92.交代
ライの耳が、ピクリと動いた。他の忍猫たちも耳を澄まし、顔を上げて尻尾を振る者もいる。
私は岩陰に身を潜めたまま、頭を下げてライに声をかけた。
「どうした」
「呼ばれてるにゃ」
無感動にライがそう告げるのを聞いて、強張っていた肩の力が少し抜けたのが分かった。ついに、その日が来たか。
「そうか。行ってやってくれ」
「お前は大丈夫にゃ?」
「約束だろう。その日が来たら、あいつに力を貸してやってくれと」
フンと鼻を鳴らして、ライが気怠げに立ち上がった。大アクビをしながら後ろ脚で頭を掻く。
「仕方ないにゃ。行ってやるにゃ」
「お前も、何かあったらすぐ呼ぶにゃ」
「フッ。誰に言ってんだい。私はお前たちと四十年生きてきた澪だよ。これからの四十年は、あいつをしっかり鍛えてやってくれ」
「四十年先なんて、知ったこっちゃないにゃ」
ライにつられるようにして、忍猫たちが次々と腰を上げる。彼らが姿を消していく中で、最後まで残ったライはこちらを鋭い目で見据えながら低い声を出した。
「死ぬにゃ、澪」
「お前が言うと不吉だからやめろ」
私が思わず笑みをこぼすと同時に、ライは姿を消した。
この四十年、ずっとそばにいた。
これからは、次の世代を導いてくれ。
静まり返った岩陰の隅で、私は心許なさに背中を丸めた。いや、一人でもやれることはある。
***
これまで一度も応えてくれなかった。ここにきても、駄目なのか。覚悟って、何なんだ。
仲間のために死ぬ覚悟なら、もう、できたのに。
まだ、認めてくれないのか。
「おやおや。口寄せ獣はだんまりか。残念だったな、お嬢ちゃん」
「終わりだ」
「! もういい、逃げろ!」
ゲンマの叫び声がして、大男が彼に向かってトゲに覆われた巨大な刀を振りかぶった。ゲンマが、死ぬ――心臓が抉られるような痛みで絞られながらも、私は手にしたクナイを投げて風遁で勢いを強化した。でもそんなもの、傍らから回り込んだ別の男に軽々と弾かれた。
駄目だ。もう、逃げることも仲間を救うこともできない。
悔しさに歯噛みしながらも次のクナイを手にしたとき、七人衆の喉元に小さな影が喰らいつくのが見えた。
忽然と現れたのは、色とりどりの忍装束に身を包んだ忍猫たちだった。
「半人前が、いつまでもめそめそするにゃ」
私の前に姿を見せたアイとサクが、振り向きもせずに低く唸った。突然喉仏に食いつかれた七人衆たちは驚いた様子でよろめいたものの、すぐに術を放って忍猫たちを振り払った。彼らは敏捷性に優れ、歯や爪も鋭い。通常の人間であれば、一噛みで容易に殺せる。だが相手は、通常の人間ではない――ということだ。
「くそ、猫使いの誕生ってわけか」
「ますます生かしちゃおけねぇな」
首から血を流しながらも、七人衆はまだ立っていた。むしろ先ほどより殺気立っているくらいだ。私はアイたちが呼びかけに応えてくれた喜びよりも、今はとにかくこの状況をどう乗り切るかに意識を集中させた。
いや。集中させたい、のに――。
駄目だ、チャクラが、もう――。
ただでさえ緊張や疲労、これまでの術の連発で疲弊していたところに、忍猫たち十匹近くが応えてくれた初めての口寄せ。
もう、チャクラ切れだった。
「アイ……早く、いのいち、さんに……」
一番近くにいる忍猫に何とかそれだけを伝えて、私の記憶はそこで途切れた。
***
「……良かった、無事で!」
目が覚めたとき、私は木々の茂った薄暗い川辺に横たわっていた。この空気、きっともう火の国に入っている。
私を覗き込んでいた紅は涙目で、こちらに勢いよく抱きつこうとして踏みとどまったようだった。身体中が痛かったから、正直助かった。でも、こうしてまた無事に会えて、私も本当に嬉しかった。
いや、ちょっと待って。あれから、どうなったの? みんな、無事なの?
「アイがいのいちさんを呼びに行って、チョウザ先生たちが七人衆を足止めしてくれた。サクたちが撹乱してくれたお陰で時間稼ぎもできた。全員無事だ」
「ま、作戦としては失敗だがな」
そばに座っていたゲンマが状況を説明してくれて、シカク先生がそのあとを引き継いだ。私はひとまずホッと胸を撫で下ろしたけど、少し離れたところに座っているガイはこちらに背を向けて黙り込んでいた。
声を潜めて、私は問いかける。
「……ガイの、おじさんは?」
「話はゲンマから聞いた。残念だが、ダイさんのところに戻るのはリスクが高すぎる。そうだな?」
シカク先生が促したのは、私の傍らに伏せていたサクだった。尻尾をパタパタと振りながら、
「当然にゃ。忍刀七人衆を半分以上やられて、奴らは気が立ってるにゃ。あんなところに戻れば今度こそ殺されるにゃ」
「そういうわけだ。残念だが、ダイさんを迎えに行くことはできない。このまま撤退する」
私は悔しさのあまり唇を噛んだ。私のせいでガイたちを危険に晒した上、ガイの父親を死なせてしまった。おまけに、遺体を迎えにもいけないなんて。ガイの気持ちを考えたら、とても声なんかかけられそうになかった。
里までの帰路、みんな静かだった。私はチャクラ切れの影響でまだしばらく動けそうになかったし、ガイはガイで父親から密かに伝授されていた禁術、八門遁甲の第三門までを開いたことで走ることができない状態だった。ガイはチョウザ先生、私はシカク先生に背負われて、みんな言葉少なに里に戻った。
男の人におんぶされて正直恥ずかしかったけど、そんなこと言ってる場合じゃない。
チョウザ先生はもちろん、シカク先生の背中も、大きいな。
「みんな、来てくれてありがとね」
病院で手当てを受けたあと、私は家に戻った。あのとき呼びかけに応えてくれた忍猫たちは、ばあちゃんに従っていた者も多い。まさかばあちゃんにべったりだったライも来てくれるなんて思わなかった。
でもライは、勘違いするにゃと言って、素っ気なく背中を向けた。
「私は澪からお前のことを頼まれてるだけにゃ。お前の頼みを聞くかどうかはこれからのお前次第にゃ」
前までの私ならきっと、ばあちゃんの頼みだと言われたら反発していたかもしれない。
でもライは、それでもあのとき来てくれた。私が半人前であることに変わりないのだから、これからも一つ一つ進んでいくしかない。
「うん、分かってる。みんな、これからも宜しくね」
居間に集まった忍猫たちは各々好き勝手に過ごしていたけど、耳だけはこちらを向いていた。今はそれだけで充分だ。アイとサクは、いつものクッションで丸くなって眠っている。
ばあちゃんは珍しく、里を留守にしているらしかった。