、イギリスにおいて君は常にダンブルドアの監視下にある。だからあえてこんなところでしか話ができなかったんだよ。君をどこか外に連れ出そうものなら、すぐに怪しまれるだろうからね」

自分は面が割れているので、ここに来るにもポリジュース薬を使わなければならなかったと話すジェネローサスを横目でぎろりと睨みつけ、は吐き捨てるように告げた。

「わたしはあんたの話を全部信じたわけじゃないし、認めたわけじゃないし、許したわけでもない。フィディアスがわたしの気持ちを裏切ってダンブルドアの側につこうとしてたなんて絶対に信じないし    それにあんたは、フィディアスを殺した。そのことだけは忘れないで」

ジェネローサスは、できる限り『あの人』の手からを護るが、万が一のときは最終手段として彼女を利用することも有り得るというダンブルドアの計画に、頑なに反対し続けたフィディアスがとうとう同意したと語ったが、そのことだけはは信じなかった。フィディアスがそんなことをするはずがない。あんなにも親身になって、あんなにも傍にいてくれた大人は、フィディアスの他にはいなかった。大人になったことへの証として、銀の懐中時計を贈ろうと。まだ十六歳だった当時のわたしを一人前と認め、そして『真実』を明かそうとしてくれていた。

「我々の仲間が偶然、君が聖マンゴに入院しているとき、特別病棟にいてね。君の姿を見て驚いたそうだよ    まるでを見ているようだったとね。もちろん我々はすぐさまそのことをあのお方に伝えた。帝王も大変お喜びだった」

結局、すべての元凶はこの男なのだ。この男にさえ見つからなければ、わたしは今ここでこんな話を聞かされずにすんだのに。何も知らなければ、こんな痛みを感じることもなかったのに。

「帝王は何としてでも君を手に入れたいとお考えだが、手荒な真似はしたくない。できれば君が、自分自身の意思でその道を選んでくれることを望む。『そこ』に否応なく引きずり込まれるか    それとも自らの信念に従い、君自身の足で踏み入るかどうか」

何が、信念だ。さんざん脅しつけておきながら、きれいごとを言うんじゃない。

「君にとって我々が忌々しい集団であることに変わりないだろう。だが、今一度よく考えてみてほしい。ある意味で君たち家族をぶち壊し、歪めてしまったダンブルドアが、鉄面皮で君の前に立っているという事実を」

もしも、ジェネローサスの話がすべて本当だとすれば。だが、確かにそれ(、、)は証明されてしまったのだ。

「事は、連中に悟られないよう進めたい。少なくとも、しばらくの間は。わたしに伝言があればエバンに伝えてくれ。我々は独自の連絡手段を持っているのでね」

は結局、注がれた蜂蜜酒にまったく手をつけずに客室をあとにした。そのすぐ後ろをついてきたロジエールは、と一緒に軋む階段を下りながらひっそりと口をひらく。

「自分の道は自分で拓くしかない。どのみちあんたには避けられない運命なんだ。それなら、どちらの側につくかは自分ではっきりと決めておくんだな」

はぴたりと足を止め、少し後ろを歩いていたロジエールを振り返って険悪に眉をひそめた。

「あんたは、最初から知ってたの? わたしのこと、全部、知ってて……」
「いや。大半のことはさっき初めて聞いたよ。俺が知っていたのはリンドバーグの呪いのことと、あんたが『あの人』にとって何か特別な存在だってことだけだ」

フィディアス    だめだ、考えちゃいけない。そのことを考えてしまったら。でも、だけど。

「へえ……それにしては、ずいぶんと落ち着いてたわね。ああいう話には、慣れてるんだ?」

は投げやりな気持ちで尋ねたが、ロジエールの青い瞳は緊張を保ったまま、まっすぐにを見た。そのあまりにも深く、暗い色彩に    皮膚の表面が、ざわつく。
ロジエールは瞬時にこちらとの距離を詰め、段差を踏み越えながらの身体に密着した。逃げようにも、背後の壁に阻まれて叶わない。

「ちょっ!」
「あんたが迫られてるのは、こういうことだ」

何なのよ、こんな、ときに! だがロジエールが分厚いコート越しに身体を押し付けたまままったく動かないので、なにかがおかしいと思い、首を捻って見やると    彼が抑え気味に捲り上げた袖の奥に、毒々しい黒のシルエットが見えた。そのあまりの生々しさに、思わず、うっと息をのむ。これは……このしるしは。
こちらが見たことを確認すると、ロジエールは剥き出しの左腕をすぐさま元に戻し、後ろ向きにひとつ段を上がってまたから距離をとった。

「これを負うだけの覚悟があれば、自分でこちら側にくるのもいい。そうでなくとも、あの方は必ずあんたを欲する。どちらにつくかはあんたの自由だ。だが、俺なら」

言いながら、ロジエールはの脇を通って再び階下へと歩みだす。つられるようにして、もまたゆっくりと階段をおりていった。

「俺なら、下手な工作をして善人ぶる偽善者の下には絶対につかない」

偽善者……あのダンブルドアが。疑ったことなど、いまだかつて。

「あなたは」

不意に足を止めて、口をひらいた。振り向かずとも気配で知れたのだろう。ロジエールも二、三歩遅れて立ち止まり、訝しげにこちらを向いた。

「あなたは……選んだの? 自分の道は、自分で」

答えを聞くまでには、しばしの間があった。だが、考えている素振りは見せない。ただこちらの意図を探ろうと、目を凝らしているように見えた。

「ああ、そうだ」

あっさりと言い放ち、ロジエールはすげなくに背中を向ける。そのときの彼の一言が、後々までの脳裏にこびりついて、決して離れることはなかった。彼が死してのちも、ずっと。

    あんたは、為されるがままか?」

WHICH to STAND BY

自由意思

?」

はっ、として顔を上げると    すでに周りの同級生たちは、大半が席を立っていた。授業が終わったらしい。心配そうにこちらを覗き込むリリーの肩越しに、防衛術の新任教師、エックハルトがだらだらと教材を片付けているのが見えた。

、どうしたの? 休み明けからずっと元気がないじゃない」
「そっ、そんなこと……」
「ないって? よくもまあ僕らを前にしてそんなことが言えるね。何年一緒にいると思ってるんだい?」

呆れたように言いながら現れたジェームズがどさくさに紛れてリリーの肩を抱こうとしたが、リリーは難なくそれをかわしての額に手を伸ばした。

「疲れてるなら医務室に行ったら? 少し休んだほうがいいわ」
「えっ? だ、だって次、変身術! 休めないよ、そんな」
「次の授業もさっきみたいにぼーっと過ごすくらいなら、調子悪いんですって医務室に行ってたほうが利口だと思うよ。マクゴナガルが容赦ないの知ってるだろ、減点されないように、僕らのためにも!」
「あなたは黙ってて、ジェームズ」

リリーにきつく制され、しゅんと小さくなるジェームズの後ろに、仏頂面をしたシリウスが立っている。はそちらからさり気なく目を逸らし、慌てて手元の教科書や羊皮紙を片付けた。

「大丈夫! 次は気をつけるから……って、あ!」

教材を抱え、飛ぶように立ち上がる。と、ずいと一歩前に出たシリウスが、何も言わずにの手からそれらを奪い取った。

「シ、シリウス?」
「お前ら先に行っててくれ。俺、こいつを医務室に連れてってからすぐ行く」
「えっ! い、いいってば、ねえシリウス……」
「オッケー、あとは任せたぞ、パッドフット! それでいいよね、リリー?」
「ええ、そうね。それじゃあ、おとなしく寝てなさいよ? あとでまた迎えに行くから。よろしくね、シリウス」

ちょっと、待ってって! 勝手に話を進めないで!
だがジェームズはリリーを連れて意気揚々と教室を出て行き、最後まで残ってしまったとシリウスは無言のまま、凍える廊下に出た。

どうしよう、どうしよう……ここのところずっと、シリウスとふたりきりになるのは避けてきた。疚しいことなんて……いや、うそ。疚しいことだらけ。シリウスに内緒でロジエールとジェネローサスに会ったこと。ジェネローサスの語った、わたしや母に関する重大な過去。ひとりでは絶対に買い出しに行かせないと言い張るシリウスに、イギリスには新学期が始まる直前まで帰れないと嘘をついて、彼らに必要なものを買ってきてもらったこと。
そして何より    『どちら側につくか』    そのことでこんなにも、自分が悩み苦しんでいるという事実。

何を悩んでいるの、。相手は残虐非道な殺人集団じゃないか。魔法使いだ、マグルだと下らない区別で人々を差別化する社会をつくろうと。そしてあのジェネローサスは、実の弟であるフィディアスを殺した。許せるはずがない。だったらどうしてそのまま警察に届けなかったの。あのあと、何も言わずにロジエールと別れて……そしてまっすぐ日本に戻り、頑なに口を閉ざした。

そして気付いたのだ。どちらにつくべきかと、苦しみ、考えつづけている自分に。



少し先を歩いていたシリウスが    しかし、歩調はちゃんとに合わせてくれていた    不意に立ち止まり、こちらを振り向いて、言う。その瞳には、苛立ちというよりも無力感のようなものが漂っていた。

「なんか、あったんだろ。そんな顔してるくらいだったら、言えよ。俺なんかじゃ……不安か?」

そんな。ちがう、そんなことじゃない。は心からかぶりを振り、たまらなくなって瞼を伏せた。そのまっすぐな目を、見つめることができない。

「違うの、そうじゃなくて……その、不安で」

無意識のうちに自分の口からこぼれた言葉に驚いた。だがそれを、押しとどめることも、もはや。

「フィディアスのこと    ロンドンに戻ってからわたし、ひとりで聖マンゴに行ったの。怒らないでよ、煙突飛行で一本なんだから? それで……ほんとに、良くなるのかなって。こんな……ずっと、眠ってるような状態で。ほんとにわたしに、どうにかできるのかなって急に不安になって、それで」

嘘じゃない。半分は、ほんとう。でも半分は    だってわたしはもう、彼が回復しないということを知ってしまったのだから。それなのに、こんなでまかせが自分の口からぽんと飛び出したことにとても驚いていた。
シリウスは見開いた目でしばらくじっとを見つめたあと、教材を抱えた腕で震えるの背をそっと抱き締めた。ああ、大好きなシリウスのにおい。でも、だけど。きつく閉じた瞼のふちから、にじみ出た涙が頬を伝う。シリウスは何も言わなかったけれど    その温もりは制服越しにも、しっかりとの胸に届いた。そのことが、なおさら。

「俺は絶対に闇祓いになる。だからお前は、信じて癒者になるんだ。これだけ待ってもこの状況なんだ。あの呪いを解けるとしたら    それはもう、フィディアスをこんなにも思ってるお前だけだ。だろ?」

    ごめんなさい、シリウス……本当に、ごめんなさい。わたしは知っているの。フィディアスがもう、目を覚ましはしないということ。誰が彼をあんな目に遭わせたのか、そして    あなたの叔父さんを殺した犯人の、仲間を。
誰がアルファードを殺したのか、それはジェネローサスも知らないと言った。すべての死喰い人を把握しているのは帝王ただひとりで、自分がすべての動向を知る必要もないと。だが闇の印と呼ばれる髑髏があがっていたのなら、それはまず間違いなく死喰い人の仕業であるとジェネローサスは語った。あの男の、仲間が    シリウスの大切な家族を、殺した。そのことを知っていながら、わたしは、何も言わずにこうして。

すべてを打ち明けて、楽になってしまいたい。大好きなシリウスが危なっかしい仕事に就く必要もなくなる。それなのに、何が自分を踏み止まらせているのか、にはよく分かっていた。
「おいで、ムーン」

ひとりでフクロウ小屋を訪れたは、止まり木から嬉しそうに下りてくる森フクロウを肩にのせ、その場によろよろとしゃがみ込んだ。友人たちを心配させまいと、食事の時間には我慢して何かしら胃袋に入れるようにはしているのだが、ストレスからか、こうしてすぐに戻してしまいそうになる。ムーンがくちばしの先で優しく髪をついてきたので、はなんとか口の端だけで微笑んで森フクロウの頭を撫でた。

「ありがと、ムーン。大丈夫だよ」

ムーン。その名は、彼女を買ったその日が満月の夜だったから    だから、と。それだけのことだと、思い込んでいた。だが、思い出したのだ。昔、そう……父と母と、まだ、三人で暮らしていた頃のこと。
どうして忘れていたのだろう。犬を一匹、飼っていた。白くて、大きな    犬種なんて、当時のわたしには分からなかったけれど。両腕で抱き締めても背中まで届かない、しかしにとってそれは、初めての友達だった。
名前は、ムーン。

(忘れるはずない……ムーンのこと、わたしが忘れるなんて)

毎日一緒に、じゃれながら育った。それなのに、これまで忘れていただなんて。だがそれも、記憶を操作されたのだとすればすべての納得がいく。窓から落ちて頭を打ったとき、あのときから。何かがおかしいと思っていた。自分の中に、自分ではない誰かが潜んでいるような。自分のものではないはずの記憶が、確かに自分の中にある。だがそれも本当は、紛れもなく自分の記憶だったのだ!
日本にいる間、一度だけ、父にも昔のことを聞いてみたことがある。しかし、父もまた    あんなにも可愛がっていたはずの愛犬のことを、まったく覚えていなかった。

『あの人』のことは許せない。フィディアスを死なせたジェネローサス、殺戮を続ける死喰い人。許せるはずがない、許してはいけない。だがしかし、それ以上にが許せないのは、自分たちの記憶を操り、何もかもをなかったことにしてしまおうと画策したダンブルドアだった。
どうして話してくれなかったのか。母をスパイとして闇の陣営に送り込んだダンブルドアも、許しがたい。だがそれ以上に、わたしたち家族は母の真実を知る権利があったはずだ。それなのに、わたしたちから幸せだった頃の母の記憶を奪い去り    何もなかったことにして、日本の片田舎へと追いやった。

やがてこの国が二分し、『あの人』と省、ひいてはダンブルドアが杖を交える日が訪れるとしたら。

そのときわたしは、ダンブルドアの側について戦うことができるだろうか。
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(09.07.28)