「一体いつまで隠し通せると思っている? 奴らは必ず娘に接触するぞ。そのとき、歪曲された『事実』を聞かされて娘の気持ちが奴らに傾きでもすれば」
「は強い子です。フィディアスのことも受け止めたその上でヒーラーになろうと決めた、とても芯の強い子です。ホグワーツの外で彼女を見守るのはあなたの役割でしょう、ムーディ」
苛立たしげに切り返したミネルバを一瞥し、フンと鼻を鳴らしたあと、アラスターは片方の義足を鳴らして半歩だけこちらに近付いてきた。
「わしにも仕事があるのでな。絶対などという約束はできん」
「まあ、あなたがそこまで省に忠実とは知りませんでしたわ。ミリセントも、あなたの扱いにはほとほと手を焼いていると」
「やめぬか、ミネルバ。アラスターにはアラスターの仕事がある。その通りじゃ」
歴代校長たちの肖像画は眠った振りをしているが、しっかりとこちらのやり取りを覚えている。ちらりと見上げたフィニアスの片目が慌てて閉じられたのを見ながら、アルバスは嘆息混じりに言った。
「アラスターの言う通りじゃと思う。わしも、いつか、いつかはと……先延ばしにしすぎた。『真実』に勝る力はないと、分かってはおるが」
「ならば今すぐ話せ。娘ももう十七だ。幼すぎるという言い訳はもはや通用せんぞ」
「あなたは
あなたは、現実を見ていないから。友人たちと健やかに過ごす彼女を見ていれば、それが容易いことではないと分かるはずです。知らずにすむのであれば……それができるのであれば……」
「現実を知らんのはあなたたちのほうだ、ミネルバ。知らずにすむのであれば? そんな生ぬるい感傷で娘を無知なまま放っておけ。奴らのいいように使われて棄てられるだけだ。あの愚かな母親と同じようにな」
そのとき。瞬時に取り出されたミネルバの杖先が、アラスターの胸をまっすぐに指し示していた。だが、何事も起こらない。アラスターも嘲りの色を眼球に浮かべたまま、身じろぎひとつしなかった。
怒りに震える唇を抑え込みながら、ミネルバ。
「あの子を……を見下げるような発言はやめてくれと、予め申し上げたはずですが?」
「了承した覚えはないが? 杖を下げてくれんか、マクゴナガル」
悪びれた様子もなくあっけらかんと言ってのけるアラスターに、ミネルバはきつく唇を引き結び、杖を下ろす素振りも見せない。アルバスはもう一度うんざりと息をつき、伸ばした右手で彼女に杖を納めさせた。
「アラスター、我々は数少ない仲間なのじゃ。あえて仲間の気分を損ねるような
それも、故人のことを悪く言うのは、あまり感心せぬ」
アラスターは蔑むように唇を歪め、傷だらけの頬を同様に傷だらけの指先で掻いた。
「ああ、そうだった。娘の母親はあなたのお気に入りでもあったようですな、ダンブルドア。覚えておこう、下手なことを口走ってあなたの不興を蒙らぬよう」
お気に入り。その言葉が抉るようにこの胸に突き刺さるのは、きっと。
「いい加減にしてください! は素晴らしい魔女でした! あなたのような人に穢されてもいいような人間ではありません!」
「もうよい、ふたりともやめるのじゃ」
これでは何のために彼らを呼んだのか分からない。ローブを翻して自分のデスクに戻ると、アルバスはこれ以上余計な口論を生まぬよう手短に用件だけを伝えた。
「ミネルバによると、彼女は今年のクリスマス休暇は日本の実家に戻って過ごすという。だがホグワーツ特急を降りて漏れ鍋まで、アラスターには例によって彼女の護衛を頼みたい。彼女の秘密については
時機を見て、話す。必ず話す。少なくとも彼女が卒業してしまうまでには……だが今は、分かってくれ。彼女には、学年末に重要なNEWT試験も控えておる。ここまで延ばしてしまったのはわしの責任じゃが、この大切な時期に、要らぬ心労を増やしたくはない」
「フン。好きにするといい。だが手遅れになって泣きを見るのは
これはあなただけの問題ではないぞ、ダンブルドア」
そう言ってアラスターはコツコツと義足を鳴らしながら校長室を後にした。残されたミネルバは憤懣やる方ない顔をして彼の消えた扉を睨みつけていたが、やがて思いなおしたようにかぶりを振ってこちらに向きなおる。その視線をさり気なく避けて俯きながら、アルバスは先ほどの旧友の言葉を思い返していた。
(これはあなただけの問題ではないぞ、ダンブルドア)
わしひとりの問題ではない。それは分かっている。この国、ひいては世界中の運命すら左右しかねない。
だがその一歩を踏み止まらせているのは、紛れもなく自分個人のエゴと、途方もない弱さ故だった。
LATE in the day
時、すでに
「……リリー。聞いても、いい? あの、ジェームズのプロポーズ……どうした?」
就寝時間を過ぎても談話室で勉強していた五年生と七年生の集団も、さすがに深夜の十二時を過ぎると七年生のごくごく一部しか残っていなかった。そのうちのひとり、・は、同じように防衛術の教科書を開いて睡魔と闘っているリリー・エバンスに躊躇いがちに尋ねた。因みに談話室に残っているのはもうひとり同室のニース・ジェファひとりで、たった今話題に上っているジェームズ・ポッターその人は、先ほどルームメートたちと欠伸を噛み殺しながら男子寮に上がっていったところだった。
うとうとしていたはずのリリーは瞬時に目が覚めたようで、開いた教科書の上からまるで仇でも見るような目付きでじっとを見つめて動かない。身の危険を感じてはすかさずニースのほうに身体を倒して逃げたが、リリーは小さく息をついてすぐに闘志を放棄した。
「どうって……だって、結婚なんてまだ先の話でしょう。ジェームズのことは、そりゃあ好きだけど……でも正直、結婚なんてまだ考えられないわ。オーラーがどうだとか、それ以前の問題よ」
「でも、半年なんか、あっという間だと思うな……それにジェームズは、多分
本気なんだってことを、分かってほしかったんだと思うよ。闇祓いのことも、リリーへの気持ちも。だってわざわざ、みんなのこと集めてその前で宣言したわけだから」
「……そうね」
ひっそりと呟いて、リリーは手元の教科書を閉じた。今夜はそろそろ引き揚げるらしい。も倣って筆記具を片付けながら、恐る恐る問いなおした。
「リリーは……もし、もし仮にジェームズと結婚するとして、彼がオーラーになるの、認められる? 危ない仕事だよ、特に今は……危ない思想を持った危ない人たちが、イギリス中に蔓延ってる。そんな人たち捕まえようって仕事だよ? 自分から進んでそんな危ないこと……リリーは認められる? それでも結婚したいと思う?」
「……どうしたの」
ああ、もう。わたしってば。分かったって言ったじゃない。シリウスが闇祓いになるの、認めるって。それでも一緒にいたいんだって。フィディアスやアルファードおじさんを襲った犯人を捕まえたら、そんな危ない仕事辞めるって言ってくれた。でもその犯人こそが、死喰い人の中で最も凶悪な魔法使いだったら? それでも彼は、無事にわたしのところに帰ってきてくれるの? 不安で、不安で、好きだからこそ、どうしようもなく心細くなる。
心配そうに顔を曇らせたリリーがすぐ隣に座ってくれた。少し遅れてニースもその向かいに移動して腰掛ける。はここ数日溜め込んでいたものが一気に溢れるのを感じて思わず顔面を両手で覆い泣きじゃくった。
「だって、だってシリウスもオーラーになるんだって。自分がフィディアスやおじさんを殺した犯人捕まえるんだって、俺にしかできないんだって。分かるよ、言ってること分かるけど……でも、何でシリウスがそんなことしなきゃいけないの。わたし、シリウスにそんな危ないことしてほしくないよ……シリウスは、何があってもわたしのところに帰ってくるって、約束してくれたけど……そんなの分かんないじゃない、誰だって、大事な人のところに戻らなくてもいいなんて思ってるわけないのに」
「……そうね。大事な人がそんな危険な仕事に就くなんて……不安でしょうがないと思う。分かるわ、わたしもそう」
リリーはその温かい腕で優しく抱き寄せてくれたが、意外な言葉を聞いた気がしてははたと目をひらいた。リリーは少し照れくさそうに笑いながらも、まっすぐな眼差しでこちらを見据え、
「結婚するにせよそうでないにせよ
彼はわたしにとって、大事な人だわ、とても。こんなに傍にいたのに、どうして今まで気付かなかったのか不思議なくらい。だけど、過ぎた時間は戻せないし、これまで過ごしてきたすべての時間がわたしにとっては宝物。だから、これからは今まで気付かなかった分も、彼と一緒に過ごして、もっと大切なものをふたりで築いていきたいと思うの。ずっと
ずっとよ。彼がそんな危険な仕事に就くなんて……わたしだって、本当はイヤ」
ちょ、ちょっと待ってよ。そんなふうに思ってるんだったら、もう結婚しちゃえばいいのに。
「でもね、。あなたが不安になるのも、よく分かるのよ? でもあなたは、子供の頃からずっとシリウスと一緒だった。『友達』の頃から、ずっと。きっと、わたしなんかが想像もできないほど、見えないところで深く分かり合ってる。そんな危険な職を目指すって
彼にとってもとても、勇気が要ることだと思うの。それでも、闇の魔法使いと戦うことを選んだ。そんな彼を支えて、待っていてあげられるのは、、あなただけなんじゃないかしら? あなたが待っていてくれたら、シリウスだってきっと安心して出かけられるし、絶対にあなたのところに帰らなきゃって……強く思えると、思うのよ。わたしにはまだ
その自信が、ないから。だからまだ、それだけのジェームズの気持ちには……応えられない。でもあなたの中には
すでに答えが、出てるんじゃない?」
指摘されて、はまざまざと思い知らされた。そうだ、分かっている。それでもわたしは、彼の傍にいたいと願ったのではなかったか。
心配だからやめてくれと泣き叫ぶことは容易だ。だが、そうではなくて
自分にしか。本当に、わたしにしかできないこと。それを初めて見出せたような、気がした。
やがて、雪に囲まれた城にも、たちにとって最後のクリスマス休暇が訪れた。十時発のホグワーツ特急に乗り、数時間の旅を経てロンドンに向かう。はリリーやニース、スーザンらとコンパートメントを占領して、久しぶりに友人たちの恋愛話に花を咲かせていた。スーザンはなんと三年生のときに付き合っていたハッフルパフのセオドリックと復縁し、メイは二年も付き合ったグリフィンドールの六年生と別れ話になったばかり。マデリンはゴブストーンクラブの先輩だったレイブンクローの卒業生が忘れられず、この休暇中にご飯でもとフクロウを送ったのだが、忙しいと断られたらしくひどく落ち込んでいた。
「しょうがないよ……だって予言者新聞でしょう? きっとすっごく忙しいんだよ。それでもフクロウ返してくれるんだから、向こうだってマデリンのこと好きだと思うよ」
「……そうかしら。ただ、単純に、彼がいい人なだけかも!」
「あー、うん、それも、なきにしもあらずだけど」
「ああ! もう、なんかキライ!」
「だってー……ごめん、ちょっとトイレ」
カボチャジュースの飲み過ぎでずっと我慢していたはとうとう耐え切れなくなっていそいそと席を立った。ヒステリックな声をあげて隣のスーザンにしがみつくマデリンに申し訳程度に笑いかけてから、ドアを閉めて車両の後方へと足を向ける。途中の通路でグリフィンドールの二年生が糞爆弾を投げ合っていたので、は「そういうことはホグワーツでやって!」と怒鳴りながら床の汚れを避けて化粧室に急いだ。もちろん、そういう点に関しては自分が褒められた二年生だったなんて夢にも思わないけれど。でも今は、それどころじゃないの!
「はあ……セーフ」
話が盛り上がると、なかなか抜けられないんだよね。空気乱すっていうか。それにしても、レイブンクローの先輩かあ。名前聞いたけど、知らない人だったし。相手が働いてると、やっぱり難しいんじゃないかな。マデリンにはとても言えないけれど。
洗面台でしっかり手を洗い、ポケットからハンカチを取り出しながら嘆息混じりに振り向くと、は少し先の一角にゆったりとたたずむスリザリンの青年を見た。
「御機嫌よう、」
「……御機嫌よう」
その姿が視界の隅に入るだけで、言い知れぬ不快感が喉の奥から押し寄せてくる。声をかけてくるのはいつも、こちらがひとりでいるときだけだ。そして必ず、あちらもまたひとりでいる。
は素早く目線を外し、何事もなかったかのように通り過ぎようとした。だがロジエールはそれを許さず、有無を言わせぬ強さで彼女の手首を掴み、素早くそばに引き寄せた。
ぞっとする嫌悪感に思わず歯噛みしながら振り返る。
「今度は何なの? 最後のクリスマス休暇なのに、また何もかも台無しにしてくれるわけ?」
「台無し? 失礼だな、俺が一体いつあんたの何を台無しにしたっていうんだ」
「いい加減にしてよ。わたしに構ってなにか楽しいことでもあるの? シリウスはもう純血の家を出た。あなたとはもう一切関係がないと思うけど」
「言わなかったか? シリウスのことなんて俺にはもうどうでもいいんだよ。あいつが四六時中あんたにひっついて離れないっていうなら話は別だがな。あんたがひとりでトイレにも行けないような馬鹿な女じゃなくてよかった」
「……何が言いたいの。何で……あんな」
シリウスがどれだけ深い口付けで消し去ろうとしてくれても。今でも思い出す、あのときの感触。鳥肌が立つ。ロジエールの顔を見れば、それだけはっきり、くっきりと。何で、どうしてあんなことを? あなたは一体
わたしを、どうしたいの。
だがロジエールはこちらの意図などまったく介した様子もなく、あたりを見回して通路に誰もいないことを確認してから、腰を屈めてこちらの耳元にひっそりと声を発した。
「このあと、ロンドンで会おう。大事な話がある」
えっ
はあ!? ぞわりと気味の悪い汗が背中を伝ってこぼれ、掴まれた手首を振り解く力も出ない。はどうしても相手の目を直接見上げることができず、頑なに瞼を伏せながらうめいた。
「は……意味が、分からない。話があるなら、今ここですれば? お望み通り、ひとりよ」
「聞き分けの悪いお嬢様は面倒だな」
ロジエールは気だるげに息を吐き、そこからまたあのミントの香りが漂ってきた。何がお嬢様だ、自分が御坊ちゃまのくせに。吐き気がする。
「話があるのは俺じゃない。もう何年も前から、あんたに会いたがってる人がいるんだよ」
「……え?」
な、何を言ってるの。わけが分からず顔を上げると、すぐ目の前にロジエールのしたり顔があり、ぎょっとしたは思わず後ずさろうとした。
が、背後の壁に阻まれて身動きがとれない。ロジエールはニヤリと笑ってさらに声を落とした。
「知りたくないか。あんたの出生の秘密」
「な……なにを……」
「あんたは母親のことをどれだけ知ってる? 組み分けの変更なんて後にも先にもあんただけだ。ホガートの演習であんたのボガートが校長の姿になったのはなぜだ? あんたは自分で、自分のことがどれだけ分かってる?」
な
何を、言ってるの。鼓動がまるで蛇でものた打ち回っているかのように荒れ狂い、喉の奥から飛び出してしまいそうだった。向き合ったロジエールの暗い瞳が、それこそ蛇のように狙いを定めて動きを止める。どういうこと。母のこと、六年前の組み分けのこと。ダンブルドアのボガート……それを、あなたに説明できるとでも?
「今日の六時、漏れ鍋の九号室だ。知りたければひとりで来い。知らなければ
後悔するぞ」
「?」
刹那、ロジエールの抑えつけた声に被せかけるかのように、聞き慣れた声がの名を呼んだ。彼の肩越しに姿を見せたのははっと目を見張ったリリーで、彼女は急いでこちらに駆け寄り、の身体をロジエールから引き剥がした。
「何をしてるの! が嫌がってるでしょう」
「へえ。過保護なエバンスさんは愛娘が男に口説かれるのも我慢ならないってことか? それくらい好きにさせろよ、はあんたのもんじゃない」
「わ、分かってるわ、そんなこと! でもが嫌がってるのにあなたは無理強いするでしょう。友達を守りたいと思って何がいけないの」
を庇いながら苛立たしげに捲くし立てたリリーを見て、ロジエールは隠しもせずに鼻先だけで笑う。
「『守る』? フン
いかにもグリフィンドールらしい、傲慢な言い草だな」
「な、何ですって! あなたにはどうせ、守るようなものもないんでしょう」
さらに声を荒げてリリーが怒鳴りつけると、ロジエールはまるで憐れむかのように顔を歪めて首を振った。
「可哀相に、あんたたちには絶対に分からないようなもんだ。じゃあ、
また、
ホグワーツで」
そしてリリーが何か言い返そうとする前に、さっと踵を返して通路の奥へと消えた。
「、大丈夫? また何か……変なことでもされてない?」
「う、ううん……平気。大丈夫。何でも、ない」
「本当? まったく、油断も隙もあったものじゃないわ。これからはトイレに行くときも、ひとりで行っちゃだめ!」
「えぇっ? そ、そんな……大丈夫だよ。今日は、たまたま」
「だめ! 何かあったらどうするの。何かあってからじゃ遅いのよ」
「でもー……」
ああ、またリリーが熱くなっちゃってる。は燃え上がったリリーを宥めるのに必死で、しばらくはロジエールに言われた時間と場所のことを忘れていた。
漏れ鍋の九号室に、六時。
(知らなければ
後悔するぞ)
行くことない。そんな必要性、ない。ロジエールが母のことなんか知ってるはずがない。わたしのことなんて
何にも、知るはずがないんだ。
けれども彼女は、友人たちに何も言えなかった。キングズ・クロス駅に着き、ホームでシリウスやジェームズたちに会っても、は何も言わなかった。そして漏れ鍋の一階で、彼らにしばしのさよならを告げたあと。
「ようこそ、お待ち申し上げておりました。ミス・・」
何が彼女を引き付けたのか。
漏れ鍋の三階、最も奥に位置するその客室を訪ねると、すでに到着していたエバン・ロジエールの形式ばった気味の悪い挨拶を受けることになった。