「あー、あぁ……どこから話していいか」
「だよな?この頃のお前は秘密主義が過ぎたからな。初めから話してみたまえよ。全部聞いてやるからさ」

広間に食事しに行く気分ではなかったので、僕とシリウスはそのまま寝室に上がった。シリウスはよほど参っているのか、こちらの尊大な物言いに噛み付きもしない。彼はベッドにどさりと腰を下ろすと、深々と頭を垂れた。

「何があったんだよ。前にに何かあったってのは聞いたけど、そのことと関係あるのか?泣いてただろ、。あのおっきな目、真っ赤にしてさ」

あれはどう見ても只事ではなかった。ひょっとするとスネイプの一件のときより怒っていたかもしれない。まさかまたスネイプと何か?ここのところどうも僕たちの周りを嗅ぎ回っていることには、当然僕だって気付いてはいるが。あんなものは無視しておくに限る。リリーだってもう奴には構っていないじゃないか?それなら、まともに相手にする必要はない。
シリウスはようやく顔を上げると、彼自身も赤く腫らした目を薄く開きながら、重苦しく語り始めた。

not wisely but too well

賢明ではなくとも

「最低!」

怒り心頭に発する、というのはまさにこのことだろう。話を聞いたリリーは文字通り『頭にきた』といった様子で顔を真っ赤にして喚いた。

「ロジエールもだけど、ブラックはもっとタチが悪いわ!よりにもよって自分の恋人が苦しんでるときに似たようなことを別の女の子にするなんて、信じられない!しかも、自分を好きだって言ってくれてる子でしょう?ねえ、あの人の根性はひょっとして死んでも直らないんじゃない?」

はそれには答えなかった。そうかもしれない。あんなこと平気でできるシリウスは、この先もずっとあのままなのかもしれない。だけどシリウスは、確かに変わった。ジェームズと出会ったときだって、そうなんでしょう?

。そろそろ、考えなおす時期にきてるんじゃない?」

そう言ったのは少し離れたところでこちらのやり取りを聞いていたニースだ。夕食を終えて戻ってきた彼女は、結局七時前になっても広間に下りてこなかった二人のために、サンドイッチを包んできてくれていた。

「あなたがブラックのこと好きなのは分かるわ。でもあの人、あんまり無神経すぎる。一緒にいてつらいのはだと思うけど?」

リリーは少し驚いたようだったが、すぐに同調するように相槌を打った。

「ニースの言う通りよ。ブラックが……あなたを心底好きだというのは、認めましょう。それはよく分かるわ。だけど、それ以外の人の気持ちを蔑ろにして平然としていられるっていうのは、人として大きな問題だわ。そういう人にを任せたくないし、あなただってきっと幸せになれない。分かるでしょ?」
「……そうだね。反論の余地は、ないよね」
「反論の余地?あるはずないわ!」

はリリーの激しい眼差しを避けて、ごろりと自分のベッドに横たわった。内ポケットに入れたシリウスのヘアピンを取り出して、指先でそっとなぞりながら目を閉じる。

「それはないんだけど……」
「けど?」

リリーは今や煮え切らないにまで腹を立てているかのようだった。よほどシリウスのことが腹に据えかねたらしい。ジェームズとの関係が良くなっても、それとこれとはやはり別問題だった。
ヘアピンをきつく手のひらに握り締めて、つぶやく。

「……だって、好きなんだもん」

どれだけ傷付いても、失望したとしても。その気持ちだけはきっと、変えられない。
「お前……ほんとにどうしようもないな」

アリスの予感は的中というところか。話を聞いたジェームズはつくづく呆れ返ったという面持ちで、深く長いため息をついた。俺には何がそんなにまずかったのか分からない。そりゃあ、確かにあのときはイライラしていて……そんなとき、しつこく食い下がってきたハッフルパフ生に、悪いことをしたという自覚はある。だががなぜあんなにも激昂したのか分からない。俺は一体、どうすればいいというんだ?

「何であんなに怒るんだって顔してるな?」
「………」

こいつは本当に、俺の何から何までよく分かっている。沈黙の肯定を向けて見やると、ジェームズはまたひとつ大きく嘆息して後ろに両手をついた。胸を反らしてぐーと伸びをしてから、一転して前屈みになりやたらと神妙そうにあとを続ける。

「いいか?はショックだったんだよ。好きでもないロジエールに無理やりキスなんかされて、お前のこと拒絶するくらいショックだった。ここまでは分かるか?」
「それは……分かってる」

嫌というほど思い知らされた。どれだけ駆け寄っても、手を伸ばしても。は泣きながらそれを撥ね付けた。自分がいやでたまらないと。
ジェームズはまだ分からないのかとばかりに目を細め、うんざりと咳払いを挟んで先へと進めていく。

「汚されたと思ってるんだよ。ロジエールのせいで自分が汚れたって。無理やりそんなことをされて、がどんなに嫌な思いをしたか。いくら拒んだって彼女もお前のことが好きだ。分かってほしいと思うのは当たり前のことだろ?なのにお前は同じことをやったんだよ。ロジエールと同じことをそのハッフルパフの子にしたんだ。と同じように、その子もお前に汚されたんだよ。分からないのか?が怒るのも無理ないよ。なんて馬鹿なことしたんだ、この馬鹿」

そんな、ことで?そんなことでが汚れたなんて思ってない。あのハッフルパフ生には確かに悪いことをした。でもあれは、彼女があんまりしつこく言い寄ってきたから。だからつい、カッとなって。

「でもあれは……あいつは、何考えてるか分かんねぇ。エバンは……ロジエールは、のこと好きでもないくせに。だって奴のことは、」
「好きとか嫌いとかこの際は関係ないだろ。無理やりキスされたり触られたり、そういうことで傷付くって言ってるんだ。実際お前は、その子を泣かせたわけだろ?いくら相手が好きな奴だって、いきなりそんなことされたらショック受けるだろって言ってるんだいいかもう一回言うぞ、お前はロジエールと同じことをしたんだよ、って言ってもまだ分かんないのかお前は!」

最後には心底うんざりした様子で怒鳴りながら、ジェームズは手元の枕を思い切り投げつけてきた。距離があったため大したダメージにはならなかったが、それを受け止めて顔をしかめた俺を見て、ジェームズは疲れたように頭を振る。

「あーあ、可哀相にな、。一番分かってほしい相手に何にも分かってもらえなくて。同じ傷を二度も汚されたんだ。可哀相に」
「そんな……俺はあいつが汚れたなんて」
「お前は思ってなくてもは思ってるはずだよ。まず間違いなく。お前、今度こそ本当に捨てられるかもな。それくらいのことをしたんだよ、お前は」

そんな……俺、そんなつもりはこれっぽっちも。だが、ジェームズの言う通りだ。あのときのの反応は、はっきりいって、尋常ではなかった。そんなにも傷付けたのか。俺は知らない間に、あんなにも深くのことを。掛け替えのない、たったひとりの。それを。

「なあ……俺、どうしたらいい?がいてくれねぇと、俺……」
「そんなもん知るか。自業自得だ」

あっさりと吐き捨てて、ジェームズはホグズミードから持って帰った大きな紙袋をあさり始めた。中から百味ビーンズの箱を取り出し、いかにも怪しげな茶色い粒をひとつ口の中に放り込む。

「うっえ!さいあく、鼻クソだ!ほら、お前も取れよ」
「絶対食わねぇ」
「食えよ。それで次にまともなのが出たら僕からのアドバイスをひとつやる」

ニヤリと笑ったジェームズの顔を見返して、俺はようやくあいつの投げた箱をキャッチした。クソ、それこそクソ味が当たってからというもの、絶対に二度と食ってやるものかと誓ったのを覚えているけれども。
俺はいくつか慎重に色合いを確認してから、赤色のビーンズを手に取った。覚悟を決めて、口に含む。

「おええぇぇぇ……」
「うん?どうした、何が出た?」
「おえ……さ、さいあくだ。に、人参が……」
「人参?なんだ、まともじゃないか!しょうがないな、このポッター様が最高の忠告を与えてやろう、ブラックくん」

こいつ、俺が他の何よりも人参嫌いだと知ってて。この野郎。
ジェームズはつかつかとこちらまで歩み寄ってくると、俺の手から百味ビーンズの箱を取り上げ、前屈みに顔を近づけてきたと思ったら急に真面目な顔をして言った。

「本人に聞け、ばーか」
「はっ……おい!」

それだけを吐き捨てると、扉に爪先を向けて足早に歩き出す。俺は面食らって自分でも間の抜けた声をあげた。

「なっなんだよアドバイスってそんなもんか、この!」
「他に何を期待した?いつもいつも僕が橋渡しするだなんて思うな。自分のしたことくらい自分できっちり落とし前つけるんだな。今度僕の大事な友達を泣かせたら    そのときはぶっ飛ばすぞ、この馬鹿犬」

そして握り締めた拳をかざして、ジェームズは部屋を出て行った。ひとり残された俺はベッドに座り込んだまま、呆然と目を開く。そして途端に情けなさが込み上げてきて、愕然と頭を垂れた。ああ、その通りだ。俺はいつだって、とのことはジェームズがどうにかしてくれると思い込んでいた。甘えていたんだ。あいつにも    そして、彼女にだって。すべてが当たり前のことだと。はっきりとそれを突きつけられて、俺は何もかもを見透かされたような気がした。

ジェームズの言う通りだ。自分の犯した過ちは、自分のこの手で落とし前をつけなければならない。
すでに食事を終えた寮生たちがたむろしている談話室を横切って、女子寮の階段を上がっていく。途中で下級生の何人かとすれ違い、きゃっきゃと黄色い声が聞こえたが、俺は気にしなかった。今、俺の頭の中にはのことしかない。目的の部屋の前で立ち止まり、大きく深呼吸してからやっと扉をノックした。

「はーい?」

返ってきたのはジェファの声だった。エバンスの厳しい眼差しを思い浮かべていた俺は、少し安堵しながら顔を上げて、告げる。

「あー……俺、ブラックだけど。と話したくて……開けてもらえないかな」

しばらく、沈黙があった。やエバンスに助けを求めているのかもしれない。頼む、。顔を見せてくれ。俺は一体どうすればいいのか    教えてくれ。
やがて、少しだけ開いた扉の隙間から顔を覗かせたジェファは、あまり表情のない面持ちで窺うように視線を上げてきた。そこから見える範囲に、やエバンスの姿はない。

は、話したくないって」
「あー……頼む、少しでいいんだ。    聞こえてるだろ?俺、お前と話がしたい。頼むから……出てきてくれ、お願いだ」
「ブラック、あなた自分がやったこと分かってるの?がどれだけ傷付いたか、あなたに想像できる?だけじゃないわ、プリシラだって」

やはり、話はから聞いているらしい。ジェファの後ろからずいと現れたのはエバンスで、その凄まじい剣幕から俺は彼女の拳が飛んでくることを覚悟した。けれども。
実際に俺の左頬を打ちつけたのは、冷ややかな眼差しで目を細めたニース・ジェファの平手だった。あまりの事態に唖然としたのは俺ばかりでなく、そのすぐ後ろにいるエバンスまでもが呆気に取られた顔でポカンと口を開けて、普段はおとなしいはずのそのルームメートを凝視している。ジェファはまったく悪びれた様子もなく右手を引っ込めると、部屋の奥を振り返ってこう言った。

、私、ちょっと図書室に行ってくるわね。リリー、行こう」
「えっ?え、ええ……そ、そうね。、行ってきます」

エバンスはまだジェファの豹変ぶりに驚いているようだったが、おとなしく頷いて、ふたりして俺を押し退けながら部屋から出てきた。ジェファはちらりともこちらを見ず、エバンスは思い切り憎々しげな目で睨みつけてから立ち去っていく。俺はしばらく根が生えたようにその場に突っ立っていたが、ふたりの後ろ姿が完全に階段の下に消えて見えなくなると、ようやく顔を上げて部屋に中に足を踏み入れた。初めて見る女子寮の室内は……思った以上にシンプルで、けれども至るところに女の子らしい小物が置いてあって。だが目に見えるところに、俺が彼女に贈ったプレゼントはひとつも見えなかった。初めからそんなところには置いていなかったのか、それとも……。
苦々しい思いで、首を捻ると    左手にある天蓋ベッドの上に、こちらに背を向ける形でが座っていた。

「……?入るぞ?」

返事はない。だが少なくともノーとは言われなかったので、俺は後ろ手にドアを閉めてのほうに近付いていった。

……なあ。話が、したいんだけど」
「わたし、話なんかないよ」

はどうやら、何か本を読んでいるらしい。ただ数十秒に一度ページを捲る以外は、ほとんど微動だにしない。俺はベッドのすぐ近くまで歩いていき、だが手は届かない、そうした距離で足を止めた。

……ごめん。俺、お前のこと……ほんとに傷付けた」
「ほんとに分かってるの?」

の声はとても冷たかった。分かっているはずだった。それでも    こんなにも、いたい。

「……ごめん。その、俺……あいつのことで、が傷付いてるの……分かってるつもりで、まったく分かってなかった。ほんとに……ごめん」
「ほんとに分かってるんだったら、謝る相手がまず違うんじゃない?プリシラのとこ、行った?」

ぐさりと心臓を抉られたようで、俺は渇いた喉に唾を飲み込んでから、ゆっくりと首を振った。

「それは……まだ」
「あのね、シリウス」

そこで彼女は、初めて顔を上げてこちらに向きなおった。その黒い瞳に、あの爽快さはない。分かっている。奪い取ったのは、俺自身だ。

「私、あなたのこと嫌いで言ってるんじゃないんだよ。好きだから……だからがっかりもするし、ショックも受けるんだよ。分かるよね?」

そんな    そんな悲しそうな顔で、言わないでくれ。さっきと同じように声を荒げて、掴みかかられるほうがまだましだった。思わず目を逸らして、うめく。

「……ごめん」
「シリウス……こっち、きて」

帰れと何かを投げつけられることは覚悟していたが、こんなことは想定していなかった。まるで密室に女と二人きりになるのが初めてだとでもいわんばかりの動悸に、俺はしばらくその場に立ち尽くしたまま、動くことができなかった。だがは急かすこともなく、じっとベッドの上で待っている。ようやく我に返った俺は、ゆっくりとそちらに近付いて、躊躇いながらも彼女の傍らに腰を下ろした。
しばし、黙って見詰め合ったあと    は突然糸でも切れたかのように、腕を伸ばして俺の身体にしがみついてきた。咄嗟のことに驚き、だがすぐにその背を抱き返して、呼びかける。

「……?」
「ほんとは……ほんとは、あのとき……こうしてほしかった」

はしばらくこちらのにおいを身体中で吸い込むかのように、俺の胸に顔を擦り付けた。ああ、愛しいが、全身で俺を求めてくれている。

「あのとき……ロジエールのことがあったあのときに。シリウスにぎゅってして……全部、忘れさせてほしかった」
「……ごめん。俺……ごめん」

何を言えばいいか、分からない。考えが、至らなかったとしかいえない。あのときは、俺も混乱して……走り去るの背中を、呆然と見送ることしかできなかった。
少し身体を離し、涙のこぼれた頬を拭いながらが顔を上げる。今度はその瞳を、まっすぐに見つめ返した。

「……さっき、ごめんね。痛かったよね。わたし、かなり本気で叩いた」
「いや、それは……いい。それは、大したことじゃない」

丸めた雑誌を力いっぱい頭に叩きつけられ、痛くなかったといえば嘘になる。ジェファの平手も、かなり効いた。だがそんなことはの痛みに比べれば、本当にどうということのない些細なものだろう。は布団の上に座りなおし、少し改まった様子で話し始めた。

「私、ああいうシリウスが好きとか、こういうシリウスが好きとか、そういうのじゃないの。シリウスのことが大好きなの。だから、何があっても結局はシリウスのこと、嫌いになれないと思う。でも……大好きなシリウスには、人の痛みが分かる人になってほしい。私の痛み、分かってくれてなかった……そのこともショックだったけど、でもそれは……伝えなかった、私も悪い。だけどシリウスには、簡単に誰かを傷付けたり、誰かを傷付けても平気でいられるような……そんな人になってほしくないの。誰にでもすっごく優しくなれなんて言うつもりないよ。私だって、好き嫌いはいっぱいあるもん。無神経に誰かのこと傷付けてること……あると、思う。だけど、自分を好きって言ってくれてる人にまであんなひどいことして平気でいられるような……そんなシリウスは、いやだ。言ってること、分かるよね?」
「……うん。わか、る」

今は彼女の痛みが、胸の奥にまで直接染み込んでくるかのようだった。そっと伸ばした右手で、濡れた彼女の頬を撫でる。は甘えるように少し擦り寄ってきたが、すぐに重心を元に戻して身体を離した。

「だから……まずは、プリシラに謝ってきて。じゃないと私、素直な気持ちでシリウスのこと、好きって言えない」
「……うん。わかった」
「それで……すぐに前みたいに、笑って一緒にいられるわけじゃないかもしれないけど。でも、私……今もずっと、シリウスのこと、大好きだから」

今も、大好き。その言葉だけで、冷え冷えしていた胸の中に温かい風が吹き込んでくるかのようだった。思わず涙がにじみ、それを見たは困ったように笑ってこちらの顔を覗き込んでくる。

「だからもう、大好きなシリウスのこと、嫌いなんて言わせないで」
「……うん」

嫌いなんて、言わせるものか。たとえそれが、愛情から生まれてくるものだとしても。
これまで幾度となく誓ったはずの願い    彼女を、絶対に失いたくないと。そのことをまた、ここでもう一度。もう決して、自分の至らなさで愛するを泣かせたくはない。
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(09.02.19)
love not wisely but too well... Othello 5.2.344