91.死門


 嫌な夢を見て飛び起きた。目覚めたとき、最愛の息子はこちらに背を向けて眠っていた。いつも通りだ、何ら変わったことはない。
 だが俺はどうしても、頭にこびりついた記憶を消すことができなかった。

 二十年をかけて禁術を会得する中で、他に磨かれたものがある。自然と一体になるような感覚。もちろん仙術を身に着けたわけではないので、そんなことを言っても誰も信じないだろう。野生の勘、とでも言ったほうがまだ伝わるかもしれない。何れにせよ、何かが起きる。
 水の国の任務に発つ息子の背中をひっそりと見送りながら、俺は落ち着きなく里を歩き回った。駄目だ、落ち着かない。

 こんなことで、多忙な火影様を煩わせるわけにいかない。頭ではそう思うのに、俺は居ても立ってもいられなくなった。

 執務室におられなければ諦めて帰ろう。そう心に決めてこっそり火影邸に足を踏み入れ、早鐘を打つ胸を押さえながら歩いた。呼ばれたわけでもない下忍の身でここにいることさえ不相応なのに、俺は何をやっているんだ。

 だが火影様の執務室まで来ると、中から話し声が聞こえてきた。

「そんなことより、霧にこちらの情報が漏れている。草を炙り出さねば前回の二の舞だぞ。すでに七人衆が動いているという話だ」
「うむ……だがこれ以上、暗部も上忍も動かすことはできん。今、最優先すべきは岩だ」

 霧? 草? 七人衆? 気がついたときには俺は勢いに任せて執務室の扉を開け放っていた。ヒルゼン様とダンゾウ様は険しい顔でこちらを見た。
 ダンゾウ様の声は冷やかだ。

「何用だ。ここは貴様が来るような場所ではない」
「ダンゾウ様! い、今のお話は……水の国には今、息子が任務で出ています! 七人衆とは……ま、まさか、息子の任務に何か……」

 慌てふためく俺に静かに声をかけたのは火影様だった。

「ダイ、落ち着け。七人衆が動いているとなれば難しい局面ではあるが、こちらも上忍三人がついておる。あいつらなら上手く切り抜けてくれる。案ずるな」
「もうよかろう。邪魔だ、さっさと出ていけ」
「ダンゾウ。息子の身を案ずるのは父親として当然だ。そのような言い方はよせ。ダイ、すまぬがダンゾウと大切な話がある。外してくれぬか」
「……はい。火影様」

 俺は肩を落として火影邸を出た。火影様は案ずるなと仰ったが、とてもそんな気にはなれない。里に霧隠れのスパイがいる? あの忍刀七人衆が出てきている? ガイはよく中忍のスリーマンセルで動くと言っていた。もし中忍だけで七人衆と遭遇するようなことがあれば――。

 ガイはあいつの忘れ形見で、俺の命だ。父親として、俺にしてやれることなどほとんどなかった。あいつは自分の力で、自分の意思で仲間と共に強くなった。そんな息子に、俺がしてやれることがまだ一つだけある。
 取り越し苦労ならそれでいい。俺一人が罰を受ければいい話だ。

 もしもがあったとき、俺は後悔しないための道を選ぶ。


***


「下忍の父さんが……どうしてこんなところに!」

 ガイの言葉を聞いて、七人衆は嘲笑うように目を細めた。それぞれの武器を手に、徐ろに身体を慣らし始める。もうあまり余裕はなさそうだ。
 ガイの父親は青白い光を発しながら、首だけでこちらを振り向いた。

「いいから逃げろ、お前たち。俺が時間を稼ぐ」
「何言ってるんだ! 相手は上忍クラスの忍刀七人衆だぞ! 父さんの敵う相手じゃない! 何だってこんな無茶を!」
「俺には死門、八門遁甲の陣がある」

 父親の答えに、ガイがハッと息を呑むのが分かった。八門遁甲の陣、というのがどんな技なのか分からないが、いくらなんでも無謀すぎる。時間稼ぎにだってなるはずがない。それこそ犬死にだ。
 私が改めてポーチの起爆札をつかんだとき、ガイが絞り出した声は震えていた。

「でもそれは……」
「自分ルールだ。お前たち若葉が芽吹くためなら、俺の命などいくらでも差し出そう」

 振り向いたガイの父親の顔は、笑っていた。

 そして次の瞬間には青白い光が一気に深紅に燃え上がり、突風が辺り一面を強烈に吹き荒らした。立っているのもやっとだった。
 私の手にあった起爆札が飛ばされ、後ろで爆発が起こる。それが合図だったかのように、ガイの父親が七人衆の一人に飛びかかった。

 ガイの父親の動きはもはや常人のそれじゃない。見切ることもできないほど速く、一瞬で相手は凄まじい勢いで吹き飛ばされた。

 呆気にとられる私たちを狙って、他の七人衆が動いた。でも彼らの前にすぐさまガイの父親が立ち塞がり、強烈な回し蹴りを食らって彼らもまた一瞬で見えなくなるほどまで吹き飛ばされた。

「早く行け!」

 凄まじい熱気を放つガイの父親に押され、私たちはやっとのことで走り出した。私たちを追おうとする七人衆がいればすべてガイの父親が薙ぎ倒して阻止する。
 息を切らせながら私たちはひたすら走り続け、ようやく顔を上げるとガイは顔中を涙と鼻水で濡らして唇を噛んでいた。

「ガイ……まさかおじさんがあんなに強いなんて。早くいのいちさんに伝えて、チョウザ先生たちに合流してもらえば大丈夫だよ。おじさんだって、あんなに強いなら……」
「違う!」

 ガイは足を止めなかったけど、声を荒げて怒鳴った。涙声のまま、震える声であとを続ける。

「死門を開いたら……死ぬしかないんだ。どう足掻いたって、絶対に死ぬんだ……」

 わけが分からず唖然とする私の後ろで、ゲンマが静かに口を開いた。

「なるほどな。それであの力か」
「どういうこと?」
「強すぎる力には当然リスクがある。ガイ、さっきの術……禁術だろ?」

 ゲンマに指摘されたガイは歯痒そうな面持ちで黙り込んだ。禁術といえばその危険性や、人道的に許されないなどの理由で、里や国から禁じられた術だ。二代目火影の時代に開発されたものも多いと聞く。

「じゃあ、おじさんは……」

 自分の命と引き換えに、私たちのために。
 私のために、ガイたちを危険に晒したのに。

 おじさんの圧倒的な力と、ガイの泣き顔とが交互に瞼の裏に浮かぶ。悔しい。でも、私が戻ったところで足手まといだ。
 こんなときに、また、助けてもらって逃げるしかない自分が情けない。でも、生きてこの情報を伝えないと。早く、チョウザ先生たちと合流しないと、全員の身が危うくなる。

 いのいちさんが待機する地点までまだしばらくかかる。もつれそうになる足を叱咤して走り続けると、背後から突然爆風が押し寄せた。思わず受け身を取り損ねてそのまま地面に転がってしまう。首だけで振り向けば、七人衆のうちの三人が、ボロボロの身体を引きずりながら鬼のような形相で迫ってきていた。

「クソ……虚仮にしやがって」
「絶対に帰さねぇぞ」

 彼らに先ほどまでの余裕は微塵もなく、鬼気迫る表情でどんどん追い上げてくる。私は急いで立ち上がったけど、もう七人衆は目前に迫っていた。
 彼らの有様を見ると、ガイの父親がどれほどの力を見せて彼らを追い詰めたかがよく分かる。
 でも。

「……父さんはどうした」

 気丈に振る舞うガイが問いかけると、かなり大柄で恰幅の良い男が胸を反らして嘲笑った。

「あぁ、お前の親父なら今頃もうくたばってんじゃないか? 慣れねぇことはするもんじゃねぇな? あぁ?」

 ガイの顔色が変わる。私たちが止めるのも聞かず、殺気立ったガイは拳を握ると父親と同じように一瞬で凄まじい蒸気を噴いた。
 私は背筋が凍った。

「ガイ……あんたまで、まさか……」
「いや、さっきおじさんは赤いチャクラだった。ガイのは多分、威力が違う」

 ゲンマはそう推測したけど、それが楽観できる状況じゃないことくらい私にも分かった。ガイはどう見ても正気を失くしてる。ただでさえ感情的に突っ込みがちなガイが父親のことで我を失って、手傷を負っているとはいえ七人衆を相手にまともに対峙できると思えない。今は逃げないと。

「ガイ! 早くこっちに!」
「父さんがくれたチャンスだ。ここはボクが食い止める。君たちは行ってくれ」
「バカ言ってんじゃないわよ! よく見てよ、あんたの敵う相手じゃない!!」
「分かってる。でも、戦わないといけないんだ」

 バカ。何も分かってなんかない。
 絶対に帰るんだ。おじさんが命懸けで守ろうとしたあんたが、こんなところで死ぬことなんかない。
 私のせいなのに。

 ガイのスピードも威力も日頃見ているものとは桁違いだったけど、それでも七人衆の前では赤子同然といった様子だった。ゲンマが飛び道具で応戦するも、陽動にもならない。私だけなら、いのいちさんのところまで走れるか――そのあとチョウザ先生たちと駆けつけて、間に合うか。

 無理だ。間に合わない。

 ガイとゲンマが七人衆の長刀に圧倒されて吹き飛ぶ。二人とも地面に叩きつけられてよろめいた。ガイがすぐさま起き上がって再び向かって行ったけど、ガイの動きは次第に鈍くなっていった。

「猫使いのお嬢ちゃんは怖くて動けないってか?」

 口元に特徴的な入れ墨のある男が、冷酷に笑いながら身の丈ほどの刀を担ぎ上げる。
 目の前には、傷を負ってよろめく仲間たち。

 このままでは、全滅する。

 死ぬ覚悟は、決まった。

 絶対に、仲間たちを帰す。

「――口寄せの術」