次の、次の満月こそは。毎日のようにカレンダーを、青い夜空を見上げて心に誓う。次こそ必ず、奴らの尻尾を掴んでやる。
一度暗くなってから外に出て行くルーピンを見つけ、追いかけたことがある。だがその途中、森の茂みから飛び出したクマのような何かに襲われかけた。僕は逃げることで精一杯だった。森からあんな動物が出てくることがあるのか?ようやく掴みかけたチャンスだったのに。もしかしたらあれは、連中の急き立てた何かかもしれない。考えるだけで、腸が煮えくり返る。次は、次こそは。
僕の生活を破滅させたあの連中にも、同じだけの痛みを味わわせてやるんだ。
Playing Pranks
かわいいいたずら
ルーン語の課題がもたらしたのは、シリウスとの関係改善だけではなかった。まだ完全に許されたわけではなかろうが、リリーの態度も少なからず丸くなったような気がする。たちが話をしていても以前のようにあからさまに乱入してこなくなったし、ジェームズにシリウスのことをとやかく言うことも減った。が小さな紙袋を持って男子寮に向かうのを見ても、さっと目を逸らして気付かない振りをしただけだった。
「シリウス、いる?ちょっと渡したいものがあるんだけど」
ジェームズの声で、どうぞ!という返事が聞こえたのでドアを開けると、四人は全員部屋にいた。一斉にみんなが注目してくるものだから、思わず一歩引きながらたどたどしく口を開く。
「あ、ねえシリウス、ちょっと散歩とか行かない?忙しい?」
「こいつはいつでも暇人だよ!それよりなに、渡したいものって?だってこいつ別に誕生日でも何でもないよ。ねぇねぇ、僕らにも見せて!」
「あー……ジェームズ、いちいち邪魔すんな!、どっか外行こう」
「ずるいずるい、みんなのを独り占めするな!」
「うるせぇお前はエバンスさえいればそれでいいんだろ!」
ジェームズの苦情をうんざりした顔で軽くあしらいながら、シリウスはの背を押して寝室を出た。リリーのいる談話室を横切って(このときもやはりリリーはじとりと横目でふたりを見たが、特に何も言わなかった)、ずいぶん春めいた陽気の中を、太った婦人に挨拶して出かけていく。久しぶりに、彼らは天文台の塔に上がることにした。この時期あそこから見下ろす校庭や森の緑は本当にきれいだ。
「シリウスたちもうすぐだね、姿現しの試験」
「うん?ああ……そうだな。は、六月の試験だっけ?」
「うん。だって私まだ十六歳だから」
そう。一回目の姿現し試験は、来週の四月二十三日だった。だがそれまでに十七歳になっていない六年生はまだ受けることができない。自分の誕生月の下旬に行われる追加試験を待って、ホグズミードで受験することになるらしい。ひとり、ではないと思うけど……六月生まれ、あと誰がいるんだろう。ピーターは五月だよね。どっちにしても、かなり少人数の中を受けなければならないことだけは確実だ。はこれまでの練習ですでに二回姿現しに成功していたが、シリウスやジェームズたちに比べれば大したことはない。もっとも、ふたりと比べれば何でもそういうことになるだろうけど。
「それで、なに?渡したいものって」
「えっ?あ、ごめん忘れてた」
照れ隠しに舌を出して笑いながら、は右手の紙袋をシリウスの前に差し出した。
「ほんとは、バレンタインに渡そうと思ってたの。日本ではね、女の子がチョコレートあげるって習慣があるんだよ。だから……あのとき、作って渡そうと思ってた。何だかんだで最近忙しかったし……遅くなって、ごめんね?」
シリウスは受け取った紙袋をしばらくじっと見つめたあと、そっと左手を伸ばしての背中を抱き寄せた。唇を寄せた耳元に何度もキスされて、くすぐったさに身震いする。だがシリウスは喉の奥から重たい息を吐き、縋るようにもう片方の手も伸ばして紙袋ごとをきつく抱き締めた。
「シリウス?」
「……愛してる、。ごめん……ごめんな」
「え?な、なに。どうしたの?」
ああ、もう。また泣いて。は身体を離してシリウスの顔を覗き込もうとしたが、シリウスはあくまで彼女の肩に額を擦り付けたままそれを許さなかった。
「……ごめん。俺、お前のこと何度も傷付けて……泣かせて、ばっかりで」
「やめてよ、シリウス。いま泣いてるの、シリウスじゃない」
は今度こそ相手の胸を押して離しながら、情けない顔をして瞬くシリウスの頬に手を伸ばした。
「それはお互い様、でしょう?私も、シリウスのことたくさん傷付けてきたよね。ごめん。だから……このことは、これでおしまいにしよう。ね?傷付けあっても、それでも。私たち、今も思いあって……こうして、一緒にいるんだから。ちょっとやそっとじゃ崩れないよ。そうでしょ?」
安心させるように。そして自分が、安心できるように。微笑む彼女の額に、シリウスは音を立てて口付けた。も甘えるように少し背伸びをして、彼の唇をねだる。
「なあ……これ、開けていい?」
深い口付けの合間に、睫毛を触れ合わせながらシリウスが聞いてきた。は少し考えたあと、相手の首に両腕を巻きつけて首を振る。
「ううん、あとで。もうちょっと……このまま」
今はただこうして、大好きなシリウスの胸でじっとしていたい。
「何か用か?」
あの下手くそな尾行には気付いていた。ここのところずっと。いい加減、目障りだ。だがジェームズは気楽に笑って首を振るだけ。放っておけばいい。あんなやつに、僕らを出し抜けるはずがない。
「そこにいるのは分かってんだよ。ったく、そんなにちょくちょく見られてたら、せっかくいいとこだってのに気になって集中できないだろうが」
「誰が貴様らの……おぞましい、」
忌々しげに呻きながら、廊下の角から姿を見せたのはセブルス・スネイプだった。おぞましい?フン、自分が誰にも相手にされないからって、結構な言い草だな。
「おぞましいのはどっちだよ。せっかくこの俺が気を遣って途中でやめてやったのに、最後まで見せてやったほうがよかったか?あ?」
「……貴様らがどんな付き合いをしようと僕の知ったことじゃないが、こんなところであんなものを見せつけられるなんて迷惑だ」
「わざわざそれを進んで見にきたのはお前だろ。いいか?どれだけ俺たちを追っかけ回したところでお前が望むようなもんは何も出ないぞ。いい加減に気付いたらどうだ?大鍋掻き回すくらいしか能がないくせに、それならそれらしく地下室にでもこもってナメクジの相手でもしてろってんだよ。もしくは愛の妙薬でも作ってみるか?まあ、今じゃお前の出すもんなんて水だって飲んじゃくれないだろうがな。エバンス、あいつに惚れてるぞ」
こちらの売り言葉にまんまと引っかかったスネイプはすかさず杖を取り出したが、準備していたシリウスのほうが素早かった。石化呪文で固まったまま転倒したスネイプの右手、杖を握り締めた指の上にきつく踵を押し付けながら、腰を屈めてささやく。怒りに顔を真っ赤にしたスネイプは、唯一意思の通じる眼球だけを動かし、必死になって呪縛を解こうともがいていた。
「そんなに知りたいのか?俺たちが六年も温めてきた
秘密を」
身体の自由が利かないスネイプは反応らしい反応を見せなかったが、その黒い瞳だけはほんの少し不意に揺らいだ気がした。その胸元に杖先を抉るように押し当てて、低く笑ってみせる。
「そんなに俺たちのことが知りたいんだったら、教えてやろうか。但し……それなりの『報い』があることは、覚悟しておくんだな」
「ジェームズ、おはよう!しっかり食べて、しっかり頑張ってね!」
その日は十時からクィディッチの決勝戦、グリフィンドール対スリザリン戦が予定されていた。は大広間に着くや否やリリーを連れてジェームズの激励に行ったのだが、いつも試合前は士気が高まり興奮しているジェームズが今日はどことなく疲れてどんよりしている。しかも、昨日は満月だったからリーマスがいないのは仕方ないとしても、ジェームズ、ピーターの傍にはシリウスまでもがいなかった。
「あれ。ねえ、シリウスいないの?」
「うん?ああ、まあ……ちょっとね。でも、大したことじゃないよ」
チョコレートソースでベタベタにしたトーストをかじりながら、ジェームズが投げやりに答える。はリリーと一緒に彼らの正面に座り、自分たちのトーストを取った。
「大したことじゃないって……どうしたの?具合でも悪いの?」
「うーん、うん、まあ……そんなところかな。うん、そうだよ、そういうことにしよう」
「何なの!だって今日決勝戦なのに。シリウスだって楽しみにしてたのに」
「あー、うん、そうだね、うん、そうだ……あー、僕そろそろ行かなきゃ」
「ジェームズ!」
逃げるように立ち上がったジェームズは向かいのリリーだけには何とか作り笑いで微笑んでから、他の選手たちと一緒にいそいそと広間を出て行った。途中スリザリンの選抜チームと鉢合わせになったようで、大声で罵り合う声が次第に遠ざかっていく。
「どうしたんだろ、ジェームズも……シリウスも。ねえピーター、二人とも何かあったの?」
が問いかけると、サラダを掻き込んでいたピーターはゴホゴホとむせ返りながら慌てて首を振った。
「う、ううん、僕は知らない……起きたらもうシリウスいなかったし」
「ふーん……そう」
おかしいな。朝に弱いシリウスが、そんな時間から一体どこに出かけたのだろう。朝食に来ていない。それだけのことでこんなにも不安になるなんて……でも、だって。こんなこと、珍しいもん。寝坊してるとかならともかく、もうどっか行っちゃってるってどういうこと?
だがどこにいるか分からない以上、探しに行きようがない。試合もそろそろ始まるし、あとでジェームズに忍びの地図でも借りよう。
シリウスのことは気がかりだったが、トーストを一枚とバナナを一本だけ食べて、はリリーと一緒にグラウンドに向かおうとした。だが大広間を出たところで、後ろから追いかけてきたピーターに呼び止められて振り向く。
「!あの……その、ちょっと。話したいことが……あるんだ」
「おお、どうしたポッター!後ろが空いているぞ!ブラック選手、急降下
おおお!ベッティ選手、見事なブラッジャーでブラック選手の軌道を逸らします!おお、その隙にスリザリンのクラウチ選手がゴールを決めました!四十対三十、スリザリンのリード!」
開け放した窓の向こうから、グラウンドの実況中継が聞こえてくる。汚れた床をこすっていたモップを思わず壁に叩きつけて、シリウスはイライラと歯噛みした。ついてない。まったくついていない。何だってこんな日に、俺はひとりで城中の男子トイレを隅から隅まで磨かなきゃいけないんだ?分かっている。理由は分かっている。だが納得がいかない。何でだ?元はといえばあの蛇野郎が余計な詮索さえしなければよかったんだ。俺は秘密を守ろうとしただけだ。それなのに、何で誰も分かってくれない。あいつがそれでどんな目に遭ったとしても
当然の報いだろ?俺はきちんと『警告』してやった。
「シリウス、いる?」
背中の壁にもたれかかってうんざりと嘆息した彼の耳に、愛しい声が届いた。はっと顔を上げてトイレの外に出ると、少し呆れた顔をしたがひとりで立っている。シリウスはどこか気まずい思いで目を逸らしながら、ようやく口を開いた。
「な……何で、こんなところにいるんだ?試合、行かなかったのか?」
「んー……うん。だってピーターから、シリウスが朝から罰則でトイレ掃除させられてるって聞いて。気になったから、探しにきちゃった」
ピーター?ひょっとしてあいつ、何でもかんでもに喋ったのか?畜生、最悪だ。間違ったことをしたとは思っていないが、に話すつもりはまったくなかった。ほら、どうせ、呆れ返るんだろう。クソ、あのネズミが。
は横の壁に軽く背中をもたれかけると、あくまでも静かな声でこう言った。
「話、聞いたよ。ちょっと、考えが足りなかったね」
静かだからこそ、深く胸に刺さった。間違ったことをしたとは思っていない。思っていないけれど、の言葉にはこちらの良心を抉るような残酷な響きがあった。思わず息を呑んで、聞き返す。
「……怒ってる?」
「ううん。怒ってない」
「……怒ってくれよ。一発、ガツンと言われるほうが……俺、そっちのほうが」
そんな、静かな声でささやかれるよりも。失望し、見放されるのではないかという不安を覚えてしまうような、そんな。だがはしばらく黙って見つめたあと、思い切って握り締めた拳を容赦なくシリウスの頭に叩きつけた。
「ばか!」
「いっ!」
ちょっ、待て!今の本気で殴ったな?かなり本気で!いや、ちょっと待て、俺そんな悪いことしたか?思わず怒ってくれなんて言ったけど、でもそれはがあんまりがっかりした様子だったから、だからついぽろっと、思ってもないことが口から出たっつーか、それを!
「スネイプもそうだけど、でもそれよりも
リーマスのこと、ちゃんと考えてあげた?もしジェームズが助けに行かなかったら……スネイプが噛まれることで、一番傷付くのは誰?自分が誰かを、噛んじゃったとしたら……きっと一生、癒えない傷になるよ」
こちらを見て一気に捲くし立てたの瞳には、うっすらと涙がにじんでいた。そのとき、シリウスは初めて気が付いた。自分が軽い気持ちで引き起こしてしまった出来事が、自分の思い至らないところにまで大きな影響を及ぼすのだということに。そしてようやく、胸の痛みが実感を帯びたものとして身体中に広がっていった。
「……ごめん」
「私に謝られても。だから、ねえ、シリウス」
はどういうわけか、小指だけを立てた右手をこちらにすっと差し出してきた。
「だから、もうあんなことしないって、やくそく」
「……何だ、それ」
「え?あ、こっちはないのかな。指切りっていって、こうやって小指を小指を絡ませて、約束を守りますって誓う証」
そう言って無理やり小指を巻きつけて、軽く節をつけたメロディーを歌いだす。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った」
そしてぱっと何かを断ち切るように指を離し、念を押してきた。
「約束してくれた?いくらスネイプのこと嫌いでも、やっていいことと悪いことがある」
「……だってあいつ、リーマスのことしつこく嗅ぎ回って」
「それは分かるけど。スネイプに尻尾掴まれるようなシリウスたちじゃないでしょ?下手なことして……困るのはシリウスたちだよ。スネイプが噛まれたら、学校はスネイプの両親に事情を説明して、それから多分魔法省とかにも報告しなきゃいけないでしょう。そういうことが起きたらリーマスのことが世間にばれて、リーマスはきっと学校にいられなくなるし、リーマスの入学を許可したダンブルドアだって困る。安全措置を取ってるから大丈夫って、だからリーマスはここにいられるんだもん。リーマスは罪悪感で一生苦しめられる……いいことなんて、ひとつもない。こないだも言ったじゃない。誰かのこと傷付けて平気でいられるような、そんなシリウス……私だって、いやだ。分かるって……言ったじゃない」
話しているうちに、の大きな目にどんどん涙がたまっていって。思わず伸ばしかけたこちらの手を押し退けて、俯いたは脇を向いた。
「ちゃんと約束して。スネイプでも誰でも……軽はずみなこと、しないで。可愛い悪戯くらいなら私だって止めない。そういうシリウスたち、好きだもん。みんなを楽しませるような悪戯だったら、どんどんやってほしいって思ってるくらいだよ。でも今回は……そうじゃないでしょ?命に関わるの、一生の問題なの。もう大人なんだから……自分のしたことがどんな結果を生むか……考えて、行動できるようになって。シリウスのこと、大好きだよ。だからもう……こんなこと、言わせないで」
「うん……ごめん」
ごめん。本当に、ごめん。いつも
愛しいを泣かせているのは、いつも自分自身なんだ。
こちらが伸ばした両腕を、今度はは拒まなかった。きつく抱き締めて、心の底から繰り返す。こんなどうしようもない俺を、彼女はいつまで見放さないでくれるだろう。だが、そうならないためにも
今度こそ。次こそは、必ず。
「夏休み……日本、来てくれるよね?」
こちらの腕の中で甘えるようにして顔を上げたに、シリウスはそっと聞き返した。
「行ってもいい?」
「うん。みんなで来てほしい。シリウスと一緒に行きたいとこ、いっぱいある」
「例えば?」
「例えば?うーん……まだ、秘密」
悪戯っぽく微笑んで身体を離したが、まだ実況中継が聞こえてくる窓のほうを見上げてつぶやく。
「今から戻っても間に合うかな。さっきスリザリンがリードしてたみたいだけど。シリウスは真面目に掃除してね」
「魔法は使うなって……まだあと三階も残ってるのに」
「大丈夫、試合は私がちゃんと見届けてきてあげるから」
ちょうどそのとき、グラウンドのほうから爆音のような歓声が響き渡った。
「やりました!ポッター選手、スニッチを掴みました!二百六十対百三十、グリフィンドールの勝利!」