「ジェームズ、えらい……えらかった!」

それは同じ日、シリウスたちの寝室で。
まだ裸のまま布団をかぶってシリウスの隣で丸くなっていると、ジェームズがひとりで部屋に戻ってきた。ジェームズは状況に気付くと「あっ」と声をあげ、シリウスはルームメートをすぐさま追い返そうとしたが、ジェームズはどうやらまた下に下りていく気はないらしい。は「ちょっ、ちょっと待って!!」と叫んで、ジェームズがドアの外で待っている間に大慌てで服を着た。

「ごめんね、、邪魔して。でも    今日はすごく、疲れちゃってさ」

ジェームズは自分のベッドにどさりと身体を投げ出して、大の字になりながら独り言のような声音で言った。すぐに背中を丸めて向こうを向いてしまい、そのまま眠り込んだかのように思えたが。
下だけを穿いたシリウスが仏頂面でその後ろ姿を見つめていると、やがてジェームズは静かに呟いた。

……エバンスは、幸せになれるのかなあ」
「へ?」

急いでネクタイを締めたため、かなり歪んでしまっていたそれを窓ガラスに映る姿を確認して直していたははたと動きを止めてジェームズを見やる。彼は緩慢な動作で身体を起こして、ゆっくりとこちらを見た。今にも泣き出しそうな顔で微笑んで、言ってくる。

「ねえ、僕……頑張ったよ。君の言う通りだ    悔しくて、苦しくてたまらないけど……ちゃんと、さよなら言ってきた。好きな子を困らせるなんて……そうだね、すごく惨めで、すごくカッコ悪かったよね、僕。もうエバンスの前で……みんなの前で、あんなカッコ悪い姿見せないよ。せっかくの出会いを遠ざけかねないもんね」

なんとか笑ってみせようとするそのジェームズの表情が、あまりにも健気で、一生懸命で。は思わずベッドから飛び降りて駆け寄り、驚くジェームズの頭をクシャクシャと撫でた。

「ジェームズ、えらい……えらかった!うん、頑張ったねジェームズ、えらい、かっこいいよ」

そして自然と微笑んだジェームズの背中を抱き寄せて、告げる。

「気休めにもならないと思うけど……でも、ジェームズだったら、きっと大丈夫。また素敵な出逢いがあるよ。だから、元気出して」

ありがとうと囁いたジェームズはの腕に抱かれたまま、堪えることなく声をあげて泣き出した。シリウスはその姿を見て唖然としたが、何も言わずに黙ってそんな二人の様子を見守っていた。

ありがとう。こんなに涙を流せるほど、リリーを好きになってくれて。ありがとう。人前では強がってみせるあなたが、こんなにも素直に涙を見せてくれて。

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ハロウィン・ホグズミード

ハロウィンの朝、は緊張のあまりいつもより一時間も早くに目が覚めてしまった。だって、だってだって、今日はホグズミードだよ?クリスマス・ダンスパーティ前の唯一の機会とあって、誰もがドレスローブや靴、小物などを揃えるためにホグズミードへ出かける予定だった。友人と行く者、そして恋人と行く者。服を買うのに恋人と一緒なんて恥ずかしくていやだ、信じられないとは常々思っていたが、一緒に行こうとシリウスに誘われ、おまけにまたワットたちの「シリウスが哀れ」攻撃を受けて思わず「分かった行けばいいんでしょ行けば!!」などと答えてしまったのだから仕方がない。ドレスなんて……どんなの選べばいいんだろ。シリウスは「俺が選んでやる」と自慢げだったけれども、そういうの……えええ、考えただけでも恥ずかしい!

重たい瞼を開いて視線を巡らせると、よりも緊張しているらしいルームメートがひとり起きていた。リリーだ。ベッドの上で身体を起こしたまま、どこか強張った顔付きでぼんやりと虚空を見つめている。一方、ニースはなんとも平和な顔でまだどっぷりと夢の中だった。はあ……すっかり落ち着いたカップルはいいですね!

「リリー……おはよう」
「おっ、おはよう、。早いのね」

驚いた様子で少し声を浮つかせて、リリーがこちらを向く。は布団の中で思い切り伸びをして、身体を捻らせながら言った。

「うん……なんか目が冴えちゃった。リリーも?」
「え、ええ……そうね、少し緊張しちゃって」

付き合い始めたからといって、リリーとダークの関係もまた、たちと同じように普段の生活を一変させるようなものではなかった。リリーもダークもこれまで通り友人たちと過ごす時間を大切にしたし、特にダークは学期末のNEWT試験に向けて毎日のように同級生たちと談話室や図書館にこもって猛勉強している。けれどもリーマスによると、監督生の集まりではやはり、二人がいい雰囲気で話をしていることが増えたらしい。それに談話室ではよく、ダークがふとしたときにリリーを気遣う場面を見ることが多くなった。そのやり取りを見ていると、ああダークは本当にリリーのことが好きなんだなぁと思い知らされるのだった。
ありがたいことはありがたい。リリーを好きになってくれたのがダークで良かったとさえ思う。だがジェームズのことを思うと、やはりの心中は複雑だった。

「初デート、でしょう?頑張ってね!」

思わず大きな声を出してしまい、慌ててニースのほうを見たが、彼女は少しもぞもぞしただけでまだぐっすりと眠り込んでいる。意外なところで神経太いんだよなー、ニースって。

「ありがとう。、あなたたちもね」

リリーはにこりと微笑んだが、はここのところずっと彼女が心から笑う顔を見ていないような気がしていた。きっと、緊張しているんだ。あれだけ悩んで、『好きになりかけていた』ジェームズの誘いを断ったんだもん。それだけずっと、ダークのことが好きだったということ。スネイプに告白されて困っていたときだって、少し気になる人がいると言っていた。それはきっと。だから。

彼女が幸せになってくれないと    涙を呑んで笑ってみせた、ジェームズだって可哀相だ。
は朝食のあと、談話室でシリウスと待ち合わせをしていた。リリーとパートナーになれなければおとなしく家に帰ると言っていたジェームズだが、結局クリスマスは残ることにしたようで、リーマスやピーターとドレスローブを買いに行くらしい。リーマスは誘ってきたハッフルパフの五年生と、そしてピーターはグリフィンドールの四年生、レジーナとダンスパーティに参加するそうだ。リーマスが女の子の誘いを受けたことは少し意外だったが、せっかくのクリスマス、楽しんだほうがいいに決まってる。ジェームズ曰く、リーマスはこれまであの『ふわふわした小さな問題』のことがあって女の子の告白は頭から断り続けてきたらしいので、これを機に少しずつでも彼が恋愛というものに意欲を見せてくれればと思った。
そりゃあ、あんなに大きな秘密を抱えていたら恋ひとつでもぐっと難しくなるのかもしれないけど……でもいつかはそれを越えて愛し合える人が……そうでなくとも、学生時代にちょっとくらい恋愛を楽しんだっていいと思う。なにも全部打ち明けてしまう必要は    真面目な彼にはそれこそが心苦しいだろうが    ないのだから。

はすでにお洒落をして談話室でパートナーを待っている友人たちの横を通り抜けて、リリーと部屋に戻った。外は寒いので、コートとマフラー、手袋を引っ張り出してきて身につけ、鏡の前で確認する。日本から持ってきたカイロをポケットに入れ、いつものようにクローバーのヘアピンで前髪を留めて……手にした銀色のそれを見つめて、じっと考え込む。

、何してるの?」

遅れて部屋に帰ってきたニースが、鏡の前で立ち尽くすに声をかけた。は目を泳がせて、しどろもどろに答える。

「ええと……これ、前の誕生日にシリウスがくれたんだけど。着けてこうかどうしようか迷って」
「何それ?あ、イヤリング!素敵じゃないの。ブルーノなんてまだアクセサリーのひとつも贈ってくれたことないんだから。ショップに入るのが恥ずかしいんだって。着けていったらきっとブラック大喜びよ」

ニースはあっけらかんと笑って、チェックのマフラーを緩く首に巻いた。そっか……確かに男の人がこういうの売ってるお店にひとりで入るのって、すごく勇気が要りそうだよね。そんな恥ずかしい思いをして買ってきてくれたのに、一度も着けないなんてシリウスに悪い気がしてきた。私だって本当はシリウスからのプレゼント、このヘアピンみたいにいつも着けて歩きたいけど    それよりもずっと、恥ずかしさのほうが勝っていた。
喜ぶシリウスの顔を想像して……やっとのことで、もらったイヤリングを耳朶につける。あの夏の夜、シリウスが着けてくれたときと同じように、銀の星はきらきらと鮮やかに顔の横で揺れた。

似合うわ、ちょっと大人っぽくなったねと嬉しそうにニースが後ろから覗き込んでくる。顔を上げ、鏡越しに遠く映ったリリーの横顔には、やはりどこかしら憂えたような影が差していた。
すでに多くの寮生が出払ったあと(混むからみんながいなくなってから行こうと示し合わせていた)、談話室でが待っていると遅れて下りてきたシリウスは彼女の耳元で星のイヤリングが輝いていることに気付いて嬉しそうに顔を綻ばせた。ああ、ほんとにニースが言った通り。こんなに喜んでくれるんだったら、友人たちに囃し立てられて待った甲斐もあるというものだ。ちょうど他の生徒は誰もいなかったので、ソファの背もたれから身を乗り出してシリウスが近付いてくるのを待つ。彼は耳にかかったの黒髪を指先でそっと退け、しばらく自分の贈り物を食い入るように眺めたあと、腰を屈めての唇に少し荒っぽいキスをした。いくら空っぽの談話室といっても、こんなところでこういうことをされると恥ずかしくていつも以上に神経が昂ぶってしまう。慌てて身体を引こうとすると、頭の後ろに手を回されてまたすぐに口を塞がれてしまった。

「あれー?パッドフットくんはこんなところで興奮しちゃってるのかな」

突然聞こえてきた軽快な声に、はシリウスの舌を感じたまま思わず噴き出してしまった。どうやらこちらの唾が気管に入ってしまったらしいシリウスが、むせ返ってそのままソファの背もたれに崩れ落ちる。男子寮からリーマス、ピーターと一緒に下りてきたジェームズは、けらけら笑いながら首もとのマフラーをいじった。

「まったく君たち面白いねー。そんなことでむせるくらいだったら談話室でチューなんかするなって」
「ご、ごめんシリウス……大丈夫?ジェームズたち、まだいたの?」
「『まだいたの?』?ひどいなぁ。なんかさー、最近僕たちの扱いがどんどんひどくなっていってない?」
「そっ、そんなこと……ない、と、思ったんだけど、なぁ……」
「あはは、冗談だよ、冗談。僕らもみんな行っちゃってから出かけようって話になってね。あーあ、今日の洋装店はどこも混むぞー」

とシリウスの前で思い切り泣いたあと、ジェームズはずいぶんと自然に笑うようになっていた。まだリリーのことを忘れられたわけではないだろうが、忘れるための努力はしているらしい。ハッフルパフの下級生からの誘いを受け、彼女と一緒にダンスパーティに出ることを決めたのもそのためだ。

一度気ままに踊って忘れてしまおう    それが今のジェームズの、精一杯の奮闘だった。
ホグズミード村は、少なくとも例年の倍以上は多くのホグワーツ生で賑わっていた。一、二年生が来られないのはいつも通りだが、すでに何度も足を運び、今日はいいやとホグワーツ城に留まる上級生たちでさえ、ほぼ例外なくクリスマスの買い出しに来ているからだ。村のハイストリート沿いに洋装店はふたつあるが、そのどちらも店内に入りきらない学生たちで溢れかえっていた。

「うえー。どうしよう、あれじゃあお店に入れないよ。もっと早く来たほうがよかったかな?」
「……いや、多分どっちにしてもドレスなんか選んでる場合じゃないと思う」

少し離れたところから、その人だかりを眺めながら、シリウス。確かに、少しくらい早く出かけたところで五十歩百歩というところか。みんな、あんなところでどうやって服を選んでいるのだろう?

「もうちょっとしたらもっと人減るかな?」
「どーだろーな……とにかく今は無理だ。他のとこ回ってようぜ」

ジェームズたちとは、村の入り口で別れた。二人は元来た道を引き返して、ひとまずハニーデュークスに向かう。は蛙チョコレートを四ダース買おうとしたが、そんなに食うとニキビができるとシリウスに言われて、彼のほうを思い切り睨み付けながらも仕方なく三ダースにしておいた。炭酸ヌガー、ココナッツキャンディ、蜂蜜のトッフィー。百味ビーンズに綿飴羽根ペン、七味タフィー……。シリウスも甘いものは好きだが、彼がハニーデュークスの商品で一番好きなのはペロペロ酸飴だった。

「こんな酸っぱいのどこがいいの?」

店を出るなりシリウスが早速包みを開けてペロペロ酸飴を口に入れたので、も小さい欠片をもらって久しぶりに舐めてみた。酸っぱいのは嫌いじゃないけど……やっぱりこれは、刺激が強すぎる。

「わーあ……あー、また!舌がひりひりするーいたいー」
「そこがいいんだって。そんなに嫌なら何で自分から欲しがるんだよ」
「……だってシリウスが美味しそうに食べてるから」
「なんだそれ。子供かよ」

言葉に反して、シリウスの表情は柔らかい。二人は雑貨屋や本屋、そしてシリウスの希望で悪戯専門店に行ったあと、冷えた身体を温めるために三本の箒へと向かった。途中で洋装店の前を通ったが、まだ客の減る気配はない。そのためか三本の箒はいつもより空いていて、普段はとても座れない座席が辛うじて残っていた。

「あら、シリウス、いらっしゃい」

窓際の小さなテーブルに座った二人のもとに、女主人のロスメルタが優雅に近付いてきた。はどきりとして、思わず窓のほうに身体を寄せる。大人っぽくて……女性的な、曲線美。やっぱり、何度見てもきれいな人だ。そして    シリウスにとても、好意的。

「マダム、バタービール二つ」
「はいはい、ちょっと待ってて」

シリウスが注文すると、艶っぽく微笑んだロスメルタが真っ赤なヒールを鳴らしてカウンターの奥に戻っていく。その後ろ姿をぼんやり見つめていると、テーブルに右の肘をついたシリウスが少し呆れた様子で聞いてきた。

「またつまんねーこと考えてんの?」
「つっ……つまんないことって、なによ」
「あら、何の話?お邪魔でなければ私も混ぜてもらえないかしら」

大きなジョッキを二本抱えて戻ってきたロスメルタがテーブルにそれを下ろしながら元気よく笑う。はあまり気が進まなかったが、シリウスは隣の椅子を引いて彼女が座れるようにした。

「大したことじゃないよ。こいつ、俺がしか見えてないって分かってないんだ」
「ちょっ、シリウス!」

ひ、人前で!しかもマダムの前で!はバタービールを危うく噴きそうになりながらも、なんとかそれを飲み込んでから非難の声をあげた。恥ずかしい恥ずかしい嬉しいけどでもやっぱり恥ずかしい!ロスメルタはそんなを見て一瞬きょとんとしたあと、くすくすとおかしそうに笑った。

「あらあら、可愛らしい子。シリウス、あなたがこういう子と付き合うなんて少し意外だったわ」
「そう?まあ、だけは特別だからさ」

うわああ、信じられない、何でそういうこと平気で言えるかなー!は真っ赤になってシリウスを睨み付けたが、彼は涼しい顔でバタービールを飲み続けているし、ロスメルタはその隣でますます面白そうに肩を揺らしている。やだ、今すぐ帰りたい。

「そういえば、クリスマスにホグワーツでダンスパーティがあるんですって?ねえ、ドレスローブはもう用意した?」

損ねた機嫌を取り直そうと思ったのか、いきなりロスメルタが身を乗り出してきてに声をかけた。ジョッキを抱えたまますっかり拗ねてそっぽを向いていたは、じとりと視線を巡らせてロスメルタのほうを見る。

「いいえ。まだ」
「マダム・マルキンもマダム・フレーザーも、人が多すぎて入れそうにないんだよな。せっかくだからゆっくり選びたいのにさ」

のジョッキはすでに空っぽだったが、シリウスのバタービールはまだ半分ほど残っている。はふて腐れた顔をしてシリウスの手からジョッキを奪い取った。

……お前、自分の分飲んだだろ」
「知らない。それじゃあこれシリウスにあげる」

代わりに空っぽのジョッキをシリウスの前に突き出す。するとシリウスはが自分のバタービールを飲むのをしばらく不服そうに眺めていたが、やがて自分の手元にあるジョッキの    ちょうどが口をつけたあたりにわざとらしく唇を寄せ、あろうことかぺろりと舌を出してその部分を舐めた。わ!やだ、やだやだこの人もういやだ!ロスメルタは声を抑えているものの、これでもかというくらいおかしそうに口元を押さえて笑い続けている。

「シリウスとジェームズもまるで漫才みたいだけど、あなたたちも負けないわね!ねえ、洋装店だったら    秘密だけど、少し離れたところに、落ち着いたいいところがあるわよ?私もときどき使ってるの」

ま、漫才?なんでなんでちっとも面白くなんかない!けれども頬を膨らませて眉根を寄せるのことなど構わず、シリウスは興味深そうに脇のロスメルタを見た。
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(08.09.18)
七味タフィーは仲良くさせていただきました梅之助さんの短編からちょこっとお借りしましたアイテムです。