「ごめんね、ニース。せっかくの夏休みなのに、僕なんかと一緒に過ごす羽目になって」
「ううん、とんでもない。いろいろ話せて楽しいわ。それに、メンバーを考えると、こうなることは最初から分かってたようなものだから」
「……言えてるね、それは」

苦笑を漏らしたリーマスの声が、次々と打ち上がる花火の音に掻き消されて散っていく。小さな町の花火大会だ。さほど大規模なものではないが、打ち上げ場所が近いせいかずいぶんと迫力がある。神社を少し離れた川岸に並んで腰かけ、ニースとリーマスはふたりで夜空を見上げていた。

「こんなところ、ブルーノに見られたら僕はきっと無事には帰れないだろうね。彼は今回のキャンプのこと、知ってるのかい?」
「ええ。でも、関係ないわ。わたしたち、別れたの」

リーマスの反応は予想通りのものだった。不意を衝かれ、ただただ呆然としている。ここで言う必要はなかったか? けれども言葉のほうが先に口を突いて出た。構わないだろう。何もかも話さなくても。これまで、ほとんど接点のないところで過ごしてきた、同級生。リーマス・ルーピン。リリーと共に監督生を務める、グリフィンドールの六年生。ジェームズたちの、友人。

「……ごめん。でも、そんな……僕が彼と話したのは、本当に卒業直前のことで」
「男と女って、ほんの一瞬で崩れるの。ううん、男と女に限らなくても    ほんの一瞬のことで、変わってしまうこともある。そういうものでしょう?」

何を言っているのだろう、わたしは。彼に鎌をかけている? 何のために。リーマスは、確かにいい人だ。とても。それはこの半月ほどを一つ屋根の下で暮らしてみて、よく分かった。でも、それだけのことではないか。こうしてふたりになることがあれば、彼はいろいろなことをよく話す。こちらが話すことだって何でもしっかりと耳を傾けてくれる、知らないことがあれば問いなおすことのできる素直さもある。でもそれは    最も深いところにあるものを、隠すため。いつも一歩、もしくは数歩引いたところに収まっている彼には、こちらも腹を割って向き合うことはできない。ジェームズは、彼の秘密を知っているのだろうか。シリウスは、そしては。

「そう……かも、しれないね。絆なんて、思ったよりずっと脆いものだ。でも君は    ずっと、友達なんだろう? も、それにリリーも」

ずっと、友達。遠い昔の苦々しい記憶に神経を尖らせながらも、ニースはなんとか笑顔を見せて頷いた。

「そうね。いろいろあったけど……もリリーも、こんなわたしとずっと友達でいてくれた。でもそれは、あなたたちも同じじゃないの? ジェームズ、シリウスに    ペティグリューも」

彼女はそのとき、明るい花火に照らされたリーマスの瞳に暗い影がちらつくのを見た。だがそれは、思い違いだったのかもしれない。そうだ、こんなにも曖昧な光の中で、そんなものが見えるはずもない。

「そうだね。大切な友達だよ。ジェームズもシリウスもピーターも    それに、もね。彼女は……不思議な子だよ、とても」

その言葉を聞いて、ずっと胸の奥に燻っていたものが再び湧き上がってきた。抱えた膝の上に顔を載せてぼんやり空を見つめるリーマスの横顔に、やっとのことで問いかける。

「リーマス……ひとつ、聞いてもいい?」
「え? 僕に?」

リーマスは心底驚いた様子でこちらを見た。彼女は少し躊躇ったが、抑えきれずにそれを口にする。

「……あなた、のこと、好きなんじゃない?」

そんなことを暴きたいわけじゃない。けれど、聞かずにはいられなかった。彼が本当にのことを好きなのだとすれば、それはあの頃の自分と同じだから。の傍にいることがつらくてたまらなかった、その当時のことを思い起こすと。耐えられるのか、こんなところで一ヶ月も同じ時を過ごして    彼も人間ならば、そんなことに本当に耐えられるとでもいうのだろうか?
花火の光がやんだ。近くに街灯はあるものの、それを背に受けたリーマスの表情はまったく窺えない。彼はしばらく身じろぎひとつしなかったが、やがて落ち着き払った声で静かにこう囁いた。

「……好きだよ。誰でも、好きになるだろう。彼女は、そういう子だよ」

聞いているのは、そういうことじゃない。そんなことはリーマスだってよく分かっているだろう。言いたくなければそれでいい。これで終わるだけだ。いつか、わたしのように破裂する    それを、望まないだけ。それとも彼は、諦めたのだろうか。そうでなければ、今こんなところにいられるはずもないか?
徐に立ち上がったリーマスが、浴衣の尻を軽く叩きながらつぶやく。

「終わったのかな。そろそろ、あの狐のところに戻ろうか」
「そうね。そうしたほうがいいかも    あ、まだ赤い花火が……」
「……赤?」

ぼんやり見上げた夜空に、赤々と打ち上がる一筋の火花を見て。

「ええぇぇぇっ!」

誰か迷子になっちゃったの!?
ふたりして顔を見合わせると、ニースとリーマスは赤い花火の上がった方向へと、下駄で可能な程度に全速力を出して駆け出した。

at panic stations

動物園にて

結局、赤い花火を上げたのはジェームズということが判明したが、彼は色とりどりの巨大な花火を出そうとしてどうやら失敗したらしい。誤って赤いものを打ち上げてしまい、大急ぎで駆けつけたリーマスたちに、心配させないでくれと怒られていた。

「なんだ、お前、偉そうに人のことさんざん貶しておきながら、自分だってまともに花火くらい出せねーのかよ! くだらねぇ!」
「う、うるさいな、ちょっと調子が悪かっただけだよ! 大体、僕はお前ほどひどかない、お前は火だってまともに焚けなかっただろ、偉そうに言うな!」
「もう、やめようよ……みんな疲れてるんだよ。今日はもう帰って早く寝よう? みんな無事だったんだから、良かったじゃない」

たちが『巫女の岩』から少し遅れて戻ると、待ち合わせ場所にいたのはジェームズとリリーだけだった。ジェームズによると、ニースとリーマスは積もる話があるからとふたりでどこかに行ってしまったらしい。花火が終わったらまた同じ場所に集合。それは明らかにあのふたりが自分たちに気を遣った結果だと分かったので、とリリーは少なからず負い目を感じたが、せっかくニースたちが作ってくれた時間なので有効に使うことにした。とシリウスはジェームズたちとは反対方向の池のほとりでのんびりと花火を見て、さてそろそろ帰ろうかという時になってあの赤い花火が上がったというわけだ。

「それにしても……なんだか、少し、おかしいわ」

家に戻り、近くの銭湯でゆったりと湯船に浸かりながら、顔をしかめたリリーが言った。

「え、何が?」
    魔法よ」

女風呂には三人の他は誰もいなかったが、声を潜めて、リリー。はその意味をよく飲み込めず、首を傾げながら聞き返した。

「魔法がどうかした?」
「おかしいと思わない? ジェームズにシリウス、それにあなただって、明かりをうまくつけられなかったんでしょう? ニース」

それまで鼻の上まで湯船に浸かって黙り込んでいたニースが、お湯から顔を出して気だるげに顎を引いた。

「そうなの? それってルーモスが、うまくいかなかったってこと?」
「……そう。さすがにちょっとショックだったけど、でもジェームズもシリウスも調子が出ないって聞いて、おかしいなとは思ってたの。なんだか……杖を持ったときにね、ちょっと違和感があるというか。うん、まあ……初めての土地に来て、多分調子が狂ってるっていうのもあると思うけどね」
「ふーん……そうなんだ」

どういうことだろう。は日本に戻ってきてから一度も魔法を使っていないので、ニースが言っているその感覚はよく分からなかったが。

「うちの父さんはマグルだし……こういうときに相談できる大人が近くにいないっていうのはちょっと不便だね。何なんだろう、ひょっとしてイギリスの魔法って日本だとうまく作用しないとか?」
「そんな。魔法に国境があるなんて聞いたことないわ」
「ねえー! 僕たちそろそろ出るけど、リリーたちはまだ出ない?」

リリーがそんなはずはないとかぶりを振ったそのとき、高い天井の向こうからよく通る声でジェームズが叫ぶのが聞こえてきた。誰もいない時間帯を狙って来ているので毎日がこんな調子だったが、やはり入浴中に男友達の声がするというのはどうも落ち着かない。は気恥ずかしさを隠すようにやたらと大声をあげてそれに答えた。

「もう出る!」
シリウスたちは初めての国ということもあり    その中でも特にジェームズは、毎日どこかに出かけても好奇心は衰えなかった。そしてとうとう明日はリーマスが一足先にイギリスに戻るという前日、たちは少し足を伸ばして地方に唯一の動物園に行くことにした。

「懐かしい! 動物園なんて僕、何年ぶりかな!」
「俺、行ったことない」
「うん、まあお前はないだろーな。あ、残念! 動物園に犬はいないぞ残念ながら」
「どっちでもいいそんなことは!」
「あら、シリウスは犬が好きなの?」
「べっ別にそういうわけじゃ」
「パッドフットは犬の友だからね。友達がいなくて寂しいだろう」
「どっちでもいいって言ってるだろ!」

一時間に二本のバスを乗り継いで訪れた動物園はもほとんど十年ぶりだった。あんまり嬉しくない思い出もあるけど……でもやっぱり、みんなと動物園って楽しい。フラミンゴ、ペンギン、キリン、ライオン、ゾウ……シカのコーナーでジェームズが思わず「うん、僕の角のほうが立派だな」と呟いたときは、シリウスが彼の後頭部を思い切り叩いてまたふたりの喧嘩になりかけた。幸い、リリーとニースには聞こえなかったようだが。
正午を過ぎた頃に、たちは園内のレストランで昼食を食べた。ゴリラの食事、ゾウの食事などという人間用にアレンジされたメニューもあり、ジェームズは僕がゴリラにするからお前はゾウにしろといってシリウスを巻き込み、お昼の時間もそれはそれは騒がしかった。

「はー、お腹いっぱい! けっこうボリュームあったよな?」
「そうだな。ほとんど果物だらけだったけど」

レストランを出て再び夏の日差しへと飛び込んで、ジェームズ。シリウスが思い切り伸びをして振り向いたとき、遅れて外に出てきたリーマスがこう言った。

「それじゃあこのあとは別行動にしようか。みんな、それぞれ見たい動物も違うだろう? 僕はニースと回るから」
「え? でもみんな一緒に回っても……リーマス、あんまりわたしたちに気を遣わなくていいよ。ニースも。花火のときだってふたりとも気遣ってくれたんでしょ?」
「ううん、いいんだ。せっかくなんだし、それじゃあ僕らだってかえって気を遣うよ。ニース、僕と一緒に回るので構わない?」
「ええ、もちろん。そんなに大きな動物園じゃないし、また後で会いましょう。じゃあ」

気楽に笑ってこちらの肩を叩いたニースは、困惑した様子のリリーにも気にしないでと告げて、早々にリーマスといなくなってしまった。なんか……ほんとに悪いな。あのふたりがお互い好き同士ならともかく、ニースにはブルーノがいるし。リーマスは好きな人とかいないのかな。あー、ごめん、ふたりとも、ほんとにごめん。

「なんかいっつもあのふたりには悪いな……じゃあ、僕たちも行くよ。後でね」

そうは言いつつも、やはり幸せそうに顔を綻ばせたジェームズはリリーと一緒にニースたちとは反対方向の道に消えた。残されたとシリウスはしばらくその場にたたずんだまま、左右に分かれた目の前のコースを見て。

「どっちにする?」
「……うーん、そうだな、まあどっちでもいいけど」

矢印のついた案内板を見つめ、それからシリウスはジェームズたちの進んだ左の通路を一瞥した。

「右にするか」
「そう言うと思った」

苦笑を漏らして、ニースたちが消えた通路に爪先を向ける。はポケットに突っ込まれたシリウスの左手を引っ張り出して繋ぎ、木陰の中を通って次の動物コーナーを目指した。
別行動になったあとの園内も楽しかった。自動販売機ではシロクマやアシカ用の餌を買うことができ、投げ込んだ魚をアシカなどはとても器用にキャッチしてみせる。キツネのコーナーは幼い頃のトラウマがあるので行きたくないとごね、そこを避けてたどり着いたフクロウの檻に見慣れた森フクロウが停まっているのを見て、とシリウスは同時に噴き出した。

「ムーン!」

ホーと鳴いてこちらの肩に飛び乗ったムーンは恨めしそうにじっとを見た。仲間外れにしているつもりはなかったが、いつもはよく構ってくれる夏休みに主人が毎日のように友達と出かけていくものだから、寂しい思いをしていたらしい。それにしてもわざわざこんなところまでついてくるなんて! ごめんごめんと頭を下げて、はムーンの羽を優しく撫でてやった。

「ごめんな、ムーン。みんなでお前のご主人様を取っちまって」

まったくだとばかりにムーンは威嚇の姿勢を見せたが、それをうまくかわしてシリウスが頭を掻くと、今度は気持ち良さそうに鳴いてあっさりとシリウスの肩に飛び移った。ほんと、現金な子。
そのあとカバやサイのコーナーでニースたちと遭遇したが、軽く言葉を交わしただけでふたりはまた霧のように消えてしまった。ひょっとして、カップルたちと一緒にいるのは忍びないとでも思っているのだろうか。あーごめん、ほんとにごめんふたりとも!

「このへんはあれで最後だな」

入り口でもらってきた園内ガイドを見て、シリウスが奥の小さな建物を指差す。はまたこちらの肩に飛んできたムーンの頭を撫でたまま、げっ、と声をあげて固まってしまった。

「なんだ? またトラウマでもあるのか?」
「トラウマっていうか……だってあれ爬虫類館」
「そうだな。あとコウモリもいる」
「コウモリは別にいいんだけど、だって、蛇って……気持ち悪いもん」
「まあ、俺だってそりゃ蛇なんか好きじゃねーけど。でもコウモリは見てみたい。なあ、ちょっとでいいから覗いてみないか?」
「うー……だって、へび……」
「嫌ならここで待ってるか? 俺ちょっとだけ行ってくる」
「う……やだ。それだったら、行く」

置いてけぼりが嫌ってわけじゃないけど。そこまで子供じゃない。でもせっかくシリウスといるんだし。こんなところにシリウスと一緒にいられるって、こんなこと想像できた? 泣き出しそうな顔で口を噤むの頭をあやすように撫でて、シリウスは気楽に言った。

「蛇なんか見なくていーから。コウモリだけちょっと見てこようぜ」
「……うん、行く。大丈夫、行く」

でも爬虫類館なんて今まで行ったことがない。小さいときに父さんと来たときも、蛇というだけで大泣きして(図鑑で見たときから多分嫌で嫌でたまらなかったのだと思う)一度も足を踏み入れなかった。でも、うん、大丈夫。シリウスの言う通り、見たくないものは見なければいいんだ。はシリウスの腕にしっかりとしがみついて、ひんやりした薄暗い館内へと入っていった。やだな……闇の中で淡く光る赤色の照明が実に嫌な雰囲気を醸し出している。一方ムーンはもともと夜行性の生き物ということがあるのか、やたらと嬉しそうにホーホー鳴いていた。

異変に気付いたのは、そのときだった。

「……はあ。うっせーなぁ。一体なんだよ?」

声がしたのだ。確かに。誰か他の客でも来たのだろうかと振り向いたが、それらしい人影は見当たらない。空耳か。ムーンの鳴き声に紛れて、何かの自然音が人の声に聞こえただけかもしれない。実際、シリウスは何も気付いた様子はなく、突然弾けたように振り返ったを不思議そうに見ていた。

「どうした?」
「あ……ごめん。ねえ、今、何か聞こえなかった?」
「え? いや、ムーンがやたらと興奮してるけど」
「あー……うん、そうだね。多分、空耳……」
「おい! そのうっせーの黙らせろ!」
「ほんとよ。まったく、今何時だと思ってるの?」
「これだから人間は……いい加減にしろよ、うるさいって言ってるだろ」
「……え? へっ?」

なに。一体なんなの。突然複数の声が激しい調子で捲くし立てるのを聞いて、はわけが分からず薄がりの中で必死に目を凝らした。それでも、自分たち以外の人間は誰もいない。ムーンがしきりに鳴き声をあげる他は、先ほどの声が非難がましく続くばかりだ。

「出てけよ! ったく、ゆっくり休んでるってのにさ」
「聞こえないとでも思ってるのかしら。馬鹿にしないでよね、蛇だって怒るのよ」
「……え、え、え、えっ……えっ?」
「おい、、どうした?」
「もー、いいからそのうるさいの黙らせてって言ってるでしょ! なに、鳥? フン、この能無し!」
「ちょ、ちょ……え、えっ、え!」

なに。なに、なに。意味が分かんない。なに、何がどうなってるの。ねえ、これは一体    『蛇だって怒るのよ』? まさか、そんなことが。まさか。

、なあ、どうした?」
「どっ……どうって、そんな、その、」

ありえない。そんなこと、あるはずがない。頭の中が引っくり返りそうになって、はシリウスを置いてひとり建物から外に飛び出した。明るい日差しに一瞬目が眩みそうになり、慌てて手をかざしながら身体中で激しく息をする。驚いて飛び上がったムーンは恨めしそうに鳴きながら近くの木の枝に飛び移った。

! どうしたんだよ、いきなり……」

すぐさま追いかけてきたシリウスが混乱したように頭を掻きながら聞いてくる。は彼の視線を避けて顔を逸らし、脈打つ胸元をきつく押さえつけた。

「だ、だって……聞こえた? ねえ、さっきの声……聞こえた?」
「……声?」

シリウスの顔を見ていれば覚えがないことは明白だった。うそ、そんな。わたし、ひょっとしておかしくなっちゃったの? 心配そうに覗き込んでくるシリウスの胸に縋りついて、は何度も頭を振った。

「ない、ないないそんなの、あるわけない……」
? どうしたんだよ、声って……」
「聞こえたの! 何人も……声がして。ないよ、そんなの……うるさいって、黙らせろって……蛇がしゃべるとか、そんなのあるわけないよ、ねえ、そうだよね?」

シリウスは訝しげに眉をひそめたが、どういうわけか程なくしてはっと目を見張った。後ろの爬虫類館を振り返り、そしてもう一度を見て、信じられないものでも見るかのように瞬く。そんな彼の表情が何を意味するのか、このときのにはまったく分からなかった。

「……聞こえたのか? その    蛇の、声」
「わ、分かんない……でも、だって爬虫類館に入ったとき……いろんな人の、声がした。ムーンがずっと鳴いてて……うるさいって、蛇だって聞こえてるんだぞって……でも、でもそんなの……分かんないよ、わたし、おかしくなっちゃったのかな。そんなの……こんなこと、今までなかった。みんなの聞こえない声が聞こえてるなんて……」
    いや」

重々しい声で呟いたシリウスは、戸惑うの肩をきつく抱き寄せて言った。

「……ないわけじゃ、ない。そういう力を持った魔法使いっていうのは……いないわけじゃ、ない」
「えっ? へ、蛇の声が聞こえる魔法があるってこと? でもわたし、そんな魔法……」
「魔法じゃない。なんていうか……生まれ持った能力だ。習得できるような類の魔法じゃない。そういう能力を持った魔法使いっていうのは……滅多にいないけど、確かに歴史上には存在すると    言われてる。俺だって実際に見たことがあるわけじゃない」
「うそ……そんな力、わたしに? でもそんな……まさか、だってシリウスだってできないようなこと」
「先天的なものだって言っただろ。どうにかできるような魔法じゃないんだ。でもまさか……お前が」

彼の声の響きにどこか不吉なものを感じては身震いしたが、こちらの顔を覗き込んだシリウスの瞳はそれ以上にずっと深刻なものを含んでいるように見えた。

「誰にも言うな。多分……そのほうが、いい」
「ど、どうして? そりゃ、別に言い触らしたいとか思わないけど……」
「そういうことじゃない。そういうことじゃなくて」

額に手を当ててしばらく考え込んだシリウスは、慎重に言葉を選んで徐にを見た。

「……これから話すことは、あんまり、気にするなよ。蛇と話せる能力を持つ魔法使いは、『パーセルマウス』って呼ばれてて……歴史に残るパーセルマウスは、闇の魔法使いが多いんだ。この能力は遺伝するものだから、だから……蛇と話せるっていうのは、あんまり、いい印象を持たれない。蛇ってだけで、どっか不吉だしな。俺たちには何も聞こえないんだ。誰にも聞こえない声が聞こえるっていうのは、気が触れる前触れだとか……いろいろ、つまんねー話だってある。だから、多分……誰にも言わないほうが、いいと思う」
「………」

パーセルマウス。闇の魔法使い。遺伝。そんな    それじゃあわたしは、その歴史に残るような闇の魔法使いの、子孫ってこと? 事故でアニメーガスになってしまったとき、シリウスがひょっとしたらわたしの先祖にはとんでもない魔法使いがいるのかもしれないと冗談めかして言っていたことを思い出した。

「気にするなよ。だからお前がどうってわけじゃないんだ。ただ、滅多にない能力を生まれつき持ってるって……それだけのことだ」
「でも、だってシリウスだってさっき……」

ちょっと不吉そうな顔、した。口には出さずとも顔には出ていたのだろう。シリウスは宥めるようにそっとの額にキスすると、背中に腕を回してぎゅっと抱き締めた。

「ごめん。でも、ちょっとびっくりしただけだ。まさかこんな身近に……いるとは思わなかった」
「……嬉しくないよ。蛇と話せたって。びっくりした。すごく……こわかった」

おかしくなったのかと思った。自分でさえそうなのに、他の人が不吉だって怖がるのも無理はない。シリウスはさらに力を込めての痩躯を自分のほうに引き寄せた。

「いきなりだったら、そりゃ誰だってびっくりするだろ。これからはもう大丈夫じゃねぇ? 今度話しかけてきたら言い返せばいい。どっか行けってさ」

少し茶化した様子で言ってくるシリウスの顔を見上げて、小さく噴き出す。そうだねといって微笑むと、シリウスはまた額に優しくキスを落としてくれた。シリウスの腕の中。安心する。さっきまでの恐怖が嘘のよう。でも爬虫類館なんてもう二度と行かないとはかたく心に誓ったのだった。

彼が敢えて語らなかった伝説がひとつあるということを彼女が知るのは、もう少しだけ先のこと。
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(09.04.13)