「そんなことで    俺を騙せるとでも思ったか    馬鹿め    二度と来るな!」

吼えるような怒鳴り声のあと、バタンと激しく木のドアが閉まる音がして、どうやら放り出されたらしい男のよろめいた足音が遠ざかっていった。酔っているらしい。ひっく、ひっくとしゃっくりをし、口汚い悪態をつきながら、やがてバチンという音とともに何も聞こえなくなる。シリウスは井戸から頭を出して慎重に周囲を見回してから、ようやく外に這い出して中に残ったの手を引っ張った。

「このへん、やだ……なんかガラ悪いもん」
「でもこっから出るほうが人目がなくていいんだよ。三本の箒までそんなにかかんないしな」
「でも井戸から人が出てくるの見られたらかなりまずいと思うんだけど?」
「そうだな。見られたらどうしようもないな。だから気をつけるんだよ」

もう一度あたりを見回してから、シリウスはの肩を抱き寄せて足早に歩き出した。思わずどきりとしてしまうも、この寒空の下ではこうして身体を寄せ合っているより他にない。このクソ寒いのにコートもマフラーも忘れてくるなんて致命的だ。普段ならば決してこんなことはできないが、もまたシリウスの背中にきつく腕を巻きつけて、急いで三本の箒に向かった。

「いらっしゃ    あら?シリウスじゃない!どうしたの?今日は外出日じゃないでしょう?」

クリスマスを明日に控えた三本の箒は大人の魔法使いで溢れ返っていた。陽気な熱気がむんむんと狭い店内にこもり、外の刺すような冷たさが嘘のように溶かされていく。たちのことを見咎めるような客は誰もいなかったので、二人は中に入ってカウンターから出てきたロスメルタに近付いた。

「ああ、だからこのことはホグワーツのみんなには秘密にしてほしいんだ」
「ええ、もちろん。わざわざ抜け出して遊びにきてくれたの?」
「いや、実はひとつ頼みがあるんだ    暖炉、貸してくれない?」

シリウスがさり気なさを装って切り出すと、ロスメルタはその整った眉を訝しげに動かしてみせた。彼女が口を開くよりも先に、シリウスがさらに続ける。

「どうしても行きたいところがあってさ。今日だけでいいんだ」
「行きたいところって……あのね、シリウス、うちは都合のいい駅じゃないのよ?いくらなんでもホグワーツ生に暖炉を貸すなんて……私にも良識はありますからね?デートならお城でもできるでしょ」

シリウスの後ろにいるをちらりと一瞥して、ロスメルタが呆れたように微笑む。赤くなったシリウスが違うんだと言い返そうとしたところで、奥のテーブルから太い男性の声が陽気に女主人を呼んだ。

「はーい、すぐに!    シリウス、見ての通り今日は忙しいの。お客様でないのなら、さ、退いて退いて」

まるで蝿でも払うように軽く手を振って、ロスメルタはあっという間に二人から遠ざかっていった。シリウスは断られるとは思っていなかったらしく、決定的にショックを受けた様子で固まっている。も本当のところは少しがっかりだったが、一緒に落ち込んでいても仕方がないので横にだらりと垂れたシリウスの冷たい左手を握った。

「しょうがないよ、マダムの言う通りだよ。なんで気付かなかったんだろ、そんなにほいほい生徒に暖炉なんか貸せるわけないよね?しょうがないよ、ねぇ、せっかくだからバタービールでも飲んで帰ろ?マダムー、私たちも飲む!バタービール二本ください!」

すると空っぽのジョッキを器用に六つ抱えて戻ってきたロスメルタは、カウンターの中に入って泡立つバタービールの瓶を二本こちらに差し出してきた。小銭を払ってそれを受け取り、辛うじて空いていた端っこのカウンター席に座ろうとして    

「あ、そこはあとで常連さんが来ることになってるから空けておいてもらえる?」

すでに腰かけていたシリウスは瓶の蓋を開けかけた手を止めて、驚いたようにロスメルタを見た。彼女は何気ない口振りでその先を続ける。

「二階だったらゆっくりしてもらっていいわよ。階段を上がってすぐ右手の部屋なら暖炉(、、)があるから火を焚いてもらってもいいし。好きにしてちょうだい」

暖炉って、まさか……。ぱっと目を輝かせたシリウスがカウンターから身を乗り出して礼の形に口を開こうとすると、ロスメルタは軽く手を上げてそれをきっぱりと制した。

「私は何も知らないからね。二階で何が起ころうと私は一切関与してませんから。但し、節度は守ってちょうだい。失望させられたときはあなたたちふたりとも金輪際入店禁止にすることも考えますから」

はシリウスと顔を見合わせて、小さく噴き出した。バタービールを持って立ち上がったシリウスを追いかけて、階段のほうに近付いていく。最後になんとなく振り向いてみると、カウンターの中でグラスを磨いていたロスメルタはを見てほんの一瞬だけ片目を閉じてみせた。

思っていたほど、苦手じゃないかも    そのとき初めて、はこのパブの女主人を少し好きになれたような気がした。

the Head's Fury

マクゴナガルの怒り

変わらず眠り続けるフィディアスが少し小さくなったような気がするのは    気のせい、だろうか。三本の箒から煙突飛行で聖マンゴに到着した二人は、しばらく黙ってフィディアスの寝顔を見ていた。ねえ、フィディアス。誰がこんなことをしたの?あなたは闇の魔法使いを心から憎んでいたって。『あの人』の気に障るようなことをしたの?それで    こんな、ことに?だとすれば、口なんて閉ざしておいてほしかった。下手なことをせずに、目立たない生き方でもいいじゃないか。こんな姿になるくらいなら……。

「……そろそろ戻ろう。夕食の時間に間に合わない」

ベッド脇のスツールに座り込んだの肩を、シリウスがそっと撫でた。うんと頷いて、のろのろと立ち上がる。少し削げたフィディアスの頬を軽くなぞってからはシリウスに続いて病室を出ようとした。
開いたドアの向こうに、女がひとり立っていた。

「ベンサム    さん……」

大きな紙袋を抱えたベンサムが、間の抜けた顔で呆然とこちらを見ていた。ようやく動かした口紅を塗った唇の奥から、くぐもった声が漏れてくる。

「あー……あなたは、たしか」
です。です。でもベンサムさん、私のことはご存知なんじゃないんですか?です。私の母は    です。母の……お友達だったんでしょう?」

そのことはシリウスにも話していなかったので、彼は意表を突かれたようにこちらを見た。ベンサムもまるで脳天を金槌で殴られたかのような顔をして大きく目を見開く。だが彼女はすぐにこちらから目を逸らして、二人を避けるように回り込みながら病室の中に入った。

「ああ……そうだったの。道理で、見覚えのある顔だと思ったわ」
「ほんとにそうなんですか?フィディアスは私のこと、母の娘として知ってました。フィディアスとご結婚されてたベンサムさんが、本当に私のことはご存知なかったんですか?」

こちらの背を向けて、ベンサムはベッド脇のテーブルに紙袋を下ろした。そのまま不動の姿勢を保ったあと、あまりにも冷酷な声音で言ってくる。

「だったら何だというの」
「……それは」
「私がの娘としてあなたを知っていたからといって、それがどうしたというの。どちらでもいいでしょう。はもうこの世にはいないし、フィディアスは見ての通りこのザマよ。あなたが何者だろうと、そんなことはこの際関係ないでしょう」
「そんな言い方あるか!友達の子供だったら何でもっと気の利いた言葉くらいかけてやれないんだ、はずっと苦しんでるのに    
「やめてシリウス!ベンサムさんのほうがずっと苦しいはずだよ、だからやめて……」

愛する人をこんな形で失って、そうさせた犯人を捕らえる立場にありながらそれすらもままならずに。は歯を剥いてブロンドの魔女に掴みかかろうとしたシリウスをなんとか引き戻して、必死にかぶりを振った。
振り向いたベンサムの青い瞳はその声の調子と同じように暗く、冷たい。

「それより、今年はホグワーツでダンスパーティが開催されると伺っていますが、こんなところにいるということはあなた方は参加されないのですか?」
「えっ?あ、え……ええ、はい、そうなんです、はい」

声が裏返ってしまったのを隠すように咳き込みながら、はシリウスの腕を引っ張って足早に病室を出て行こうとした。ダンスパーティに参加するというのにその前日ロンドンに姿を見せたことが知れれば、無断外出をしたのがバレてしまう。廊下に出て急ぎ足で駆け出そうとしたところで    ふと思い出したように、は足を止めてまた病室の中を覗き込んだ。

「ベンサムさん」

すでに背中を見せてフィディアスの身体に布団をかけなおしていたベンサムが、物憂げにこちらを向く。は狼狽えながらもその碧眼を見つめて問いかけた。

「フィディアスは……母のことで私に何か話をしてくれる予定だったんです。父も知らないことだって……ベンサムさん、なにか心当たりはありませんか?」

マクゴナガルのときと同じだった。一瞬、はっとしたような顔をしたあと    瞼を下ろして、素っ気なく答える。

「知りませんね」

これ以上問い詰めても仕方がない。誰も答えてくれる気がないのだということは、もはや明らかだった。『大人』という生き物はきっと、隠し事をするのが常なのだ。
暖炉から飛び出して一階のパブに降り立ったとき、相変わらず店内は混みあってロスメルタを見つけるのも一苦労だった。近付いて礼を言おうとすると、彼女はせっせとジョッキを運びながら唇だけで「いいから早く帰りなさい」と言ったので、同じく声には出さずに「ありがとう!」と告げて急いで通りに出る。外はすでに真っ暗闇で、二人はルーモス呪文の明かりを頼りにホッグズ・ヘッド裏の井戸からホグワーツ城へと戻った。

「ちょっと待って    我、ここに誓う。我、よからぬことを企む者なり」

石の滑り台の下までたどり着いたとき、シリウスは手すりを掴んで上ろうとしたを後ろから呼び止めて言った。え、なに?今、なんて言ったの?

「シリウス、こんなところであらたまって悪戯の誓いなんかされても……」
「そうじゃない。ほら、見てみろよ」

振り向くと、シリウスは広げた羊皮紙をこちらにかざしてみせた。細いインクの線がびっしりと書き込まれたそれは、まるで    

「え?ホ……ホグワーツの、地図?」
「そう」

ニヤリと笑って、シリウス。彼はその地図で五階の廊下を確認しながら簡単に説明してくれた。

「ただの地図じゃない。ホグワーツの全敷地内で誰がどこにいるか正確に分かるようになってるんだ。見ろよ、俺たちは今ここにいる」

五階の鏡の裏からホグズミードへ伸びた隠し通路のちょうど端に……シリウス・ブラック、という名前のついた小さな点が二つ並んでいる。城の中では無数の黒い点が動き回っていて、五階の廊下にはピーブズという名前がひょこひょこ浮いているだけだった。けれどもこの一つが……非常に厄介だ。シリウスはその点を恨みがましく睨みつけ、さっさと消えろこのクソゴースト!とうめいた。ピーブズが消えてくれない限り、この穴からは出られない。

「あ……もう夕食の時間だね。みんな大広間に向かってる」

もう一度地図を覗き込んで、はその上部に書き込まれたサインに気が付いた。ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングス……。

「まさかこれ、シリウスたちが作ったの?」
「え?あ、言わなかったっけ?そう、俺たちの苦心の傑作だ」
「えー!すごーい、すごい!ほんとに……なんて言ったらいいか分かんないよ、こんなのどうやって作るの?」
「なに、作ってみたいの?」
「別にそういうわけじゃないけど……」

そのとき、ようやくピーブズの点が階段を通って四階へと下りていった。五階には今、誰の姿もない。

「よーし、行くぞ。悪戯完了!」

シリウスが羊皮紙に杖を当てて唱えると、地図はまるで初めからそこに何も存在しなかったかのようにあっけなく消えた。白紙の羊皮紙をポケットに仕舞い込み、シリウスが滑り台の手すりを掴んで先に穴をよじ登っていく。も急いでそのあとに続き、やっとのことで廊下に這い登った二人はそのまま大広間へと向かった。

しかし、それでその日の冒険が終わったわけではなかった。大理石の階段を下り、すでに生徒たちの集まった大広間に入ろうとしたところで二人は後ろから予想だにしなかった声に呼び止められたのだ。グリフィンドールの寮監、ミネルバ・マクゴナガルは今にも憤怒で破裂しそうな顔をして二人のすぐ後ろに立っていた。
「どういうことなのか、説明なさい」

運が悪かった。もう少し早くに病室を出ていれば、ベンサムと鉢合わせになることもなかったのに。この速さで寮監の耳にまで入ったということは、それ以外に考えられない。たちは寮監のオフィスに連れて行かれ、デスクを挟んで憤怒の形相をしたマクゴナガルと向き合っていた。

「ほんの一時間ほど前、あなた方ふたりをロンドンで見たという人がいるそうです。ホグワーツにいるべきあなたたちが    そして実際今ここにいるあなたたちが、どうしてそのようなところで目撃されたのかぜひ聞かせていただきたいですね」
「あー……あの、先生、それはその人が……ええと、見間違えたということはないんでしょうか?だって私たちは、先生のおっしゃるようにこうしてホグワーツにいますし……」
「ええ、私もできることならばそう願いたいことです。ですがその人物は、その少女がと名乗るのを聞いたそうですよ。あなたにそっくりの誰かが、ブラックにそっくりの誰かを連れてあなたの名を語りリンドバーグの病室に現れたということでしょうか?」

    ああ、もうだめだ。おしまいだ。けれどもここで認めてしまえば、ホグズミードへの抜け道もロスメルタのことも知られてしまうし、そして何より自分のために規則を破ってロンドンにまで連れていってくれたシリウスに迷惑をかけたくなかった。俯き、乾いた喉に唾を飲み込みながらやっと口を開く。

「ええと……私には分かりません。第一ここから一体どうやって一時間でロンドンに行けるっていうんですか?私たちはまだ姿現しだってできないし……」
「いい加減になさい!あなた方は分かっているはずです、病室でベンサムに会ったのでしょう」

突き刺すようなマクゴナガルの怒声はの心臓を激しく震わせた。だめだ、もう……言い逃れできない……なんと言おう。三本の箒の入店禁止は免れたかもしれないが、その代償に寮監を破滅的なまでに失望させてしまった。ああ、せめてロスメルタに迷惑をかけずにやり過ごすことができるなら。今はもうそれしかない。
だがシリウスはあくまでも白を切り通すつもりのようだった。さほど表情を崩さず、マクゴナガルの怒り狂った眼差しを見返して、

「先生。僕たち、今日の午後はずっと一緒にいました。もちろん、学校の中にです。どこで何をしていたかについては    あー、詳しく(、、、)お話したほうがいいですか?」

こらーーー!!!よりにもよってこの状況でそういう嘘をつく?が恐る恐る視線を巡らせてマクゴナガルを見ると、寮監は大きく鼻の穴を膨らませてそこから息を吐き出したあと、自分自身を抑え込むようにゆっくりと、かすかに震える声で言いやった。

「……いいでしょう。そこまで言うのでしたら、これ以上追及するのはやめておきましょう。ですがあなた方がそうした疑いを持たれるような行動を取ったことは事実です。明日は一日寮にいて、自分のしたことについてじっくりお考えなさい。特にブラック、あなたはもう十七歳    立派な成人なのですよ。自分の行動には責任を持たなければいけません」

え?明日は一日、寮にいろっていうことは……。

「ええ、そうです。もちろん、あなた方がダンスパーティに出席することは寮監として私が認めません」

えええーーー!!?そ、そんな……ドレスローブにショール、エナメルの靴だって準備したのに……。
けれども、反発することはできなかった。それだけのことをしたのだという自覚はあった。シリウスもそのことは分かっているのだろう。何も言わず、ただ歯痒そうに唇を噛むだけだった。

「二度とあなた方が、そこにいるべきではないところで目撃されたなどということは聞きたくないですね。今日はもう結構です、お行きなさい」
BACK - TOP - NEXT
(08.09.19)