どういうわけか、は寮の外を歩いているとしょっちゅう他の寮の男子生徒に声をかけられた。中にはクリスマス・ダンスパーティのパートナーになってくれないかと誘ってくる人もいて、は戸惑いながらも「……ごめんなさい、でもまだ行くかどうか分かんないし」と答えた。それを窘めてきたのはリリーで、彼女はパーティに行くならシリウスとと決めているのだから、それを正直に伝えてあげることも優しさだと言ってきた。
「じゃあリリーは?リリーだって同じこと言って断ってるじゃない」
シリウスと行く!と宣言するのはまだ気恥ずかしかったので、は珍しくリリーに噛みついた。けれども彼女はあっけらかんとした様子で、
「だって、私はほんとにまだ何にも決めてないもの。行くかどうかも分からないし、もし行くとしても誰となんて」
「ジェームズは?考えとくって言ってたのに」
「考えてるわよ。決まらないだけ」
ジェームズの誘いからすでに三週間が経過していたが、リリーはまだ彼にイエス・ノーの返事をしていなかった。ただと同じく声をかけてくる男子生徒に、ごめんなさいを告げるだけだ。
「なんで?リリー、ジェームズのこと好きじゃないの?」
じとりと窺うように覗き込みながら尋ねると、リリーはあの厳しい形相でこちらを見た。ああ、せっかくのきれいな顔が!怒ってたってリリーはやはりきれいだけれど。
彼女がなにか言おうと口を開きかけたそのとき、後ろから聞きなれた声が友人を呼ぶのを知ってはきょとんと振り向いた。リリーも顔を上げてそちらに向きなおる。廊下の向こうから小走りでやって来たのは、グリフィンドール寮の見知った上級生で、彼が置いてきたとおぼしき男子生徒数人が通路の向こうのほうでニヤニヤと笑っているのが見えた。
「リリー、話があるんだけどちょっといいかな?」
「え?ええ……」
「え、っと、その、ダーク?わたしは外したほうがいい?」
パトリックたちの様子を見るに、少々意外だったがダークもまたリリーにダンスパーティの誘いを持ちかけるらしい。が慌てて聞くと、彼は照れたように笑いながら、お気遣いどうもありがとうと言ってきた。外せって!わ、ごめんなさい!
「じゃ、じゃあリリー……わたし先に帰ってるね!」
あまりじろじろ見るのも悪いかと思って顔を背けながら言ったので、はリリーがいつになく緊張した様子で頬を染めていることには微塵も気付かなかった。
Neighborly Friendship
友人たちの策略
九月も、残すところあと数日。九科目の受講という愚かな選択をしたは日々の課題をこなすだけで手一杯だった。まだ飽きもせずにダンスパーティに誘ってくれる男子生徒たちに丁寧にノーと告げる余裕もなくて、ごめんなさい今忙しいの!の一言で図書館と談話室の往復を繰り返す。大量の課題に追われる古代ルーン語はシリウスのおかげでなんとかしがみつくことができたが、どさくさに紛れて勉強中でも構わずキスしたり触ったりしてこようとするシリウスをうまくかわせるだけのテクニックをは持っていなかった。最後には拳を振り上げて、いい加減にしてよまだこれとあれとそれもやらなきゃいけないんだから!と怒鳴り、シリウスがしゅんとなって自発的に手を引っ込めるのを待たねばならなかった。
「、ひとりか」
リリーをダークのところに残して先に談話室への道をたどっていたとき、は少し先の角からひとりの男子生徒が姿を現すのを見た。小奇麗にまとめた茶色い髪、すらりとした長身、そしてスリザリンカラーのネクタイ……うげ、何でこんなところに。
「ごきげんようミスターロジエール。ここはスリザリンのかたがお使いになるような通路ではないと思うけど?」
「へえ、驚いた。シリウスのおばさんに絞られて少しは言葉遣いってものを覚えたか?」
にやにや笑いながら、ロジエールは立ち止まったのほうにゆっくりと近付いてきた。
「聞いたぜ、あんた、ずいぶんなことしてくれたらしいな」
「それはどうも。なに、あんたのとこにはブラック家の情報が筒抜けってわけ?」
「まーな。俺はおばさんに大事にされてるし、レグルスとも仲が良い」
必要以上に距離を詰めてきたロジエールを間近で見上げて、は相手が思っていた以上に背が高いことに気付いた。ひょっとして、シリウスと同じくらいかもしれない。碧眼の中に見下すような威圧感はあるものの、どこか雰囲気さえも似ていないことはないと思ってしまった彼女は自分の心中をごまかすように小さくかぶりを振った。レグルス……シリウスとブラック家を去るときに見た、あのなんともいえないグレイの瞳が今でも忘れられない。それでも彼は、とうとう『家』を棄てたのだ。
「あんた、ダンスパーティはシリウスと出るのか?」
聞かれて、ようやく意識を現実に引き戻して顔を上げる。はむっと眉間に力を入れて早口に捲くし立てた。
「なによ。別れたって言ってたくせにまたあいつに近付きやがってとか思ってる?シリウスが誰とダンパに行こうがシリウスの勝手でしょ。おばさんのスパイかなにかのつもりか知らないけど、シリウスのことはもう放っといてあげれば?もう家には帰らないって言ってるんだから」
「シリウスじゃなくて、俺はあんたのことを聞いてるんだよ」
素っ気なく言うと、ロジエールはその長い腕を伸ばして回り込むようにを壁際に追い詰めた。不意に閉ざされた狭い空間の中に追いやられ、はぎょっと目を見開いて上ずった声をあげる。ロジエールのものと思しきシャツの匂いが少しだけ鼻の奥に届いた。
「なっ、ちょ、何すんの!?」
「何だと思う?」
こちらの反応を楽しむように目を細めながら、ロジエールが背中を屈めて顔を近付けてくる。はっきり言ってロジエールは(シリウスほどではないにせよ)かっこいい部類に入るが、その笑みがあまりに得体の知れないものだったので、は背筋にぞっとするものを感じて力の限り相手の胸を強く押し戻した。おとなしく上体を起こしながらも、ロジエールが小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「そんなもんか?おばさんたちみたいに俺のことも吹き飛ばしてみろよ。どこまで飛んだか測定してやる」
「……何なの?そんなに私に飛ばされたいわけ?あんた何考えてるかさっぱり分かんない」
「なあ、、俺と一緒にダンスパーティ行かねえ?」
こいつ英語が通じてるのかーーーー!!??
は目を回しそうになりながら、やっとのことで嘆息混じりに口を開いた。
「……なにかのジョークですか?ちっとも面白くないんですけど」
「あんたのほうこそ、そうやっていつも無数の男を傷付けてるのかよ。俺は本気だっていうのに」
「本気って……なにが本気?ジョークにマジってこと?わたし暇じゃないのよ、さっさと退いて」
左側を封じるように伸ばされた腕から逃れるようと右に踏み出しかけると、今度はそちら側に腕を回されて完全に動きを抑えられる。イライラと歯噛みして睨みつける彼女を、ロジエールは檻の中の猛獣でも鑑賞するかのように愉快そうに見下ろした。
「シリウスなんかもうどうでもいい。あんたのほうが面白そうだ」
「……はあ?」
「あんたに興味があるって言ってるんだよ」
不覚にも、そのときほんの一瞬だけどきりとしてしまった。そんなこちらの胸中を察したかのようにニヤリと笑いながら、ロジエール。
「その気になったらいつでも言ってくれ。あんたのためならいつでも席は空けておくよ」
「あんたの空席なんて絶対に要らない!」
叩きつけるようにして声を荒げたが、ロジエールはおかしそうに喉の奥で笑ってまた顔を近付けてきた。だが今度は誰かの気配を感じてすぐにそちらを見やる。まるで壁に溶け込まんとするほど背中を強く後ろの壁に押し付けていたも慌てて眼球を動かした。離れた廊下の先に呆然と立ち尽くすのは、のよく知る人物で。
「ああ、あれは。シリウスの『お友達』だな」
鼻で嘲笑って、ロジエールはやっとから身体を離した。その場にどっと倒れ込みそうになるのを、膝に力を入れてすんでのところでこらえる。
「じゃーな。元スリザリンの、・さんよ」
そして優雅に踵を返して去っていくその後ろ姿を見送ってから、はよろよろと反対方向の友人のほうに向きなおった。元スリザリン……ああ、ほとんど忘れかけていた。今となってはもう、どうでもいいことだけれど。目を丸くして、唖然としているピーターに、
「ごめんピーター、今の……シリウスには、内緒にしててもらえる?余計な心配、かけたくないから」
彼はまだしばらく言葉を失ったようにたたずんでいたが、やがてぎこちなく笑いながら、分かったよと頷いた。残り少ないグリフィンドール寮への道のりを並んで歩きながら、何気なく尋ねる。
「ピーターはダンスパーティ行くの?」
「えっ?あ……まだ、迷ってて。僕は、パートナーもいないし」
「でもまだまだ時間はあるよ。気になる女の子くらいいるでしょ?誘ってみたら?」
太った婦人の肖像画には、すぐにたどり着いた。表情を堅くして押し黙ったピーターが、合言葉を口にするよりも先に、聞いてくる。
「は……シリウスと、行くの?」
「え?うーん、まだ分かんないけど。だって人前でダンスなんて恥ずかしいじゃん。でも、シリウスはすっごく楽しみにしてるみたいだから……どうしよ、行ってあげたほうがいいかなー。シリウスはきっと喜ぶよね。ねえ、どうしたらいいかな?」
けれどもちょうどそのとき、後ろから同級生のワットとイアンが大量の本を抱えて戻ってきたのでは手を振って彼らにも声をかけた。
「おかえりー。ねえ、何それ、すっごい量」
「あー、ただいま。ほら、変身術のレポート明日までだろ?みんなでやろうってことになって。アドアビトリウム、意のままに!」
その通り!といってぱっと開いた肖像画の穴を通って、ワットたちが中に入っていく。それを急いで後ろから追いかけた。
「ねえ、わたしも一緒にやっていい?」
「いいけどお前はシリウスに甘えれば一発だろ」
「ちょっ!なんでそういうこと言うの?ひどい、わたしだって一生懸命なのに!」
「悪い悪い。でもさ、お前と一緒にいたらシリウスのやつすごい目で睨んでくるんだ。ま、睨まれるだけじゃ害はないけどさ。でも分かるだろ?」
「シリウスのことは気にしないで。あとで叱っておくから」
「頼もしいな、。でもまだあいつとダンパ行くって決めてないんだって?シリウスへこんでたぞ」
ワットは苦笑しながら、賑わう談話室を見渡した。先にイアンが奥の丸テーブルを囲んだ同級生数人を見つけてそちらに歩いていく。とワットもその後ろからついていった。
「うん、だってなんか人前で踊るって気恥ずかしくて……」
「ハハ、お前は気にしすぎだよ。なにもスポットライト当てられて踊るわけじゃないんだ、人前で踊るって感じじゃないと思うぞ?」
「そっかーそうかなー。ワットは誰と行くの?」
「俺?俺はハッフルパフのビクトリア」
「ビクトリア?って誰だっけ」
「あれ、知らないの?七年の、ほら、ビクトリア・マクレガー」
「えっ、あ!ミス・マクレガー!あれ、あれ?ワットって年下好きじゃなかったっけ?」
「人の好みは変わるんだ、、覚えとけよ」
そうか、どちらにしてもハナはまた振られたわけか。ざっと談話室を見渡したがその友人の姿を見つけることはできず、は同級生が五人ほど集まったテーブル、その中央にどさりと本を下ろしたワットの隣に腰かけた。
そこで初めて気が付いた
正面とは言わないまでも、テーブルを挟んだほぼ斜め前。退屈そうに肘をついて広げた教科書を覗き込んでいるのは、相変わらず黒髪を短くまとめたラルフ・サイラスだった。あれからずいぶん背が伸びて、体付きも男らしくなって。
「お、もやるのか?」
「う、ん!混ぜて混ぜて」
右隣のディックが教科書と羊皮紙を少し向こうに寄せてくれたので、その空間に持っていた羊皮紙の巻紙とインク壺、羽根ペンを置く。ラルフと顔を合わせることは談話室や授業でもよくあったが言葉を交わすことはほとんどなかったし、こんなにも近くにいるのはきっと交際していた時期以来だ。まさかもう未練は残っていないが、それでも気まずさと多少の罪悪感は拭いきれない。ラルフも似たようなものなのか、がテーブルにやってきても、ちらりとも顔を上げなかった。
「じゃあ分担するか。ふたりで一問ずつにしよう。イアンとディックが第一問、ダンカンとラルフが第二問、ヒューとトニーが第三問、俺とが第四問でいいか?」
ワットがその場を仕切り、面々は思い思いに資料を取ってそれぞれの担当箇所を調べ始めた。これが終わったら無言呪文の練習……ああ、ほんと、死にそう。はまだましなほうで、何十分見つめ続けても、砂糖入れ一個ぴくりとも動かせない生徒がたくさんいた。
置き換え呪文の理論についての設問をさらにワットとふたりで分けて調べていると、どこからともなくふらりと現れたブロンドの女の子が『詳解・変身術(W)』と睨めっこしているラルフの首に後ろから甘えるように腕を回した。
「ラルフ、ねえ、それいつ頃終わりそう?」
「あ?あー、そうだなー。こんだけの人数でやれば二十分かかんねーかな」
「そう。それじゃあ先に部屋で待ってるわね」
「ああ。すぐ行くよ」
言って、首を捻ったラルフはその女の子と見ていてこちらがあたふたしてしまいそうな濃厚なキスをした。ひーーー!!そ、そんな、そんな……ダンカンたちは苦笑いでその様子を見守り、女子寮に上がっていく女の子を最後まで見送ったラルフはやっとソファの上に座りなおしてこちらを見た。
「そんなにじろじろ見るなよ、」
「えっ!え、あ……ご、ごめんあんまりお熱いもんだから……」
「そうか?べつに普通だろ」
ふつう!普通か、そうなのか……そりゃあ、談話室でまるで磁石のようにくっつき合ったカップルを見ることはざらにあるけれど。こんなにも間近でそれを見たのは初めてだったし、自分と付き合っているときには決して彼は人前でそんなことはしてこなかったので、は心臓がばくばくと跳ねるのをなかなか止めることができなかった。
抑揚のない声で、静かにラルフが言ってくる。
「、お前、恥ずかしがりすぎ。シリウスが哀れだ」
「えっ、そ、そんな……」
まさかラルフにそんなことを言われるとは夢にも思っていなかったので、ただただ戸惑って口をぱくぱくさせた。だがラルフのその一言に端を発し、同じテーブルを囲んだ友人たちが口々にを責め立てる。
「ラルフの言う通りだぞー。人前だからってキスもできないなんてシリウスかわいそー」
「まあ、ラルフくらい熱いのやってやれとは言わないけど?でもあいつ、本気で君に惚れてるよ」
「そうだそうだ、ダンスパーティくらい行ってやれ」
「ちょっ!なんでわたしシリウスのことでみんなに怒られなきゃいけないの」
急に周りのみんなが敵になってしまったので、居たたまれなくなってソファの上で身をすくめる。半ば冗談じみた口振りではあったものの、彼らがなおも続けようとしたのでは頬を膨らませて荒々しく立ち上がった。
「分かった、分かった!みんなシリウスの肩持つんだ!分かりましたよ、ダンパに行けばいいんでしょう!」
そして羊皮紙や羽根ペンを置いたまま、大股で男子寮の階段へと向かっていった。