OWL試験は全科目をパスした。天文学E、魔法生物飼育学O、呪文学O、闇の魔術に対する防衛術O、古代ルーン語E、薬草学E、魔法史O、魔法薬学E、変身術O。
『O』が五つもある!苦手な薬学も『E』、期待以上。これで全科目、NEWT対策の授業に進めるはずだった。
けれども、浮き立った心もすぐに暗く沈んでいった。結果を一番に伝えたい相手は、あの寂しい隔離病棟でいまだ眠り続けたままだ。自室の机の引き出しに仕舞った両面鏡は、帰国以来うんともすんとも言ってくれなかった。
本当は、試験の結果が届いてから会う予定だった。けれどもフィディアスは八月からしばらく仕事の都合でイギリスを離れることになったので、が帰国する前に話をしようということになったのだ。もしも結果が届いたときに『O』が三つなければそれなりの対応を考えるというその文面が、いたって真剣なのかそれとも冗談なのか、今となっては確かめることもできない。
ここ何年かは実家に置きっ放しにしていた母のアルバムを、久しぶりに開いて見てみた。入学したばかりの幼い頃から、すっかり大人びて卒業するまで。母のホグワーツの思い出がぎっしり詰まったそれは、低学年のときに感じたものとはまた違った趣を思い起こさせた。
ベッドの上に寝転がって、初めからページを繰っていく。大半は同じ寮の友人たち
男女問わず
と撮ったものだったが、ときどき他の寮生たちとも楽しそうに笑っている母は、娘の目から見ても十分に魅力的に思えた。そしてその中に、目的の少年を見つけて手を休める。まだ入学して日が浅いと思われる年頃のフィディアスは、やはり整ったその顔をどこか不機嫌そうに歪め、少し強引に彼をカメラの前に引っ張ってきたと思われる母と並んで写真の枠内に納まっていた。そのネクタイは確かに、レイブンクローの。
フィディアスの姿がアルバムの中に現れるのは、数ページに一枚ほどの僅かな頻度だった。だがそれは裏返せば、ふたりの友情はそれだけ長く
そう、卒業までずっと続いていたということを示している。フィディアスはページを増すごとに、目に見えて表情豊かな顔付きになっていった。どこか斜に構えた眼差しは、変わらず残っているけれども。
最後のページ
卒業の式典と思しき装飾の大広間で撮られた数枚の写真をぼんやりと眺めて、ははたと気が付いた。中にはフィディアスが映っているものもある。他の友人たち数人と一緒に、これからそれぞれの道へ羽ばたくことに夢と希望を膨らませ、そして七年という歳月を共に過ごした仲間と別れ行く寂しさと。あと二年で自分たちもこうして最後の写真を残すのだと思うと、どこか遣り切れない思いが身体中に冷え冷えと広がっていくようだった。
その中で、母と一緒に何枚も同じ写真に映っている、細身の魔女。母よりも少し背が高く、伸ばしたブロンドの髪を軽くカールさせている。はっきりとしたその目鼻立ち、ややきつく吊り上った青い瞳には、見覚えがあった。
(……ジェーン・ベンサム)
は慌ててページを逆に戻していった。ここにも、そしてあそこにも
どうして気付かなかったのだろう。
母が低学年の頃から変わらぬ友情を育んでいたのはフィディアスだけではなかった。
母と同じグリフィンドールの制服を少しだらしなく着込んだ若き日のベンサムは、確かに母の隣で幾度となく明るい笑顔を見せていたのだった。
UNCLE BLACK
アルファード・ブラック
残りの夏休みを、は故郷の田舎町をゆっくり探索するのに使った。市役所でもらった簡単な地図を片手に、今まで一度も訪れたことのないような場所にまで足を伸ばした。小さな史跡や、流れのきれいな小川。幼い頃に虫を追いかけて遊んだ、忘れかけていた土手。少し歩いたところにある小さな漁港から船に乗れば、沖の小島に渡ることもできる。十年ぶりに、はひとりでその島に渡った。小さな民宿がひとつと、それに付属した商店がひとつ。泊まったことはないが小さい頃に父と食事をした記憶はあったので、立ち入ろうかどうしようか迷ってしばらく立ち往生したあと、彼女はそのまま建物の前を素通りした。しばらく浜辺をぶらついて、自分たちの町が見通せる場所を選んでどっかりと腰を下ろす。
小さな町だった。遠目だからというだけでなく、実際に小さな町だと思った。隣の噂がすぐに筒抜けになるような、いかにも『田舎町』風の。けれどもの実家は他の家々から少し離れたところにあるせいなのか、彼女はそうした喧騒にさほど悩まされたことがなかった。
(うちだけちょっと……異質なのかな)
村八分に遭っているだとか、そういうことではないのだが。
(シリウス、どうしてるかな)
考えることがなくなると、その空間を塞ぐようにしてシリウスのことばかりが思い出される。両面鏡は外出するときには絶えず持ち歩いていたが、向こうからの呼び出しがない限りこちらからは連絡しないと心に決めていた。意地だとかそういうことではなくて、これ以上シリウスに余計な心配をさせたくなかった。漏れ鍋で共に過ごした一週間、彼はいつだって私のことを心から気遣ってくれたから。
今年はいろんなことがありすぎて、結局、有耶無耶になってしまったけれど。
来年は大切な人たちと、この町で過ごせたらいいな。
例年は新学期が始まる二、三日前にロンドンに向かうのだが、今年はフィディアスのことがあったので一週間前には漏れ鍋に行くことにした。マクゴナガルに手紙を書いて、煙突飛行ネットワーク配備の手配をしてもらう。それからやっと両面鏡を袋から取り出して、少し緊張しながらシリウスに呼びかけた。
「シリウス。シリウス、いる?」
いる?と聞くのもおかしいかもしれないが。しばらく反応がないのでひょっとしたら鏡の傍にいないのかもしれないと諦めかけたとき、小さな鏡面が揺らいで少しふて腐れたシリウスの顔が現れた。
「よう、久しぶり。どうした?」
「ひ、さしぶり……ねえ、なんか怒ってるの?」
「なんで俺が怒るんだよ」
「ほら、怒ってる」
「怒ってない!」
シリウスはおしまいには大きな声を出して噛みついてきた。なに?私、何かした?せっかく久しぶりにシリウスの顔が見られると思って、どきどきしながら呼んでみたのに。ちょっとは……喜んでくれるかな、なんて思ったのに。
すると答えてきたのは、聞いたことのない、明るい男性の声だった。
「こいつ拗ねてたんだよ。『せっかくこんなに素晴らしい道具があるのに、はちっとも俺を呼んでくれない』」
「言ってない!」
真っ赤になったシリウスが、振り向き様に怒鳴りつける。程なくしてその頭の向こうから顔を見せたのはにこやかに微笑んだ中年の魔法使いで、彼はどうやらシリウスの手から鏡を取り上げて、まともにこちらを覗き込みながら面白そうにニヤニヤした。
「どうも初めまして、。噂通り、可愛い子だねぇ」
「ちょっ、返せ!」
「シリウス、独り占めはよくないな。喜びは分かち合うためのものだ」
「は俺に用があって連絡してきたの!いいからそれ返せって!」
「いいだろ、シリウス。それとも、僕に逆らっていいと思ってるのかね?誰のおかげでこの先もホグワーツに行けると?ねえ、、いつ頃こっちに戻ってくるのかな?」
だ、誰なんだこの人。おじさんとはいってもどこかワイルドなかっこよさがあって、不覚にもどきりとしてしまったけれど。事情を飲み込めず呆然と瞬きするの耳に、また新たに別の男の声が聞こえてきた。だが今度は、はっきりと聞き覚えがある。どこか愉快そうに声を立てて笑いながら、
「アルファードおじさん、僕の道具で僕の友人をナンパするのはやめてもらえませんか?」
「ナンパ?心外だね、僕は彼女と友達になりたいだけなのに」
「ふざけんな返せーーーー!」
シリウスの怒声を物ともせず、アルファードと呼ばれた男性はむしろそれを楽しむかのように目を細めた。その茶色の瞳の奥に悪戯っぽい光がちらつく。
何を言えばいいのか分からず、鏡を覗き込んで考えあぐねていた彼女の目に、見慣れた友人の顔がちらりと飛び込んできた。相変わらず両面鏡を占領しているアルファードの後ろから、
「やあ、、久しぶり元気だった?」
「ジェームズ!う、ん……まあ、それなりに。あの、その、そこはジェームズんち?」
「うん、そうだよ。あ、紹介しようか?そっちはシリウスの
」
「ああジェームズくんどうもありがとう。自己紹介が遅くなったね、、僕はアルファード・ブラック、シリウスの叔父です」
ジェームズの言葉を遮って、アルファードが意気揚々と言ってくる。はぽかんと口をひらいて鏡面に映る男性の顔を見つめた。叔父?シリウスの……おじさん?だって、『ブラック家』って
。
「僕も『高貴なるブラック家』の異端児さ。まあ、シリウスほどじゃないけどね。僕なら成人にならないうちに駆け落ちなんて末恐ろしくてできたもんじゃない。こいつにそんな度胸があったとは驚いたよ」
「し・て・な・い!」
こちらの胸中を読み取ったかのようにそう付け加えたアルファードに、またもシリウスが声を嗄らして叫ぶ。駆け落ちという文言には耳まで真っ赤になり、それを見たアルファードがますます楽しげに笑ったので、さらに身体中に熱いものが込み上げてくるのを感じて下を向いた。
「いやー可愛いねぇ、。シリウスが惚れただけのことはある。あんまり可愛いもんだから『親愛なるお姉様』はひょっとして妬いちゃったのかもしれない年甲斐もなく、ハハ」
「にお袋の話はするなって言っただろ!」
「おーっと失礼。姉がずいぶん君に無礼なことを言ったらしいね。僕から謝るよ。許してほしい」
「もういいだろ!邪魔しないでくれよ俺はと話したいんだ!」
シリウスが叫んだのを聞いて、半分ほど振り向いたアルファードはそこで満足げにニヤリと笑った。
「素直にそう言えばいいんだ」
そして長らく独占していた両面鏡を、シリウスの手に戻す。行こうかジェームズくん、またね、と言ってその足音が遠ざかっていくと、ようやくこちらを見下ろしたシリウスの瞳が鏡越しにを捉えた。
「あ、の……シリウス?」
「ああ、あの人の言ったことなんて気にしなくていい。これっぽっちも気にしなくていいむしろ気にするな」
「あー……でも、その……親しみやすそうな人だね?」
「そうだな。あの家系にしちゃまともな人が育ったと思う」
シリウスだって同じようなものじゃない。口には出さずに呟いて、は小さく噴き出した。少しふて腐れた顔でこちらを見返してきたシリウスの目を覗き込んで、告げる。
「せっかく両面鏡貸してもらったのに、ずっと連絡しなくてごめんなさい」
「……いや、いい。べつに、気にしてない」
素っ気なく言って、シリウスはさり気なく目を逸らした。ちくりと、どこかに小さな棘が刺さったような。少し肩を落としながら、続けた。
「私は、ずっと会いたかったよ」
するとシリウスが大きく目を開いてこちらに向きなおる。今度は自分が気恥ずかしくなって半分ほど瞼を伏せた。
「だけど、用事もないのに呼んじゃったりしたら……何かあったのかなって、心配させるかもって思って。ほら、便りがないのはいい知らせって言うじゃない」
「……ばか」
唸るように呟いて、シリウス。
「いや、ごめん。俺だって会いたかったのに……が全然連絡くれないから、てっきり俺のこと忘れてるのかと思った」
「そんなわけない!よ……ごめん、言わなきゃ分かんないよね。ごめん、シリウスすき。会いたい」
普段から、こうやって素直になれたらいいのに。頬を染めて口ごもったシリウスに微笑みかけて、
「あのね、今度の火曜にそっち行こうと思うの。また漏れ鍋に部屋借りるから、だからシリウスには……一回でいいから、また一緒にフィディアスのとこ行ってほしい。お願い……してもいい?」
「一回?一回でいいのか?」
「うん。シリウス、休み中ずっと……フィディアスのとこ行ってくれてたんでしょ?ありがとう。だから、残りちょっとだけど……あとは私が行くよ。シリウスは、ジェームズのところでゆっくりしてて」
「そんなこと気にしなくていい。俺だってリンドバーグのことが心配だ。お前とだって……会えるだけ会いたい」
その目があまりに優しかったので、は泣き出しそうになるのを視線を逸らすことでなんとかこらえた。ああ、こんなにも愛しい。
さほど間を置かずに、シリウスが聞いてくる。
「迎えに行くから。何時頃こっち着くか、教えて?」