93.覚悟
アイとサクのことは、と出会った頃から知っている。出会い頭にパンチを食らいそうになり、分厚い本に穴が開いた。忍猫については幼少期から親父に聞かされて育ったし、俺は本の穴を眺めながら、恐ろしい力だと子ども心に思った。
だが俺は、忍猫としての彼らの力をほとんど知らない。ふたりはよくのそばにいて、ゴロゴロしながらアクビしていたり、修行中にときどき絡んできてその素早さに驚いたりするくらいで、喋る猫、程度の認識だった。
忍刀七人衆に追い詰められ、ガイと俺が倒れたとき、は静かに口寄せの印を結んだ。これまで一度も成功していないはずだし、そんなことをしている間に逃げろと思った。絶対に生きろって――言っただろうが。
だがやがて、俺たちの前に見たことのない忍猫たちが次々と現れた。三匹が七人衆の喉元に喰らいつき、他の忍猫たちはを取り囲むようにして、すっくと立ち上がる。
アイとサクは、その中にいた。
七人衆は喉元に喰いつかれたにも関わらず、忍猫たちを振り切って殺気立った。口寄せといえどやはり猫では対抗できないのかと諦めかけたとき、忍猫たちは先ほどのガイの父親と同じように目に見えないスピードで七人衆の周囲を飛び回った。
七人衆は刀を振り回そうとするものの、とても彼らの動きを捉えられない。七人衆が標的を俺たちに移そうと踏み出すと、凄まじい跳躍で足元をすくってバランスを崩させた。
恐らく、数の優位もあるだろうが。攪乱には充分だと思った。
今のうちに、少しでも距離を稼ぐ必要がある。
「ガイ、――」
地面に這いつくばった俺が顔を上げると、二人とも気を失っているようだった。まずい。俺もとても万全ではないし、二人同時に運ぶことはできない。忍猫が足止めしてくれている間に、少しでも遠くに逃げないといけないのに。
くそ、どっちを選べば。悩んでいるうちに、全滅する。
そのとき、轟音と同時に聞き慣れた声が木霊した。
「肉弾戦車!」
反射的に後ろに跳ぶと、ちょうど俺のいたところを横切ってチョウザ先生の巨体が七人衆たちを薙ぎ倒していく。忍猫たちはというと、今の一瞬のうちに全員がすでに移動して距離を取っていた。速い。
「影真似の術」
七人衆たちが起き上がるよりも先に、シカク先生の秘伝忍術が三人の影を縛り付ける。チョウザ先生が戻ってきて俺たちの前に立つと、遅れて現れたライドウがガイの肩に素早く腕を回した。
シカク先生の鋭い声が響く。
「ライドウ、ゲンマ! 二人を連れて先に行け! 俺たちが時間を稼ぐ」
チョウザ先生が一瞬こちらに目配せしたので、呆けていた俺は急いでのもとへ駆け寄った。倒れている彼女の小さな身体を抱き起こして、腕を回す。
少し距離を取っていたいのいちさんが、独特の印を組みながら叫んだ。
「その忍猫と一緒に行くんだ! あとで必ず追いつく」
「ゲンニャ! 急ぐにゃ!」
「ゲンマだっつーの!」
先導するのはアイだ。昔のように軽口を叩くと、俺はこんなときだというのに少し肩の力が抜けるような気がした。
戦闘の音が完全に聞こえなくなるまで、ひたすら走る。俺もかなり消耗しているから、いくらの小さな身体といえどこのまま支え続けるのは厳しい。俺は横目でちらりとの顔を見た。中忍試験のときと同じような――いや、あのときよりもひどい、青ざめた顔。きっとチャクラ切れだ。
「ちょっと、待ってくれ……」
くそ、情けない。息切れしてしまった俺は岩場の陰で足を止めた。一足先を移動していたライドウが振り返る。
ライドウと先頭を走っていたアイが、甲高い声で怒鳴った。
「ここはまだ水の国にゃ! とにかく火の国まで早く戻るにゃ!」
「分かってる……」
「ゲンマ、アスマと紅が先に国境線まで戻ってる。そこまで行けるか?」
「……大丈夫だ。悪い、ちょっと手伝ってくれ。背中のほうが安定する」
「分かった」
ライドウは一度ガイを降ろして、が俺の背に乗るのを手伝った。を背負ってから息を整え、俺はライドウのあとについて再び走り出す。
火の国の領内に入るまで、俺たちは黙ってアイのあとに続いた。静かだった。ついさっきまで死が目前だったことなど嘘みたいに、平穏な風が吹いていた。
真夏だというのに、水の国のそばはひんやりと澄んでいる。
火の国に入ってしばらく走った林の中で、俺たちはアスマ、紅と合流した。
「シカク先生はこの場所を知ってるのか?」
「サクはボクの痕跡をたどれるにゃ。問題ないにゃ」
ずっと張り詰めた顔をしていたライドウが、小さく息をついてガイを川原に降ろした。俺もアスマの手を借り、背中からを離してゆっくりと横たえる。二人ともまだ目は覚まさなかったが、心なしか顔色は水の国にいたときより良くなった気がした。
俺も近くの木にもたれて座り込み、目を閉じる。アイやアスマたちに周囲の警戒を任せて、少しでもと身体を休めた。
生きている。忍刀七人衆を前にして、生きて、戻ることができた。チョウザ先生たちは無事だろうか。ガイの父親は、今頃――。
息子のために、命を懸けた父親。最後に見せた笑顔が、忘れられなかった。お前たち若葉が芽吹くためなら、自分の命などいくらでも差し出すと言ってガイの父親は笑ってみせた。
ガイの父親も、ガイも、も。自分の限界を超えて、大切なものを守ろうと戦ったのに。
俺だけが、自分も、仲間も信じられなかった。
情けない、隊長だ。何が中忍だ。場数が違う、だ。そんなものよりずっと、大事なものがあったのに。
目覚めたは、自分が忍猫使いとして覚醒したことなどどうでもいい様子だった。きっとガイの父親を思い、悔しそうに顔を歪めた。のことだから、責任を感じているのだろう。どういうわけか澪様が来るという情報が霧隠れに届き、七人衆はそのために国境線付近で待機していたからだ。
絶対に、のせいじゃないのに。
里に戻ると、ガイはしばらく入院することが決まった。また、禁術を使用したことで、何らかのお咎めがあるかもしれないとのことだった。と俺は、ガイとガイの父親のお陰で助かったと何度もチョウザ先生に訴え、チョウザ先生は、必ず三代目様に伝えると約束してくれた。
ガイは誰とも話したくないと言って、背中を向けたまま病室のベッドで横になった。今はまだ、ショックが大きいのだろう。と一緒に手当てを受けて、俺は家に戻った。の傍らにはアイとサクがいたが、ふたりともいつもと変わらない様子でのんびりと気ままに歩いていた。
「じゃあな、。しっかり休めよ」
「うん。ゲンマもね」
俺たちは病院に行っていたから、詳細な報告はチョウザ先生たち上忍が行うことになった。どのみち七人衆が現れた時点で、俺たちの手に負える問題じゃない。今は身体を休めて、次の任務に備える。俺たちにできることは、それしかない。
いや――俺はこれまで以上に、修行に打ち込まなければ。
もう絶対に、指を咥えて仲間の危機をやり過ごしたりしない。仲間は必ず、俺が守る。俺自身の手で、守るんだ。
母さんに声をかけられても、まともに返事もできなかった。みっともない。もう二度と、こんな思いなんかしたくない。強くなりたい。今よりもっと、仲間を守れる強さが欲しい。ガイみたいに、みたいに――ガイの父親みたいに。
自室に戻って布団に身を投げ出した。このベストを着て三年。これまでにないくらい、強い無力感に襲われた。だが同時に、胸の奥からこみ上げてくる思いがあった。
ガイの退院の日、俺は朝一番にの家へ向かった。