「えええっ! ジェ、ジェ、ジェ……ジェームズと付き合うことになったの?」
「というか……まだ付き合ってなかったの?」

夜の寝室で恥ずかしそうに打ち明けたリリーの告白を聞いて、は素っ頓狂な声をあげたが、一方のニースはふたりがまだ付き合っていなかったことに半ば呆れていた。リリーは一瞬反駁しかけたが、非難の言葉を飲み込んで布団の上に座りなおす。女性陣は二階にあるの寝室に寝泊りし、シリウスたちは下の客間に寝袋を買ってきて過ごしていた。

「ええ、そう……ニースたちが気を遣ってくれて、ふたりでゆっくり話す時間ができたから。ありがとう」
「ううん、気にしないで。リーマスといろいろ話がしたかったのは本当だし。お役に立てたんだったら、よかった」

そっかぁ……ついに。それでジェームズあんなにも有頂天だったんだ。動物園から帰るバスの中でやたらと騒いでいたので、早速リリーに叱られていたけど。でもジェームズって多分、リリーに怒られるのがもはや快感になってるんだと思う。ちょっと危ない……ううん、恋ってそんなもんかな?
予備の布団はないので、の部屋にも寝袋をふたつ買ってきていた。そしてベッドを三人で交代に使うことにしている。その日はがベッドの番だったので、動物園で騒いですっかり疲れていたリリーたちとともに、も早々に布団の中に入った。だが電気を消して室内が静寂に包まれると、ふと昼間の爬虫類館のことを思い出してまた嫌な気分になった。シリウスに言われた通り、そのことは他の誰にも話していないが……蛇と話せるなんて、ちっとも嬉しくない。気持ち悪い。いやだ。何なんだろ、わたしって。イメージするだけでアニメーガスになっちゃったり、シリウスの家で杖もなくお父さんたちを吹き飛ばしちゃったこととか……ボガートのことだってそう。『普通ではない』ことが次から次へと思い出される。そして、ここのところよく夢に見る    母親の、こと。
わたしは一歳のときに母親と生き別れた、はずだ。それなのにここ数年、夢に見る母親といえば一緒に料理をしたり、散歩に出かけたり、読み書きの勉強を見てくれたり。願望の表れだと言われればそれまでだろう。だがしかし、その光景があまりに現実味を帯びて映し出されるのだ。あまりにも生活感のある庭や、なじみのある(ように思われる)白い犬や    わたしは確かにその景色を知っている(、、、、、)

(……気持ち悪い)

わたしはそれを確かに知っているはずなのに、まるで自分の記憶ではないような。わたしは、だれ。どうして、こんな記憶が。夢? それは本当に、ただの夢なの?

また同じ夢にうなされて目覚めたは、ぐっしょりとかいた汗をパジャマの袖で拭きながらそっと枕元の杖に手を伸ばした。日本に戻ってきてからは一度も使ったことがない。だがリリーやニースの言葉を思い出していた。

    ルーモス」

ふたりを起こさないようにと消え入りそうな声で唱えた呪文は、ほんの一瞬ぶれるような光を杖先に点しただけであっという間に散って消えた。うそ、そんな。たかが、ルーモス呪文で。だがその頃にはようやく、はニースが言っていた『違和感』がこれだということに気付いた。

Something goes Wrong

ナニカ

「皆さん、敢えて聞かされるまでもないでしょうが、今年は皆さんのホグワーツにおける魔法教育の集大成となる一年です。学年末には、皆さんの就職先に直接影響を及ぼすであろうNEWT試験も控えています。これまで以上の更なる精進を望みます」

もちろん、分かってはいたけれど。寮監のマクゴナガルは、初授業の開口一番、厳格そのものの口振りで七年生全員にそう言い放った。さすがのジェームズやシリウスも、重々しい面持ちで互いに顔を見合わせている。ああ、ついにきた……ホグワーツの生活も、残すところ僅か一年。この六年があっという間だったことを思えば、きっとそれこそ矢のように過ぎていくのだろうとはとても寂しく思った。

「あ、ピーター! 夏休みは大変だったね。これ、大したものじゃないけど、日持ちのするものってこういうのしかなくて……」

談話室で見かけた友人に、意気揚々と声をかける。シリウスたちとロンドンに戻ってきたあと、は夏休み中に一度ピーターに会って日本のお土産を渡したいと思っていたのだが、返ってきたフクロウ便によると残りの休暇は自分の時間がほとんど取れないほど忙しいようで、結局会うこともできずに新学期を迎えることになったのだ。
急いでいるのか、落ち着かない様子でもぞもぞしているピーターのもとに駆け寄り、準備していた包みを手渡す。

「これは前から父さんがよく送ってくれてた、おかきとか、あられとかだよ。あとこっちは、うちの近くの神社のお守り。みんなお揃いで買ったんだー。鈴がついててね、ほら、きれいでしょ?」

渡すときに袋を開いてピーターに軽く中を見せるていると、近くのソファに座って勉強していたシリウスが立ち上がり、後ろからの腰を抱いてずいと無遠慮に覗き込んできた。

「へえ、よかったなワームテール。なあ、俺もあられ欲しい」
「えぇ? だめ、これはピーターの。向こうでいっぱい食べてたじゃない。自分の分も買ってきてたでしょう?」
「あれがまだ俺の手元に残ってると思うか?」
「知らなーい。分かった、分かった、また届いたら分けてあげるから」

だから、恥ずかしいからみんながいるところでくっつかないでって!

「ありがとう、。それじゃ、僕、急いでマクゴナガルのところに行かないと……」
「え? そうなんだ。引き止めてごめんね、行ってらっしゃい」

曖昧に笑ったピーターはお土産の袋を持ったまま慌しく談話室を出て行った。どうしたんだろう、ピーター。なんか……ここんとこずっと、わたしのこと避けてるような気がする。わたし、何か彼の気に障るようなこと、した?
シリウスはもう一度抱き寄せての頬にキスすると、名残惜しそうにしながらも、固まって勉強している七年生のところに戻っていった。いけない、わたしも早く図書館に帰ってリリーと呪文学の課題を済ませないと。こんなときでもジェームズはクィディッチの練習。エースって、大変。
だけど今年のジェームズはこれまでの彼とは違う。シリウスがにプロポーズしたと聞いて、彼は自分も負けていられないと意気込んでいるのだ。それにはまず、リリーに相応しい男にならなければならない。そして堅実な仕事に就き、堂々とリリーの家族に挨拶できるような男になれば、そのときは、と。もちろん、リリーがジェームズとの関係についてそこまで先のことを考えているかは、分からないけれど。そのために、マクゴナガルとも相談して、真剣に就職先のことを話し合っているらしい。シリウスはというと、まだ職業パンフレットと睨めっこしたまま、どれもピンとこないと悩んでいることが多かった。

「リリー、遅くなってごめん!」
「いいえ、気にしないで。わたしもついさっき来たばかりだから。先に資料探してくる?」
「そーだね、そうしよう!」

は持ってきた教科書やノートを窓際の席に置いて、リリーと一緒に呪文学の棚に本を取りに行った。七年生になるとどの教科もこの六年の総復習、NEWT試験対策ばかりで、ずいぶん前に習った項目が何の前触れもなくポンポンと出てくる。そのためリリーとふたりで少しずつでも過去の重要ポイントをまとめ、分かりやすいノートを作っておこうということにしたのだ。

「出現呪文と消失呪文……ええと」

本棚の配置が変わったのか、以前は手の届くところにあった本がかなり高い位置に移されてしまっている。図書館で魔法は禁止だが、はリリーが向こうを向いている隙に素早く杖を取り出して、あっという間に目当ての本を手に入れた。
    魔法。そう、これだ。心地良い高揚感。自分の中に流れる魔法使いの血を、身体中で感じ取ることのできるこの瞬間。

やはりあの土地がおかしいのだ。どうして今まで気付かなかったのだろう。イギリスに戻ってきてからというもの、は何の違和感もなく元通り、思うように魔法を使えるようになった。シリウスやジェームズ、ニースたちも同じらしい。あの町だけがそうなのか、それともそういったスポットが世界中に存在しているのか。故郷であるはずのあの町に馴染めずにいたのはひょっとして、魔法使いとしての血がそのことをすでに知っていたからではないかとさえ、は少なからず考えるようになった。
いや、でもまさかそれは……きっと馴染めなかったことへの、言い訳。

「それじゃ、、また後でね」

一通りの課題を終えると、リリーはマグル学のことで質問があるからと先に図書館を後にした。クィディッチの練習もそろそろ終わる時間だし、その後はジェームズと一緒に勉強でもするのだろう。もリリーもあまり人前でイチャイチャするのは好きではないのだが、残り一年の学生生活を悔いなく過ごしたいという思いは変わらない。何を優先するというわけでもなく、ただ、今この瞬間を大切な人と過ごしたいと。

もう少しやったら談話室に戻ろうかと考えていると、タイミングよく勉強道具を持ったシリウスがひとりでやって来た。それともリリーが帰ってきたのを見て、迎えにきてくれたのかもしれない。優しい人なのだ、本当は。ただそれを表せるほど、素直ではないだけ。不器用なだけで。

、冬休みはどうする?」

薬学の復習に苦戦してぐったりしているの頭を撫でながら、シリウスが聞いた。

「……うん。この冬は、日本に帰ろうと思ってるよ。最後の休みだから……卒業したら、仕事のこともあるし……夏に帰れるとしても、バタバタしちゃうだろうから」
「そうだな。それがいいと思う。お父さんとゆっくりしてこいよ。ずっとイギリスに残ってばっかだったもんな」
「シリウスは? またジェームズのところ?」
「あー……まあ、最終的にはそうなると思うけどな。でもその前に、おじさんのところに寄ってく」
「おじさん? って、アルファードさん?」

不意を衝かれて瞬きながら顔を上げると、シリウスはそのまま右手を彼女の頬まで下ろしてなぞった。

「俺があの家を出て、何だかんだでずっと面倒見てくれてたからな。卒業してからのこととか、将来のこととか……まあ、いろいろ話してくる」

後半部分を口にするときシリウスは少しだけ赤くなったが、はそのことには気付かず、「そっか、そうだよね。今のシリウスの親代わりみたいなものだもんね」と答えた。

しかし、そのことは叶わない。十八回目の誕生日を迎える直前    大広間で友人たちといつものように夕食を摂っていたシリウス・ブラックを、深刻な面持ちでローブを翻したミネルバ・マクゴナガルが呼んだ。
    今、何て」

何を言ってるんだ、マクゴナガルは。そんな、嘘だ。そんなこと、あるはずがない。悪い冗談だ、そうに決まっている。今日はエイプリルフールだったか? まさか、まだ十一月だ。そんな、馬鹿な。
だがマクゴナガルは苦しげに眉根を寄せただけで、到底冗談とは思えないような眼差しで、静かにかぶりを振ってみせた。

「昨夜、あなたの叔父様にあたるアルファード・ブラック氏が殺害されました。現場には……例の髑髏が上げられていたそうです。犯人はまだ、捕まっていません」

身動きひとつ、とれなかった。重々しい沈黙の中、自分の鼓動だけが速度を上げ、のた打ち回って飛び出してしまいそうな。嘘だ、そんな。あんな能天気な顔をして自由を謳歌していた叔父が、どうして殺されなければならない。夏に会ったときだって、いつもと変わりはなかった。俺は学生と違って暇じゃないんだとめんどくさそうな顔をしながらも、日本旅行の費用を十分なほどに出してくれた。もう一年、あと一年でお前というお荷物から解放される、そのときはアメリカにでも移住して面白おかしく暮らすかと、冗談めかして言っていたのはついこの間のことだったろう。クリスマス休暇には、真面目な話をしたいとあれほど言っておいたのに。

「ブラック氏には家族がいませんでしたから……遺言書が見つかり、自分にもしものことがあった場合は全財産をあなたに譲ると明記してあったそうです。手続きの都合があるので、週末にでも魔法省に直接来てほしいと。わたしも同行します。よろしいですね?」
「……うそだ」

ようやく絞り出せた声さえも、自分のものではないようで。目の前の景色が霞み、シリウスはマクゴナガルの瞳に浮かぶ悲しみの色に気付かなかった。

「嘘だ、あの人が死ぬわけない。革命だ、血筋だ……そんなものとは縁遠いところで生きてるような人だ。よりによってあの人が、何で殺されなきゃいけないんだ! そんなわけない、殺される理由なんか!」
「そういう時代だということが、分からないのですか」

涙のにじむ目を開き、眼前の寮監をもう一度見つめる。彼女はあくまで毅然と振る舞い、すっくと立ち上がって明瞭に言い放った。

「魔法界は今、空前の混乱期にあります。史上最高の魔法使いのひとりであるダンブルドアがいる以上、この学び舎は安全でしょう。ですが誰もがいつまでもホグワーツに留まっているわけにはいかないのです。ブラック、あなたも半年後には他の卒業生たちと同じようにこの学び舎を後にするでしょう。そのとき、今ある現実と正しく向き合わなければなりません。何のための防衛術ですか。リンドバーグの悲劇に向かい合ったあなたなら、そんなことは当然お分かりだと思っていましたが?」

思わず息を呑み、瞼を伏せる。フィディアス。リンドバーグ。三年生のときの防衛術の教授、の母親の同級生。が兄のように慕い、改めて俺のことを紹介しようとしてくれていた。あれから一年以上が過ぎたというのに、事態は進展していない。何ひとつとして。こんな理不尽なことがあるか。
だがしかし    確かにそれが、現実だった。

マクゴナガルがデスクを回り込んでこちらに歩み寄り、項垂れるシリウスの肩にそっと手をかける。

「受け入れたくない気持ちは、よく分かります。大切な人を失うことほどつらいことはありません。悲しむ気持ちがなければ、立ち向かうこともできないでしょう。ですがあなたは、決してひとりではないでしょう?」

何も言えなかった。答えられなかった。けれど    確かに俺は、ひとりではない。

「土曜日は、一緒に魔法省まで行きましょう。時間は追って知らせます。今日はゆっくりお休みなさい」
「……はい」

駄目だ。このままここにいたら、声が嗄れるまで泣いてしまいそうだったから。おじさん。アルファードおじさん。何で、こんなことに。アルファードおじさんがいたから、だからこそ家に背を向けることもできた。ブラック家の中にも、ああいった自由な大人がいてくれたから。だから、それなのに。

震える唇を引き結び、なんとか嗚咽を飲み込んでマクゴナガルのオフィスを後にすると、扉のすぐ脇にしゃがみ込んだの姿があった。
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(09.07.16)