一年ぶりのハグリッドとのお茶会は楽しかった。少し濃い紅茶とまさに石のようなあのロックケーキが出てきたときシリウスが「トカゲじゃなくてよかった」と漏らすと、彼の都合の良い耳は「トカゲ」の部分しか拾わなかったようで、「そうかお前さんはトカゲがよかったか!それじゃあ次はとっておきのトカゲサンドをご馳走してやるぞ、いやぁお前さんとは気が合いそうだ!」と嬉々として言ってのけた。それに続いてシリウスがうめいた「二度とくるか」もまるで耳に入らなかったらしい。ハグリッドはシリウスが猫はあまり好きじゃないと言うと、実は俺もなんだくしゃみが出るんでな、やっぱり犬だな、でも俺はほんとはドラゴンを飼ってみたいんだと動物談義に花が咲き、すっかりシリウスのことが気に入ったようだ。シリウスが「そうだな、俺も一度くらいはドラゴンとか飼ってみたい」と言ったときは驚いたけれど。その一言がハグリッドの心に火をつけ、夕食の時間になっても二人はしばらく城に帰してもらえなかった。
「トカゲなんて絶対にごめんだ」
「だったらあのときちゃんとそう言えばよかったのに。ハグリッド、きっとシリウスの喜ぶ顔が見たくてトカゲを探しに行くよ。あーでもファングが元気になってくれてよかった」
お茶会の間中、ファングはシリウスにべったりくっついて離れなかった。ファングの耳は垂れていて、アニメーガスになったシリウスの耳はぴんと立っているがどちらも種類は大型犬で、毛色は真っ黒。きっと並んで座れば本当に兄弟……というか、親子に見えるんだろうなとは思った。親子……シリウスが、パパ?
「なにニヤニヤしてんだよ」
「ごめんごめん、何でもないよ」
シリウスがパパなんて、きっと似合わない。いや、なってみれば案外、いいパパになったりするのかな。ふとそんなことを思ったは、そのとき初めてシリウスとの『将来』というものを考えた。来年の今頃にはもう進路も決まっていて、NEWT対策に追われて、そして二年後の今頃はきっと何らかの仕事に就いていて。そのときシリウスは、私の隣にいてくれるのだろうか。それとも……。
樫の扉をくぐって玄関ホールに入ると、ちょうどそのとき大理石の階段を下りてくるグリフィンドールの六年生を見つけた。リーマスとピーター。リーマスはこちらの姿を認めると軽く手を上げて挨拶した。
「やあ、二人ともこんなところにいたの?、さっき上でリリーが探してたよ」
「ありがとう。リリー、まだ談話室にいる?」
「うん、多分ね。まあ、じきに下りてくると思うけど」
「ありがとう、行ってみるよ。それよりジェームズはどうしたの?」
聞くと、リーマスとピーターは一瞬にして表情を強張らせて口ごもった。どうやら、触れてはならないものに触れてしまったらしい。シリウスは首を傾げながら、さらにそこにずかずかと踏み込んでいった。
「なんだよ、あいつどうかしたのか?今日はあいつの大好きなヨークシャープディングの日だろ」
「うん、まあ……部屋に帰ってみれば分かるよ。プロングス、相当落ち込んでるからね。飛び降りないか心配だ」
「とっ……!?」
飛び降りる!?なにそれ、どういう意味!?シリウスも「はあ?」とわけの分からない声を出して顔をしかめる。けれども躊躇いがちにリーマスが続けて発した言葉に、はとうとうリリーが心を決めたことを知った。
One love drives out another
同時に幸せは訪れない
「ほっといてくれ。僕はひとりになりたいんだ」
リリーに振られてからというもの、ジェームズは目に見えて暗くなり、授業以外はほとんど部屋にこもりっきりになってしまった。オーセリー曰く、クィディッチの練習にもまったく身が入っていないらしい。は何度か励まそうと彼の部屋に行ったのだが、素っ気ない言葉ですぐに追い返されてしまった。シリウスが何か言っても、「うるさい幸せ満点のお前に何が分かる、さっさと消えろお坊ちゃま!」と撥ね付けるらしい。シリウスもとうとう怒って、「あんなやつ知るか!勝手に引きこもってそのまま病気にでもなってしまえこのクソ眼鏡!」と吐き捨てた。
「そこまで言ったら可哀相よ。ジェームズ、今すっごく傷付いてるんだから」
「それじゃあどうしてやれるっていうんだ?エバンスはホグズミードもダンスパーティもダークと行くんだろ?どうにもならねーじゃねーか!」
それは……シリウスの言う通りだけれど。どうすればジェームズがまた元気になってくれるのか、にはさっぱり分からなかった。リリーはダークと付き合っているのだから、彼女についてはもうどうしようもない。早く新しい恋をしてくれればいいのだが、ジェームズがどれほどリリーのことを好きだったか。だからこそ、あまり下手なことは言えなかった。
「ねえ、ポッター……またこもってるの?」
談話室の隅でシリウスとルーン語の課題を終わらせたあと、ひとりでマグカップを片手に無言呪文の練習をしていたリリーのところに戻ると、彼女は声を落としてそんなことを聞いてきた。思わずどきりとして、こっそり周囲を見回して告げる。
「うん、そうみたい。でも……ほんとに、リリーは気にしなくていいから。オーセリーの頼みなんかクソ食ら……ええと、とにかく全然気にしなくていいから!リリーは自分の気持ちに正直になっただけだもん。自分の気持ちごまかして付き合ったって、そんなのジェームズのためにも良くないよ」
ジェームズの不振の原因がリリーに振られたことにあるというのは周知の事実だったので、見かねたオーセリーが数日前リリーに「頼むから、あいつの相手してやって!せめて開幕戦まででいいから!」と必死に頭を下げたのだ。そんなことしたらリリーだってジェームズだってダークだって、誰ひとり救われないじゃない!と怒鳴りつけると、「いや、開幕戦に勝利すれば少なくともグリフィンドールは勢いづく」とあっさり言ってのけた。こいつ、クィディッチのためならば誰が傷付いてもいいっていうのか!は容赦なくオーセリーの頭を殴りつけておいたし、ダークもまたそのクィディッチ馬鹿に釘をさしておいたらしい。昨日、ダークに怒られたとぼやきながらオーセリーがとぼとぼ歩いていた。
そりゃあ怒るよ。だって、今まではジェームズばかりで気が付かなかったけれど
ダークだってリリーのこと、すごく大事に思ってくれてるんだから。それは傍から見ているにだってよく分かった。
「……別にポッターのためにダークと付き合ってるわけじゃないけど」
「あっ!ご、ごめんそういうつもりじゃ……」
「いいの。分かってるから」
リリーはにこりと笑ったが、その笑顔はどこか寂しそうだった。
「もう……ジェームズ、いい加減にしてよ!」
部屋に飛び込むや否やが声を荒げて怒鳴ると、ベッドの上に力なく横たわっていたジェームズは素っ頓狂な声をあげて飛び上がった。そのままずかずかと中に踏み込んで、ほとんど悲鳴のような声で捲くし立てる。
「あのね、あなたがどんなにリリーのこと好きか私だって知ってるよ。でもどうしようもないじゃない。分かんない?リリーだって苦しんで苦しんで悩んで悩み抜いた挙げ句にあなたのこと振ったのよ?じゃなきゃ一ヶ月も延ばすわけないじゃない、リリーだっていっぱいいっぱい悩んで決めたことなのに!泣くななんて言わないよ、だけどそういうの前面に出して好きな女の子困らせるのがジェームズのやり方なの?あなたがいつまでもこんなことやってたら、リリーだって気持ちよくダークと付き合えないじゃない。泣きたかったら泣き疲れるまで泣いたらいい。でもこんなことしていつまでもぐずぐずぐずぐずしてるなんて、ジェームズかっこ悪いよ!!!!」
あああああ言ってしまった!!けれどもこうでも言わないと、状況はいつまで経っても変わらない気がしたのだ。こんなことを言われて拗ねるようなジェームズだったら、そう、シリウスの言うようにいっそのことずっと引きこもってればいい。は相手の反応も見ずに、そのまま踵を返してさっさと部屋を出て行った。
はあああ……やっちゃった。やっちゃったやっちゃった。何でこんなことになっちゃったんだろ。ニースのせっかくの記念すべき十七回目の誕生日も、心から楽しく祝うことはできなかった。十七歳は、魔法使いにとってとても大きな節目。毎年、十七歳の誕生日を迎えた生徒たちはそれぞれの寮のテーブルでみんなから盛大に祝われるのが常だった。ニースも例に漏れずグリフィンドールの友人たちから熱烈な祝福を受け、はハートのモチーフを連ねた銀のブレスレットをプレゼントした。けれども頭の中は、リリーとダーク、そしてジェームズのことばかりが悶々と巡ってうまく笑えない。ジェームズは食事の時間はシリウスたちと大広間に姿を見せたが、以前のようには決して笑わなかった。
(はー……どうしよう。嫌われちゃったかも。もっとジェームズのことへこませちゃったかも。ああああ、どうしよう、どうしよう私のバカ!)
自己嫌悪。けれどもリリーの前でそうした素振りを見せれば、心優しいリリーはそうさせているのが自分だと思い込むだろうから、懸命に笑顔を取り繕って。
朝食を終え、デザートの時間になっていつものように金目フクロウが予言者新聞の朝刊を運んできた。お金は月初めにまとめて払っているので、水と胡桃だけを割ってやってそれを受け取る。ブルーベリーのソースをかけたヨーグルトを口に運びながら新聞を広げたは、その第一面に大きく掲載された写真を見て、心臓が止まりそうになった。
「なんか面白い記事あった?」
斜め前のメイがチーズをかじりながら気楽に聞いてくる。は慌てて朝刊を畳んで、なんとか引きつった笑いを浮べてみせた。
「ううん、なんにもない」
答えたその声すらも、かすれるほどに震えていた。