リリーの十七回目の誕生日は、それはそれは盛大なものになった(主にジェームズのおかげで)。リリーは恥ずかしいからやめてと言ったのだが、すでに厨房からご馳走を調達していたジェームズが談話室をパーティー会場にしてしまい、相手が人気者のリリーということもあってか、結局はグリフィンドール総出でリリーの成人を祝福することとなったのだ。みんなお祭り騒ぎが好きなので、主役のリリーが女子寮に上がっていっても、ずいぶん遅くまで飲み明かしていたらしい。おしまいにはネグリジェ姿のマクゴナガルが現れて、「何事ですか!」と一喝する始末だったそうだ。
「、さっきもブラックのこと避けてたわね?」
ふたりで部屋に戻る途中、両腕いっぱいのプレゼントを抱えた(因みに、もほとんど同量のそれを運んでいる)リリーがひっそりと聞いてきた。
「えっ!え、あ……そ、そんなこと、ない」
「うそおっしゃい。ジェームズたちが近寄ってきたら、すーっとどっか行っちゃったじゃないの」
「ち、ちがうよそれはただリリーとジェームズの邪魔しないようにって思って……」
言うと、リリーは少しだけ頬を赤らめたが、すぐにそれをごまかすように軽く咳払いして切り返した。
「あら、でもジェームズがこぼしてたわよ。最近シリウスに元気がないって。クリスマスの休暇中はあんなにも幸せそうだったのに」
今度はが赤面する番だったが、彼女は途端に肩を落として下を向いてしまった。
「それ……多分わたし関係ないよ。他に何かあったんじゃない?女の子に振られたとかさ」
うわ、自分で言っておいてかなりへこむ。案の定、リリーは間の抜けた声をあげてからの行く手を遮った。
「ちょっと待って。それはどういうこと?」
「どうって……だってシリウスだって、最近わたしのこと避けてる……」
「そうかしら?さっきも私にはブラックがあなたと話したがってるように見えたけど?」
「……気のせいじゃない?だってルーン語のときとか……特に何も言ってこないし」
「ねえ、」
うあああ、ほら、きた。嘆息混じりに肩をすくめたリリーは完全にの前へと回り込んで徐に口を開いた。
「あなたたちの間に何があったか私は知らないけど、でもこのままでいいの?ブラックのこと好きなんでしょう?」
ブラックの
シリウスのことが……すき。その当たり前の事実を改めて突きつけられただけで、涙が溢れそうになった。どうして。こんなにも好きなのに、どうして歩み寄ることができないのだろう。目の前の黒猫が自分だと知ったとき、シリウスが見せた表情。無理やりに迫られて、あのロジエールにキスされた。もっと警戒しておくべきだったということ?無防備すぎるとしきりに彼が言っていたのはそのことなの?そしてその現場を、シリウスに見られた……あのときの彼の顔。忘れることができない。
後になって、気付いた。あそこにシリウスがやって来たということは……迎えにきてくれたのだ、彼は。あんなにも激昂した後だというのに、彼は自分を迎えにこようとしてくれた。それなのに、どうしてこんなことに。彼の目を、真正面から見られない。ごめんなさい、シリウス。好きなのに
こんなにも、大好きなのに。好きだからこそ向き合えない。彼が真摯に愛してくれていることを、知っているから。
「……?ごめんなさい、私そんなつもりじゃ……」
リリーがおろおろと狼狽える姿を見て、は初めて自分の頬に伝う涙を意識した。両手が塞がっているためそれを拭うことはできないが、代わりにニコリと微笑んで首を振る。
「ううん、大丈夫、平気。その通りだなと思って。でもね、リリー」
行く手を塞ぐリリーの横を回り込んで進みながら、独り言のように告げる。
「好きでも一緒にいられないことって、きっとあると思うよ」
Time to Pause
たたずむじかん
冬も本番といった天候の中、二月に突入したホグワーツはまもなく第一回目の姿現し練習コースを迎えようとしていた。あの気持ち悪い感覚をまた味わわなければならないと思うと気が滅入ってくるが(しかも何度も!)、それよりも気が重いのはバレンタイン直前のホグズミード週末だ。ニースは当然のごとく恋人のブルーノと行くことに決めているし、リリーも早々にジェームズに誘われて、ほんの少しだけ保留したあと「いいわよ」と答えたらしい。舞い上がるジェームズを横目に見ながら、はほとんど毎日のように、にバレンタインの予定を聞いていいものかどうかと下手な気遣いをしている友人たちの意味ありげな視線に耐えなければならなかった。喧嘩中か、もしくは今後こそ破局したか……そうした噂が出回っていることは知っている。
はロジエールのことがあってからというもの、できるだけひとりで行動することを避けていた。まさか二度同じことはないと思うけど……おかげでロジエールを含むスリザリン生たちと遭遇しても、なんとか平静を保って通り過ぎることができたし、どうやらバレンタインにを誘おうとしていた男子生徒が何人もいたらしいのだが、周りに(騒々しい)女子が何人も固まっていたため、声をかけるのを断念した者が少なからずいたそうだ。いっそのこと、それでみんな諦めてくれたらよかったのに。私……誰とも出かける気、ない。
そしてまた訪れた憂鬱な古代ルーン語の時間、先に着いていたシリウスはいつもの席に座っていた。はドアの前で少し躊躇ったあと、いつものように笑顔を作ってから中に入っていく。振り向いたシリウスの目を直接見ることだけはせずに軽く挨拶し、いつものようにその横を通り過ぎて少し離れた座席に着いた。ここ最近は、以前より三席ほど遠いところに座ることにしている。バブリングはすぐに来るだろう。教科書を広げ、ひとりで格闘してきた課題を取り出して
。
そのとき、背後で椅子の足を引きずる音がしては反射的に振り向いた。つい先ほどむっつりした顔で挨拶に応じたシリウスが立ち上がっている。ぎょっと目を見開くを尻目に、彼は教科書や羊皮紙の束を手に取り、黙ってこちらに近付いてきた。
「え、あの……シリウス?」
何も言わずにどさりと隣の席に座り込んだシリウスを見て、おずおずと問いかける。彼は仏頂面でまっすぐ前を向いたまま、横柄に肘をついて「いけないかよ」とつぶやいた。
「そ……そういうわけじゃないけど」
どうしよう。心臓が居心地の悪い脈を打ち、身体中に熱がこもる。これほどの距離まで近付いたのはずいぶん久しぶりのように思えた。
何か、言わなければ。それとも、逃げるべきか?だが何もできないでいるうちにバブリングが現れたので、はそのままの座席で一時間の授業に耐えなければならなかった。
「それでは、今日はここまでにしましょう。次回までに残りの訳を作っておくように」
ひたすら練習問題を解き続けているうちにチャイムが鳴り、早々と教科書を片付けながらバブリングが告げる。は彼女が立ち去る前にと、分からなかったところを慌てて質問しに行った。
その間に、帰ってくれたらよかったんだけど……やっぱりシリウスは、そこに座ったままじっと待っている。もはや逃げる場所はない。観念して、二人きりになった教室の中、まだノートやら羽根ペンやらを広げている机に戻っていく。がそれらをのろのろと片付けている間、シリウスは何も言わずにただ黙ってその様子を見ていた。
「え、と……お腹すいた。早くお昼食べに行こう、シリウスも、ジェームズたちが待ってるよ」
「逃げるなよ」
無理やりあげたの明るい声を、シリウスが遮った。続いて伸びてきたその長い右手に腕を取られて、びくりと身じろぎする。彼の抱擁はいつも控えめで優しいのに
このときばかりは、ただ力任せに引き寄せられ、その強烈な眼差しに追い詰められた。
息が、詰まりそうになる。掴まれた両の腕が震えて、その働きを忘れてしまいそうな。こらえきれずに視線を落とすと、シリウスの手のひらにより一層の力が加わった。
「な……なに、シリウス?」
「なにって……それはこっちの台詞だ」
シリウスは座席に座り込んだまま、けれどもこちらを見上げるその眼差しに迫り来るものを感じさせて。
何も言えずに口ごもるの腕をさらに強く引き、ほとんど自分の上に覆い被せるようにさせながらひっそりとあとを続けた。眼前に迫ったシリウスの顔から、必死の思いで目線だけを外す。
だが彼の懐かしい匂いからは、どうしても逃れられなかった。
「……何で俺のこと避けるんだよ」
「べ、べつに避けてなんか」
「ないって?」
なによ。それを言うなら、シリウスだって。
だがそれを口に出すのは憚られたので、は答えなかった。しばらく待ってもが何も言わないことを知ったシリウスは、心を決めて彼女の腰を引き寄せ、自分も前方へと身を乗り出す。は彼の意図に気付いて、咄嗟に顎を引いてしまった。結果、シリウスの唇はのそれではなく、鼻を少し逸れたところをかすった。
明らかに傷付いた様子の彼の瞳が、すぐ目の前にある。
「ご……ごめん、わたし……」
「
何でだよ」
喉の奥から絞り出された彼の声は、痛いほどに震えていた。こちらの腰に添えた指先に、きつく、力がこもる。
「何で……俺が、嫌なのか?」
なんで。ちがうよ、そんなわけ
ないのに。
言えない。どうしても。シリウスがイヤなわけ、ない。でも……どうしても、受け入れられないから。あのときのロジエールの感触が、離れなくて。あのときのシリウスの表情が、忘れられなくて。
どうしたらいいか、自分でも分からないの。ただ好きというだけで、シリウスのまっすぐな気持ちを受け止められなくなってしまっていた。私と一緒にいても……ねえ、あなただってずっと、傷付くんじゃないの?ただでさえロジエールは、あなたに不快な記憶を思い起こさせるはずの人物だというのに。
が頑なに沈黙を保っていると、重々しく瞼を伏せたシリウスは項垂れるようにして彼女から手を離した。
「……だったら最初から、そう言えばいいんだ。そしたら俺だって、こんな」
「ち、違うよシリウス。ほんとに……そんなんじゃなくて……」
ああ、もう!一体どうしたいんだ、わたしは。素直に受け止められない。けれども、離れるのは
こわい。好きだから。それだけは、紛れもない真実だから。
「あんなことが、あって……どんな顔してシリウスと向き合えばいいか、分かんないんだよ。嫌なら逃げられたはずなのに……何で私、逃げなかったんだろうって。すごく嫌だったはずなのに……何で」
私は、どうしたいの。こんなことを言って、一体シリウスにどうしてほしいの?
「……あんまり、自分のこと責めるなよ。お前は何にも悪くないんだ。あいつが……」
「ダメなの」
渇いた喉を押さえながら、うめく。
「無理なの。自分がいやでたまらないの。それに……私といたら、シリウス、これからも嫌な思いばっかりするんじゃないかって。私、昔からシリウスのこと傷付けてばっかりで……家のことだって、アニメーガスのことだってそうだよ。私、ずっとあなたに大嫌いな家のことばっかり思い出させようとしてた。シリウスがあんなに心配してくれたのに、その気持ち裏切ってアニメーガスに」
「……違うだろ。アニメーガスのことはわざとじゃないって俺分かってるし、あの家のことは、ほんとに感謝してるんだ」
ちがう。ちがう、ちがう。分かってるんだ。シリウスは優しい。口ではそう言ってくれるの、分かりきってるじゃない。そんな言葉を望んだわけじゃない。だったら、一体?
「ごめん……しばらく、構わないで」
目を逸らしたまま、縋るように告げる。これ以上ここにいたら、本当に泣いてしまいそうだった。彼の反応を見る前に、教科書やノートを抱えて教室を飛び出す。寮への道のりを小走りでたどりながら、の心は泣いていた。
私は、何を言ってしまったのだろう。しばらく構わないで。しばらく?どれだけ?私は一体、何を望んでいたのだろう。あれは、さよならの言葉?
私は、卑怯だ。どうとでも取れる言葉だけを残して、あとは相手の判断に委ねてしまおうと。
離れたくはない。でも、一緒にはいられない。
はいつか自分が親友に聞かせた言葉と、母の友人たちのこととを思い出した。
(好きでも一緒にいられないことって、きっとあると思うよ)
それともあなたは、子供のつまらない事情と一緒にするなと怒るでしょうか。
ねえ、ベンサムさん。