絶対に、絶対に    壊してやる。何もかも、バラバラに、粉々に……。

奴らの笑う顔を見るだけで、反吐が出そうになる。腹の底が捩れて、喉の奥が憎悪で焼け付くような。どうして。どうして、奴らなんだ?子供の頃から一緒だったのに。何も知らない彼女に魔法というものの存在を知らしめ、共に同じ夢を見たのはこの僕だったはずだ!
どうして分からないんだ?人々が『闇の魔術』と呼び、疎み、忌む存在の中にこそ魔法というものの神髄が潜んでいるのだということを。そもそも、ここで用いられる『闇』という文言は『邪悪』という意味ではない。未知の領域、まだ見ぬ世界への挑戦    そこへ踏み込む勇気のない臆病者は、そうしたものを『闇』と呼んでただ恐れるのだ。そのことに気付いてほしい。聡明な彼女ならば、共にこの道を究められるはずだと信じていた。

ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、そして    あいつだ。。昔からポッターとつるんでいるあの女が唆したに違いない。
怒りと羞恥のあまり、彼女を心にもない言葉で傷付けてしまったのは僕だ。だが、そのことはきっちりと謝ったじゃないか。ずっとそばで見てきた僕が、マグル生まれだからといってどうして君を蔑むことがあると思う?蔑まれるべきは向上心を持たず、ただ驕ることしか知らない愚かな連中のほうだ。どうしてそのことが分からない。彼女が思い直してくれるのならば、僕は彼女をこちら側へといざなうことができる。

けれども、彼女は行ってしまった。きっぱりと背中を向けて、手の届かない、遠い彼方へ。

奴らのせいだ。彼女の周りで幸せそうに笑う連中を見ていると、燃え盛る憎しみに身体中を焼かれてしまいそうになる。どうして。僕はここにいるのに、どうして君はそんなところで笑っていられるんだ。

壊してやる。必ず。僕がそうであるように    奴らがこの先、笑っていられないように。

Journey of a thousand miles

大いなる旅路

動物もどき、アニメーガス。意のままに、ある特定の動物に変身できる能力、またはその能力を有する魔法使いのこと。非常に高度で複雑な術を用いるため、この魔法の習得には、魔法省の正式な許可が必要である。この能力は先天的に得られるものではなく、特殊な魔術的方法によって初めて後天的に身につけることができる。変身する動物の種類を意図的に選択することはできず、その魔法使いの生まれつきの性質や習慣など、様々な要因によって定まる。これは、たとえば守護霊の形状を術者の意思で決定できないのと同様の現象である    

は右手に羽根ペンを握り締めたまま、『変身術あれこれ』の後半部分に載っている項目の一つを熱心に読んでいた。机の上にはまっさらの羊皮紙と羽根ペン入れ、開いた『上級変身術』と積み上げられた辞書の山。今週中に仕上げなければならないレポートがあり、彼女はリリーと図書館に来ていたのだが、思うような資料が見つからないといってリリーはまた変身術の棚へと舞い戻っていった。は自分で選んできた本をもう一度調べなおそうと目次をぱらぱら捲って、なんとなく目についたアニメーガスのコンテンツを読み耽っていたのだ。
何度考えても、すごいよなぁ。登録済みのアニメーガスは、今世紀にマクゴナガルを含めてたったの六人。禁書の棚を除けばその詳しい方法を記した文献はほとんど    むしろ、皆無といっていい。は窓の外に視線を移しながら、以前ピーターに見せてもらった『動物もどき完全マニュアル』の内容を思い出していた。

まず、イメージは鮮明に。変身する動物の種類を自分で選ぶことはできないが、自分がどんな動物に変身できるかということは、訓練していくにつれて自然と分かるようになるらしい。シリウス、ジェームズ、ピーター。それぞれの、特徴。犬、鹿、そして鼠。分かるような気がした。ジェームズのアニメーガスだけは、なんだかんだで機会が巡ってこなくてまだ見ていないけれど。
私だったら    しばらく考え込んで、思い浮かんだのは気分屋の猫、シンディーだった。猫かー、いいなぁ。あ、でもシリウス、あんまり猫は好きじゃないんだよね。猫の姿で擦り寄ったら、突き放されはしないだろうけど、でもちょっとは嫌な顔をしたりするのかな。

は変身術の棚がある方向を振り向き、リリーが戻ってくる気配がないことを確認してから、椅子の上に座りなおして目を閉じた。小さく深呼吸して、イメージを膨らませる。い、いいよね、これくらい。なにも本気でやろうっていうんじゃないし、そもそもそこまで詳しいやり方知らないし。静かな空間でひとり視界を閉ざして座っていると、それは自然と頭の中に浮かび上がってきた。ああ、きっと『その姿をイメージする』って、こういうことなんだ。

そしてようやく瞼を開いた    つい先ほどまでとはまるで自分の視界が違っていることに気付いて、呆然とした。え?だって私、確かに図書館の隅で窓際の席に座っていたはずなのに。どういうわけか、は手元にあったはずのテーブルを見上げる形で椅子の上に座り込んでいた。なに?一体、何が起こったの?

「にゃあ」

へっ?思わず口を押さえようとしたが、うまく右手が動かせない。持ち上げた前脚は鼻先をこすってそのまま定位置へと戻された。うん?待て、前脚……?

「にゃあ!にゃあ!」

どっどどどどうなってるの!?はたと自分の身体を見下ろすと、信じられないものが目に飛び込んできた。黒い、毛に覆われた前脚。後ろから回り込んできた尻尾も同様に黒い。ちょ、ちょっと、まままま待って?まっ!

「にゃあ!」

にゃあって!ちょっと待って、わたし!えっ、こ、これはどういうわけ!?
状況が飲み込めずにあたふたしてみても、口から漏れてくるのは「にゃーにゃー」といういかにも猫らしい鳴き声だけ。ちょ、ちょっと待ってよ?これ、どうなってるの?あ、ありえない、まさかそんな……。
程なくして新しい本を五冊ほど抱えて戻ってきたリリーは、こちらを見下ろして不思議そうに目を開いてから、しばらくきょろきょろと周囲を見渡した。リ、リリーが大きい……いや、違うこれはやっぱり私が小さくなったんだ!

「あら、、いないの?どこに行ったのかしら……ねえ、可愛い猫ちゃん?迷い込んできちゃったの?ここはあなたが来るようなところじゃないわよ、外で遊んでらっしゃい」
「にゃーにゃーにゃー!」

え、ちょっと待ってよリリー!わ、私はここにいるじゃない!ど、どういうこと?『可愛い猫ちゃん』って……ま、ままままさか、本当に?
だが暴れるをひょいと軽々しく抱き上げて、リリーは図書室の外に出た。の小さな身体を廊下に下ろすと、じゃあねと微笑んでそのままドアを閉めてしまう。にゃー!にゃーにゃーにゃー!とひたすらに叫んではその扉に爪を立てたが、やがて隣のドアから顔を覗かせた司書が「騒々しいペットだこと!」と杖を振りかざして今にも襲ってこようとしたので、は一目散にその場から逃げ出した。かるい、かるい、軽すぎる……自分の足が、身体が。飛ぶように跳ねて、は廊下の端まで一気に駆け抜けた。
改めて自分の身体を見下ろして    愕然とする。黒い前脚。ふと裏返すと、肉球がぺったりとくっついている。うそ……うそ、どうしよう。ねえ、シリウス、これ、どうしよう!

どうやら私は、『イメージ』するだけで本物のアニメーガスになってしまったらしい。
「にゃあ!」
「ぶっ!」

レポートに飽きたので、そのまま談話室のソファで横になって眠り込んでいたシリウスはいきなり顔面に柔らかい何かが降ってきて潰れた悲鳴をあげながら飛び上がった。なっなななんだ、何なんだ?反射的に周囲を見渡して一番に目に入ったピーターを睨みつけると、やつは大慌てで首を振りながら俺の腹のあたりを指差した。せっかくの安眠を邪魔しやがって……一体何だっていうんだ?
だが示されたところを見下ろして、俺は初めて気が付いた。寝そべった俺の腹の上に一匹の黒猫が座って、何やら訴えかけるようにこちらの胸元をしきりに掻いている。まったく、何なんだよ……誰のペットか知らないが、他に猫好きのやつはいくらでもいるんだからそっちに行ってくれればいいだろうに。

「寮の入り口でずーっと婦人の足のあたり引っ掻いてたんだって。見ない顔だよな、誰の猫だろ?」

外から戻ってきたのか、ダンカンが通りすがりにこちらを見下ろしながら首を傾げてみせた。俺はもう一度、手元の黒猫を見やって眉をひそめる。俺だって知るもんか、見たことない。それが何で真っ先に俺のところにやって来て、こんなにも必死になってにゃーにゃー鳴いているのか。猫は猫らしく、ツンとしてればいいだろうが。

「あのなー……えー、あー、猫?ごめんな、名前知らねぇから、猫。猫?あのな、悪いけど俺、そんなに猫好きじゃないの、猫」
「にゃーにゃー、にゃー!」
「俺もう疲れてるから他のやつのとこ行ってくれよ。な?」
「にゃー!にゃーにゃー!」
「ブルーノなんかあれで意外と猫好きだぞ。頼むからそっち行ってくれない?オルニーは猫飼ってるから仲良くできると思うぞ?なあ、俺は寝たいんだよ」
「にゃー!にゃー!にゃーにゃー!」
「って……うっせぇなお前は!」

とうとう俺はソファから立ち上がり、その拍子に黒猫は俺の上からころりと落ちた。そこはやはり猫でうまく着地してみせたが、今度は俺の足に縋ってしきりに鳴き声をあげる。なんなんだよ、お前は!何でそこまで俺に拘るんだ!談話室にはグリフィンドール生が溢れていて、多くの生徒が動物虐待だといって非難してきた。

「おっ俺のせいじゃない!俺が猫好きじゃないの知ってるだろコラ!一体誰だよこんなしつこい猫そこらへんに放っとくやつは!鎖ででも繋いどけ!」

だが誰も名乗り出てくる者はいない。仕方なく俺は自分の足から引き剥がした猫をピーターのほうに放りながら、テーブルに広げたままの教科書や羊皮紙を片付けて寮生たちに背中を向けた。

「もういい!部屋で寝る!」

またあの黒い猫が追いかけてこないように、俺は二段飛ばしで寮の階段を跳ね上がっていった。

(でも……あいつ、どっかで見たことあるんだよな、多分)
はあ……想像はしてたけど、ちょっとショック。は冷たい床に蹲ったまま、深々と息をついた。

いきなりのことだったのでとにかく混乱して、は真っ先にグリフィンドール塔を目指して走った。シリウスに助けを求めようと思ったのだ。アニメーガスに変身する正確な方法を知らないのだから当然、元に戻る方法だって分かるはずがない。アニメーガスを習得したシリウスならば当然、元に戻る方法を知っているはずだ。だが「にゃー」しか言えない黒猫を、シリウスがだと認識できるはずもなく。

(でもひょっとして、分かってくれるかもなんて……ない、ないよねそんなの。そんなの期待されても困るよね)

それでも、寂しさをごまかすことはできなかった。そして    次から次へと溢れてくる、不安と焦燥と。

(もっももも元に戻れなかったらどうしよう!)

シリウスに捨てられた猫を哀れんで他のグリフィンドール生たちがすぐさまピーターのところに集まってきたので、はそのまま逃げるようにピーターの膝から飛び降りて談話室を抜け出した。どうしよう、どうしよう……も、もし戻れなかったら、私ずっとこのまま……マクゴナガルのところに行こうかとも思ったが、果たして気付いてくれるだろうか?気付いてくれたとしても、『正式』なやり方で変身したわけでは(絶対に)ない自分が元に戻るなんてできるだろうか。戻れたとして、一体どうしてこんなことになったのかを聞かれるだろう。説明なんてできない。私自身が分かっていないし    もしかしてそれが原因で、シリウスたちのこともバレてしまったら。

(なんで、何でこんなことに?)

ただイメージするだけで、変身できてしまった。こんなことって、あるわけない。何なの、夢でも見てるの?けれど、何度自分の身体を見下ろしても    そこには黒い動物の前脚が二本見えるばかりだった。

悩み抜いた末、は三階の女子トイレに飛び込んだ。ここならば誰に見られることもなくこの先どうすべきかをゆっくりと考えることができる。なぜならこのトイレには、あまり人気者でない住人が住み着いているから。

こっそりトイレに入ると、奥のほうからマートルの啜り泣きが聞こえてきた。個室に座り込んでまた死についてでも考えているのだろう。初めて出会ったときも彼女は泣きながら、死んだらどうのとか、いつか復讐してやるだとか物騒なことをぶつぶつ言っていた。はそのとき罰則として、城内すべての女子トイレを掃除して回っていたのだ。マートルは初め、「どうせからかいに来たんでしょう、ええ私は嫌われ者だもの、デブのマートルチビのマートル不細工で頭でっかちのタートルマートル!」などと、きっと何十年もに渡って培われてきたであろう被害妄想をぶちまけてきたが、がおとなしくトイレを隅々まで掃除していると、仕舞いには「へーあんたエライわねぇ、誰もこんなところ掃除したりしないのに!ねぇまた遊びにきなさいよ、あんたが掃除し甲斐があるようにしっかり汚しておいてあげるから!」などと上機嫌でのたまってくれた。以来、は一度もここへ足を運んだことはない。
まさかまたこんなところに来るなんて……けれども、背に腹はかえられない。ここ以外に、他の誰も現れないという確信を持てる場所はホグワーツになかった。今の姿で、自力で立ち入れる場所は、という意味だが。

うわー、あー、どうしよう……身体を丸めて個室の床に伏せ、瞼を閉じて項垂れる。落ち着きなく横に振った尾が冷たい床を打ったが、初めての変身に戸惑うにはその感触がよく分からなかった。どうしよう……このまま元に戻れなかったら。だめ、そんなの、だめ!戻って、お願い戻ってーー!!
そのとき。

「……?いるのか?なあ」

なっ!そ、外から    トイレの外から、シリウスの声がした。ちょっと待って!どういうこと、なんで?
けれども耐え切れなくなって、は猫の姿のまま個室から飛び出した。女子トイレの入り口から少し離れたところに立っていたシリウスのもとに駆け寄って、縋る。折れ目のついた羊皮紙を掴んでいたシリウスは、呆気にとられた様子で足元の黒猫を見下ろした。

「は?お前、さっきの……な、何でこんなところにいるんだ」
「にゃー!にゃーにゃー、にゃー!」

シリウス、お願い気付いて!それ、忍びの地図でしょう?用事があって探しにきてくれたに違いない。それなら、お願い、気付いて!もう一回地図を見て、自分の足元に『』がいることに気付いて。

「ったく、誰の猫か知らねぇけど……しょうがねーな」

シリウスはついに負けたという面持ちでの小さな身体を持ち上げた。脚の下に片方の腕を通して丁寧に抱えなおす。さほど好きではない動物にもこんな風に優しくできるんだと思うとなんだか嬉しくなって頬が緩むが、今はそれどころではない。

「にゃーにゃー、にゃー!」
「うん?なんだ、嫌なのか?」

は必死にかぶりを振って、シリウスのもう片方の手に握られた羊皮紙を右の前脚で叩いた。

「おい、やめろよ。これは大事な地図なんだから    

迷惑そうに顔をしかめたシリウスはこちらが届かないように遠ざけた地図を見上げ、そして。

「……え?」

呆然と見開いた目でしばらく周囲を見回したあと、腕の中の黒猫を穴が開きそうになるほどまじまじと見つめた。
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(08.11.13)