82.気配


 その日、ガイが一人で丸太を相手に鍛錬を続けているとき、私はチョウザ先生に声をかけた。

「先生、今……ちょっといいですか?」
「うん? いいぞ、座れ」

 私はチョウザ先生の隣に腰かけて、そっと自分の膝を抱えた。

「あの、その……私、予選のあとに……先生に変なこと、言いましたよね……」
「変なこと?」

 怪訝そうに眉をひそめるチョウザ先生に、私は少し目線を泳がせたあと、観念してもう一度先生の顔を見返した。あのときのことを考えると、落ち着きなく胸がざわついた。
 でも、言わなきゃ。

「私……サクモおじさんのこととか、カカシのこととか……」
「あぁ。そうだな。お前はサクモさんと親しかったんだな」
「……サクモおじさんは、よくうちに来てて。私のことも、可愛がってくれてましたから」

 何度思い出しても、胸が苦しくなる。もう二度と会えない。私にとっては母さんよりも、サクモおじさんがいないことのほうが辛かった。辛いと、自分の気持ちを素直に認められた。

「私はずっと、考えてます。サクモおじさんは任務より仲間の命を選んだ。私は、おじさんは間違ってないと思う。でもおじさんは、任務失敗を仲間からも責められて……それで死んだって。その任務で敵に奪われた拠点を取り戻すために、別の犠牲者が出たって。おじさんは間違ってないって、信じたいのに……何が正しいかも分からなくて……何を信じていいか、分からなくなるときがあるんです。私でさえそうなのに……目の前でおじさんを亡くしたカカシが、どんなに苦しんでるか……私、カカシに何かしたい。でも……私じゃ何も、してあげれない。自分がどう在りたいかなんて、分かんないです……」

 カカシが私を拒絶して離れていった日。あれからもずっと、自分を見失ってばかり。
 抱えた膝に顔を埋める私に、チョウザ先生は静かに声をかけた。

、言っただろう。絶対に正しい選択も、絶対に間違った選択もない。任務遂行は確かに大切だ。里や国がなくなれば、何百何千という人たちが行き場を失い、命さえ脅かされることになる。だがサクモさんの選択で救われた命がある、それは事実だ。その選択が絶対に間違いだとは、誰も言い切れない」
「でも……おじさんは責められて、死んだって。おじさんは、優しすぎたから……」
「そうだな。サクモさんは優しかった。誰も傷つけたくない人だった。仲間が誰も傷つかずにすむように、自分が先頭に立って敵をすべて薙ぎ倒す――その覚悟がとても強く、そしてその覚悟を貫けるくらいの、圧倒的な実力を持っていた。だから、全てを一人で抱えてしまったんだろう」

 チョウザ先生の言葉に、私は驚いて顔を上げた。ガイの修行の音だけが響く演習場の一角で、少し涼しくなってきた秋風が頬を撫でつけた。
 チョウザ先生は神妙な面持ちでこちらを見ていた。

「俺がサクモさんと親しかったわけではないから、親父の話を聞いただけだ。サクモさんは優しすぎたから、一人で全てを背負おうとしたのかもしれない。そしてその決断は、一人で背負うには重すぎたのかもしれない。もし、サクモさんが決断の前に仲間を頼っていたら……もしかしたら、違う道もあったかもしれない」

 おじさんも、ひょっとして一人で抱えてしまったの?
 一人で抱えられるくらい、強かったから?
 でも、もう――耐えられなくなったの?
 どうして誰も、一人じゃないよって言ってあげなかったの?

 それとも、一人じゃないよと言われても――それを聞けないくらい、追い詰められていたの?

 話してほしかったよ。子どもの私なんか、役に立たなかったかもしれないけど。
 サクモおじさんのことが、大好きだったのに。子どもだから、力がないから。おじさんの苦しみさえ知らなかったし、何の役に立てなかったことが、とてつもなく悔しかった。

 やっぱり、強くならなきゃ、誰も守れないんだ。
 ばあちゃんのためじゃない。里のためでもない。大事な人を守りたい。守れるようになりたい。役に立ちたい。

 倒れる前に話してほしいって、ゲンマが言ってくれたことが、私の胸にじわじわと響いてきた。お前は人に甘えられるから、強くなれるよって。ミナト先生だって、仲間がいることを忘れなければ、必ず道はあるって言ってた。

 もしもあのときに戻れるなら、私がサクモおじさんにそれを伝えに行くのに。

 でも、もう戻れない。だから絶対に、同じことを繰り返したくない。

「カカシも……一人で抱えてる。あいつは不器用だってサクモおじさんも心配してた。もし、カカシが……いつか耐えられなくなって……そんなの絶対、イヤだから……」

 どれだけ嫌われたって、拒絶されたって、伝え続けたい。
 一人じゃないって。

 もっと強くなれって、あんたが言ったんじゃん。俺は先に行くって。だから、私よりずっと先で、待っててよ。絶対に追いつくから。
 いなくなったりしたら、絶対に許さないから。

 おじさんみたいに、いなくならないで。

 私がカカシを放っておけないのはきっと、サクモおじさんみたいに、いつかふと消えてしまいそうな――そんな気配があるからだって、やっと、気づいた。根拠なんか、ないけど。

「どう在りたいか、分からないと言ったな」

 膝を抱えてうずくまる私に、チョウザ先生は穏やかに声をかけた。

「お前は優しい子だ。サクモさんは仲間のために任務遂行を諦めた。仲間の命が大切だった。お前だって同じだ。仲間を助けたい、仲間のために強くなりたい。その気持ちが、お前をここまで強くした。お前はそれでいいんだ」
「……チョウザ先生」
「だがこれだけは忘れるなよ。一人で抱え込むな。絶対に間違ったこともなければ、絶対に正しいこともないんだ。一人で突っ走れば、取り返しのつかないことにもなりかねないからな」

 サクモおじさんの顔、そして、母さんの顔が浮かんだ。取り返しのつかないこと。命を失えばもう、どうしたって取り戻せない。

 目線を落とす私に、チョウザ先生は声を和らげた。

「まぁ、お前には信頼できる仲間がいるからな。そのことを忘れなければ、お前は大丈夫だ」
「……はい」

 チョウザ先生はいつも、私たちを否定しないでまずは受け止めてくれる。芯はこのままでいいんだって。
 私もいつか、そんな風に誰かを支えられるようになりたい。

 またカカシと会えたら、今度は話しかけてみようって私は心に決めた。少しずつでいい。ずっと見てるよってことを伝えていきたい。