「はクリスマス、どうするの?」
問われて、ベッドに寝転んでいたは首だけで声の方を向いた。部屋に戻るといつものように綺麗に洗濯してベッドの上に置かれていた寝巻きを羽織りながら、ニースがこちらを見ている。
「どうするって?どういうこと?」
「え、ひょっとして聞いてないの?」
不思議そうに瞬いて、ニースはあとを続けた。
「クリスマス休暇
もちろん、あなたも実家に帰るでしょう?」
CRITICAL HIT
曖昧な不安は、確信へと変わる
二週間というほんの短い休暇中、日本に戻るなんてことはこれっぽっちも考えていなかった。けれども周りの友人たちはほとんど全員が家に戻るようで、は回されてきた『城に残る人リスト』に名前を書こうかどうしようか、真剣に悩んだ。ニースもクリスマスは当然家族と過ごすものだと思っているようで、の握り締めたリストには目もくれなかった。ああ、どうしよう……今のところグリフィンドール寮でホグワーツに残るのはたった四人で、みんなよく知らない上級生ばかりだ。
談話室の隅で羽根ペンを握り、ただひたすらリストと睨めっこしていると、突然談話室のドアが乱暴に開いて、鼻息も荒くブラックが戻ってきた。暖かい談話室でくつろいでいたグリフィンドール生たちは一斉にそちらを向き、何人かの男子生徒は「どうした?シリウス」と声をかけていたが、ブラックは「何でもねえ!」と怒鳴りつけてさっさと男子寮に上がっていった。呆気に取られて、も他の寮生たちと同じように彼の消えた階段を見上げて目をぱちくりさせる。どうでもいいよ、あんな男、どうだっていいけど……けれども彼が、あそこまですごい剣幕で談話室を突っ切っていくなんて、初めての光景だった。
あとでこっそりジェームズに聞いたところによると、ブラックはどうやら例の『レイブンクローのお姫様』と喧嘩別れしてしまったらしい。「二ヶ月か、まあよく持ったもんだ」とジェームズは肩を竦めた。
「え?そうなの?でもあの二人、いい感じだってみんな噂してたよ?」
「それはビジュアル的な話だろう?確かにあの二人が並ぶと絵になるけどさ、シリウスがああいうタイプの子と続くなんて僕は思ってなかったね」
そんなもんなんだ。さすが、幼なじみ。けれどもは、ブラックがフリーになったことでまた彼がジェームズにべったりになるかと思うと心底がっかりした。せっかくジェームズとのお喋りの時間がたくさん作れるようになったと思ったのに。
「あいつは本質的に自由を求めるようにできてるんだ。それをあの子、ちょっと束縛しすぎたな」
「ふーん……でもさ、いいの?そんなこと私なんかにぺらぺら喋っても」
「えー別にだめって言われてないし。いいんじゃない?なら。僕だって他の友達にこんなこと喋ったりしないって、あいつは知ってるからさ」
「それはそれは……どうも」
嬉しいような、物悲しいような。複雑な気分。要は私、ジェームズにもブラックにも、『女』ってあんまり認識されてない?いや、まあ……どうだって、いいけどね。
「あ、。それ、何?」
物憂げに頭を掻きながらジェームズの指差したところを見ると、は自分のローブのポケットからはみ出した羊皮紙に気付いて「あっ!」と声をあげた。
「し、しまった……ばたばたしてて、忘れてた!」
「何なの、それ?」
既にポケットの中でくしゃくしゃになっていたそれを取り出してジェームズに見せる。すると彼は目を丸くしての顔を覗き込んだ。
「え、まさか、休暇中ホグワーツに残ろうとしてる?」
「えーと……うーん、まだ考え中。それでずっとポケットに入れっ放しで、すっかり忘れてた」
「どうして?やっぱり日本って遠いから?だけどロンドンまでは、確か煙突飛行で来たんだろう?」
「そう、そうなんだけど……たった二週間のために、わざわざ帰るのもめんどくさいし……でもクリスマス休暇って、家に帰る人ばっかりなんだね。さすがに寂しいかなって思って、どうするか悩んでたとこ……」
眉根を寄せて考え込んだに、同じようにして困った顔をしたジェームズはやがて手のひらを打ち鳴らしてこう言った。
「よし、じゃあこうしよう!僕も城に残るよ、そうしたらも寂しくないだろ?」
「えぇっ!?」
素っ頓狂な声をあげて、は思い切り首を振った。
「そ、そんなの悪いよ、悪すぎるよ!だってジェームズ、家に帰る予定だったんでしょう?お父さんもお母さんも、きっと楽しみにして……」
「それはのお父さんだって一緒だろ?それにの言う通り、うちの親だってそりゃあちょっとはがっかりするだろうけどさ、でも家族とは今までもずーっと一緒にクリスマス祝ってきたわけだし、今年くらいは新しくできた友達と親睦を深めるクリスマスにしたっていいと思うんだ。ママにもが残るからって言えばきっと分かってくれるよ。だってママ、のこと気に入ってたから」
き、気に入ってた?だって私、ジェームズのお母さんと会ったのってあの一回きりなのに!
慌てふためいたがおろおろしていると、素早く彼女の手からリストを取り上げたジェームズはあっという間にそこに自分の名前を書いてしまった。にやりと笑って、ジェームズが目を細める。
「これでもう引き返せないね。、僕と一緒にクリスマスを過ごすのが嫌でなければ、さあ、ここに君の名前をしっかりと書くんだ!」
いやなわけないよ。いやなわけ、ないでしょう。でも、ああ、ジェームズ
あなたっていう人は。
がじわりと滲む涙を目尻に浮かべると、ぎょっと飛び上がったジェームズは大慌てで彼女の肩を掴んで前後に揺すった。
「ど、どうしたの、!え、僕の優しさにそんなに感動した?」
「う……るさい!そうだ、悪いか!なに、何で、ジェームズって何でそんなに……」
ちょうどそのとき、ジェームズと二人きりだった空き教室に誰かの足音が響いた。振り向いたジェームズが、現れたその人影に向かって朗らかに声をあげる。
「あ、シリウス。これから探しに行こうと思ってたんだ。悪いんだけど僕、クリスマス休暇はと一緒にホグワーツに残ることにしたから。だからシリウス、お前も残れ」
その瞬間、は確かにブラックの仏頂面が、より一層引きつったとんでもない形相に変わるのを目の当たりにした。
(……私、ほんとにブラックに嫌われてたんだ)
これまでは、ただ漠然と、ああ、私ってブラックに嫌われてるなー、と曖昧に思っていただけだったが、それが先日の一件で動かしようのない事実へと変わってしまった。どうやらブラックは家に戻りたくない一心で、ジェームズの実家に転がり込む予定だったらしい。それが、と一緒にクリスマスをホグワーツで過ごせと言われた瞬間の、あの男の顔。きっと一生忘れられない、トラウマになりそうだった。
「でも、君の顔もあいつに負けないくらいすごかったよ」
いやだ、ひとけのないグリフィンドール寮であいつと二週間を過ごすくらいなら私は日本に帰る、とごねたに、ジェームズはあっけらかんとそんなことを言って笑った。こいつ……事の重大さが分かっていない。ブラックがどれほど私を忌み嫌っていることか、人の感情を敏感に読み取るはずのあんたが、まさか気付いていないのか!
「考えすぎだって、。あいつとゆっくり話でもしてみれば君だって考えが変わるよ」
奴はあんたと仲良くする私を憎んでるーー!!!だがその台詞だけは口の中にとどめ、はジェームズに殴りかかりたい気持ちを必死に抑えて足早に談話室を立ち去った。ホグワーツ特急に乗り込む手筈になっているみんなはきっと今、最後の荷造りを仕上げているはずだ。寝室を出る前、ニースも、そしてエバンスも前日までに準備していたトランクの中を最終確認していた。
そうか、みんな、待ってくれてる家族がいるんだ。父もあの家で私の帰りを待っているかもしれないが、だが日本を離れてたったの五ヶ月で再び戸口に姿を見せるなんて、なんだか少し照れ臭いような気がしたのだ。だから数日前、ムーンに手紙を持たせて父への伝言を託した。初仕事をもらえるのが嬉しいのか、ムーンはやたらとの肩で跳ねて、飛び立つ直前には既にお疲れの様子だった。あの調子ではひょっとして、クリスマス休暇が終わってもムーンはまだ目的地に到着できていないかもしれない。
「こーんにーちはー!ハグリッド、いる?」
煙突からもくもくと煙のあがる小屋まで来てドアを叩くと、すぐに中からあの、野太いけれどもどこか心地良い声が聞こえてきた。
「お、その声はか?ちぃーっと待ってくれや……よーしっと」
ぱっと内側からドアが開いて姿を見せたのは、もこもこの気持ち良さそうなコートを着込んだハグリッドだ。彼はの顔を見るとぱっと表情を輝かせ、嬉しそうに手招きしてを呼んだ。
「よく来たな、さあ、外は寒かろう。遠慮せず入っちくれ」
「ありがとう、お邪魔しまーす!」
ハグリッドの小屋を訪れるのは初めてだった。もっと早くに足を運ぼうと思っていたのだが課題が忙しくてなかなか時間が取れなかったし、いざ一人の時間を作って遊びに来ても、ちょうどそのときハグリッドが留守にしていたりしたので結局こんなにも遅くなってしまったのだ。彼は暖炉にたった今火を入れたばかりのようで、小屋の中はまだひんやりとしていたがは暖炉の真ん前に通されたので、ありがとうといってそそくさとコートを脱いだ。
「どっかに出かけてたの?ハグリッド」
「ああ、まあな。ほら、俺は森番だから、日に何遍か森の様子を見に行かなきゃならねえ」
「そっかぁ、大変だね。ねえ、森って不思議な生き物がたくさんいるんでしょう?今度私も連れてってよ!」
「だめだ。お前さん、ダンブルドアの話を聞いてなかったのか?生徒は森に入っちゃなんねえ。危ねえ生き物だってたくさんいるんだ」
「でもハグリッドが一緒なら大丈夫でしょう?」
するとオーバーコートを脱いだハグリッドはもじゃもじゃの口髭の奥で嬉しそうに笑んだが、すぐに子供の悪戯をたしなめる大人そのものの目付きでじっとを見た。
「おだてたって森には連れてってやれねえ。生徒は禁じられた森には入っちゃならねえって、大昔からずーっと決められとんだ」
「大昔っていつですかー誰が決めたことですかー」
「そんなことは知らねえ。だがな、とにかく危険なんだ。分かったら森のことなんか忘れて、お前さんの学校生活のことでも聞かせてくれや」
「けーちー、ハグリッドのけちー」
唇を尖らせ、半眼のままハグリッドを睨んでいると、彼はたまらなくなった様子で噴き出し、小屋が振動するほどの音量で笑い出した。今度はが呆気にとられて、目を丸くしながらじっとハグリッドを見やる。
ようやく笑いが収まったハグリッドは、目尻に浮かんだ涙を大きな手の甲で拭いながらもう一度笑った。
「ああ、いや……すまんかった。お前さんを見れば見るほど……いや、お袋さんにそっくりだ。拗ねた顔なんて見ると、特に思い出しちまってな」
は以前にもハグリッドが、お母さんにそっくりだといって大笑いしたときのことを思い出し、どこかこそばゆい気持ちでハグリッドを見た。
「あー、そうだ、ねえハグリッド、お母さんもグリフィンドールだったんだね。ダンブルドア先生から聞いたよ。ハグリッドはどこの寮だったの?」
「ん?ああ、俺は……まあ、俺も一応、グリフィンドールだったが」
「そうなんだ?じゃあみんな一緒だね!良かった、やっぱり私、グリフィンドールになって間違いじゃなかったよね、きっと」
そのときお茶を淹れようとしていたハグリッドの手が大きく震えたことには気付いたが、さほど気にも留めなかった。
「知ってると思うけど、私、ほんとはね、スリザリンに行くはずだったの。でも、何でかな……ダンブルドア先生とか、マクゴナガル先生が、この組み分けはひょっとして間違ってるんじゃないかって。おかしいなって思ったよ。だってそんなこと、これまで一度もなかったっていうし。でももう一回組み分け帽子を被って、帽子の歌う歌を聞いてたら……先生たちが私に、スリザリンじゃないところに入ってほしかったってことは分かったの。分かったけど、でもそんなこと、関係ない。組み分けの歌を聞いて、
私が思ったの。ああ、私の行くべきはきっと、グリフィンドールなんだって」
ハグリッドは何も言わず、こちらに背中を向けてただ黙々とお湯を沸かしていた。
「楽しいよ、すっごく。友達もそれなりにできたし、いい子ばっかりだしさ。まあ、あの転寮騒ぎがあったせいでみんなが私に興味持ってくれたっていうのも、大きいと思うけどね。でも前ほど上級生も『スリザリンから来た新入生だー』って言わなくなったし。きっと私、これで良かったんだなって思うよ」
ようやく振り向いたハグリッドが、温めたティーカップを二つ出して、かなりぎこちないやり方で微笑んだ。
「そりゃあ良かった」
けれども彼が心から「良かった」と言っているのではないと、はうっすらと、そう感じた。何かを隠している。彼はそれを、知っている。そんな気がした。
だが思い出されたのは、あの日のダンブルドアの瞳。
『ミス・。物事を知るには、適切な時期がある。今はその時ではない……分かっておくれ』
今はまだ、そのときではないのだと。
はそう自分に言い聞かせ、軽く頭を振って話題をマクゴナガルの変身術の課題に移し、ハグリッドと二人で大いに盛り上がった。