「ちょっと、帰りが遅かったから……先生も深刻な顔してたし、心配になって。迷惑だった?」
「……いや」
マクゴナガルのオフィスから出てきたシリウスは今にも泣き出しそうな顔をしていたが、の存在に気付くとすぐさま目尻を拭って気丈に振る舞ってみせた。つらいときは、無理なんかしなくてもいいのに。
「何かあったの?」
暗い顔をして押し黙ったままでいるシリウスの背にそっと腕を回して、尋ねる。彼はしばらくどこか遠いものでも見るかのように目を細めてから、思い直したように首を振った。
「いや、別に」
「……そう? 無理して話さなくても、いいけど。でもひとりじゃしんどいんだったら、言ってね。いつでも聞くから」
こんなところまで押しかけて、迷惑だったかな。でも口を噤んで前を向くシリウスの横顔が、あまりにもつらそうで。何も言わずにもう片方の手も相手の身体に巻きつけて抱き寄せると、シリウスはようやく息をついて赤い目でゆっくりとこちらを見た。
「……アルファードおじさんが、死んだ」
「え?」
ちょっと待って。なに。今、何て言ったの?
「おじさんが殺された。死喰い人だ。俺に全財産を残すって遺言書があったらしい。その手続きで、土曜にマクゴナガルと魔法省に行ってくる」
「ま、待って……そんな、嘘でしょう。おじさんが、何でそんな」
「俺だって分かんねーよ! おじさんは『真っ当』な純血一族の出なのにそんなことには無頓着だった、何か連中の気に障ったんじゃないか。俺だって分かんねぇよそんなことは!」
頭上で突然大きな声を出されてはびくりと身を強張らせたが、それに気付いたシリウスはすぐさまばつの悪い顔をしてまた項垂れた。
「……ごめん」
「ううん……わたしも、フィディアスが襲われたとき、すごく取り乱しちゃったし。わけ分かんなくなるの、当然だよ」
そんな。あのアルファードおじさんが。明るくて陽気で、ワイルドなのにとってもチャーミングで。実際に会ったことは三回くらいしかないけれど、とても優しくしてくれた。甥のシリウスには憎まれ口を叩いてばかりいたが、それもすべてが深い愛情からきていることなど誰の目にも明らかだったろう。だからこそシリウスも慕っていた。『ブラック』を棄てた後でも、頼ることができたのだ。
は予言者新聞を購読していたので、ここのところ死喰い人による襲撃事件がまた数を増したことには気付いていた。ホグワーツの学生の中にも、親族が事件に巻き込まれたという事例がちらほらと出始めているらしい。だが、まさかその中に
シリウスのおじさんが、名を連ねることになるだなんて。
何を言えばいいか、分からなかった。フィディアスが襲われたとき、シリウスがずっと傍にいてくれた。どれだけ心強かったか。けれど今回は、事情が違う。シリウスの家族が
わたしも知っているあのアルファードおじさんが、殺されてしまったのだ。何を言えばいい。下手なことを言って、大切なシリウスをこれ以上傷付けることなんて。
だから、今はただ、こうして傍にいることしか。目を閉じ、必死に堪えているシリウスの頭に両手を伸ばして、きつく抱き締める。
突然その場に崩れ落ち、シリウスはの腕の中で堰を切ったかのように泣き始めた。
RESOLVE TO BE 2
プロングスとパッドフット
十八回目のシリウスの誕生日は、どこかしらしめやかなものになった。シリウス自身がひどく落ち込んでいたし、事情が事情だけに周囲も安易に「おめでとう」などと口にはできなかったからだ。それでも、時間というものは刻々と過ぎ去っていく。シリウスの誕生日から一週間ほどが過ぎたある日のこと、はリリーやニースと一緒にジェームズたちの部屋に呼ばれた。
「どうしたの、ジェームズ? 何か大事な話でも?」
彼らの部屋を訪ねると、四人はそれぞれのベッドに腰掛けていたが、ジェームズは自分のベッドを明け渡してたちに座るように促し、自分は部屋の中心に腕を組んで立った。
「ごめん、急に呼び出したりして。でも君たちみんなに、ぜひ聞いてもらいたい話があって」
「ど、どうしたの改まって」
ここのところジェームズの悪戯心は鳴りをひそめているが、だからといってみんなを集めて突然真面目な話を始めるようなキャラクターでもない。一体何事かと訝っていると、ジェームズは恥ずかしそうに頭の後ろを掻きながら、徐にみんなを見渡して口を開いた。
「えー、あー……その、実は僕、進路ってまだ決まってなくて。マクゴナガルともいろいろ相談してたんだけど、いくつか迷ってるのがあったんだ。でも、今日決めた。僕は闇祓いになる」
ジェームズのそのあまりにも唐突な宣言に、一同は唖然と口を開く。も大きく目を見開いたまま、何も言えずにただ黙って親友の顔を見つめるだけだった。ジェームズはますますばつが悪い顔をしたが、思い直したように頭を振って今度は堂々と、深刻そうにその先を続ける。
「暗い世の中だ。それはみんなよく分かってることだと思う。僕のパパの友達にも、例の髑髏の集団に襲われて行方不明になってる人が何人かいるらしい。リンドバーグが襲われたのは一年以上前だ。そして
僕もよく知ってるシリウスのおじさんも、奴らの手にかかった」
はこっそりとシリウスのほうを盗み見たが、彼は胡坐をかいた上にがっくりと項垂れてひたすら押し黙っていたので、その表情を窺うことはできなかった。
「どうにかしたいって気持ちは昔からあった。僕ひとりにできることなんか限られてるとしても、だ。だけど今回のことでよく分かった。僕は奴らを許せない。奴らを憎む気持ちが確かにここにある。僕は自分にできることをやろうと思った
がリンドバーグのために癒者になるっていうんなら、僕は闇祓いの道を選ぶ」
誰もが言葉を失って、ただ呆然とジェームズを見つめる。彼は全員の顔をゆっくりと見返してから、最後にリリーの方へと向きなおった。
「危険が伴う仕事だと思う。それでも僕はこの国の現状を放っておけないし、奴らの暴挙をどうしても許せない。だけど、リリー、君を思う気持ちは他の誰にも負けない。それだけは自信を持って言える」
このタイミングでそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。驚いて目を丸くしたリリーはさながら兎のようで、すぐに耳まで真っ赤になり布団の上でもぞもぞし始めた。
「だから
僕が闇祓いになっても、一緒にいてもらえる? 絶対、とは言えないかもしれない。でも君のところに帰るって約束する。だから……卒業したら、僕と結婚してくれないか。少しでも早く、この暗い時代を終わらせるように努力する。だから、そのときもずっと……僕のそばにいてもらえたら……」
ちょ、ちょっと! こんなところでプロポーズ? ま、待ってよ、ちょっと、リリーも困ってるじゃない!
リリーは真っ赤になりながらも困惑した様子で顔をしかめ、ジェームズの視線を避けるように目を逸らした。
「そういうことは、闇祓いになってから言ってもらえる? まだあなたがオーラーになれるなんて決まったわけじゃないでしょう」
「そ、それはそうかもしれないけど」
「あなたがどんな職業に就こうと、あなたはあなただわ。闇祓いだからとか、そうじゃないからとか、そんなことは関係ない。卒業したとき、そのときもあなたがわたしと結婚したいと思ってるかは分からないし、わたしの気持ちだって」
「僕の気持ちは変わらないよ」
そう告げるジェームズの眼差しはいたって真剣そのものだったし、その真摯な言葉を向けられて確かにリリーは揺れ動いていた。それを咳払いひとつで中断させたのはリーマスで、彼は徐にベッドから立ち上がり、ピーターらに軽く目配せした。
「僕たちはそろそろお暇しようか。リリー、汚いところだけどゆっくりしていって」
「え? そ、そんなのいいわ。わたしたちそろそろ帰るから」
「いーから! リリーはジェームズとゆっくりしてきて。それじゃ、後でね。ジェームズ、がんばって!」
は急いで立ち上がろうとしたリリーをベッドの上に押し戻し、ジェームズに声援を送ってニースらといそいそと部屋を出た。はあ……そっか。ジェームズが闇祓いに。去年卒業したアリスは見習いの試験に無事合格したらしく、二、三年は研修期間としてひとりの指導教官につき、実戦的な訓練を行うのだそうだ。そんな危ない仕事、やめてって何度も言ったのに……これと決めたら、決して引き返さない。それはきっと、ジェームズも同じ。
「」
ニース、リーマスらと男子寮の階段を下りている途中、は後ろからシリウスに呼び止められた。瞬きながら振り向くと、先ほどのジェームズに勝るとも劣らない真剣な面持ちでシリウスが上から覗き込んでくる。
「俺も大事な話があるんだ。どっか外で話さないか」
「え? あ、うん……いいよ」
何なんだろう、みんな。それとも
もうみんな大人なのだから、真面目な話をすることがこれからはもっと増えていくのかも。いつまでも、子供のように楽しいことだけやってはしゃいでいればいいなんて時期はとっくの昔に過ぎ去ってしまった。
ニースたちとは談話室で別れ、はシリウスのあとについてグリフィンドール塔を出た。太った婦人に早く帰ってらっしゃいよと注意されたので、分かった分かったと曖昧に返しておく。就寝時間まではまだ時間がある。ふたりはしばらく無人の廊下を歩き、小さな空き教室に入ってドアを閉めた。
すっかり日も暮れた教室の中は窓から差し込む月明かりだけで薄暗く、傍らの壁にそっと手を添えたシリウスの横顔はほとんど表情が窺えない。彼のほうから何か言い出すまで、は隣に立ってじっと待とうと決めた。
「……先、越された」
「え?」
「……プロングスのやつに、先、越された」
心底歯痒そうな声でそう呻いたあと、シリウスは顔を上げてこちらを向いた。それでも、暗闇に浮かぶ彼の眼光がまともに見えるようになったわけではないが。
「俺もずっと考えてたんだ。俺に何ができるか、自分が何をすべきなのか。でもようやく分かったんだ。俺はおじさんを、フィディアスをあんな目に遭わせた奴らを絶対に許さねぇ。俺自身の手で決着つけてやるって」
ま、待って。それってまさか。そんなこと。こちらの表情が変わったことに気付いたのだろう。宥めるようにの頬に両手を伸ばし、シリウスは静かに言った。
「闇祓いになる。俺じゃないとできないことなんだ、これは」
「……や、やだ」
気付かないうちに口に出してしまっていたのは拒絶の言葉で、だがそれを取り消す気は毛頭ない。は彼の手の中で必死にかぶりを振り、震えの走る唇をなんとか思うような形に動かした。
「やだ、そんなの。そんな危ない仕事……しないで。シリウスがならなくてもオーラーは他にいっぱいいるよ。忘れたの? デスイーターは……あのフィディアスに、正体の分からない呪いをかけられるような相手なんだよ。アルファードさんだって弱い魔法使いなんかじゃないでしょう? シリウスがそんな危ない仕事するの……わたし、やだ。お願い、考え直して」
するとシリウスは困ったような拗ねたような息を吐いて笑い、こちらの腰を抱き寄せながら鼻先にキスをした。
「なんだよ、ジェームズのときとまったく反応が違うじゃねーか」
「だっ……だってどうせジェームズは、言っても聞かないし」
「俺はそうじゃないって? これでも防衛術は自信あるんだけど、信用ねーんだな」
「ちが……そういうこと言ってるんじゃなくて、ばか!」
叩きつけるように声を荒げ、相手の胸を容赦なく殴りつける。不意を衝かれてシリウスは後退しかけたが、すぐさま踏み止まって暴れるの両手首を掴んで押さえつけた。
「心配なの! 相手は……よく分かんない魔法使いの集団なんでしょ。でももう何年も残酷な事件ばっかり起こしてる。魔法省も捕まえられないし、抑えられない。そんな凶悪犯にシリウスが向かってくなんて……シリウスは強い魔法使いだからとか、そんなこと関係ないよ。シリウスのことが心配なの。大好きだから。だから……もし、もし……シリウスにもしものことがあったら、わたし……そんなの、やだ。わたし、シリウスがいないと……」
分かってるくせに。わたしには、もう
シリウスがいないと。それなのに、自ら進んでそんな危ない橋を渡ろうなんて、なんて。
「だからだよ。分かるだろ?」
何が。何が分かるっていうの。子供のように不貞腐れた顔をして睨みつける。そんな顔するなよ、とささやいて、シリウスはまたの背を抱いた。
「今のオーラーには奴らを捕まえられないんだ。だったら、俺がやる。俺がやらないといけないんだ。フィディアスを襲った犯人がこのままのさばってる世の中でいいのか?」
「それは……でも、だけど」
言ってることは分かるけど、でも、だからってシリウスにそんな危ないこと、してほしくないよ。
シリウスは、とうとう耐え切れなくなって泣き出したの肩を抱いて、ゆっくりと床に座らせた。その手をきつく握り返して、嗚咽混じりに告げる。
「シリウスがどうしても闇祓いになるっていうんだったら、わたしもなる。一緒に戦う」
だがシリウスは、その台詞をすでに予想していたらしい。あやすように彼女の頭を叩き、
「お前はヒーラーになるんだろ?」
「でも……だって、シリウスが、」
「俺は俺にできることをする。だから、お前はお前にしかできないことをやれよ」
そんなの……ずるい。勝手に決めて、勝手に押し付けて。卒業したら、一緒に暮らそうって言ったよね。部屋に帰って、もしもあなたがいないって分かりきってたら? どれだけ待っていても、あなたは永遠に戻ってこないと分かっていたとしたら?
考えただけで、身体中を悪寒が走り抜けて。ぞっと身震いしたの肩をさらに深く抱き寄せて、シリウス。
「だったら、こうしよう。俺はフィディアスとアルファードおじさんを襲った犯人を捕まえる。絶対に捕まえてやる。そしたら闇祓いをやめる。お前のことそんなに心配させないですむ仕事にする。お前はヒーラーになって、フィディアスの呪いを解くんだ。俺は俺にできることをやる。だから、お前はお前にしかできないことをやるんだ」
わたしにしかできないこと。ヒーラーになって、フィディアスにかけられた呪いを解くこと。だから、シリウスはシリウスにできることを。
ああ、もう、何を言ってもだめなんだ。この人は、決して。
「……分かった。でも、約束して。あなたが、『家族』になろうって言ってくれたんだよ。だから
」
息が詰まりそうになる。瞬きをすれば互いの睫毛が触れ合い、シリウスはその奥からあまりにも優しい眼差しでこちらを見返してきていた。
「だから、無茶はしないで。何があっても……わたしのところに、無事に帰ってきて」
シリウスの表情が糸でも切れたように緩む。
その大きな手でそっと頬を撫でて、額を擦り合わせながら頷いてみせた。
「約束する。何があってもお前のところに戻るよ、」