむような。それが次第に強く唇を押し付けられ、知らず知らずのうちに開いた隙間に舌を挿し込んで絡めとられる。じわりと潤うように熱を帯びた指先で相手の背中をきつく抱き締めたが、やがて侵入してきた硬いそれがさらに奥へと押し進められたとき、は不意に身体の中心を駆け抜けた痛みに思わず悲鳴をあげた。
「?」
密着させた身体を僅かに起こして覗き込みながら、シリウスが動きを止める。
「痛いのか?」
「……ご、ごめん。大丈夫」
「大丈夫、じゃないだろ。ごめん、やっぱ今日はやめといたほうがよかったな」
「へ、平気だってば。ごめんね……続けて?」
せがむようにして相手の腰を掴むと、シリウスの喉は物欲しげにごくりと上下したが、それでも少し怒ったような顔をして彼はそっと身体を起こした。
「あのな。俺だって猿じゃないんだ、お前が痛がってるの分かってて続けられるかよ」
「ご……ごめん、なさい」
「いいって。が悪いんじゃないんだから」
わたしが悪いに、決まってるよ。すごく、久しぶりだっていうのに。あんまり濡れなくて。これまでも、体調が良くないときには痛くて途中でやめてもらうことが稀にあったけれど。
「そんな顔するなよ」
「……ん」
だって、久しぶりに部屋からジェームズたち追い出したって。シリウスがすごく楽しみにしてたの、よく分かってるから。わたしだって……嬉しくて、すごくどきどきして。でも
それだけじゃ、なくて。
「」
腕枕で優しく抱き締めてくれたシリウスが少し乱れたの髪を撫でながら声をかける。
「全部ひとりで抱え込もうとするなよ? 俺にも言えないことだったら……無理して言わなくていい。でもリリーなりニースなり、おまえ友達いっぱいいるんだからさ。心配だよ、のそういうとこ」
その優しい瞳に、間近で見つめられて。後ろ暗いところのあるは、ごまかすようにしてシリウスの首筋に顔を埋めた。言えないよ、そんなの。こんな気持ち、ぐるぐる回ってるって
誰にも、言えるはずない。
One lie makes many
ひとつではおわらない
「ジェームズ……お前、リリーとやったか」
「はっ?」
深刻な顔をして何事かと思いきや、藪から棒にシリウスが言ったのはそんなことだった。横に並んで無人の廊下を歩いていたジェームズは思い切りしかめっ面をしてみせる。
「なんだよ、自分はベッドの上のを独り占めしてるくせにリリーの話は聞きたいってことか」
「ばっ! 馬鹿か、そんな話じゃねぇ!」
と言いつつ真っ赤になっているところを見ると……ああ、殴り飛ばしてやりたい。だが自分も親友であるはずののエッチな姿を想像したことがないとは言わないので、そこは目を瞑っておいてやった。
「リリーは純情な子なんだ、が純情じゃないなんて言わないけど。でもな、僕たちはお前んとこほど長くないし、まだ、その……これからいくらでも時間はあるだろ、チューだけで悪いか、笑いたきゃ笑え」
「笑わねーよ、ばか。おまえ俺のことそんなふうに思ってんのか」
あっさりと切り返すシリウスに、ジェームズは少し驚いた。そうか……お前も僕の知らないところで、多少はオトナになってたんだな。
シリウスがそのままより一層切実な面持ちで黙り込んだので、さすがに心配になって問い質す。
「おい、どーした? がどうかしたのか」
「……あいつ、さ」
傍らの壁にがっくりと手をついたシリウスは、言葉を忘れたのかと思うほど沈黙を挟んだあと絶望的な声音でつぶやいた。
「、俺のこともうそんなに好きじゃねーかも」
「はあ?」
なんか似たようなこと前にもなかったか? まったく、手のかかるカップルだな。
「おいおいおい、パッドフットくん。嫌味かね、昨日だって気を利かせて部屋を空けてやった僕たちの気持ちを考えてみたまえよ」
「それは……ありがたいと、思ってるけどさ」
「けど、さ?」
シリウスがこんなにも自信を失くすのはに関することだけだ。また余計な取り越し苦労だろうと軽く受け止めていたところ、頭痛でも抱えたようにシリウスはこめかみに手を添えてうめいた。
「……濡れねーんだ」
「へ?」
「だから! 最近あいつ、濡れないんだよ!」
「ばか、でかい声だすな!」
誰の姿も見えないとはいえ、こんなところでは一体誰が聞き耳を立てているか分かったものではない。慌てて止めさせたが、シリウスは壁にぴったりと額を押し付けて哀れなまでに項垂れていた。
「俺だってこんなこと言いたくねーよ。でもさ……最近あいつすげー痛がるんだよ。こんな続くことなかったしさ、、ひょっとしてもう俺としたくねーんじゃないかとか考えちまって……」
「考えすぎじゃないのか? ほら、女の子の身体って敏感だっていうだろ。ちょっとしたことでも濡れにくくなったりするらしいぞ」
「だから、それが!」
向きなおったシリウスが声を荒げ
はたと我に返ったように口を噤む。不安なのだろう。卒業を目前にして、今ここでが離れていってしまったらと。彼女は確かに、どこかふわふわした掴み所のない一面がある。自分が恋人だとしても同じような気持ちになるだろう。家族という寄る辺を失ったシリウスであれば、なおさら。
「本人に聞いてみろ、ってわけにもいかないしなあ。のことだから、何でもないって言うだろうし」
「……言われた。何でもない、大丈夫って」
ジェームズの見る限り、はいたって普通だった。普通、というか少し落ち込んでいる程度。だが卒業を間近に控えて、嬉しいなあ元気いっぱい! なんて奴はそうそういないだろう。ホグワーツの外は、今や暗黒の世界。それを思えば表情が翳るのは、大なり小なり誰にしても当てはまることだった。
「もいろいろ不安なんだろ。お前まで一緒にオロオロしてどうするんだよ。男だろ、そこはドーンとしっかり構えててあげないとさ。じゃなきゃ守ってやれないぞ」
「それは……そうだな、俺がしっかりしてないと」
「そーだ、だからエッチくらい少しはガマンしろ。人生長いんだからさ、そういう時期もあるさ」
シリウスは吐き出しかけた何かをぐっと飲み込み、握った拳で軽く自分の後頭部を叩いた。ジェームズはその同じところを平手で殴りつけ、高らかに笑いながら駆け出す。
「いって! おい、ジェームズ!」
「何年もイチャイチャと見せ付けてくれた罰だ! ちょっとは苦しめ、エロ犬!」
「エロ……あのな! 俺はこれでもガマンしてんだよ!」
「へえ、それでか。先が思いやられるな、そんな盛った野郎と一緒に暮らしては耐えられるかなー」
「オマ……妙なことに垂れるんじゃねーぞコラ」
「さーあ、どうだろーなー。は僕の友達だからなぁ、友達に何を喋ろうがお前に干渉される謂れはないね」
「ジェームズてめぇ!」
ああ、よかった。湿っぽいシリウスなんて気持ち悪いだけだ。全力で追いかけてくるシリウスが杖を取り出したのを見て、脇の隠れ通路に滑り込んだジェームズはそのまま優に十分以上は広大な城の中を親友と最後の追いかけっこを楽しんだ。途中、図らずもミセス・ノーマを蹴っ飛ばしてしまったため、さらにそのあとフィルチにふたり揃って追い回される羽目になったが。
幸せだった。卒業なんてしたくなかった。だがこれ以上この城にはいられない。より広い世界へ
大切な人たちと共に。自ら危険な領域に足を踏み入れても、僕は『闇』と戦うことを決めた。大切な人たちを守るためにも。
不安になるのは誰でも当たり前だ。それでも、僕たちはこの箱庭から旅立たなければならない。
だがやはりのことは心配だったので
シリウスのことがなくとも、彼女は七年越しの大親友なのだ
ジェームズはリリーにさり気なく彼女の様子を見ていてほしいと頼むことにした。
図書館に行くといって寮を出たはその足でフクロウ小屋にきていた。手紙を出すためにやってくる生徒はときどきいるが、奥まった区画をわざわざ覗く者はいない。その陰になったところに腰を下ろし、は七年前に買った森フクロウを肩に乗せたまま深々と息を吐く。下手に校庭にいるよりも、こちらのほうが人目につかないということを最近になって初めて知った。
「……うん。ごめんね、ムーン。心配かけて」
寮にいるのが、つらかった。友人たちと共に過ごすことが。どうすればいいか分からない。何度かシリウスの部屋に誘われ、何ヶ月かぶりにしようと思ったけど。大好きなシリウスに抱きしめてもらったら、自分の中の嫌な感情も消してしまえるのではないかと期待した。
でも、そうじゃなかった。余計に追い詰められて、惨めな気持ちになってしまうだけだった。不安がどんどん膨らんで、身体が素直に感じられなくなって、次第に焦りを覚えるシリウスを見るともうこれ以上は無理だと思った。
違うの、シリウス。大好きなの。でもあなたの愛情と優しさに触れると、自分の醜さがより際立つような気がして。言えない、言えるわけない。あなたのまっすぐな思いに
わたし、もう応えられないよ。
こんな気持ちは初めてだ。ロジエールのときもスネイプのときも、プライアのときも。いや、ジェネローサスのことはどうだ。激しく憎んだ、絶望を知った。けれどもやはり、ちがう。決定的に違う。
信じていたから
ジェネローサスに会うまで、疑ったことなど一度たりともなかったのに。
「そう。スリザリンの直系の子孫……ヴォルデモート卿は、君の祖父に当たる人物じゃ」
「……うそ
まさか、そんな……嘘です、わたし……そんな、母が『あの人』の子供だったなんて!」
そんな、そんなこと、ジェネローサスは言わなかった。まさか。わたしが『あの人』の孫? 母が、『あの人』の娘だったなんて。だとすれば、純血主義者の娘でありながら、マグルなんかと結婚するはずがないじゃないか。母は素晴らしい魔女だったと、母を知る人々は口を揃えて言ってくれた。フィディアスもハグリッドも、マクゴナガルも、そしてダンブルドア、あなただって! 『あの人』の子供が……そんなこと、あるはずがない。
「あやつが家族を持ったことは……わしの知る限り、ない。そもそも家庭を築こうなどと思うような人間が、このような所業を繰り返すとは考えられぬ。あやつの年齢、君のお母様の年齢から察するに……お母様が生まれたのは、あやつがまだホグワーツの学生だった頃じゃ。わしは彼女に聞いたことがある、ご両親はどのような方かと。彼女は言った、母親はマグル、父親は彼女が幼い頃に亡くなったと聞かされたが、父親の墓などないと」
「……では先生は、『あのひ』……ヴォルデモートが学生時代に関係を持ったマグルが、母を産んだと仰るんですか。マグルを蔑視する『あの人』が、そんな真似をすると思いますか」
ダンブルドアはしばし熟考するように瞼を伏せてから、重々しく言った。
「
不可解じゃ。だが男女の仲というものは、そもそもが不可解なものじゃと心得ておる」
男女の仲は、不可解。思わず、笑い出しそうになった。そう、そうよね。わたし、子供の頃はまさかシリウスと付き合うことになるなんて考えもしなかったし、ジェームズとリリーのことだって、みんな。
だがそのとき、は不意に大昔ダンブルドアとふたりで話をしたときのことを思い出した。ホグワーツの人気者だった母が、どうして父のように冴えないマグルと結婚したのだろうと聞いたとき、彼の答えた言葉だ。ぎゅっときつく拳を握り締めて、はダンブルドアを見る。
「母が父と結婚したことも、その『不可解』な結果だとお思いですか」
きょとん、と目を見開いたあと。かなしそうに微笑んで、ダンブルドアはかぶりを振る。
「わしには分からぬよ。君のお父様がお母様を選び、そして君のお母様がお父様を選んだ結果じゃ」
はぐらかされたような気がした。だがそんなことは、どうでもいい。
「母の母に……祖母に、会ったことがあるんですか。確かめましたか、本当に『あの人』が父親かどうか」
「残念じゃが。お祖母様は君のお母様が七年生のときに亡くなったそうな。そういった意味では、確かめることはできぬ」
「だったら……」
「だがわしは、ヴォルデモートがパーセルマウスじゃということは以前から知っておった。そしてお母様も……ああ、わしは確信したよ。信じたくはなかったが。わしはあやつがその繋がりに気付いて彼女を利用せんとする日の訪れることを恐れた。あやつはもちろん、スリザリンの血を誇っておる。そして実際
そのことに気付いてしまった。彼女はマグル界で生活しておったから……きっとホグワーツの中に、奴の手の内の者がいたのじゃろう」
ジェネローサスだ。あいつが全部、『あの人』に伝えたんだ。は膝の上で握り締めた拳を睨み、漏れ鍋で会った男の顔を思い出す。似ていない。でもとても
フィディアスに、似ている。
「それだけではない。君は……特殊な夢を、見ることがあるのではないかね」
やはり、ダンブルドアもそのことを知っているのだ。は顔を上げ、まっすぐにその青い瞳を見据える。
「わたしにはよく分かりません。『夢見』の能力は……自覚しなければ、単なる夢にしか過ぎないかと。わたしにはそれを制する方法が分かりません」
「……だが、自覚はあるのじゃな。それも『彼ら』から聞かされたのかね」
いつもと変わらない、穏やかな眼差し。だがその奥には確かに、探るような暗い光がある。はこれ見よがしに視線を外してみせた。
「母がそうだったそうですね。スリザリンの血、そして夢見の能力……『あの人』は母が欲しかった」
「ヴォルデモート、じゃ。そう、あやつは君のお母様を欲し……そのことを知った彼女は、自らやつのもとへ赴いた。君たちを守るためじゃ、。あやつが欲する条件は、そのまま娘である君にも当てはまる。自分が逃げれば、君が標的にされると。だから娘である自分こそが
父を止めなければならないのだといって」
「……母が?」
母が、自ら? そんな、ちがう。ジェネローサスは、あなたが行かせたのだと言った。芽生え始めた『悪』の芽を、早いうちに摘んでおきたいと願ったダンブルドアが母をあえて『あの人』のところへ行かせたのだと。
しかし、ダンブルドアの言っていることも理解できた。母のことは、あまり覚えていないけれど……確かに母ならば、家族のためにこそそうしたかもしれないと思えた。きっと母は、そういう人だった。
「母は……病死したと聞いています。それは本当ですか」
正面から、ダンブルドアを見た。一瞬たりとも逸らさない。肖像画さえ物音ひとつ立てなかった。ただ張り詰めた空気だけが、あった。
小さく息をついて、ダンブルドアが瞼を伏せる。
「……嘘を、ついた。は……あやつの下で任務についているとき、闇祓いと戦って命を落とした。君たち家族は、何も知らなかった。彼女が仕事以外に家を空ける理由を、何ひとつとして。突然、戻ってきた彼女が……骸など。我々は
嘘を、ついた。真実を告げるべき君たち家族に……何ひとつ、言わなんだ」
涙なんて、今さら出ない。ただ……大きな脱力感に、がっくりと肩を落とす。ジェネローサスの言っていたことは、嘘ではなかった。母はオーラーと戦って……死んだ。ダンブルドアはそのことを隠した。
「本当に
すまなかった。彼女がヴォルデモートのところへ行くと言ったとき、わしは止めなかった。家族のためだという彼女の強い意志に負け……ただ彼女の背中を見送った。わしは彼女に、もしも彼女の身に何かあったときには必ず君たち家族を守ると約束した。わしは沈黙を保つことで……それができると、信じた。当時のわしは、『真実』こそが君たち家族を崩壊させてしまうと思ったのじゃ。あまりにも惨い、『真実』こそが」
「それを、今になって打ち明けたのはなぜですか。今さら、そんなことを聞かされて……わたしに、どうしろっていうんですか」
今さら、涙なんて出ないと思った。だが睨みつけた視線の先にあるダンブルドアの輪郭が、揺ら揺らとぼやける。彼の瞳にも涙がにじんでいるように思えたが、そんなものは今のにとって重要ではなかった。
ダンブルドアは額に手のひらを当てながら、唸るようにつぶやく。
「君が、成長するまでに……あやつを抑えられたらと、思っておった。だがあやつの勢力は年々増し……すでに君にも、接触があったのじゃろう?」
は答えなかった。ただ潤んだ目をしっかりと見開いて、相手の視線を捉える。ダンブルドアは思い切ったように青い眼光を鋭くした。
「隠し続けたことは謝る、この通りじゃ。だが……闇に打ち勝つには、真実しかないと思った。許して欲しいとは言わぬ、それでも
闇に屈してはならん、。君には、かけがえのない大切な仲間たちがいるはずじゃ。そのことを、忘れてはならぬ」
その瞬間に、溢れ出すものがあった。俯いた顔面をしばらく手のひらで覆い、は静かに深呼吸を繰り返す。そして喉を落ち着かせてから、下を向いたままゆっくりと声を発した。
「分かってます。そんなこと、あなたに言われたくありません」
「……すまぬ。君を……欺き続けた」
「わたしはいいんです。母のことは……ほとんど覚えていませんから。それより、父はどうなるんですか。あなたの言葉を借りれば、母は父を選んで、父は母を選んだんです。なのに何も知らされなくて……あなたにそんな権利、あったんですか。わたしたちを守るため? そんなの詭弁です、あなたはただ怖かった
『真実』を話す勇気がなかった、それだけのことじゃないですか」
「なんと、無礼な! 欺くほうの気持ちを、君は考えたことがあるのかね?」
「やめぬか、エバラート。彼女の言う通りじゃ。わしは、ただ……怖かった。君たちに本当のことを話す、それだけの勇気がなかった。わしは逃げたのじゃ。真実から……目を背けようとした」
そのとき、止まり木の不死鳥がいかにも哀しげな声で鳴いた。その音色が直接胸の奥を抉るようで、は拳を握ったまま乱暴に立ち上がる。そして自分の爪先を見つめたまま、吐き捨てた。
「父には何も言わないでください。今さら、そんなこと聞かされても……要らない傷を増やすだけです。今さらそんなこと、知らなくていい」
「君も、『真実』から目を背けるということかね」
歴代校長の肖像画のひとつが、鼻を鳴らして嘲笑った。その丸鼻を睨み付けながら、声を荒げる。
「わたしは逃げたりしない。わたしは自分の血に抗う。でも父は
父はマグル、日本に住んでいて何も知らない。十年も経って……今さら何て言えばいいの。全部話すとしたら……全部、終わってからにする。これはわたしたち親子の問題よ、放っといて」
「ハッ、さすがはグリフィンドール。なんと尊大で臆病な自尊心か」
「フィニアス、もうよい。よいのじゃ」
疲れたような、それでいて少し苛立ったような声でダンブルドアがそれを遮った。は振り向きもせずに扉の前まで歩いていき、ノブに手をかけてそっと口を開く。
「ダンブルドア先生。最後にひとつ、聞いてもいいですか」
「何かね、ミス・」
「他になにか、ありますか」
挟まれた沈黙は、そう長くはなかった。頭上で聞こえる肖像画の荒い鼻息に被せるように、ダンブルドア。
「……いや。ただこちらからもひとつ、よいかね」
「はい、何ですか」
「君に接触してきたという人間の名を、聞かせてもらっても?」
は小さく嘆息し、首だけで振り向いて冷たく微笑んでみせた。
「申し訳ありませんが、わたしは七年も共に学んだ『友人』を売るつもりはありません。失礼します」
背後で激しい罵声が聞こえたようにも思ったが、すでに螺旋階段に乗っていたの耳からはあっけなく零れ落ちていった。ひんやりと冷たいガーゴイル像の片割れにそっと手をついて、は溜め込んでいた重い息をゆっくりと吐き出す。
あのときからずっと、自分の中に紛れもなく渦巻く醜い感情には気付いていた。ジェネローサスのことは許せない。いつか必ずこの手で報いを受けさせてやる。たとえそれがどのような形であれ、必ず。
だがそれ以上に
善人のような顔をして、ずっと自分たちを騙し続けていたダンブルドアはもっと憎かった。なにが『真実』だ、なにが。『悪』を退けるには、『真実』で立ち向かうしかないと、そう言ったわね。
それなのにダンブルドアは、わたしたち親子の記憶を操作したことに関して一言も言及しなかった。うっかりしていただなんて、そんな馬鹿な話があるか? あえて隠したのだ。『真実』などという便利な言葉に隠して。
(ジェネローサスの話を信じて……ダンブルドアに、少しでも思い知らせてやりたいなんて)
そんなことを、考えているなんて。こんな汚い気持ち、シリウスたちに話せるはずがない。
スリザリンの血もパーセルタングも、夢見の力も。何も要らない。ただ……大切な人たちと、些細な幸せを掴めればそれでよかったのに。
(シリウス……わたし、自分に押し潰されちゃいそうだよ)
信じてたのに。史上最高の魔法使い、アルバス・ダンブルドア。ユーモアの分かる人のいいおじいちゃん、『あの人』も恐れる唯一の魔法使い。
でも
わたし、もうだめだよ。
誰もが『聖人』だと信じてやまないダンブルドアのことが、こんなにもにくい。涙が、止まらなかった。