89.吐露
今年もゲンマの誕生日は不知火家で過ごした。ゲンマのおばさんは料理が得意だし、ケーキ作りが大好きだから、毎年「食べに来てね」って声をかけてくれる。今年も誘われるままにお邪魔したけど、私はおばさんの料理をあまり食べられなかった。
霧隠れの忍びとの交戦から、一週間しか経っていない。手に残る肉の重み、血の感触、ずっしりした相手の体重。思い出すと吐き気がして、私は何度か席を立った。
おばさんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「、大丈夫? 無理しないで、休んでいって」
「ごめん……今日は帰るね。ゲンマのお祝いなのに、ごめん」
「そんなもん気にすんな。誕生日が嬉しいって年でもねぇしな」
ゲンマは軽くそう言って席を立った。ゲンマは今日十六歳になった。出会ったときは確か八歳だった。もともと大人びていたゲンマだけど、今はやっぱりすごくお兄ちゃんに見える。
いいって言ったのに、ゲンマは家まで送るって言ってくれた。二人でゲンマの家を出て、静かな夜道を並んで歩く。私たちは自然と少し道を逸れて、馴染みの川原に降り立った。
いつもみたいに並んで腰掛けて、ぼんやりと水面を眺める。ゲンマの誕生日は夏だから、夜もまだじりじりと暑いけど、ここに来ると少し涼しい風が吹いて心地よく感じる。いつもそう。
ゲンマは何も言わなかった。あの任務から戻って以来、それぞれ別の下忍チームで臨時隊長としてCやDランクの任務に当たっていて、ゆっくり話せていなかった。上忍クラスは戦地での任務が増えて、チョウザ先生やシカク先生も、最近はほとんど里にいない。
「ゲンマは……平気なの?」
それだけで、ゲンマは分かったみたいだった。まっすぐ前を向いたまま、しばらく考え込んで。
「んなわけあるか」
あっさりそう言うと、私の頭を無遠慮にクシャクシャと撫で回した。ただのポニーテールだけど、髪がグシャグシャになる。
でもゲンマにそうされると、ものすごく安心した。私は昔から、ゲンマに頭を撫でられるのが好きだ。他の誰よりも安心する。それはきっと、ゲンマがどんなときもずっと変わらず、そばにいて支えてくれていたからだ。
いつか離れるときが来ても、ゲンマに大事にされた記憶はきっといつまでも忘れない。それくらい、私の中でゲンマの存在は大きかった。
ゲンマがいなかったらきっと、私はもうとっくに潰れてた。
「俺だって怖いし、こんなのもう無理だって思うこともある。でも踏ん張ってんだよ。あのときだって、殺らなきゃお前が殺られてた」
思い出すだけで、動悸がして汗が噴き出す。敵の臭いも、血の臭いも鮮明に蘇る。口元を押さえて背中を丸める私に、ゲンマは「吐け吐け」と軽く声をかけた。
多分、さっきゲンマの家で食べたものを半分くらい戻した。
「うー……見えない。ゲンマ、平気な顔してるもん」
「だから、おろおろしてる隊長なんか嫌だろ。こっちはお前らより二年先に中忍になってんだよ、場数が違うんだから違って当たり前だろ」
「場数……踏んだら、できるようになるのかな。国が違うだけで……何でこんなことしなきゃいけないの……何で分かり合えないの? 何で殺し合わないといけないの? 何で……」
「分かり合うなんて無理だろ。家族でさえ、分かり合えないこともあるんだぞ」
淡々とそう告げるゲンマに、私は弾けたように顔を上げる。私の家族のことを言ってるのかと思ったけど、ゲンマは川面を見つめたまま静かに話し続けた。
「分かり合えないことなんか当然ある。そのとき、どうするかだ。相手の話を聞いて、妥協できるところを見つけられるか。見つけられないときにどうするか。諦めて離れるか、譲れないから戦うか。最初から話し合いなんか諦めるか。家族でさえそうなのに、国と国が分かり合うなんて、どんだけ難しいか」
「……そう、だね」
ゲンマの言う通りだ。分かり合う、なんて口で言うほど簡単じゃない。ゲンマの家族だってきっと、分かり合えないときだってある。私はもう、話し合うことも諦めてしまった。どうせ分かってもらえないし、話してもらえない。期待なんかしても無駄だって、何度も諦めようとした。
それでも期待してしまうから、傷つく。傷つけば、争いたくもなる。
「俺たちは忍びだから、命令されれば従うしかない。何のためにこんなことしなきゃなんないんだって分かんなくなって、ヤケになりそうなときもある。そんなときはやっぱり、仲間を守るってことを思い出すしかないんだと思う。そうすればきっと、悩むことがあっても自分を見失わないでいられる。俺は、お前もガイも死なせたくない」
仲間を守る。それだけのことがこんなに難しいなんて、思ってなかった。
でもきっと、それしかないんだよね。サクモおじさんの信じたこと、信じていいんだよね。
「私だって……ゲンマやガイが死んだらイヤだよ。死にたくないし、死んでほしくないよ……」
「うん」
「でも誰かを殺すのもイヤだよ……怖いよ、殺されるのも殺すのもイヤだよ……でもあのとき何もできなくて、ゲンマに助けてもらって……情けないし悔しいし、いつまでも私だけ子どもで……どうしていいか、分かんないよ……」
情けなくて、怖くてたまらなくて、涙があふれて止まらなくなる。顔を覆って泣きじゃくる私に、ゲンマは静かに言ってくる。
「お前だけじゃねぇよ。コマノだって最初は泣いてた。俺だって最初はめちゃくちゃ吐いたし、ライドウだってひどい顔だった。お前は人一倍感受性が強いから、自分だけがいつまでもって思うかもしんねぇけど。泣けるときにちゃんと泣いて、暴れまくって、発散すればいい。そしたらまた進めるから、お前は大丈夫だ」
コマノも、ゲンマもライドウも。最初はみんなそうだった。あのコマノが泣いてたなんて想像もできない。でもみんな、悩みながらも前に進んできたんだ。
一人で抱え込むなって、ゲンマはいつも思い出させてくれる。
私は泣きながらゲンマの肩にもたれかかった。ゲンマのそばが、一番落ち着く。どんな私も否定しないで、受け止めてくれるから。その上で、止まってちゃ駄目だって思い出させてくれる。
「怖かったよ……怖いよ、やだよ……悔しいよ、情けないよ、もうやだよ……」
「それでいいんだよ。お前は、それでいいから。でも忘れんなよ。俺も、俺の家族も、お前が生きて帰ってくるのをいつも待ってるから。絶対に生きろよ。それを忘れなかったら、大丈夫だ」
私は忍具ポーチの中に縫い付けたお守りのことを思い出した。ゲンマのおばさんが昔プレゼントしてくれたもので、いつも私の幸せを祈っていると伝えてくれた。無事に戻ってくることを願って。家族にもそんなことは言われたことがなかったから、私は本当に嬉しかった。
私は手を伸ばして、ゲンマの首にぎゅっとしがみついた。
「ゲンマもだよ。ゲンマも絶対、生きて帰って。ゲンマがいなくなったら私寂しくて死んじゃう」
「あほ。縁起でもねぇこと言うな」
「お前たちが死んだら墓穴でも掘りに行ってやるにゃ」
突然後ろから声がして、私は飛び上がった。いつの間にか傍らに座っていたアイとサクが気楽に毛繕いしながらこちらを見ている。私はゲンマから慌てて手を離してアイたちに向き直った。
「そうなる前に助けてくれたら一番いいんだけど」
「冗談言うにゃ」
「半人前に貸してやる手なんかにゃい」
「たまに貸してくれるじゃん!」
「暇潰しにゃ」
「おやつよこせにゃ」
「こないだの分はあげたでしょ!」
外での任務が増えて、アイたちに日常的におやつをあげることはほとんどなくなった。時々ねだりに来ることもあるけど、基本的にはお互い積極的には干渉しないというスタンスだ。彼らは彼らの住処があるらしいから、私が特に関わらなくてもどこかで勝手に暮らしている。
アイとサクが茶々を入れに来たので、私とゲンマはそのまま川原で別れた。ゲンマに話を聞いてもらって、ゲンマの隣で泣いて、だいぶ気持ちが落ち着いた。ゲンマは私にとって本当の家族よりもずっと家族だった。チームメイトになっても、やっぱりそれは変わらなかった。
絶対に仲間のところに帰る。ゲンマの家族のところに帰る。
そのために、できることを全力でやる。
悩んで、苦しんだって、私たちは前に進むしかないのだから。