マクゴナガルと相談して、は天文学と魔法史の受講を取り消してもらった。魔法生物飼育学は動物好きのにとって癒しの時間だったし、古代ルーン語は自分だけがやめてシリウスをひとりにする、もしくはシリウスもやめて受講者ゼロになるという可能性を考えるととても取り消す気にはなれず、それでも周りの友人たちと比べれば受講科目数は多いほうだったがはひとまず今の時間割に満足してグリフィンドール寮に戻った。天文学の星を見ている時間は好きだったが、それはなにも授業を取っていなくてもできることだ。星の動きの規則性を読んでまっさらの星図に書き込むなんて星を楽しむ限りにおいては必要ない。
談話室で待ってくれていたワットのところまで戻って、は急いで変身術の課題をすませた。すでに下に下りてきていたシリウスの訂正も入り、なかなかいいレポートが出来上がったと思う。だが近くの下級生からリリーが帰っているという話を聞いたので、は得意げなシリウスをワットに任せて(ふたりは意外と仲が良い)さっさと自分の部屋に戻った。
「おかえり、リリー!ねえねえ、ダーク、なんだって?一緒にダンパ行ってほしいって言われたんでしょ?ちょっと意外だよねー、ダークって自分からはあんまり積極的にいきそうにないのに」
部屋に飛び込んだはまずリリーの赤い髪と、背中を見た。そしてすぐに彼女が振り向いて微笑むのを期待したのだ。けれどもリリーは、身じろぎひとつせずにただ黙ってその場に突っ立っている。とてつもなく嫌な予感がして、はいつでも逃げ出せるように扉のぎりぎりまで後退してから尋ねた。
「リリー……?ど、どうかしたの?」
だがリリーはやはりぴくりとも動かない。だめだ……これは、
何かあったんだ。とんでもなく危険な、何かが。
逃亡の覚悟を決めようかと考えたは、ようやく振り向いたリリーの表情が、以前にも見たことのある、ある種の特殊なものであることに気付いた。
「……、どうしよう。どうしよう、わたし……どうすればいい?」
Far fowls have fair feathers
揺らぐ
私のほうが、どうしよう、だよ……。
図書館の窓際の席にひとりで腰かけたは冬の気配が漂う校庭の景色をぼんやり見下ろしていた。雪はまだだが十月にもなれば外気はずいぶんと冷え込むので、こんな時間に外に出ている生徒は誰もいない。ときどき湖面が揺れて、大イカの長い足がのんびりと水面を滑っていくのが見えた。
「ちゃーんこんなところで奇遇だね!」
不意に、声を
今、最も聞きたくなかった声を聞いて、思わず唇を戦慄かせる。振り向くと、勇んで片手を挙げたジェームズがこちらに駆け寄ってくるところだった。
「いやー嬉しいなあ!君と一緒に勉強ができるなんて僕はなんて幸運なんだ」
「あ、や、え、と……ごめんジェームズ、私たった今、別の用事を思い出して……」
「おーっと、ちょっと待ちたまえよくん。どうしてこそこそ逃げるのかな?うん?ジェームズお兄ちゃんに話してみたまえ」
「だっ、誰が……!」
掴まれた腕を少し乱暴に振りほどくと、ジェームズはいたく傷付いた顔をして手を離した。
「ひ、ひどいよ……最近話しかけても素っ気ないしさ、近付こうとしてもいつも逃げるから……ぼ、僕、君に嫌われたんじゃないかって心配で心配で心配で……ああ、ひょっとしてついに僕って用無しになった!?あいつともうまくいってるみたいだから、もう僕なんかいなくても……」
「ばっ、馬鹿なこと言わないでよ!そんなわけないじゃない、私たち一体何年の付き合いだと思ってるの?」
心からそう言うと、ジェームズは一瞬ぱっと顔を明るくしたが、すぐにまた悲しそうな顔をして詰め寄ってきた。こちらの肩を掴んで揺さぶりながら、
「だったら何で僕を避けるんだよおおおおおお!!」
「ジェ、ジェームズぐるじ……」
ごめんごめんと慌てて離されたが、は少し乱れた髪を手櫛で整えながら恨めしげにジェームズを見た。
「なによ。ジェームズたちだって私に内緒でなんかやってるくせに」
「え?はて、何のことやら」
「しらばっくれたってダメよ。私に内緒でなんかこそこそ作ってるんでしょ?なのに私の秘密は暴きたいってわけ?それってフェアじゃないよ」
「そ、それは……うん?ちょっと待って。僕らは秘密があったって別に君を遠ざけようなんてしてないじゃないか!無理に教えてくれなくたっていいよ、でも避けるなんて、それに僕だけ!そんなの君のほうこそアンフェアだ!」
言われてみれば、その通りだった。けれども……だってジェームズの顔を見たら、黙っていられる自信が、平静でいられる自信がないんだもの。
すっかりふて腐れた様子で腕を組みながら、ジェームズ。
「だったら僕らの秘密を教えたら、も僕に秘密を話して、それで今までみたいに接してくれる?」
うっ……そ、それは。ジェームズの甘い誘惑に折れてしまいそうになったことを隠すために、急いでかぶりを振って言い放った。
「いい、話さなくていい!私も話したくないから!」
「えぇっ?そんな、ひどいよ……」
「ごめん、ジェームズ!でも今は……何にも言えない、ごめん!」
ただ心からの謝罪の言葉を残しては図書室を飛び出した。ごめん、ジェームズ。でも私、もうあのときの二の舞はごめんなの。
出し抜けに発されたリリーの台詞に、はしばらく呼吸も忘れてただ呆然と眼前の友人を見ていた。今、なんて……まさか?
「リリーの好きな人って、ダークだったの……?」
自分のベッドに座り込んだリリーの頬にさっと赤みが差す。その朱は女の子らしくてとてもきれいな色だったけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。
「そ、そんな、そんな……ええと、いつから?」
「覚えて……ないの。でも、ずっと小さいときから、憧れてたし……彼と同じ監督生になれたときは、すごく嬉しくて。一緒にいたら、落ち着くし、それにちょっぴりドキドキして……」
ちょっと待って。それって『恋』しちゃってるじゃないですか!
「で、でもリリー……最近、ジェームズといい感じだったのに」
するとリリーは苦しそうに
心底苦しそうに眉根を寄せて、項垂れた。
「ポッターのこと……正直、好きになりかけてたわ。彼の気持ちは、信じられる……彼といたらきっと、幸せになれるんだろうなって」
「だったら、何で?」
「理屈じゃないでしょう?こういうことって。ダークは、ずっと憧れの存在だったから……付き合いたいとか、愛されたいとか。そういうふうには、あんまり見てなかったの。でも、彼のほうからあんなふうに言われたら、私……」
『どんなふう』に言われたのか。だがそんなに突っ込んだことは、とても聞けなかった。口を噤んで押し黙り、視線を虚空へとぎこちなく彷徨わせる。ああ、どうしよう。リリーのために、何を言ってあげればいいのか。ジェームズのために
私は一体、何を言ってあげられるだろう。けれども……理屈ではないと、言われてしまっては。
「……ジェームズは、いい子だよ。すごく。まっすぐで、面白いし、心は熱くって。だけどリリーがダークのこと好きなんだったら……自分の気持ちに、従うしかないんじゃない?私はずっとジェームズと友達だったから
ほんとはリリーにもっとジェームズのこと知ってもらいたいし、もっといろいろ、話してほしいけど。でも仕方ないよね、一番大事なのはリリー自身の気持ちだもん」
あああ、ごめんジェームズ!でも、でもでもリリーだって私にとっては大事な友達だもの。あっさりと「でもジェームズ、リリーのこと本気だよ!お願いだからダンパ一緒に行ってあげて!」なんて、言えない。
恐る恐る顔を上げると、つらそうに眉根を寄せたリリーがじっとこちらを見据えて、言った。
「
ごめんなさい、。ポッターが……私のこと、好きでいてくれてるって知ってて。ポッターが、あなたの大切な友達だって知ってて、私、あなたにこんなこと」
「リリーが謝ることじゃないよ!ほんとに、人を好きになるって理屈じゃないんだって……私だって、分かってるつもりだし。そんな大事なこと話してくれて……ありがと。リリーの心の整理がつくように、祈ってるから。私にはほんとに、なんにも遠慮しなくっていいから」
静かに微笑んだリリーの顔は、ずっと前からほのかな恋心を寄せていた上級生に告白された女の子にしてはどこか物悲しそうだった。
どうしよう、こんなにもどきどきする。監督生会議でいつも一緒になるし、仕事のことだけでなくいろいろな話をしてくれる彼は社交的で、誰にでも優しかった。今さら、呼び止められただけでこんなにも戸惑うなんて。私、どうかしてしまったんじゃないだろうか。けれども、少し照れた様子で近付いてきたダークの表情はまるで。
「リリー、まだダンスパーティのパートナー決めてないんだって?」
「え?ええ……パーティって初めてだし、不安もあって」
「不安?」
彼の声はいつもと同じように、優しい。撫でるように聞き返されて、リリーはさり気なく目を逸らしながら答えた。
「ダンスなんてどうやって踊ればいいか分からないし……まだドレスローブも持ってないし、それに参加するにはみんなパートナーがいなきゃっていう雰囲気になってるから」
「だったら、俺と一緒に行かない?」
あまりにもあっさりと言われたため、聞き逃しそうになった。え?と間の抜けた声をあげて呆然と顔を上げると、ダークは困ったように笑いながら、ときどきそうするやり方で頭を掻いている。何も言えずに硬直する彼女に、やけに明るい声で言ってきた。
「俺だってパーティなんて慣れてないけど、でもクリスマスは大伯母さんの屋敷でやってる晩餐会に何度か連れていってもらったことがあるから、エスコートくらいはできると思うよ」
「え……あの、えっと……」
なんで、どうして。その思いだけが
噴水のように、溢れ出てくる。どれだけ男の子に誘われたって、そんなことは疑問に思わなかったのに。激しく脈打つ鼓動に、手のひらを握り締めてそっと息を吸う。そしてそれを吐き出すときに、込み上げてくるものを乗せた。
「なんで……わたし、なの?」
それは、自然と溢れてきたのに。ダークはきょとんと目を開いたあと、小さく噴き出して、私の好きなあの笑顔を見せてくれた。穏やかで、けれども少しだけ、意地の悪そうな色を覗かせて。
「言わないと、分からないかな?」
「………」
言葉が、出てこない。知らない間に、喉の奥が渇いてきていた。
優しく表情を緩めて、ダークが心もち姿勢を正す。
男の人に告白されるのは、もう何度目か分からないけれど。
思わず泣き出しそうになってしまったのは
これが、二回目だった。