「……こってり絞られた」
「仕方ないよ。私たちそれだけのことしたし……それにシリウス、言わなくてもいいことまで言っちゃったでしょ?」
マクゴナガルの部屋から戻ってきたシリウスは唇を尖らせたが、それ以上は愚痴のひとつも言わずにおとなしく口を噤んだ。
とシリウスがダンスパーティへの参加を禁止されたことはあっという間にホグワーツ中に知れ渡ったが、その正確な理由を知っているのは当人たちのルームメートだけだった。どうやら無断でホグズミードに行ってマクゴナガルの逆鱗に触れたらしい、バカだな、どうせ見つかるのに
囁かれるのはそうした噂ばかりだった。
「あー……あー、なにを言えばいいか、分からないわ」
「……うん、うん、何も言わなくていいよ。ジェームズにもリーマスにもマクゴナガルにも散々絞られたから」
リリーとニースの反応も、ジェームズたちと似たようなものだった。驚き、呆れ果てている。ニースはとフィディアスがそこまで親密な関係だとは知らなかったので、そのことにとても驚いていたけれど。
「だけど、せっかくのパーティなんだから……マクゴナガルにお願いしてみたら?」
「とんでもない!自分たちが悪いことしたの分かってるし……シリウスとおとなしく寮で過ごすことにしたの」
ニースの提案には首を振り、今まさにドレスローブに着替えようとしているルームメートに声をかけた。
「私はシリウスとチェスでもやってるから、みんなはパーティ楽しんできてね!」
鮮やかなパープルのローブを取り出したリリーは振り向き様に静かに笑ってみせた。
Shall we DANCE ?
踊りませんか
はーあー。まったく惨めでならない。同室の三人が
あのピーターでさえもパートナーを見つけて洒落たドレスローブに着替え(それが似合っているかどうかはともかく)これから出かけようというのに、自分はいつもの夕暮れ時と同様に、だらりとベッドに横たわって開いた雑誌を見ている。ま、どいつもこいつも好きでもない女と踊りに行くだけだろ?だったらパーティなんか行けなくたって好きな女と一緒にいられる俺のほうがずっと幸福だ!負け惜しみじゃない、負け惜しみでたまるか。がいなきゃダンスパーティなんか何の意味がある。俺だけが禁止されては別の男とダンパに行く
なんて最悪の事態が訪れたわけではないのだから、なにを不満に思うことがある?
「それじゃあ、哀れなパッドフットくん、僕らはそろそろ行くよ。せいぜいこの広いグリフィンドール塔をと二人で堪能してくれたまえ」
「あーあー、言われなくても」
チッ、ド派手なチーフなんか買いやがって。それがパートナーのハッフルパフ生(ついぞ名前を覚えられなかった)のためならば健気だがな!
ルームメートが全員出払ってから、読んでもいなかった雑誌を脇に放り出してぼんやりと天井を見上げた。何時頃に下りて行こうか。惨めな気分になるので寮生がみんないなくなったあとがいい。夕食だけはマクゴナガルの計らいで談話室にしもべ妖精が食事を運んでくれることになっていた。寝返りを打ったとき視界に入ったトランクの中には……あの日リーバーの店でと一緒に選んだドレスローブが買ったままの状態で入っているはずだ。のろのろと身体を起こしてその紙袋を取り出したところで、ドアの外から声がした。
「シリウス、しもべ妖精がご飯持ってきてくれたよ!一緒に食べよー」
だ。声の聞こえ方からして、階段を上がったすぐのところから呼んでいるのだろう。シリウスはドレスローブの紙袋を慌ててトランクに押し込み、転がり落ちるようにしてベッドから下りた。
わーあー緊張する。談話室でシリウスと夕食を食べるのにどうして緊張しなければならないかというと……。
足音が聞こえたので顔を上げると、男子寮から下りてきたシリウスがこちらの姿を見てポカンと口を開けたところだった。身体の奥からじわじわと熱が込み上げてきて、赤くなった頬を隠すように横を向きながら、なんとか笑ってみせる。
「あ、シリウス。ご飯食べよう、今日はすっごく豪華だよ」
「うん……あ、あー、……着替えたんだ?」
「う、うん、だってせっかく買ったんだもん……使わずに終わるなんてもったいないでしょう?」
はリーバーの店で買った赤いドレスローブを着て剥き出しの肩に透き通った白いショールをかけ、談話室のテーブルいっぱいに満たされたご馳走を小皿に取り分けていた。恐らくダンスパーティに出されているものと同じ食事だろう。見たこともない豪華な料理までずらりと並び、美味しそうな匂いが部屋中に充満している。惚けた様子のシリウスが近付いてくるのを待って、は空のゴブレット二つにバタービールを注いだ。
「はい、とりあえず乾杯しよう。足りなくなったらまたしもべ妖精が持ってきてくれるって。罰則受けてるはずなのに待遇いいよね、こんなんでいいのかな……って!」
シリウスはが差し出したゴブレットを受け取って、もう片方の手で不意に彼女の肩を抱き寄せた。薄いショールを一枚しかまとっていなかったので、その手の感触がほとんどそのまま肌に伝わってきてびくりと身じろぎする。なんとかバタービールはこぼさずにすんだが、は恥ずかしさのあまりシリウスの胸元に顔をうずめたまま固まってしまった。
「、乾杯」
「か……んぱいはいいけど、ちょ……は、はなしてよ……」
「いやだ。誰もいないんだ、別にいいだろ?なあ、髪、昼間とちょっと違う匂いがする。なんかつけた?」
わーわーわーバレてる!そりゃあ……気付かれないよりはずっといいけれど。でも、口に出して言われると恥ずかしいよ!
「えっ……と、その……髪まとめるときに、ちょっと……」
「ふーん。いつもの匂いも好きだけど、これも好き」
シリウスはもともと髪の匂いを嗅ぐのが好きだけれど、このときはよほどトリートメントの香りが気に入ったのかソファに座ったあとも料理には手をつけずに、ずっとの頭を抱いて左耳のイヤリングを撫でていた。わー!くすぐったい……こんなにも美味しそうなご馳走を目の前にして食べられないし。(シリウスが放してくれないから!)その日、髪はフローラル系のトリートメントでまとめ、リリーがプレゼントしてくれたパールのコームでアップしてあった。ときどきなぞるようにうなじに指先を這わされて……身体中、ぞくぞくする……。
「ねえ、そろそろご飯食べよう?私、お腹すいちゃった」
「うーん……もうちょっと」
「ねえ、私あのポトフみたいなの食べたい」
シリウスが頭を引き寄せて頬にキスしようするのをかわしながら言ったので、彼は少し拗ねた様子でやっと手を放した。
「は俺よりポトフがいいんだ」
「変なこと言わないでよ。お腹ぺこぺこなんだから!シリウスは食べないの?」
「……食べる」
「だったら変なこと言ってないで取りにきて。シリウス、人参も入れとくよ?」
「え、なんで!俺が嫌いなの知らなかったっけ?」
「知ってるけど……だって人参がないと色味が悪いんだもん」
「えー、いや、いや、いやだ、人参入れるんだったら食わない!」
「そんなこと言わないで。はい、あーん」
人前ではこんなこと絶対にできないけど!スープ皿から掬った人参をシリウスの口元に近付けると、彼は驚いたようにの顔をじっと見つめたあと、きつく目を閉じてスプーンを咥え込んだ。口からスプーンを抜いてからも、噛むのはしばらく先延ばしにしていたけれど。シリウスは今にも吐きそうな顔をして頭を抱えた。
「おいしい?」
「……なんか、変な薬草そのまま食ってる感じ」
「えー!全然違うよ!」
シリウスは好き嫌いの多いに比べ未知の料理でもけっこう何でも平気で食べてしまうのだが(肉が大好きなのはみんなと同じ)、人参とパプリカ、パイナップルだけはどうしてもイヤらしい(ひょっとしたら他にもあるかもしれないけど)。今度、人参ケーキとかフルーツポンチとか作ってあげようかな。
「じゃああとで私が食べてあげるから残しといて」
「最初から除けてくれればいいのに」
「人参ぜーんぶ除けるのだってめんどくさいんだから。はい、どーぞ」
自分のスープ皿を受け取ったシリウスはが自分の皿にポトフを装うのを見て、あっと声をあげた。
「お前だって肉よけてるじゃねーか!」
あ……バレてた?
大広間の飾りつけは素晴らしかった。壁はきらきらと輝く銀色の霜で覆われ、星の瞬く黒い天井の下には何百というヤドリギや蔦の花綱が絡んでいる。各寮のテーブルは取り払われ、代わりにランタンの明かりに照らされた、十人ほどが座れる小さなテーブルがたくさん置かれていた。その上にはずらりと豪華な料理が並んでいる。
「へぇ、すごいね、さすがに気合いが入ってるよ」
「わー、素敵!ねえ、あれって妖精かしら。私、見たことないの!」
淡いピンクのドレスローブを着たサマンサは、黄色い声をあげて頭上を優雅に飛ぶ小さな光の粒を指差した。その右手はがっしりと僕の腕を掴んでいる。そんなにきつく握らなくても、僕が女の子に恥をかかせてまで逃げ出すとでも思っているのだろうか?
「ああ、あれはフェアリーっていってイギリスで最も一般的な妖精だよ。このへんにも野生のフェアリーがたくさんいるんじゃないかな、ちょっとしたパフォーマンスが好きな連中さ」
軽く説明しながら顔を上げると、ちょうど頭の上を飛んでいった丸い光がそれに応えるようにぐるりと虚空で円を描いてみせた。それを見てサマンサはまた嬉しそうに歓声をあげる。
「素敵!ジェームズはほんとに何でも知ってるのね」
僕は空いたほうの手で軽く頬を掻きながら笑う。こんなことで喜んでくれるなんてお手軽でいいけれど(こんな言い方をしたらが怒るかな?)、やっぱり何かが違うのだ。心はどこかに飛んでいってしまいそう。はどうしてるかなぁ。寮に二人きりだからきっと……うん、あのシリウスに我慢なんてできるはずないな。あいつといわゆる『深い仲』になってから、は格段にキレイになっている。あーあ、羨ましい限りだ!
のことばかりを考えているには理由があった。さっき玄関ホールでたまたまあの二人を目撃してしまったから……どうしようもない葛藤で、押し潰されそうになっていたのだ。このモヤモヤした感情を押し出すには、別の何かを考えるしかない。ごめん、君のエッチな顔を想像して鬱憤を晴らそうとしているわけじゃないんだ、ごめん!
「ねえ、ジェームズ、早く座ろう?席がなくなっちゃうわ」
ぐいぐいと腕を引かれて、我に返った。まったく、女の子と一緒にいるというのに別のことばかり考えているだなんて。僕もまだまだだな。でも、?僕は頑張っているよ。あの二人が腕を組んで広間の奥のほうに歩いていくのを目撃しても、逃げ出さずにこうしてまだここにいるんだからさ。ねえ、僕の頑張りは認めてくれるだろう?
「ジェームズったら!」
「ああ……ごめんごめん」
より努力して、この場は目の前の女の子に集中することとしよう。
それにしても、ピンクはやめたほうがいいと思うな?
美味しいものをお腹いっぱい食べたら、途端に眠気が襲ってきて気付かないうちに寝てしまったらしい。いつもはビューラーで軽く上げるだけの睫毛にマスカラを貸してくれたのはスーザンだった(「ダンパに行けないなんて!せめてお洒落して誘っちゃいなさい!」)。彼女のお陰で、ダンスパーティに行けずともせめてドレスローブには着替えよう!と思い立ったのだ。ソファの背もたれに頭をもたせかけて重い瞼をゆっくり開くと、すぐ目の前にシリウスの顔があって心臓が止まりそうになった。
「起きた?」
「な、なんで起こしてくれなかったの?私いつから寝てた?」
「うーん、デザート食べ終わって……すぐ?だって起こすの悪いじゃん」
「だっ、だ……ひどい、意地悪。ねえ、どれくらい寝てた?」
「三十分も寝てないよ。なー、マスカラ落ちてる」
「えっ……!」
「うそ」
こちらの目元を優しい手付きでなぞりながら、シリウスはあっけらかんとそう言った。は真っ赤になって心もち身体を後ろに引き、怒鳴る。
「ひどい!ばか、最低!ねえ、ほんとに落ちてない?大丈夫?」
そのとき、初めて気が付いた
シリウスはさっきまでの、普通のセーター姿じゃない。その格好がリーバーの店で試着したときより馴染んで彼の細身に映えていたので、はそれまでとは違う意味でドキドキと心臓が高鳴るのを抑えられなかった。ニヤリと笑って、シリウス。
「見惚れてる?」
「な、だ、だって……いつ着替えてきたの?」
「が寝てる間。俺だけ普段着なの寂しいだろ?」
「……か、かっこいい」
うわああ、言っちゃった、言っちゃった。でも自然と口から出ちゃったんだもん。シリウスは嬉しそうだったけれど、少し意地悪な笑みを浮かべてこちらの顎に指を滑らせた。
「それは俺じゃなくてリーバーのローブがいいんだろ?」
「……もう、揚げ足取らないでよ!シリウスが着るから……いいの」
分かってるくせに、口で言わせたくて。シリウスのドレスローブは濃紺でとてもシンプルだが、それが白いチーフと相俟ってシリウスのすらりとした長身と艶やかな黒髪を大人っぽく引き立てていた。いつもの制服や私服姿のシリウスとはまるで違う……でもやっぱり、その整った顔立ちと優しい瞳は紛れもなくシリウスのもので。ああ、彼はこんなふうに『大人』になるのかなとぼんやり思った。
シリウスが徐にソファから立ち上がり、惚けたように見上げるの前に少し気取った仕草で右手を差し出す。
「シャルウィダンス?」
その慣れない雰囲気や口調が妙に似合っていて、はどきどきしながらも思わず小さく噴き出してしまった。