「ワームテール、家の手伝いですごく忙しそうだったよ。だから、うん……せっかくだけど、どうしても無理だって。残念だけど、僕たちだけで行こう」
グリンゴッツにひとりで現れたリーマスは、どこか悲しそうに笑いながらそう言った。そっか、残念だねと呟いたに、振り向いたジェームズが明るく声をあげる。
「仕方ないさ。そりゃあ今回を逃したらなかなか難しくなるとは思うけど、そのうちまた機会もあるだろうし。また今度みんなで遊びに行こうよ。そうすればいい」
「うん……そうだね」
すでに硬貨の引き出しとマグルポンドへの換金を済ませたたちは、遅れてきたリーマスが金庫から出てくるのをホールで待っていた。はジェームズに曖昧に笑い返しながら、こっそりと傍らのシリウスを盗み見る。彼はあらかじめアルファードおじさんから渡されていたガリオンをポンドに換えただけなので、リリーとともに早いうちから手続きを終えていた。そしてその財布
が十七歳の誕生日に贈ったそれを仕舞ったポケットに手を突っ込んだまま、やはりまだむっつりとしている。話しかけようか、それともしばらく放っておいたほうがいいのか。そんなことを悩んでいるうちに、時間を気にしてちらちらと腕時計を見ながら、リーマスが小鬼とともにトロッコから降りてきた。
「やあ、待たせてごめん。そろそろ行ったほうがいいかな」
「そうだね、うっかり逃してみんなで魔法省に掛け合うなんて御免だから。もしくはみんなで『飛行機』に乗る? それはそれで楽しいと思うよ」
ジェームズの咄嗟の思い付きを、とリリーは即座に却下した。どう考えても、煙突飛行のほうが何倍も効率的だ。もしも時間を逃してしまったら、そのときはそのときでまた考えればいい。今はとにかく急ぐことが先決だ。
みんなで漏れ鍋に戻る途中、は背中に何やら悪寒のようなものを感じて振り向いた。見られている? だが視界の中で見えたのは、同じく足早に通りを行き来する数少ない魔法使いたちばかりで、誰もこちらなどには注目していない。おかしいな……でも、似たような視線を感じたのはこれまでに一度や二度ではなかった。それとも、単に自意識過剰なのだろうか。
「、どうした?」
「えっ? あ、ごめん、何でもない……」
「時間ないんだ、急ぐぞ」
立ち止まったを振り返り、腕を伸ばしたシリウスは彼女の手を取って歩き出した。思わずどきりとして前につんのめりそうになったが、遅れないように歩幅を大きくして彼とともに漏れ鍋への道をたどる。先ほどのピーターの一件で少し引っかかりは残ったけれど、はひとまずキャンプの間だけは、そのことを忘れることにした。せっかくの一ヶ月だもん。ピーターが来られないという事実は変えられないし、それならばこの六人で、楽しい時間を過ごすしかない。今思い出させたってきっと、シリウスだって良い気分じゃないだろうから。
「こら、そこのふたり、早速いちゃつくな!」
振り向いたジェームズが指を差して大声をあげる。うっせぇ悔しかったらお前だってエバンスと、とか何とか言いかけたシリウスの顔面をまともに叩きつけたのは、少し前を歩いていたリリーの硬そうなハンドバッグだった。
Accident will happen
ダンスパーティの再来?
煙突飛行でたどりついたの家からすぐ見下ろせる一面の海は、真っ先にリリーたちの心を掴んだ。そもそも彼らは海というものにあまり馴染みがないようで、ニースに至っては今まで見たことすらないという。父が仕事から帰ってくるにはまだかなり時間があったので、はまず友人たちをお気に入りの浜辺に連れて行った。どういうわけかズボンの下に海水パンツを穿いていたジェームズは早速服を脱ぎ捨てて海に飛び込み、何の準備もしていなかったシリウスを無理やり水中に引きずり込んだ。
「ジェっ、ムズ、てめぇ!」
「わー、気持ちいー! ムーニーもおいでよ、リリーも、みんなさ!」
「ジェームズ……何でそんなに準備がいいの。それってイギリスから穿いてきたってことでしょ?」
服のままびしょ濡れになったシリウスの背中にしつこくしがみつくジェームズを見やり、は大きく息をつく。リリーとニースは苦笑しながら海に近付き、しゃがみ込んで素足になった足先だけを水に浸した。リーマスは近くをぶらぶら歩き、時折立ち止まっては砂に埋もれた貝や打ち上げられた海藻をしげしげ眺めている。だが結局は暴れまわるジェームズたちのせいで、全員何らかの水害を被り、家に戻る頃には海水でべたべたに濡れていた。
素晴らしい友人たちと日本で過ごす夏休みは楽しかった。さほど大きな町ではないが、少し足を伸ばせば何でも揃う商店街があるし、海と山に囲まれた平野は彼らにとってかなり新鮮らしい。ジェームズにせがまれてみんなで山に昆虫採集にも出かけたし(小学生か!)、週の半分は海に泳ぎにも行った。ただ、こうした田舎町ではあまりまとまった数の外国人を見かけることがないので、何でもかんでも英語で捲くし立てる、見るからに西洋人の彼らは人目を引くことが多い。は気恥ずかしい思いと、少しだけ誇らしい思いとが一緒になり、ささやかな高揚感を伴って出かけていった。
「明日の花火大会には行くのか?」
父は娘が不在の間、パートの身分とはいえ宣言通りにしっかりと稼いでいたようで、がさり気なくグリンゴッツから持ち帰ったお金やシリウスたちからのそれを一切受け取らなかった。君たちは何も心配しなくていいと言って、たちが焼肉やバーベキューの材料を買いに行ったりするのにいつも準備した財布を持たせてくれる。それでもやはりこれだけの人数がいてはさすがに申し訳なかったので、はみんなと相談して、毎日お釣りといって父に渡す金額を、実際よりもほんの少しだけ多めにしておいた。
今日の夕食はみんなでお好み焼きを焼き(ジェームズは何でも美味しい美味しいと大喜びで食べるが、中でもこれは特に好評だった)、遅くに帰ってきた父にはすっかりコツを掴んだジェームズが新しいものを三枚も焼いた。ありがとうといってそれをつつきながら父が聞いてきた内容に、真っ先に目を輝かせたのはジェームズ。
「もちろん、行きます! 下の『神社』ではお祭りもあるんでしょう? 屋台もたくさん出るとか!」
「うん、そう……行くつもりなんだけど、でもちょっと心配かな。みんな日本語しゃべれないのに、はぐれちゃったら大変かなとか」
そう。シリウスたちはまったくといっていいほど日本語が分からない。こちらに来てから簡単な挨拶、こんにちは、ありがとう、ごめんなさいなどなど
本当に基本的なフレーズだけは教えたが、それだけで会話は成り立たないし、聞き取りはやはり難しいらしい。だから日本人親子の自分たちが、みんなと一緒にいるときには英語で話すという不思議な光景が繰り広げられているわけだ。
「は心配性だなぁ、そんなこと、気持ちひとつでどうにでもなるよ!」
「なる? ほんとになるの?」
「なんだったら迷ったらその場で赤い花火でもあげるとか
」
「シリウス! ここは完全にマグルの世界なの、なりふり構わず魔法とか使わないでよ!?」
成人になり学校外でも魔法が解禁されたのをいいことに、シリウスは何でもかんでも魔法で解決しようとした。ジェームズはといえば、せっかく日本のマグル界にいるのだから、魔法を使うなんてもったいないといって杖は一切取り出そうとしない。魔法界に暮らすニースはどちらかといえばシリウス寄りの感覚を持っていたが、それでも極力魔法を使うのは避けていたし、マグル生まれのリリーや母親がマグルのリーマスは、魔法を使わずとも十分に日常生活を送ることができた。
ふて腐れたように唇を尖らせながら、シリウス。
「ちぇ、せっかく十七になったっていうのに」
「ま、いいだろ、パッドフット。どーせお前の杖はここんとこ調子悪いんだからさ」
「う、うっせぇほっとけ!」
したり顔のジェームズに歯を剥いてシリウスが唸る。どういうこと? とが問うとシリウスは苛立たしそうに脇を向いたので、代わりにジェームズが答えた。
「こいつ相当へこんでるんだ、昨日バーベキューのとき火もまともにつけられなかったから」
「黙ってろって!」
「いいじゃないか、友よ。は君がたとえルーモスさえ使えなくなったとしても君を見捨てるような子じゃない」
「なあ、お前は黙れないのか? 一生に一度くらい黙ってようとは思わないのか?」
「黙ってるさ! 僕はいつだって弁えているよ」
この二人、多分うちの父さんがいること忘れてるな。はちらりと横目で父親を見たが、父は取り立てて表情も変えずにリリーやニースと話をしていた。それにしても、昨日はそんなことがあったんだ。道理でシリウスの機嫌があまり良くないと思った。火をつける呪文なんて、一年生で習う基本的な魔法だ。シリウスほどの魔法使いが失敗するなんて考えられない。恐らくマッチの山と格闘して疲れきっていたのだろう。昨日のバーベキューは炭の準備をシリウスとジェームズに頼んでいたのだが、シリウスはマッチ一箱を使い果たしてもうまく火をつけられなかったようで、途中で折れたマッチの残骸が辺りにボロボロと転がっていた。
「大丈夫だよ、シリウス。ちょっと疲れてただけだって。こっち来てから新しいことばっかりで慌しいでしょう? 落ち着いたらまたいつもの調子に
」
「ほんとですか! 嬉しい、一度そういうの着てみたいって思ってたんです!」
言いかけたの言葉を遮って興奮した声をあげたのはリリーだった。何事かとそちらを見やると、お好み焼きの最後の一口を飲み込んだ父が身体ごとこちらを向いて言ってくる。
「今リリーとニースに話していてね。せっかくなんだから、明日はみんなで浴衣でも借りてみればいい。記念に買って帰ってもいいだろうし」
「えっ? ゆ、浴衣?」
「浴衣って何? 日本の服?」
「うん、そう……夏祭りとかで着るやつ」
うそ、浴衣! 確かに街のお店でレンタルとか、そんなに高いものでなければかなり手頃な値段で売られているものもある。しかし浴衣は、日本人であるですら一度も着たことがなかった。夏祭りにはたまに出かけることがあったが、そうした習慣は我が家にはないものだ。だがリリーやニース、ジェームズたちはすっかり乗り気になって、それいいね、朝から買いに行こうよと勝手に意気込んでいた。
「私は明日も仕事で遅くなるから、みんな気をつけて行っておいで」
「う、うん……ありがとう」
「はーい! おじさんも、気をつけて行ってきてください!」
意気揚々と答えるジェームズの陰で、はこっそりと息をついた。ただでさえ人混みが嫌いで、実は花火大会もあまり乗り気でなかった上に……浴衣かぁ。ちょっと恥ずかしいかも。でもみんな楽しみにしてるし、ホストの私が普段着っていうのもね。うん、ここは、腹を括って。
あー、なんかちょっと……ダンスパーティのこと思い出しちゃった。
「これか? いやでもこっちの柄のほうが、あーでもこっちも捨てがたい……」
「いや、どれも一緒だろ」
「一緒! ああ、お前にはこの繊細な日本的な違いが分からないんだな、可哀相に」
「日本人じゃないだろ、お前」
「誰がいつ僕が日本人じゃないなんて決めたんだ? ひょっとして僕のご先祖様のどっかに日本の血が一滴くらい流れてたりするかもしれないじゃないか! もしかして、遠い遠いご先祖様をたどればほんとにと兄弟だったかも」
「まあ、あえて否定はしねーけど……まあ、そりゃないだろ」
「してるじゃないか!」
まるでコントのようなやり取りをするシリウスとジェームズの声は、はっきり言ってかなり大きい。まともな店で浴衣など買えばそれなりにするので、たちは家から少し歩いたところにあるスーパーに来ていた。そこには本屋やゲームセンター、衣料店もついている。そのカジュアルファッションのコーナーで、やたらと早口に英語を喋り続ける彼らは早速人目を引いたので、は急いで彼らのもとに駆け寄り、声を潜めて叱りつけた。
「もうちょっと静かにしてよ! 迷惑でしょう」
「ああ、うん、ごめんごめん。それより、だったらどっちがいい? 日本の淡い色ってきれいだよね、こいつにはこの違いが分からないっていうんだ、ああ、浅いやつ!」
「日本的な深みが分からなくて悪かったな」
「まあまあ、シリウス……ジェームズだったらこっちかな。こっちはシリウスにどう? リーマスはもう決めた?」
「ううん、まだ。すごいね、スーパーでもこんなにいろいろ売ってるんだ」
「どこでも売ってるわけじゃないけど。でも、そうだね、ここに来たら大抵のものは揃うかな」
「ねーねー、リリーたちはもう決めた?」
「ジェームズ! 静かにしてってば」
もう、ほんとにジェームズってば大人なのか子供なのか分からない。はまったく反省していない様子のジェームズをじとりと睨みつけてから、少し離れたところにある女物の浴衣を見ているリリーたちのところに戻った。が留守にしている間に、すでにリリーは紺を基調にした大人っぽい百合の柄、ニースは白地に蝶の模様が可愛い浴衣をそれぞれ手にしていた。
「わ、二人とも決めたの? きれい、可愛い、絶対似合うよ! 私はどうしよっかな……」
「」
何やら不穏なものを漂わせてにっこりと微笑み、リリーはニースと目を合わせてからのほうを見た。
「せっかくみんなで買いにきてるんだから、かぶらないようにしたいわよね」
「へっ?」
なんか、いやな、よかん。