また新たに見つけた秘密の抜け道を書き入れてから、改めて自分たちの作り上げた地図を眺める。最高だ。自分たちの輝かしい、才能の結晶。蠢く無数の点は問題なく機能しているはずで、自分たちの名前は紛れもなくこの部屋の中に固まっていた。
ふと、気が付く。談話室から男子寮の階段を上がってくる、ひとりの女の子の名前。
「悪戯完了!」
その名前が自分たちの部屋の前で立ち止まったのを確認してから、僕は誰よりも早く終わりの呪文を唱えた。
in fits and starts
シーソー・ハート
どうぞ、というジェームズの声を聞いてから、一呼吸の間を置いてドアノブを押し開ける。部屋の住人は全員が揃っていて、ジェームズのベッドで何かを囲むように丸くなって座っていた。
「また何か企んでるの?」
「ううん、なんでも!僕らもそろそろ勉強しようかなーなんて、ハハ」
ジェームズは冗談じみた声で笑いながら、まっさらの羊皮紙を折り畳んでポケットに入れた。ふーん、まあ、ジェームズたちが隠れて何かしていたってもう大して気にならないけれど。
「それより、どうしたの?こいつ?僕たち邪魔かな?」
ジェームズが親指で軽く傍らのシリウスを示しながら、聞いてくる。はドアの前でしばらく考えたあと、ううんと首を振って彼らのほうに近付いていった。ジェームズのベッド、シリウスが座り込んだすぐ近くの縁に腰かけて。
「シリウス、わたし……ダンスパーティ、行く」
するとシリウスはしばらく見開いた目をぱちくりさせていたが、すぐにぱっと明るい嬉しそうな顔をして、こちらに身を乗り出してきた。
「ほんと?ほんとに?あとでやっぱりイヤとか言い出したら俺泣くから」
「泣くんだ。ううん、言わないよ。言わない。一緒に行こ、シリウス」
飛び上がらんばかりに喜ぶシリウスはまさにご褒美を与えられた無邪気な犬のようで。私が一緒にパーティに行くというだけで、こんなにも喜んでくれて。そんなシリウスの姿を見て、リーマスは「よかったね」とくすくす笑い、ジェームズは半分面白そうに、半分つまらなさそうに肘でシリウスの肩を小突いた。
「なんだパッドフット、よかったな、あとはが当日仮病を使わないように祈るだけだ」
「は!?ジェームズ、なんでわたしがそんなことするのよ」
「気にすんな、。こいつ、自分がエバンスに返事をもらえないからって俺たちに当たってるだけなんだ」
「ジェームズ、あんまり自棄にならなくてもいいと思うよ。リリー、あの性格だもん。望みがなかったらすぐに断ってるよ。保留ってことは迷ってるってことで、こんなに迷ってるってことはそれなりに脈もあるってことで……」
「ま、まさかとは思うんだけど、エバンス僕のこと忘れちゃったり……し、てないよ、ね?」
「ないない!さっきもジェームズのこと聞いたら、ちゃんと考えてるって」
「ほんと!?ああ……ありがとう、、ありがとう!」
ジェームズもまたシリウスのように瞳を輝かせて言った。ああ、人を好きになるってこんなにも素敵なことなんだ。ベッドの端に座り込んだまま、はまだ嬉しそうに頬を緩ませているシリウスの顔をじっと見た。先ほど下で言われた、ラルフの言葉を思い出す。
「どうした?」
が一向に目を逸らさないので、少し意表をつかれた様子でシリウスがこちらを向いた。静まり返った部屋の中で、自分の心臓の音だけがやたらと大きく響いてくる気がする。意を決してきつく目を閉じ、は驚くシリウスの頬に軽く触れるだけのキスをした。
いくらジェームズたちとはいえ人前でそんなことはしたことがなかったので、誰もが目を見張ってただただ呆然とを見る。は恥ずかしさのあまり火が噴き出しそうな顔を押さえてくるりと四人に背を向けた。あああやっぱり私には無理だよラルフ!人前であんなことできない!ヒュー、とジェームズが囃すように口笛を吹いた。
「おーーー?どうしたんだいちゃん。今日はやけに大胆だね、なにかあったのかい?」
「なっ、んでもない!ない!」
声を荒げてジェームズのほうを振り返ったが、途端に後ろから抱きすくめられては息が詰まりそうになった。こちらの髪に顔をうずめながら、シリウス。
「お前ら、全員邪魔。少しでも気が利くなら出てけ」
「ちょっ、シリウス!」
「はいはい、どうぞご自由に。あ、お願いだから僕のベッドは使わないでね。はいいけどこいつの盛った布団で寝るなんて考えただけでも気持ち悪いから」
「ジェームズーーー!!!」
そういう恥ずかしいことを平気で!ジェームズはにやにや笑いながら、リーマスはやれやれと苦笑し、ピーターは知らぬ間に背中を向けてさっさと出て行った。
後ろから抱きしめたまま、シリウスが少しずつ顔を下のほうに下げていく。首元にかかるの黒髪をそっと脇に退かしながら、彼はその白い首筋に音を立てて口付けた。こちらがびくりと身を震わせるのも構わず、何度も何度も場所を変えて唇を寄せてくる。時に優しく、それがなおさら身体の奥を熱く揺さぶった。
「なあ、あいつの言う通り。今日の……ちょっと違う。なんかあった?」
「……変、だった?」
「ううん。すごくセクシー」
セクシーなんて言葉は自分とは一生無縁だと思っていた。かーっと耳まで熱くなってきて、それをごまかすように何度か首を振る。
「な、んでも……うううう、だってみんながシリウスの味方ばっかするから」
「はあ?」
「下でワットたちと変身術の課題やってたの。そしたら……みんな、シリウスが可哀相だって。私が恥ずかしがりすぎるから、シリウスが……ほんとに私のこと好きなのに、何にもできなくって可哀相って。だから……」
ぼそぼそと拗ねたように言うと、小さく息をついたシリウスは肩を掴んでの顔を自分のほうに向けさせた。少し口を尖らせた彼女の瞳を覗き込んで、
「ジェームズたちがいるのに頑張ってからキスしてくれて、すごく嬉しかった。でも、無理しなくていいからな?他の連中の言うことなんか気にしなくていいから、はのまんまでいろよ」
優しく、慈しむような眼差しでそう諭されて。胸がきゅんとなったははにかむように微笑んで頷き、シリウスとそっと額をこすり合わせた。
「でもワットたちのこと怒らないであげてね。みんなシリウスのこと心配してくれてるんだよ」
「分かってるよ。俺、さっきののキスでもう十年くらい生きてけそう。、すごく可愛かった」
これがシリウスでなければ歯が浮くような思いをする羽目になっただろうが。恥を忍んでキスしてよかったと思えるほど、の心はシリウスの言葉で温かく満たされ、同時に身体の芯で激しく脈打つものを意識させた。ゆっくりと顔を近付けてきたシリウスに口を塞がれて、熱い舌の鼓動を感じながら相手の首に腕を巻きつける。もう少しで、はジェームズの『お願い』を忘れてしまうところだった。
「変身術なんか、言ってくれたら一緒にやるのに」
「だって帰ってきたらちょうどワットとイアンが資料いっぱい借りてきてて。五人以上いたから早く終わるだろうなーって思って混ぜてもらった……のに」
どうしよう。みんなが苛めるから途中で抜け出してきちゃった。もうみんな終わったかな。あれから……うん、少なくともニ十分以上は経ってる。帰ったらどうせまた遅かったなとか言って苛められるんだ。うん、分かってる。彼らはそういう性格だ。
「あとで一緒にやろう」
「一緒にやるのはいいけど、勉強中は変なこと考えないでよね。そのあと天文学と魔法史のレポートも……はあ」
考えただけで気が重い。ブランケットの中で剥き出しの身体を反転させながら、はぼんやりとベッドの天蓋を見上げた。シリウスが毎晩寝る前に見つめている、暗んだ天井。
「あーあ……いっそやめちゃおうかなあ。そうだよねーディックが正しかったのかも。魔法史とか天文学とか正直要らないよねぇ。何でこんな無茶な取り方したんだろ」
は六年生になって、初めてこんなにもはっきりと弱音を吐いた。こんな状態が続くようならいつ倒れてもおかしくない気がする。毎日追われて追われて、こなしてもこなしても終わりの見えない循環。いくらまだ進路が決まらないといっても、十五世紀の魔法使いがいかにして最初の便器について研究していたかを知る必要なんてどこにもないんじゃないか?(そりゃあ知的好奇心と言われればそれまでだけれど。)
の首の下に腕を通していたシリウスはさらにこちらに身体を近付けて聞いてきた。
「受講やめるって?」
「まだ分かんないけど。もう無理!って思ったらやめるかも。ファーニバルには悪いけど、星図って苦手だし」
「ふーん……じゃあ、俺もやめよっかな」
シリウスは気楽に言ってきたが、は聞き捨てならないことを聞いた気がしてシリウスの顔を見た。
「やめる?なんで」
「お前がやめるんだったら取ってても仕方ない」
「……あのねぇ」
軽くため息をついて、は身体を起こした。ブランケットを持ち上げてしっかり胸元を隠しながら、見上げるシリウスの瞳を上から覗き込んで、
「シリウスはどうしたいの?天文学とかやめたいの?」
「俺は、別にどっちでもいい。どうせ使わないだろ」
「あのねぇ……シリウス。私は、シリウスじゃないんだよ?」
言うと、シリウスは一瞬恥じ入ったような顔をしたが、すぐにむっと眉をひそめて切り返してきた。
「お前だって俺がルーン語取るから今年も取るって言ったじゃん」
「そ……それはそうだけど」
でもそもそもルーン語は端から取るつもりだった、と言えば傷付けるのは目に見えているので、はその点には触れずにシリウスの頬に落ちた自分の髪を片手で耳にかけた。
「ねえ、シリウス?私たち、いつまでも子供のままじゃいられないんだよ?大人になって、卒業して、それぞれ仕事持って、別々の生活になってさ」
「……聞きたくない、そういうの」
ぶっきらぼうに言って、シリウスがこちらの後頭部に右手を伸ばして引き寄せる。は彼が少し顔を浮かせて口付けようとしたのをさらに言葉を紡ぐことで制した。
「聞きたくなくても、私たち……大人にならなきゃ、いけないの」
思い出していたのは、母のアルバム
卒業式で嬉しそうに笑いながらも、その笑顔はどこか寂しげで。いつか自分たちにもそういった日が訪れる。それはそう、遠くない未来に。
シリウスはすっかりふて腐れた様子での頭を離した。くるりと身体を反転させて背中を向け、そのまま石のように押し黙ってしまう。だから子供だって言ってるのに……今度は口には出さずに嘆息して、は後ろから彼の肩に手を回した。そのさらさらした頭の上に軽くキスをして、囁く。
「機嫌直してよ。ねえ、シリウス」
「………」
「シリウスってばー。ねえシリウス、パッドフット!」
するとシリウスはびくりと反応して窺うようにこっそりと顔を動かした。身を乗り出してその顔を覗き込み、は彼の耳たぶにそっと口付けて舌を出す。
「やっとこっち見てくれた」
「……、今パッドフットって言った」
「言ったよ。私に呼ばれるのイヤ?」
「そうじゃないけど……なんか、新鮮だった」
夢から醒めたような顔をして、シリウスが改めてこちらに向きなおる。は彼のご機嫌を取ろうと自分から深く口付けて、唇を触れさせたまま話し出した。
「冷たい言い方してごめん、シリウス」
「いいんだ。どうせ俺は子供だよ、分かってる」
「怒らないでよ。私だってできれば……考えたくないよ、将来のことなんて」
このままこうやって、シリウスや、ジェームズやリリーや。みんなと一緒にいたくて。だけど。
身体を起こして急に押し黙ったを見てシリウスは僅かに目を見開いた。
「……ごめん。私ほんと、なんかやめたほうがいいのかも。ちょっと疲れてる。やりたいことも決まらないし、なんかイライラして」
今にも泣き出しそうな声で囁いたの頬を、シリウスが両手を伸ばして優しく包み込む。は下唇を押さえてなんとか涙をこらえた。
「そんなに思い詰めるなよ。俺だってやりたいことなんかまだ決まらないし、それにどれか棄てたってそれで死ぬわけじゃないだろ?もっと力抜いてみろよ」
「……シリウス」
張り詰めていたところに、温かい液体でも流し込まれたかのような。じわりと熱いものが目尻に浮かぶのを感じては思わずシリウスの胸にしがみついた。不意をつかれて彼が上ずった悲鳴をあげるのも構わず、涙混じりに喉を震わせる。
「わああああ!シリウスすき、だいすき。ありがとう、シリウス!」
「へっ?あー……うん、俺も、好き」
「そう、そうだよね!授業くらい棄てたって死ぬわけじゃないもん!うん、そうだそうだ、何でそれに気付かなかったんだろ!うん、ありがとうシリウス大好き!それじゃ私マクゴナガルのところ行ってくるね!」
「えっ、あ……え?」
布団から跳ね起きたかと思えばブランケットをシリウスの顔にかぶせていそいそと着替え始めたは、呆気に取られた様子のシリウスが布団から顔を出すと「見ないでよ!」と威嚇してまたシリウスに向こうを向かせてから急いでスカートを履いた。羽織ったシャツのボタンを留めてネクタイを結び、靴に足を突っ込んでベッドから飛び降りる。
「ちょ、お前、即決かよ!」
「思い立ったが吉日っていうでしょ?あ、シリウスもどれか授業やめるんだったらそれでいいけどでも時間はずらしてね。一緒に行って先生に自分の時間割くらい自分で決められないのかって思われたらイヤだから。じゃ!」
「お、い、……!」
やけにすっきりした気分になったはシリウスが呼び止めるのも聞かずに情事の後の気だるさを感じさせない足取りで部屋を出て行った。