結局、フィルチからオーケーサインが出たのは真夜中の三時だった。掃いても掃いても夜行性のふくろうは夜中にいくらでも出入りするので次々と新たに羽根や糞が落ちるし、遊びに来てくれたと勘違いしたムーンが終始じゃれてきて追い払うのに必死だったのだ。
何これ、こんなの重過ぎない?たかが廊下で杖出しただけでさ!
息巻いたフィルチは、相手を傷付ける目的で魔法をかけようとしたのだから余計に質が悪いと渋面のマクゴナガルを説得していた。何?それじゃあ言葉で他人を傷付けるのは罪にならないとでも?冗談じゃない!そんなどこぞの小学校教師みたいな馬鹿馬鹿しいこと言いやがって!拳よりも言葉の暴力の方が恐ろしいって知らないのなら知らしめてあげようかミスター・フィルチ!

だがそんな執念も、ふくろう小屋を出る頃にはすっかり萎えてしまっていた。城内の構造を覚えたり授業に慣れることだけで精一杯の身体にはこんな時間までの肉体労働はあまりにも酷だったのだ。
だめ……宿題どころじゃない。とりあえず少しだけ寝よう。使えそうな本は二冊借りてきてるから、四時か五時くらいに起きて、それから……。

OVERLAPPING PHRASES

「初めて」と「初めて」

途中で見たことのない廊下に迷い込んだは、運良く『ほとんど首なしニック』に遭遇して寮までの道案内をしてもらった。さらに幸運だったことに、過度の疲労と睡魔に襲われていた彼女はニックが切断しかかった首の切り口を冗談のつもりで見せたそのことに気付きもしなかった。
すっかり眠りこけている太った婦人の前まで辿り着き、は寝惚け眼でニックを見やる。

「ニック、ありがとーねぇー……おーやすみー……レディーこんばんはぁー……フォンキング・アフォディル……」
「んー……あーら、お嬢ちゃん、随分と遅いお帰りね。しかも合言葉、ちょっと間違ってるわよ」
「えーそんなことないよぉー……ドンキング・アホディル……」
「残念ね、それもちょっとだけ違うわ」
「えぇー何それー。そんなことないってばー……フォンキング・アポディル!」
「だから間違ってるってば。早くしてくれない?私だって寝たいのよ……」

ウトウトと婦人が額縁の端に凭れかかる。も同じように傍らの壁に身体を預け、自分の頬を叩いて眠気と格闘しながら何とか寮に戻るための合言葉と思しき言葉を手当たり次第に叫んだ。

「フォンキング・アホディル!フォンキング・バフォーディル!フォンキング・マカディル!……あ!パンチング・マカディルだ!」
「あー……何だかちょっとずつ遠ざかってる気がするわ……ねえ、お願いだから早くしてよ」
「えぇー、だって他にもう……ああー今まで何言ったっけ……ニック!ニック、ねぇ助けてよ……私だってクタクタなの、早く部屋帰って寝たいのぉー」
「まことに残念なことですが、このニコラス・ド・ミンジー-ポーピントン卿、たとえいかなる状況であろうとも生徒に合言葉を教えてはならないという鉄の約定を結んでおります。ミス・ラスティン、まことに残念至極ですが    
「はあ?何でグリフィンドール生に合言葉教えちゃダメだって?ええ?それとも私は獅子寮生じゃないとでも言いたいの?え?」
「ご、誤解ならさないように!私は決してあなただから教えないのではなく、生徒であれば誰でも    
「じゃあ何?私はこのまま、朝になって誰かが起きてくるまでここで待ってなきゃなんないわけ?ここで寝ろって言いたいのね!あなたはいいわよね、眠らなくたっていいんだからさ!食べなくたっていいし、もうずーっと長いこと息だってしてないし!」
「な……!そ、そこは私が……私が最も、最も気にしているところだというのに……」
「もうどうでもいいから!開けろーここを開けろー!」

屈辱に打ち震えるニックを完全に無視して、グリフィンドール寮の扉を乱暴に叩く。また眠りの世界に戻りかけた婦人はびっくりして飛び上がり、静かにしてよと声を荒げた。あまりの眠気に、理性などは完全に吹き飛んでしまっていたらしい。ただただ柔らかいあのベッドが恋しかった。正直なところ、実家の布団よりもかなり上等のものだ。

何度も扉を叩いて夢心地の中意味不明な奇声を発していると、突然内側からドアが開いての拳は空を切った。まさか本当に開くとは思っていなかったため、驚いてぴたりと動きを止める。さらに中から少しだけ現れた顔を見て、の眠気は一瞬で消失した。な、な、なな何で    

「お前……今さ、何時だと思ってんの?」
「なっ……な、何でいるの……?」
「質問には答えろよ。非常識だろ、うっせーんだよ」

あ、あんたに常識を説かれたくない。スネイプにわけの分かんない魔法かけてさ。いや、でもあれはスネイプも使ってた呪文だからおあいこか。ていうかほんとに、何であんたがいるのよ!あんたなんか呼んでない!
それともさっきの大声で起きてきちゃったとか。やばい!やばいって!私、何やってんだろ!ただでさえこいつ、私のこと嫌ってるに違いないのに!

ブラックは心底うんざりした様子でを一睨みすると、薄く開いた扉をさらに押し開けてこちらからも談話室の中が見えるようにした。まだ明かりのついた談話室はさすがに人気がなくしんと静まり返っていたが、その一角に何やら黒いものが見えては首を傾げる。目を凝らして、『それ』をじっと見据えると    

「……ジェームズ?」

小さなテーブルに突っ伏して眠りこけているのは、あのクシャクシャの頭からしてまず間違いなくジェームズだった。辺りには開いた本や教科書、ノートが散らばっている。ブラックはを中に促してドアを閉めると、退屈そうに背伸びしながら彼の方へと歩いていった。
その気配にようやく気付いたのか、ぴくりと身じろぎしたジェームズがゆっくりとテーブルから身体を起こす。そして彼女の姿を見つけるや否や、眠気で二重になった目をこすりながらも満面の笑みで口を開いた。

「お帰り、。待ちくたびれて寝ちゃったよ……いや、ごめんごめん」
「な、何で謝るの?ていうか、え、待ちくたびれたって……」

わけが分からず目をぱちくりさせるに、ジェームズはからからと陽気に笑ってみせる。

「なーんてね。ほら、、変身術の宿題まだって言ってただろ?僕らもやってなかったから、一緒にやろうと思ってさ。さすがに初回からマクゴナガルの課題サボろうなんて思ってないし。でもこれが面倒でさ……ついつい眠っちゃったよ」

そう言ったジェームズはちらりと壁の時計を見上げ、えー!と素っ頓狂な声をあげた。

「もうこんな時間?、こんな時間までずっとふくろう小屋の掃除してたの?」
「うん、そう……フィルチがなかなかオッケー出してくれなくてさ。もうクタクタだよ」
「そりゃあ疲れるさ!あぁーもっと早く起きてたらのこと助け出しにいってたのにな。シリウス、何で起こしてくれなかったんだよ!どうせお前はずっと起きてたんだろ?」

ジェームズの向かいに腰掛けたブラックは「あ?」といかにも不機嫌そうな声を出したが、彼は端から答えなど求めていなかったのか、そちらには目もくれず本当に悔しそうな顔でを見た。はとんでもないと何度も首を振る。

「そんなことしたら今度はジェームズが罰則食らっちゃうよ!いいよ、こうやって無事に終わったんだしさ。気持ちだけで嬉しいよ、ありがとね」

彼は少しだけ照れ臭そうに笑って頬を掻いたが、すぐに身体ごとの方に向き直って大仰に肩を竦めてみせた。

「罰則なんてドンと来いだよ。うちの母さんも厳しくてさ、家ではしょっちゅうお仕置きだとかいって掃除とかお使いとか散々させられてたから。あ、も会ったことあるだろ?ほら、オリバンダーの店で」
「うん、もちろん覚えてるよ。あのお母さん、そんなに厳しいんだ……」
「まあね。でも女親ってどこでもそんなものじゃない?のお母さんは?あ、でも女の子の親だとまたちょっと違うのかな」

まさか自分のことを聞かれるとは思っていなかったため、一瞬言葉に詰まって口ごもる。だが考えてみれば、自分の親の話が出れば友達にもそれを問うのはごくごく自然な流れだった。気まずく流れた沈黙を打ち消すように、軽く笑いながら答える。

「うちはお母さんいないから。私が小さい頃に死んじゃって」

ジェームズは目をぱちくりさせて、珍しく驚いた顔をした。既に本を開いて何やら羊皮紙に書き付けているブラックもぴたりと少しだけ手を止めたが、彼は顔も上げずすぐにまた課題へと戻っていく。は噴き出すように笑ってジェームズの隣に腰を下ろした。

「ごめん……無神経だったね」
「ううん、いいのいいの。お母さんが死んだの私がまだほんとに小さかった時だから、お母さんの記憶ほとんど残ってないし。お母さんが生きてる時は私もイギリスで暮らしてたらしいんだけど、お母さんが死んでからお父さんが私を連れて日本に帰って。それからずっと、魔法とは無縁の世界でやってきたの。魔法なんて空想の中だけだと思ってたのに、ホグワーツからいきなり入学許可書が届いてさ。その時に初めてお父さんからお母さんが魔女だったって聞いて。もう、びっくり仰天だよほんとに」

滔々と喋るの言葉をジェームズは穏やかな表情で聞いていた。こんな風に黙って聞いていてくれる男の子なんて、今まで私の周りには誰もいなかった。いや、女の子でもそうか。誰もが我先にと何でも好き勝手に喋りたがる。傍らで聞いていて、周囲の『トモダチ』たちの会話がまったくちぐはぐでほとんど噛み合っていないように感じることは多かった。それでも彼女らは、構わず喋り続けた    何のために、言葉を紡ぐのか。伝えるためでないのなら、それは単なる雑音と同じだろうに。

この時ばかりはなぜか、自分のことを話したかった。それとも彼のあの不思議な眼が、私を延々と喋らせたのだろうか。

「私も最初は信じられなかったけど、でもね、そういえば昔見た写真みたいなのは中の人たちが動いてたりしてたし、お母さんが使ってたガイドブックの文字とか地図とかだって途中で変わったりしててお母さんの遺品は不思議なものだらけでさ。あ、マグルの世界のものは基本的に動かないの!それに入学許可書だって英語で書かれてたのにおでこに当てたら日本語がすーって頭の中に入ってきて。そういうのも全部びっくりだし、それにお父さんがいつもと違って真面目に話すもんだから……なんか最後には、お父さんのことも魔法のことも信じちゃってて。不思議だよね、ほんと。お父さんのことあんなに嫌いだったのにさ。人生何が起こるか分かんないもんだよ」
「お父さんが嫌いだったの?どうして?」

不思議そうに訊いてきたジェームズに、小さく苦笑して告げる。

「さあ……うまく言えないけど。とにかく嫌な奴だと思ってたの!でも……意外と、誠実な人だった。それにさ、何だかんだいっても結局は私のことここまで大きくしてくれたわけだし、そんなにひどい人なわけないって気付いて」

たった一人の家族と向き合えた。だからそれだけでも、入学を許可してくれたこのホグワーツには感謝している。その上こんなにも素敵な友達を授けてくれて。
にこりと笑ってジェームズの眼を見返したその時、側で突然ばたん!と大きな音がしては飛び上がった。ブラックが図書館から借りてきたらしい分厚い本を何も言わずに乱暴に閉じたところだった。

喋り過ぎたかな    どうしよう、完全に怒らせちゃったみたい。
きつく唇を引き結び、手早く手元の羊皮紙や教科書を掻き集めたブラックは「寝る」とだけ呟いてあっという間に談話室を出て行った。

    ああ……やっぱり機嫌損ねちゃったか」

疲れたように漏らしたのはジェームズ。彼はしばらくブラックの消えた階段を眺めていたが、やがて嘆息とともにに視線を戻して肩を竦めた。

「ひょっとして、とは思ったんだけど……やっぱり怒っちゃったみたいだね。せっかくだからこのまま三人でフィルチ報復作戦会議でもと思ってたんだけど」
「え、何?どういうこと?ていうか『フィルチ報復作戦』って……本気でやるつもり?」
「ああ、もちろん!だって悔しいだろ?こんな時間まで働かされてさ!しかもふくろう小屋なんていくら掃除したってどうせまたすぐに汚れるんだし」
「そりゃそうだけど……好き好んでまた罰則食らいにいくようなもんじゃない。もうあんなしんどい思いしたくない、ジェームズだって一回やってみたらもう二度とあんなのやだって思うはずだよ」
「大丈夫、要はフィルチに捕まらなきゃいいんだよ。もし捕まったって今度は僕らがいる。ふくろう小屋だって大広間だって三人でやればすぐに片付くさ」

自信満々にそう言ってのけるジェームズにはもうこれ以上逆らえないと判断して、はとりあえずこの場だけでも乗っておくことにした。ジェームズはともかく、ブラックと一緒にフィルチに報復、ブラックと一緒に掃除……そんなの、向こうだって願い下げだろうに!

「ところでさ、さっきの『やっぱり怒っちゃったみたい』って?私、何か彼の気に障るようなこと言った?」

問うと、彼は羽根ペンの尻でぎこちなく頬を掻きながら言ってきた。

「うーん……そう、そうだね。あいつもね、前のみたいに親が『大嫌い』なんだってさ。でもまさかあんなに分かりやすく怒るとは思わなかった。ちょっとくらい誰かの身内の話が出たってあんなには反応しないのに」

いや、あいつはいつだって分かりやすくイライラしてるじゃないか。だがそれは胸の内に留め、は別のことを口にした。

「じゃあ……彼の前では、あんまり親の話はしない方がいいってこと?」

ジェームズは少し困った顔で考え込んだが、やがて「そうかもね」と曖昧に答えた。

「僕はそんなに気にしたことはないんだけどね。僕の両親にはあいつも会ってるしさ。でもさっきみたいにあいつが過剰に反応するようならやめておいた方がいいかもね」
「そっか……ジェームズは彼の両親には会ったことないの?」
「僕はないね。あいつが嫌がるんだ。あいつがすごく自分の家族を嫌ってるのは知ってるけど、でもさっきが言ったみたいに、結局はこれまでも、きっとこれからもあいつを育てていく人たちだろ?僕は父さんも母さんも大好きだし、恵まれてる環境だと思う。シリウスにだってそういう喜びを知って欲しいと思うことがあるんだ」

そう言った彼が、ふとこちらから視線を外してぼんやりと天井を見上げる。壁を通してブラックを見ているのかと、はほんの少しだけそんなことを考えた。
と、突然はっとした顔をして、慌ててジェームズが振り返る。

「ご    ごめん、こんなこと。忘れてとは言わないけど……あ、いや、やっぱり忘れて。寝惚けてるのかな、こんなこと話すなんて」

両方の頬を自分の手のひらでパンパンと叩きながら、ジェームズはぎこちなく笑った。

「自分のことじゃないしさ……こんなこと誰にも話すべきじゃないって思ってたのに。不思議だね、といたら何でも話したくなるよ。こんなの初めてだ」

大真面目にそんなことを言われてはどきりとしたが、彼もまた照れた風に笑ったのでつられて小さく噴き出した。喉の奥が少しこそばゆいけど、どこか心地良い距離感。本当に不思議な男の子。
私が男だったら、彼ともっと一緒にいられて、もっとたくさん話せたのかな。ふとそんなことを考えて、失笑する。だって私は、どうしたところで女だもの。それは変えられない。

「私もおんなじだよ。お母さんのこと話したの、ジェームズが初めて。自分でもびっくりしてる」

すると彼はきょとんとして、不思議そうにを凝視した。何かおかしなことを言ったろうか。

「な、何……?」
「え、いや、だってはニースと仲良しだろう?女の子はそういう話ってしないの?」
「あー……そうだね、お母さんの話はしたことないかな」

なぜだろう。ニースの両親の話は聞いたことがあるのに、自分の親のことは話そうと思わなかった。ニースが女の子だからか、それともやはりこれは相手がジェームズだからか。
ジェームズはまだしばらく目をぱちくりさせていたが、やがて嬉しそうに微笑んでありがとうと言った。何で?どうして「ありがとう」なの?ジェームズってさ、いちいち言うことが唐突だよ。

    な、何が?」
「お母さんのこと、話してくれて。嬉しかったよ、ありがとう」

そんなこと。ずっと心の底に溜め込んでいたものを吐き出せたようで、楽になったのはきっと私の方なのに。

「ううん、私の方こそ……聞いてくれて嬉しかった。彼のことも、話してくれて。何かあったらまた聞かせてよ。ジェームズのことだって何だって聞くからさ。私も、何でも話すし。ね、そうしよう」

彼はまた驚いた顔をしたが、すぐに笑って羽根ペンを置いたその右手を差し出してきた。もさほど間を置かずそれを握り返し、ニッと白い歯を見せる。温かい手だな。一度離した互いのその手を、示し合わせたように今度は宙でパチンと打ち鳴らし、ジェームズはテーブルに広げた変身術の本を覗き込んだ。

「じゃ、そろそろ本気でこいつに取り掛かろうか。もうあんまり時間もないよ」
「うわ、ほんとだ!やばい、私、羊皮紙取ってくるね!」

四時過ぎを示す掛け時計を見上げ、は大慌てで女子寮への階段を駆け上がった。ブラック……良かったのかな。課題、まだ途中だったんだろうに。少し罪悪感はあったが、怒って帰ったあいつが悪い。あんな奴のことは忘れて課題を仕上げることだけを考えよう。そう、あのジェームズ・ポッターと。

彼もまた自分と同じような気持ちを抱いてくれていることを知り、今はただそれがとても嬉しかった。罰則の疲れも一気に吹き飛ぶ……とまでは言わないけど、でも彼がこうして待っていてくれるのならそれも悪くはないと思ったり。一緒に罰則、かぁ。それも    
いや、いやいやいや待て。何を考えてるんだ!
まさかこういうのを、『恋』と言うのだろうか。いや……それはちょっと、違う気がする。

ま、そんなこと、どうだっていいや。
彼が『友達』だというのだから、それはきっと『友情』なのだろう。
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(07.07.17)