目が覚めたら、シリウスのベッドだった。枕元に置かれたシリウスの懐中時計
ジェームズの両親にもらったそれを、彼は肌身離さず持ち歩いていた
は朝の十一時を示している。う、わ……朝までシリウスたちの部屋で眠ってしまった。彼はが身体を起こしたときに少し身じろぎした程度で、まだの腰に手を回したままぐっすりと眠り込んでいた。その寝顔がまるで子供のようで、思わず微笑んでそっと顔を近づける。漏れ鍋に泊まっていたときは同じ布団で寝るのが当たり前だったけれど……ああ、目覚めて一番に大好きな人の顔を見られるっていうのはやっぱり、こんなにも幸せなことなんだな。昨日は曲がりなりにも『罰則』を受けていたのだから、あまり大っぴらには喜んでいられないけれども。
「んー……あ?、おはよう……」
「あ、おはよう、シリウス。起きた?」
「うーん……うん……うん」
まだ寝てる。一度うっすらと瞼を上げたシリウスは少し距離のあいたの腹部をしっかりと抱き寄せてから、またすーすーと寝息を立て始めた。あー、もう!これじゃあ私が動けないじゃない。
「シリウス、私そろそろ戻らなきゃ」
「えー、どうせ休みだろ……もうちょっといろよ……」
「シリウス、ここが学校だって忘れてない?」
寝るときはちゃんと部屋に帰ろうと思ってたのに。ジェームズたち……多分、帰ってきてるよね?ベッド周りのカーテンから外を覗こうとしても、シリウスにがっしりと拘束されてそこまで手が届かない。は仕方なく枕に頭を戻して、目を閉じたシリウスの鼻先にそっと指を伸ばした。ちょんちょんと軽くつつくと、小さくうめきながらシリウスがさらに距離を詰めて、まるで抱き枕のようにきつく抱き締められる。くすぐったい幸せに思わず顔を綻ばせながらも、はシリウスの額をそっと小突いてなんとか起こそうとした。
「シリウスー、私、帰るよー」
「……んー、だめ」
「シリウスー」
「君たち、朝からイチャイチャしてるわけ?いい加減に起きたほうがいいと思うけど。そろそろお昼の時間だよ」
カーテンの向こうからいきなりジェームズの呆れた声が聞こえてきて、寝惚けかけていた意識が一気に覚醒する。は急いで起き上がろうとしたが、シリウスに腕を掴まれて布団から抜け出せなかった。
「シリウスー!起きてよ、私、お昼はちゃんと食べたいもん!」
「んー……いいじゃん、あとで厨房行ってなんかもらってこようぜ?こんな機会あんまりないんだから……」
「だーめ。ほら、起きてシリウス」
ぺちぺち頬を叩いて繰り返すと、ようやくシリウスが寝惚け眼で顔を上げ、前に思い切り両腕を伸ばす。大きな欠伸をひとつ漏らして、彼は四方に散った髪の毛をくしゃくしゃと掻き回した。
「うーん……だってだるいもん。、もーちょっとゆっくりしよう」
「もう……しょうがないな。じゃああと三十分寝たらおとなしく起きる?」
「うん。起きる」
「じゃああと三十分。ジェームズごめん、私たちもうちょっとゆっくりするから私たちのことは放っといていいよ」
「はいはい、分かりました。好きにしてくれたまえよ、それじゃあ僕は先に行くね」
「あ、リーマスとピーターは?」
カーテン越しにが聞くと、ジェームズは嘆息混じりに言ってきた。
「二人とも談話室だよ。こんな時間まで寝てるのは昨日張り切っちゃっただらしないカップルくらいじゃない?」
Fair is foul, and foul is fair
どちらもおなじ
軽くシャワーを浴びてから大広間に下りていくと、すでに大半の生徒は昼食をすませたところだった。いつもの友人たちの姿を探し、まだ眠そうなシリウスと別れてそちらに足を向ける。途中で七年の男子生徒が固まっている横を通り過ぎたのでは彼らにも挨拶したのだが、ダークは曖昧に笑ってすぐにこちらから顔を背けてしまった。どうしたんだろう?あんなに愛想のないダークを見るのは初めてのことだった。
「あらあら、朝帰りどころか昼帰りのちゃんがお出ましよ。やーん、お肌もおきれいなこと」
リリーやニース、スーザンたちのテーブルに近付くや否やはハナのいやらしい視線を浴びてすぐさま真っ赤になった。やめてよ!と慌ててハナの口を押さえつけながら席に着く。オートミールの大皿はほとんど空っぽになっていたが、が座ると同時にまた温かいメニューで満たされた。
「みんなはどうだったの?パーティ楽しかった?」
「まーね。でもあいつ、セスナ!あんなロマンチックなムードがあって、それでパーティのあとに誘ってこないなんてありえる?信じられない、あんな意気地なしだと思わなかったわ!」
「やめなよ、ハナ……聞こえてるって」
「いいのよ聞かせてやるのよ、あんな臆病な男、こっちから願い下げだわ」
うわああああ、見てるよ、ハッフルパフから見てるよ六年生!は気付かない振りをして急いで小皿に分けたオートミールを掻き込んだ。朝食を抜かしたのでお腹はぺこぺこだ。
「リリーはどうだった?楽しめた?」
ゴブレットに口をつけたまま押し黙っていたリリーに問いかけると、周囲の空気が一瞬にして張り詰めた。は思わず息を呑み、わけが分からずきょとんと目を見開く。リリーはどう見ても幸福そうな顔付きからは程遠く、きつくゴブレットを握って頑なに自分の手元を見つめていた。
え……ひょっとして、わたし、聞いちゃいけないこと聞いた?
「あー……喧嘩したのよ。ねえ、リリー?」
「け、喧嘩?ダークと?え……なんで」
躊躇しながらもリリーの代わりにメイが答えたので、は素っ頓狂な声をあげて聞き返した。リリーはしばらく口ごもったあと、小さなため息をひとつ挟んで、
「別れたの」
「わか……えっ?わ、わ……」
別れた?え、それってもしかして
ダークと?え、一体……どうして?けれどもリリーはそのままヨーグルトに手を伸ばして黙り込んでしまったし、スーザンやマデリンたちが「男は他にもいるわよ、気にすることないって」としきりに励まし出したので、はそれ以上聞けずにひとまず目の前の昼食に集中することにした。
「パーティのとき……別れてって、言われたの」
部屋に戻るや否やがしどろもどろに尋ねたので、リリーは疲れた顔をしてベッドに腰掛け、絞り出すようにしてそう言った。そうか、だからダークもあんなに余所余所しかったんだ……だけど、どうして?
「なんで……ダーク、リリーのこと大事にしてくれてたじゃない。わたし、信じられないよ……パーティのことだって、ダーク、楽しみにしてるように見えたのに。ねえ、なんかあったの?」
「……私が悪いのよ」
はひっそりと囁いたリリーの澄んだ瞳に、きらりと涙が光るのを見た。なに、どうしたの?慌てて駆け寄って、彼女のすぐ隣に浅く座り込む。リリーは目を赤く腫らせ、声を潜めて泣き出した。
「私が……結局は二人とも傷付けて……なにもかも失くして……」
「リリー?どうしたの
大丈夫だから。人間同士だもん……いろいろあるのは仕方ないよ。言いたくなかったら、無理して言わなくてもいいし。でも、抱え込んでてつらいんだったら、話してくれればいいよ。大丈夫だから」
言うと、リリーは突然弾けたように腕を伸ばしてこちらの肩にしがみついてきた。激しくしゃくり上げながら、
「私が……ずっとふらついてて……だから傷付けたの、ダークは……私がポッターのこと好きだって……ポッターのほうが好きなんだって……」
え?それって、ひょっとして……。相手の背中を抱き返して、聞き返す。
「……リリー、ジェームズが好きなの?」
「わ、分からないわ……好きよ、ええ、ポッターのことは好きよ。好きだけど……分からないのよ。それでも私はダークを選んで
ダークと一緒にいようって、決めたはずだったのに」
何やってるのかしら、私は。リリーはそう囁いて、涙でくしゃくしゃになった顔を拭いながら少しだけこちらから身体を離した。ああ、リリーはこんなにも苦しんでいたんだ。
「ダークが……リリーは自分より、ジェームズのほうが好きだって言ったの?」
「……私が、ずっと他のことばっかり考えてるって。ポッターが近くにいたら、いつも変だって……」
両手で顔を覆って嗚咽するリリーの背中をまた抱き寄せて、撫でる。ダークがジェームズのことを持ち出してリリーに別れを切り出す?その場面を想像することがまったくできなかったので、は困惑してしばらく黙り込んでいた。それとも再びジェームズに機会が巡ってきたことを喜ぶべきだろうか?
「リリーは、どうしたいの?ダークと……このまま離れちゃっても?」
「そんな……好きよ。ダークのことは好きだし、尊敬もしてるわ。こんな形で、離れたくないけど……でも、私が優柔不断で彼を傷付けて……それでも一緒にいたいなんて、そんなこと」
「だったら
もう一回、ジェームズにチャンスをあげてくれない?」
ああ、なんてこと!リリーがこんなにもダークのことで悩んでいるというのに、私が言うことといったらジェームズのことなの?ああ、ごめんなさいリリー。でも……だけど私はずっと、あなたのことを思うジェームズをそばで見てきたから。だから。
リリーは逃げるように視線を逸らしてから、消え入りそうな声で呟く。
「……でもポッター、昨日のパーティで他の女の子と一緒だったし……もう、私のことなんて」
「そんなこと!ジェームズ、ずっとリリーのこと好きだよ。あのハッフルパフの子とダンパ行くことにしたのも……頑張ってリリーのこと忘れようとしてて。でも忘れられなくて……だってあの子とデートしてきたらって勧めたって、ジェームズ、結局パーティ前に一回もあの子と会うことすらしてなかったよ」
涙に濡れたリリーの頬が、心なしか赤く染まった気がする。けれども彼女は振り払うようにきつく目を閉じてから、今度こそ身体を後ろに引いてから離れた。
「……しばらく、考えてみるわ。どうすればいいか……決めなきゃいけないのは、結局のところ私自身だから」
「うん……それは、そうだね。でもあんまり、自分ばっかり責めないでね。誰も傷付けずにすむ恋愛なんて……ひょっとして、ないかもしれないんだから」
それは、何気なく口にしただけだったのだが。
リリーははっとした様子で目を開いてから、顔を上げて、ほんの少しだけ微笑んでみせた。久しぶりに、彼女の笑顔を見られたような気がした。
「エバンスと別れたって、本当?」
パトリックが席を外している間に、さり気なく近付いてきたジェームズが聞いた。思わず睨みつけそうになったのを、俯くことでなんとかごまかす。ああ、そうだ。ジェームズは悪くない。リリーが悪いわけでもない。もちろん俺のせいでもない。つまり恋とはそういうものだ。
「耳が早いね」
「ハナが城中歩き回って吹聴してる」
ああ、あの子は最近口を閉じるということを知らない。まったくのでたらめを言い触らされるのも面倒だが、本当のことをこんなにも早く広められると少し後悔の念が湧き上がってくる。彼は意味もなく手元の教科書を捲って、出現の理論法則をその場で暗記しようとした。
「あの……僕がこんなこと言う資格なんかないって分かってるんだ。分かってるけど……でも君ならきっと、エバンスを幸せにしてくれると思ったんだけどな」
聞きたくなかった。そんなことは。天才的なシーカーで、頭も良い。人を楽しませるために生まれてきたようなグリフィンドールの人気者。それでいて気遣いも上手、友達思い
獅子の輝かしい異端児、ジェームズ・ポッターを、こんなにも憎らしく思ったことはいまだかつてなかった。膝の上に置いた教科書を勢いよく閉じて、不意を衝かれたジェームズを一瞥して立ち上がる。
「
それでも君は本当にリリーのことが好きだったのか?」
「え?」
「そんなことにも気付けないなんて……君の洞察力も、大したことはないんだね、ジェームズ」
「……は?ダーク、一体なにを言って」
「リリーがほんとは誰が好きか、分からないのかって言ってるんだよ」
突きつけると、ジェームズはいかにも間の抜けた顔をしてポカンと口を開く。すぐに目を逸らし、背中を向けて歩き出した。教えてやる義理なんてない。
「分からないならそれでいいよ。ずっと悩んでいればいい」
ああ、俺はこんなにも嫌な男だったんだな。胸に輝く『P』のバッジが、急に不相応な気分になってきた。