結局のところ、何をしたってシリウスならば許されるのだ。
何気ない様子で口にしたシリウスの話を聞いたジェームズはかなり本気で怒っていた。いつものようにリーマスが先に出発して、けれどもここ数ヶ月はやたらとスネイプが周りをうろうろしているため、念のためにシリウスとジェームズが様子を見に行って。リーマスの無事を確認してから一旦部屋に戻り、そして城中が寝静まるのを待つのだ。
だが今回は、ジェームズも僕も、やけに上機嫌なシリウスのことが気になっていた。またと何かいいことでもあったのだろうか。クリスマスにこの部屋の前でのあんな声を聞いてしまってから、僕は彼女の顔を真正面から見られなくなっていた。この笑顔をどんな風に歪めて、シリウスの腕の中でまたああやって鳴くのだろう。けれどもジェームズにしつこく問い詰められたシリウスは、とうとう誇らしげな顔を上げてその口を開いた。
「スニベルスのやつに、ちょっと思い知らせてやろうと思ったんだよ」
何を言っているのか、分からなかった。ただ僕が最初に感じたのは、のことではなかったという安堵だけ。しかし厳しく眉根を寄せたジェームズはさらにシリウスに近寄って事細かに追及した。
そしてついに親友の仕出かしたことを知ると
何てことするんだ、馬鹿野郎!と怒鳴りつけ、あっという間に部屋を飛び出していった。
間一髪、スネイプは助かったらしい。だがスネイプは暴れ柳の通路で変身しかけたリーマスを目撃し、怒りと混乱に喚くスネイプをジェームズが何とか押さえ込もうとしているところをハグリッドに発見されたという。ハグリッドはまずふたりの寮監、マクゴナガルとスラッグホーンに連絡し、事情が事情だけに報告はダンブルドアにまで届いた。スネイプはシリウスが自分を殺そうとしたと激しく捲くし立て、部屋に残っていたシリウスも校長室に呼ばれた。事態は深刻だった。だが教授たちが話し合ったあと、夜間外出の罰としてスネイプとジェームズはそれぞれ十点の減点。悪戯にしては度を越しているということで、シリウスには特別に一週間のトイレ掃除が言い渡された。もちろんスネイプは抗議した。シリウスには甘いスラッグホーンも、さすがに渋い顔をしたらしい。だが狼人間だという可能性を知っていながら、夜間外出をしてまでリーマスの弱みを握ろうとしたスネイプにも非がないわけではない、どんな体質であろうと平等に学ぶ権利はある、そのための措置だということで、スネイプはリーマスの秘密を口外しないという約束を取り付けられ、ひとまず事態は収拾したそうだ。
どうしてそんなに甘い処罰で済むんだ?下手をすれば、スネイプは死んでいたかもしれないのに。そうでなくとも噛まれれば確実に狼人間だ。それを、トイレ掃除一週間?一体何の罰だというのだろう。それで文句を垂れるシリウスが信じられなかった。自分のしたことの意味が、分かっているのだろうか?
ジェームズはしばらく怒っていた。一週間くらいはまともに口を利いていなかったと思う。だが医務室から退院してきたリーマスに謝るシリウスの姿を見て、ようやく許すことにしたらしい。一週間だぞ?それですべてがなかったことにされてしまうのか。授業中まるで視線だけで殺せてしまいそうなほど憎々しげにこちらを見ているスネイプは、そのときの生々しさを思わせるような空気を常に漂わせていた。
スネイプが好きなわけじゃない。そんな人間はいないだろう。スリザリン生だって遠巻きにしてるくらいじゃないか。でも、それでも、あんまりだった。死にかけたというのに減点までされて、そこまでして掴んだ秘密を口外するななんて。リーマスのことを公にされたいわけじゃない。リーマスに罪はない、そんなことは分かっている。でもどうしても
耐えられなかったのだ。何をしても最後には許されてしまうシリウス。恵まれた家庭環境に生まれ、きっと挫折なんて知らないであろうルームメートがまた危機を素通りしたのかと思うと。
僕だって悩んだ。自分がどうしようもない嫌なやつだって分かっていて。それでも言わずにはいられなかった。君の愛するシリウスが
君の知らないところで、どんな振る舞いをしているのか。卑怯者と笑ってくれ。僕は今回の一件で、今度こそ彼女がシリウスを見放すことを期待したのだ。
でも、そうはならなかった。ばか!と叫んで、彼女はシリウスの頭を殴った。ただ、それだけだった。そのあとには泣きながらシリウスの背中を抱き締めた。こっそりあとをつけた僕には、何がなんだか分からなかった。どうしてそうなるんだ?僕は何もかも打ち明けたじゃないか。あいつのあまりにも身勝手な言動を、細大漏らさず。それでも彼女は見捨てなかった。まるで母親のようにしっかりと抱き締めて、静かに諭すだけだった。
誰もが見逃すのだ。どれだけ道に外れたことをしても。シリウス・ブラックというラベルがついた男のしたことなら、たとえそれがどんなに非人道的と思えるようなことでも。僕が思い焦がれてやまないだってそうだった。一度はシリウスたちがスネイプに向けて容赦なく杖を振るったとき、彼らのことを突き放したはずなのに。結局はシリウスの傍にいる。これまでも、そしてきっと、これからもずっと。
「あ、ピーター!今みんなと話してたんだ。ピーターも夏休み、日本に来てくれるよね?それでね、みんなの予定を聞いてたんだけど……」
僕は彼女たちの話を聞きながら、曖昧に笑うしかなかった。行けるはずがないじゃないか?僕は君が好きだ。君を愛し、君に愛されて無神経に何だって仕出かすシリウスのことが憎い。大好きだ、子供の頃から憧れの友達だった。それなのに、今はもう
のことを抜きにしては語れない。の視線の先にはいつだってシリウスがいる。振り向けばいつだって目を合わせて微笑み合っている。そんなふたりと一緒に長期間を同じ旅先で過ごすなんて。スネイプだけじゃない。僕のことさえも、殺すつもりなのか?僕は知っている。あいつが僕の気持ちを知っていて、それでもなお気付かない振りをしての唇にキスをするのだということを。
「それじゃあ、いっそみんな煙突飛行で一緒に行っちゃう?そのほうが楽だし、お金もかかんないしね。帰りは日程を早めれば、またみんなで帰ってこられるし……」
君は純粋に、恋人と、そして大切な友人たちとの旅行を心待ちにしているのだろう。
けれども僕は、どうすれば自分が少しでも惨めな思いをせずにこの計画をキャンセルできるかということに全神経を注いでいるのだった。
A NEW RESIDENT
大事な場所
「え、私も?」
「そう!」
の誘いを受けたニースは飛び上がらんばかりに驚いた。は彼女が見ていた変身術の教科書を取り上げてベッドの後ろに放りながら、同じようにうきうきと頬を綻ばせたリリーを呼び寄せて繰り返す。
「だから夏休みは一緒に日本に行こうって!」
「えぇ?でも、だって……メンバーは、と、リリーと、それから」
「あとはジェームズとリーマスとピーターとシリウスかな。あんまり多すぎるとうちも対応できないしね」
「ちょ、ちょっと待って?あの……お誘いは嬉しいんだけど、でもね……私、ルーピンだとかペティグリューだとか、あんまり仲良くないし……それに私、前にブラックのこと叩いちゃった」
「あ、うん、それは分かってるけど。気にしないでいいよ、もしシリウスが何か言ってきたら遠慮なく私に言って!私が殴っておくから」
「えーと……そういう問題じゃ」
「心配しなくていいわ、ニース。ペティグリューやブラックなんて、私だって仲良くないんだから」
「でも、リリーにはジェームズがいるじゃない!ルーピンとも仲が良いでしょう?私はほんとに、誰も……」
「ジェームズのことは関係ないわ!私はの故郷が知りたくて行くんだから!」
リリーは即座に否定したが、顔を真っ赤にした彼女の台詞ではまるで説得力がなかった。
はニースの正面に少し改まって座りなおし、彼女の両手を握りながら話しかける。
「私ね、ニースもリリーもスーザンもメイもマデリンも……みんな好き。外国から来てて、それにマグル育ちだから最初はほんとに魔法のこと何にも分からなくて。そんな私が今でもこうしてここにいられるのは、みんなのお陰だもん。ほんとに感謝してる。だからほんとは、みんなに私の故郷のこと紹介したくて、みんなを連れて行けたらいいなって思うんだけど……さすがに全員ってわけにはいかないし、みんなの都合だってあると思う。ニースも忙しいと思うけど、でも学生時代のまとまった休みって、これが最後でしょう?だから後悔したくないし……リリーもニースも、一年生のときからずっと、同じ部屋で、毎日いろんなこと話し合って。最初は私とリリー、仲が悪かったでしょ?だから……ニースがいてくれなかったら、最初の段階でもう挫折してたと思う。いろいろあったけど、だけど二人には
ほんとに特別に、心から感謝してるんだ。シリウスもジェームズもみんな、私にとってはすごく大事な人なの。煙突飛行って、普通は国外には繋げないんだって。しかもマグルの家じゃなおさら。だから多分、みんなで揃って日本に行けるって、これが最後のチャンスだと思う。だから……迷惑じゃなかったら、遊びにきてほしい。見てほしいものとかいっぱいあるの。みんなで少しでも楽しい思い出……作れたらいいなって、思ってる」
するとニースはしばらくじっとこちらを見つめたあと、の手を握り返して微笑んだ。
「ありがとう、。パパに手紙書いて、聞いてみる。みたいな素直な子を育てたのはどんなところか……すごく、楽しみ」
「わ、やった!嬉しい、楽しみ、ありがとう!」
たち三人はそのまま雪崩のようにベッドに倒れ込み、声をあげて笑った。期末試験まで、もうすぐ。こうして子供のようにはしゃいでいられる時間も、刻一刻と確実に少なくなってきていた。
「どうしよう、緊張する。おなかいたい」
「腹痛いって……誕生日だろ、お前。もっと気楽にいけよ」
「だって。だって姿現しの試験もう二週間しかない。こないだの追加練習、出るとこ間違えたんだもん!」
「そんなもん本番になれば大丈夫だって。三つのDなんて忘れたって大したことじゃない」
「シリウスは一発合格したから言えるんだよ!だって、リリーだって一回落ちてる!」
「あー、あのときエバンス風邪気味だったんだってな?」
「ワットなんか二回落ちてる!ピーターだって先月落ちた!」
「あいつらに集中力がないことなんてお前だって知ってるだろ」
「だ、だだだだってだってだって……」
「あー!せっかく二人きりになれたってのに!」
イライラと唸りながら、シリウスは手首を掴んで自分のベッドにを押し倒した。友人たちに談話室で十七回目の誕生日を祝ってもらったあと、シリウスの部屋に上がってふたりで改めてお祝いをしようということになったのだ。だが期末試験を終えたばかりのは二週間後に控えた姿現し試験の心配をしており、せっかくのムードも台無し!と言わんばかりのシリウスは少し前からカリカリしていた。
「そういうことは本番前に心配してればいーだろ。焦ったってどうせホグワーツじゃ練習なんかできないんだ」
「それは……そうだけど」
「せっかく二人でいるのに、二人きりじゃなくてもできる心配ばっかされてたら寂しい」
「ご、ごめん」
二人きりでいるとき、シリウスはこうしてよくストレートに甘えてくる。宥めるようにその頬を優しく撫でると、シリウスは一度こちらの首筋に舌を這わせて口付けてから、腕を引いての上半身を起こさせた。
「……誕生日、おめでとう」
「ん……うん、ありがと、シリウス」
そっと、啄ばむようなキスを何度か繰り返して。シリウスはようやく、大事に仕舞っていたらしい紙袋をベッド脇の棚から取り出した。白い清潔そうなそれをの膝に置いて、ささやく。
「開けてみて」
「わ、ありがとう!」
みんなは談話室で、本当に山のようなプレゼントを渡してくれたけれど。シリウスだけは「後で」と言って少し離れたところに座っていた。もったいぶらずに僕らにも見せろよ、だとか何だとか、それをジェームズが囃し立てていた。因みにジェームズからは、厨房から頂戴してきた大量のお菓子と、パッドフットにそっくりの犬のぬいぐるみ。見て見て、ここを杖で叩くと吠えるんだよ!ねえ、顔からして間抜けな鳴き方するだろう?アハハハ、と笑うジェームズを殴りつけるシリウスを見て、大半のグリフィンドール生はわけが分からず首を傾げるだけだった。
袋の中から出てきたのはベージュのハンドバッグだった。革を編み込んだいかにも高級そうな仕上がりで、軽くて持ちやすいけれど少し気後れしてしまう。だがそれを見越したようにシリウスはの頭を撫でながら、似合ってると微笑んだ。
「ほんと?なんかバッグだけ一人歩きしてるみたいな……」
「お前は何でも心配しすぎだよ。に似合うと思って選んだんだ。こっち来てみろよ」
ベッドからひょいと飛び降りたシリウスはの手を引いて洗面台の鏡の前に立った。にはやはりどことなく違和感があるようにしか見えなかったが、シリウスがもう一度似合うと言って頭にキスしてくれたので、次に出かけるときには使ってみようかなと思った。
「それから……これも、受け取ってほしいんだけど」
言って、鏡越しにシリウスが差し出してきたのは手のひらサイズの小さな箱だった。淡いピンクの包装で飾られ、きょとんと目を開いたは振り向いて相手の顔を見上げる。
「これも?開けていい?」
「うん。それで、できたら……つけてもらえたら、うれしい」
中から出てきたのは、また高そうなシルバーネックレスだった。仄かに色のついた小粒のストーンが青い光を放って煌く。シリウスはぎこちない仕草で首の後ろを掻きながら、躊躇いがちに口を開いた。
「あの……がずっとお母さんのネックレスつけてるのは知ってる。ずっと大事にして、この六年毎日身につけてるって。もちろんそれを外してこっちつけてくれなんて言うつもりはない、けど……その、もしたまに気分とか替えたいときがあったら……使ってもらえたら、うれしい」
ネックレス……母さんの、十字のネックレス。シリウスの言うように、確かにハグリッドから手渡されて以来、ずっと肌身離さずつけてきたものだった。だがそれは、言葉の問題として必要不可欠だった時期を過ぎれば、もはや習慣として着けているという部分が大きい。母さんの形見。とても、大切な。けれど、母はもう遠い昔に死んでしまった過去の人。私の記憶にも、ほとんど残らないような。リリーが言っていたように、いつもきっと、見えないところで見守ってくれているのだろうという思いはある。でも、それでも
今の私の人生は、今こうして一緒にいてくれる人たちと共にある。
は心を決めて、六年来身につけてきたネックレスを外した。驚くシリウスの手から新しいそれを受け取って、同じところにつける。十字のネックレスはスカートのポケットに仕舞い込んで、はシリウスからの贈り物を胸元でそっと持ち上げた。
「似合うかな?」
「あ、うん……それは、もちろん。でも、……良かったのか?」
「だって、シリウスがくれたんだもん。お母さんだってこっちのほうが喜んでくれると思う。でも……あんまり高いもの買わなくて、いいからね?私、シリウスの気持ちだけですごくうれしい」
「あ、いや……そんな高いの買ってるつもりは、ないから。それは、心配しなくていい」
え、ほんと?だとしたらやっぱりシリウスとはちょっと金銭感覚がずれてる気がする。もしも一緒に暮らしたら、そのへん困ったりするんじゃないだろうか。そんなことを考えている自分に気付いて、は真っ赤になりながら慌てて頭を振った。なに、なにちょっとわたしなにかんがえてんの!
「、どうかした?」
「えっ!う、ううん、何でも!何でも、ないよ!ありがとう、シリウス、大事にするね!」
ああ、どうしよう。私、今すっごく幸せ。
いいよね、母さん。お母さんのネックレス外して、シリウスがくれたのつけたって。捨てちゃうわけじゃないもん。お母さんの十字架は、これからも私の手の中で輝き続けるから。
だからこの大事なところは、大好きなシリウスに譲ってあげてください。