87.慣れ


 初めて負傷者の移送任務についたとき、その生々しい光景に息が詰まりそうになった。焼けただれた皮膚の焦げる臭い、鼻腔にこびりつく鉄臭さ。数少ない医療忍者が必死に応急処置を施しても、助かる保証はどこにもない。中継地でさえそうなのに、前線の惨状を想像するだけで無力感に押し潰されそうになった。

 戦争では人が死ぬ。それが当たり前。ばあちゃんの言葉が今さら耳元で響くようだった。
 当たり前? こんなことが、当たり前だっていうの? 込み上げる嘔吐感に目眩がして、途中で何度か胃液を戻した。移送任務といっても、今回は移送を担当する別部隊の護衛任務だ。移動中は常に神経を尖らせながらも、休憩中に少し気が緩むと、茂みで何度も吐いた。まだとても、慣れそうにない。

「落ち着いて、。誰だって最初はそうよ。ほら、ゆっくり吸って――吐いて」

 同じ護衛任務に就いているコマノが、茂みで蹲っている私の背を撫でながらそう言ってくれた。コマノと組んだことはほとんどないけど、ゲンマの元同級生だから、私より三つ年上のはずだ。すごく大人っぽくて、やっぱり豊かな胸元に目がいってしまった。ベストは本当にきついみたいで、前は完全に開けていた。ぴったりファスナーを閉めている私とは正反対。

 ごめん、と口にしようとしたとき、茂みの向こうからガイの壮絶なうめき声が聞こえてきた。コマノは苦笑いしながら肩をすくめてみせる。

「ほら、みんなあんなもんよ。すぐに慣れるわ」
「……慣れる? コマノもゲンマも……もう、慣れたの? 仲間が大怪我で苦しんでるのも、人が……死ぬことも?」

 ストレートに聞きすぎたかもしれないと後悔し始めたとき、コマノは疲れたように瞼を伏せて囁いた。

「そうね……慣れた。慣れないと、自分が壊れる。私が壊れたら、守れるはずの仲間が守れなくなる。だから、耐えるしかないの」

 戦争では人が死ぬ。それが、当たり前。やっぱり、そうなの?
 ミナト先生は、当たり前にしちゃ駄目だって言ってた。でも、当たり前にしちゃ駄目だってもがくことと、やっぱり当たり前だと受け入れることはきっとどちらも成り立つんだ。
 それを認めないと、きっと駄目なんだ。

「まぁ、そんなこと言ったって、本当はいつも怖いけど。怖くても、やらなきゃね」

 そう言って微笑むコマノはすごくカッコいいなと思った。怖くても、やらなきゃ。答えが見つからなくても、進まなきゃ。まだ鼻につく臭気に嘔吐感が込み上げてくるけど、私はコマノの言葉を思い出して耐えた。集中しなきゃ。もし奇襲を受けて私がふらついていたら、私だけじゃなく仲間まで危険に晒すことになる。

 それからも戦地での護衛任務や偵察任務、補給路の確保など、後方支援の任務をチョウザ班としてしばしば任された。月経管理の薬を定期的に飲んで、カレンダーを見ながら気分の落ち込みとも割り切って付き合う。そういうものだから、仕方ない。私は女で、この身体からは一生逃げられない。私は忍びで、これ以外の生き方を知らない。

 前線で負傷した味方が中継地まで退いて手当を受けながらも、そのまま息絶える姿は何度も見た。ひどい外傷も火傷も、毒で悶える姿も何度見ても慣れない。目を背けたくなる光景に出会うたび、コマノの、ミナト先生の言葉を思い出した。

「大丈夫か?」

 胸元を押さえてうずくまる私の肩に手を添えて、ゲンマが聞いてくる。あれからコマノには会ってないけど、目を閉じてその笑顔を思い出しながら、私は大きく息を吐いた。告げる。

「――大丈夫。ありがと」


***


 久しぶりに管理部で忍具の補充をすると、馴染みの顔と一緒になった。アカデミーの同期で、中忍昇格も同期となったコマノだ。在学中はあまり接点がなかったものの、一年飛び級で卒業した彼女はスタミナがあって持久戦が得意だ。互いにチームメイトが下忍のため一緒に組んで戦地に向かうことが増え、在学中より親しくなった。

「ゲンマ。久しぶり、元気?」
「おう、ぼちぼち。お前は?」
「うん、元気かな。それだけが取り柄だし」
「謙遜すんなよ」

 コマノは確かにスタミナ型だがオールラウンダーでバランスが良い。もバランス型だが俺と同じで持久力には難があるし、技の切れだってまだまだ発展途上だ。
 チョウザ班は去年全員が中忍になったので、チームでの任務がまた増えてきて、ここのところコマノと組むことはほとんどなくなった。

 補充を終えて、一緒に本部を出る。家の方角が違うのでその場で別れようとしたところで、俺はふと思い出して彼女の背中に声をかけた。

「そういや、のこと。ありがとな」
「ん?」

 怪訝そうな顔で振り向くコマノに、俺は咥えた千本を揺らしながらあとを続ける。

「前の護衛任務でがゲロ吐いてたろ。あんときお前が話聞いてやったおかげでだいぶ落ち着いたみたいだったからな」
「そんなことあったっけ? そんなのお互い様よ」

 あっけらかんと笑うコマノは本当にさばさばしている。彼女の動きに合わせて揺れる胸元の豊かな膨らみがなければ、女ということを忘れそうなくらいだ。俺だってもうすぐ十六になるし、気にならないといえば嘘になる。はっきり言って、一度は触ってみたい。いわゆる好奇心ってやつで、まぁ、思うだけなら問題ないだろ。

 肩が凝ると言いながらコマノが両腕を上げて伸びをすると、また胸元のラインが揺れたので俺は思わず目を逸らした。

「ゲンマって、ほんとにのこと大好きよね」
「は?」

 語弊のあることを言われている気がする。俺が眉根を寄せると、コマノは悪戯っぽく目を細めて微笑んだ。

「いつもの心配ばっかり。アカデミーの頃から面倒見てたのってあの子なんでしょ?」
「面倒見てた……まぁ、あいつ危なっかしいからな。家も近所だし、妹みたいなもんだ」
「可愛い妹がいるから張り合いがあるわね?」
「何が言いたいんだよ」

 やけに含みのある言い方をしてくる。何でもないわよ、とまた含みのある声で囁いて、コマノはくるりと俺に背中を向けた。

「じゃ、私これからデートだから」
「そうかよ。とっとと行け」
「ふふ、妬かないのよ。じゃあね」

 軽やかに手を振って、コマノが去っていく。まぁ、あいつなら別に恋人がいたところで何ら不思議なことはない。忍びなのか民間人なのかも知ったことじゃないが、俺はのことをぼんやりと考えた。

 いつまでも子どもだと思っていたし、実際、俺の前で無邪気に笑うは幼い頃のまま、屈託のない笑顔で笑う。だが戦場を知って、味方の死を身近に感じ、焼けただれた臭いにむせ返って嘔吐するはもう確かに昔のままのじゃない。忍びとして避けられないことだし、戦争が続く以上、これからも繰り返される現実だ。
 だってもう、幼いままの子どもじゃない。

 それに。

『…………………せいり、きた』

 暗闇の中でひとり、膝を抱えてうずくまるの姿を思い出す。

 あれから数か月。薬を飲んでいるらしく、はもう初めてのときのようにふらついたりパニックになったりすることもない。きっとつらいときもあるんだろうが、それを感じさせないくらいいつも通りに振る舞っている。
 そうはいっても、は女なんだと知った。

 いつも忘れそうになるが、身体はもう女のそれということだ。まぁ正確には、準備期間といったところだろうが。

 だっていつまでも子どもじゃない。いつまでも俺の妹分でいるわけじゃない。コマノのようにいつか男だってできるだろう。そう考えたらふと、胸に隙間風でも吹き込むような気がした。

(……ま、まだ先の話だな)

 自分にそう言い聞かせて、家路を歩き出す。数えきれないくらいと並んで帰った道。これからも帰るだろう道。
 だがそれも、いつまでも続くわけじゃない。

 今はまだ、慣れない戦場に必死に食らいついているをそばで見守りたい。支えたい。これからも共に生き残れるように、強くなりたい。
 これがコマノの言っていた、『張り合いがある』ということなのかもしれない。

 気恥ずかしさをごまかすように咳払いしながら、俺は足早に家に戻った。