彼女はホグワーツでも近年稀に見る優秀な学生のひとりだった。特に得意なのは変身術と魔法薬学で、理論と実践の両方に秀でた非常に貴重な存在であると    まるで十数年前の卒業生、トム・リドルを見ているようだと。ホリスは口癖のようにしきりにそう漏らしていたが、わたしに言わせればまるで似ていない。彼はスリザリンの、そして彼女は、グリフィンドールの監督生だ。それぞれの寮の特性を体現したような、まったく対照的な    だがそれすらも、ひょっとしたら鏡のようなものかもしれないと、気付いたときにはもう遅すぎた。
想像もしなかったのだ。まさかあのトムに、娘がいるなんて。何かの間違いに違いない。よりにもよって彼女が、あの(、、)トム・リドルの?

    母、ですか?」

彼女とはよくハグリッドの小屋で、一緒に紅茶を飲んだ。何でも美味しいと嬉しそうに飲んでくれるが、特にレモンのホットティーを好んだ。暑い季節もそうだった。お腹を痛めやすいのだといって。

「以前もお話したと思いますが、母はマグルです。今はサザークの教会で働いています。父のことは……分かりません。母からはわたしが生まれてすぐに病死したと聞いていますけど、それも本当かどうか」
「と、いうと?」
「お墓参りをさせてくれないんです。教会の墓地を探してみたことがあるんですけど……『』のお墓は、ありませんでした」

あらかじめ頼み、ハグリッドにはさり気なく席を外してもらっていた。は両手を添えたマグカップをしばらく見つめたあと、吹っ切るように顔を上げて微笑んでみせる。

「でも、いいんです。父がいなくても、母はわたしに、それ以上に大きな愛情をくれましたから」
「……そうか。素晴らしいお母様じゃ」

彼女が、リドルの娘のはずがない。邪悪な力に魅せられた    あの、孤独な青年の、血を引くなど。
その笑顔は、見る者の心を易々と溶かしていく。彼女はたくさんの友人たちに囲まれ、いつどんなときでも、元気よく笑っていたものだった。

だが、彼はあとになって気付くことになる。才能のある人間というものは、どうしたって孤独から抜け出せないのだということ。だからこそ彼女は、魔法界からかけ離れた、あのように凡庸なマグルを選んだのだということ。
最後に笑って、自分たちの前から姿を消したあの日。

    を、呼んでくれぬか」

The party's over

夢のひととき

シリウスの予期した通り、の誕生日はジェームズのパフォーマンスもあって談話室は夜遅くまでとても賑やかだった。六年生以下はまだ試験中だが、この日はたまたま金曜日ということもあって、とあまり接点のない下級生でさえ中休みとしてお祭り騒ぎに加わることができればそれで満足なのだ。おまけに同級生のみんながシリウスとのことをやたらと突くから、もつい口を滑らせて結婚するということを話してしまい、の誕生日パーティーはやがて婚約記念パーティーへと姿をかえた。

「いいわねぇもニースも、みんな幸せで! ねぇねぇ、リリーはどうなの? 結婚するんでしょう、ジェームズと? ねーえー」

アルコールが入っていつも以上にハイなハナが、悪酔いしてとんでもないことを口走りながらリリーの肩に手を回す。リリーはまだ返事をしていないし、すぐ近くにはジェームズもいるっていうのに、本当にデリカシーがないんだからハナってば!
リリーは見るからに表情を硬くし、がこっそり横目で盗み見ると、ジェームズもまた表情を強張らせて固まっていた。ああ、どうしよう、どうしよう! するとリリーは無神経にニタニタしているハナの拘束をするりと潜り抜け、ジェームズのほうへと近付いていった。狼狽えるジェームズの前に立ち、何も言わずにじっとたたずむ。

「ああ、リリー、やあ……飲んでる?」
「ジェームズ。わたし、あれからずっと考えたの」

震える手でジェームズが差し出した蜂蜜酒のグラスには見向きもせず、リリーは静かに口をひらく。近くの寮生たちがその現場に気付き、次第に談話室中の注目はこのふたりに集まっていった。

「危険な仕事に就こうとしてるあなたの帰りを待っていられる自信がなかった。でも、に言われて気付いたの。傍にいてもいなくても、わたしはあなたを案ずる気持ちをきっと止められない。それなら……こんな時代だもの。少しでも長く、わたしはあなたの傍にいたいと思う。何があっても、最後まであなたの隣に」

うわああああ! ちょ、リリー! こんな公衆の面前で、言っちゃう!? は数年来の親友であるリリーをこんなにも男前だと思ったことはなかった。ジェームズは馬鹿みたいに口を開けたまま真っ赤になって、傾いたグラスから中身がこぼれていることにも気付いていない。そんな様子を目の当たりにし、談話室のいたるところからは歓声や拍手が一斉にとどろいた。

「リリー、かっこいい! ちょっとジェームズ、なにボーっとしてるのよ!」
「ジェームズ! 男だろ、なんとか言え!」

リリーの勇姿をやんやと褒めはやす声、石のように動かないジェームズを冷やかす声。は囃し立てる聴衆たちを厳しく睨んで静かにさせ、ジェームズの手からグラスを取り上げて代わりにテーブルの布巾を手渡した。

「ジェームズ、情けない顔してないで何か言いなさいよ。リリーだって困るでしょ」

そのの声で、ようやく我に返ったらしい。こぼしたアルコールで濡れたズボンを乱暴に拭い、ジェームズはもつれた足でなんとか立ち上がって硬い表情のままのリリーに正面から向きなおった。

「あ……その、」
「ジェームズ、かっこ悪いぞ、よく回るいつもの舌はどうした!」
「うるさいダンカン、黙ってて!」

が尖った声で怒鳴ると、同期のダンカンは軽く舌を出して肩をすくめながらそっぽを向いた。
ジェームズは仕切りなおしとばかりに何度か咳をして、静まり返った談話室の中、全員にでも聞かせるような大きな声で話しはじめた。

「そんな……不安な気持ちにさせて、ごめん。でも、必ず君のところに帰るよ。君を少しでも不安にさせないように、もっと強くなる。君が傍にいてくれたら、僕はずっと強くなれると思うんだ。傍にいてほしい。何があっても君を護るから    だから、僕と結婚してくれ」

そして大きく目を見開くリリーの手を引いて、強く腕の中に抱き締めた。
談話室のそばを通りかかった誰かがいたら、どこかで爆発が起こったとでも思っただろう。リリーが泣きながらジェームズの背を抱き返した瞬間、談話室のグリフィンドール生はほぼ例外なく大声を出して飛び上がったため、それは凄まじい破裂音のようなものになって塔に響き渡ったのだ。実際、私用があってしばらく出かけていたリーマスは、一体何が起こったんだと不安に駆られながら『太った婦人』の肖像の前に立った。

「中でどうやらビッグカップルの婚約が成立したみたいよ」

婚約? 今夜はの誕生日パーティーだから、彼女とシリウスのことだろうか。まだあのふたりが結婚の約束をしていないとすれば、それはそれで驚きだが。だがクィディッチ・トーナメントで優勝した晩にも劣らないほどの喧騒に包まれた談話室に戻ると、そのビッグカップルというのがジェームズとリリーだということはリーマスにもすぐに分かった。ジェームズがこんなところでプロポーズしたのだから、シリウス、お前も今ここでするべきだとか何だとか、シリウスがワットたち七年生の男子にしつこく迫られている。まったく、今夜は長くなりそうだと胸中で苦笑しながら、リーマスはこちらもまた盛り上がっているやニースたちのところに足を運んだ。

「あ、リーマス! ねえねえ、さっきのリリーかっこよかったよね! ジェームズも良いこと言ったけどさー」
「いや、僕はしばらく外してたんだ。良いところを見逃したみたいだ、残念だよ」
「えぇっ! すっごい良いとこだったのに! もう、ムーニーなにやってたの」

シリウスの恋人である彼女は、こうして軽く茶化してくるようなとき、アニメーガスに因んだ名前で僕たちを呼ぶことがある。僕はそれが嬉しかった。忌まわしい獣の名前    でもそれはジェームズが笑い飛ばしながらつけてくれたものだし、彼女の可愛がっているフクロウの名前はムーンだ。彼女のペットの名前に似ているのが嬉しいなんて知れたら、変態だと思われるかもしれないけれど。
そのとき、彼女の隣に座っているニースがどこか不憫そうな目でこちらを見ているのが分かったので、リーマスはさり気なく視線を落としてポケットから丸まった一枚の羊皮紙を取り出した。

「さっきマクゴナガルのオフィスに行ってたんだ。これ、君に渡してくれって」
「え、何これ。先生、なんか言ってた?」
「いや、特に。できるだけ早いうちにって言われたから、戻ったらすぐに渡しますと伝えておいたよ」
「そうなんだ……どうもありがとう。あ、リーマスもこれ飲まない? すっごく美味しいよー」
「ありがとう。それじゃあ少しだけもらうよ」

近くにあったグラスを適当に取って、が勧めてくれた琥珀色の液体を注いでもらう。それは程よく甘い蜂蜜酒で、疲れきった彼の身体に優しく広がっていった。
すぐにマクゴナガルの伝言に目を通したは、お酒が入って陽気に歌っているニースの隣で、途端に顔付きを強張らせて黙り込む。

「……なにか、あった?」

声を潜めて尋ねると、は急いで羊皮紙を畳み、無理やり笑って首を振ってみせた。

「ううん、何でもない。それよりもっと飲まない? ジェームズがいっぱい持ってきてくれたから、まだたくさん」
「いや、僕はもう十分だよ。ありがとう。はどうだい?」
「あー、うん。じゃあもらう! ありがとう」

は強くもないのにそのあと自分で蜂蜜酒をぐいぐいと何杯も飲み、結局シリウスに部屋まで運んでもらわなければならないほど泥酔してしまった。たまにはいいんじゃない、学生時代に馬鹿やれるのはきっと最後だからさ、とジェームズは気楽に笑ったけれど。
でも僕には、あのマクゴナガルの伝言を読んで以来、彼女が努めて明るく振る舞おうとしていたとしか思えなかった。まさか、彼女の家族に何かあったのだろうか    いや、だったらいくらなんでも、何でもないなんて言えるはずはないし、それに彼女のお父さんは遠い日本にいるはずだ。そんなところまで、『あの人』の手が伸びているだなんて、そんなことは。

「シリウス、少し話したいんだけどいいかな」

彼女を寝室に運んで下りてきたシリウスを、リーマスはすでに寮生の引けている談話室で待っていた。普段は気の回る誰か    例えばリリーだとかだとかがある程度は始末をしてくれるのだが、今夜はさすがに飲み過ぎたせいで、騒ぎ散らかした跡はほとんどそのままになっている。それも朝になればきれいに片付いているのが常なので、誰もそんなことは気に留めていなかった。

「どうした、ムーニー。あらたまって。俺も飲みすぎて疲れてるんだ、話なら明日でも……」
「すぐに終わるよ。のことなんだ」

シリウスは、愛するのことがそれこそ可愛くて仕方がない。恋人であることはもちろん、時々まるで父親かと思うくらい本気で心配したり可愛がったりする。たったひとりの誰かにここまで心を砕き、ここまで馬鹿になれるということが、リーマスには羨ましくてたまらなかった。

がどうしたって?」
「いや、僕にもよく分からないけど……パーティーの途中に、僕は用があってマクゴナガルのところに行っててね。彼女に渡してほしいってメモをもらってたんだ。それを読んだ途端、彼女の様子がおかしくなってね。自棄酒というか……無理して飲んでるように、見えた。僕が聞いても、何でもないって言うし」

シリウスは厳しい顔をして女子寮のほうを振り返った。だが、今さら戻るわけにもいかないのだろう。一人部屋ならいざ知らず、同室のリリーやニースにも迷惑をかけてしまう。

「何かあったんだと思うんだ。だから……気をつけて見ていたほうが、いいと思う。彼女は強いけど    案外、崩れやすいところがあるから」

最後の一言は余計だったらしい。分かってるよと投げやりに言って、シリウスは男子寮に続く階段へ歩みだした。
その手前でふいに足を止めて、振り向かずに言ってくる。

「あー……聞いてたか? 俺たち、結婚するんだ。卒業して、のお父さんに挨拶に行ったらすぐにでも」

そういえば、パーティーでもやリリーの結婚話で持ちきりだったな。ニースやラルフも結婚するようだが、彼らは相手がすでに卒業した上級生や他の寮の生徒だったりするので、やはり盛り上がるのは断然たちのほうだろう。直接は聞いていなかったが、リーマスはさして驚かなかった。

「そうなんだ。本当におめでとう。君たちのことはずっと見ていたから、僕も嬉しいよ」
「……サンキュ」

そうつぶやいたシリウスの声には、どこか引っかかるものがあった。だが、気分屋のシリウスの言動を逐一気にしていても仕方がない。七年も傍にいて、友人たちの扱い方はそれなりに把握しているつもりだった。シリウスの不機嫌な背中を見送ったあと、リーマスは散らかった談話室を重々しい気持ちで見渡す。

(……片付けるかな、少しくらいは)

夢のような七年間を与えてくれたグリフィンドールへ、せめてもの思いを込めて。
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(09.08.21)