78.ひとり


「また不知火か」

 作戦本部を出たところで肩に乗ってきたサクが報告してきた内容はこうだ。
 演習場で、が突然過呼吸を起こして倒れた。その場にいたチョウザがすぐ対応して事なきを得たものの、を家に連れて行こうとしたチョウザを、チームメイトが止めた。がアカデミーの頃から懐いている、不知火の分家だ。

「あいつはにあっまあまにゃ〜」
「……そうだね」

 が自分の意思で選ぶことを、基本的に止めるつもりはない。何日も家に帰らないことも、ヒルゼンから指導を受けることも、報告を受けたところで何をするでもない。顔を合わせたときに釘を刺すことはあっても、わざわざ口を挟みに行くつもりは毛頭ない。
 だが、渋るを家に泊めるのはさすがにやり過ぎではないか? おまけに、子どもとはいえ相手は男だ。
 もし、との間に何かあったら。

 家は、二十歳までに親の決めた許婚と祝言をあげるのが慣わしだ。凪のいない今、私が相手を探さねばなるまい。に子ができなければ、は五百年の歴史に幕を下ろすことになる。
 もちろん、惚れた男と結ばれることができるならそれに越したことはない。だが、の名を継ぎ、必ず子を――女児をなすという使命を果たす必要性を思えば、むしろ情のない相手のほうが容易い。流れ作業にしてしまえばいい。
 情があれば、使命を前に揺らぎが起きる。

 標はそんな私に失望し、を去っていった。そしてよりにもよって、当てつけのようにあいつと結婚した。
 そのあいつだって、ひとりでさっさと行ってしまった。

 人はどうせ、いつかひとりになる。

「澪様、少しお時間をいただけますか?」

 少し歩いたところで呼ばれて振り向けば、チョウザが角を曲がって現れたところだった。ちょうどいい。

「私もお前に話がある。のことだ」
「私もの件です。何でしょうか?」
「あいつが倒れたことは知っている。不知火の坊主が連れて行ったって言うじゃないか。があの坊主を慕ってることは知ってるが、家に連れて行くのはやり過ぎじゃないかね。お前が許したのか?」
「さすが、ご存知でしたか。その通りです」
「お前のやり方は私も認めている。部下の自主性を伸ばすお前のやり方には賛同だ。だがあの坊主はを甘やかしすぎる。だからいつまでもあいつが育たない」
「お言葉ですが、澪様。は着実に成長しています。確かにまだまだ未熟なところも多い。ですが、仲間と共に確実に強くなっています。心の成長には時間がかかる。は仲間と共に、痛みを乗り越えようと踏ん張っているところなんです」
「……ひとりで立たなければならないときも、あるだろう」

 大切な者が、いつまでもそばにいる保証などない。いつかひとりで立ったとき、そのときに自分の力で立てなければ意味がない。にはそのための強さを身に着けてほしい。
 人はいつか、ひとりになる。

 そのとき通路に、軽快な男の声が響いた。

「歴戦の忍猫使いともあろう人が、孫のこととなるとどうも過干渉になってしまうらしいですな」
「……自来也。戻ったのか」
「ええ。今回はちーっと骨が折れましたが。報告は本部で」
「あぁ、聞こう」

 チョウザが後ろに下がって一礼したので、私は自来也に向き直って作戦本部へと歩を進めた。肩に乗っていたサクはいつの間にか消えている。
 こちらを横目に見ながら、自来也が愉快そうに喉を鳴らした。

「俺からすれば、不知火のガキなんかより澪様のほうがよっぽど構いすぎのように思えますがね。凪の娘はまだまだ子どもだ。母親を亡くした今、監視の目より寄り添いが必要なんですよ」
「……身内を亡くすなど、珍しいことではない。あいつだけが特別なんじゃない」
「無論そうでしょう。ですが一人で乗り越えねばならないという決まりもない。特に身内に頼れないとなれば、尚更ですな。あの子は良い仲間に恵まれた――それだけのことでしょう」
「……お前のその『寄り添い』とやらを、あいつは受け取ったのかい?」

 苛立ちを含ませて聞き返すと、自来也の顔から軽薄な笑みが消えた。苦々しげに目を細め、こちらから視線を外す。
 誰にだって、触れられたくない傷はあるものだ。

「……凪の娘はまだ幼い。寄り添ってくれる仲間がいるなら、あの子は凪や綱手のようにならずに済むでしょう」

 凪。綱手。
 仲間の手を払い除け、奴らは行ってしまった。
 仲間など、里など、くだらないと。

 理解してもらいたいとは思わない。そんなエゴは疾うの昔に捨てた。里を、国を守るためなら捨てなければならないものがある。私はそうやって多くを手放してきた。
 それなのに、果たせない約束ばかりだ。

 自来也はそのまま作戦本部の扉を開けた。


***


 ゲンマが家に連れてきてくれた日、おばさんは玄関口で私を抱きしめてしばらく離してくれなかった。母さんが死んだことは前から知っていて、私を全く見かけないから心配してくれていたらしい。
 でもおばさんはいつも、私に根掘り葉掘り聞いたりしない。ただ黙って抱きしめて、美味しいご飯をいっぱい作ってくれる。

 すごく温かい。
 でも、不知火家の温かさは、やっぱり私は欠けているんだと感じさせた。
 私はゲンマやおばさんみたいに、優しくなれない。

「ゆっくりしてけよ。何日でもいていいから」
「……うん。ありがと、ゲンマ」

 客間に来客用の布団を敷いてもらって、部屋は自由に使っていいと言われてもさすがに気が引けるけど、初日はどっと疲れてしまって、軽くご飯を食べたらお風呂も入らずにそのまま眠ってしまった。
 翌日、起きたらもうお昼だった。こんなに寝たの、何年ぶりかな。

 ゲンマはもういないだろうと思ったのに、居間に行ったらおばさんとゲンマがいた。ゲンマはラフなTシャツを着ていて、完全に部屋着だ。

、おはよ〜。ごはん食べる?」
「おばさん、おはよ。食べる」

 おじさんは今も任務で国境線近くにいる。おじさんもきっと、おばさんの作ったお守りを身に着けてるんだろうな。
 昔からの長楊枝もそうだったけど、ゲンマは家の中でも千本を咥えている。やっぱり口寂しいの? って聞いてみたら、昔と同じで「鍛錬だっつーの」って怒られた。

「よく寝たな。イビキすごかったぞ」
「えっ! ほんと!?」
「さぁな」

 ゲンマが悪戯っぽく笑うから、本気なのか冗談なのかよく分からない。私は頬を膨らませたけど、おばさんが手際よく準備してくれた朝ごはん――じゃなかった、お昼ごはんを前にしたら、すぐにコロリと機嫌を直した。
 今日もすごく美味しいな。幸せだな。

 ゲンマはその日、一日中家にいた。今日はチョウザ先生に頼んで休みをもらったらしい。私が無理して出ていかないか心配してくれたんだろうな。チョウザ先生にも、今日は休めって言われたし。本当に、迷惑かけてばっかり。

、今いいか?」
「うん、大丈夫。何?」

 客間でぼんやりしていると、ゲンマが声をかけてくれた。手にはしっかりした将棋盤を持っている。

「久しぶりに一緒にやろうぜ」