75.涙
「凪が雷の国との国境線付近で殉職した。葬儀は内内で明後日執り行うが、お前は中忍試験が控えてる。無理して参列する必要はない」
「ちょっと……待ってよ」
ばあちゃんはこんなときにも、私の目を見ない。サクモおじさんが死んだときには、ちゃんと目を見て、話をしてくれたのに。あれから三年しか経ってないのに、ばあちゃんはもう私に何も話さない。
たとえそれが、母さんの死に関することでも。
「ちゃんと話してよ。母さんが何で死んだのか……どんな戦いで……」
「戦争では人が死ぬ。全ての状況が分かるわけではないし、死体が帰らないことなんてざらだ。凪が戻ってきただけ幸運だよ」
「……娘でしょ? 何でそんな、平然としてられるの? ばあちゃんみたいに偉い人になったら、娘の死だって悲しめないわけ? 人が死ぬのは当然だから……母さんだってそのうちの一人ってこと? ばあちゃんにとっての『平和』は、家族がいなくなっても関係ないってこと? そんなに里のことが大事で、家族なんかどうでもいいってこと? 母さんの葬式より、私が中忍になることのほうが大事なの?」
悲しいのか、私にだって分からなかった。でもばあちゃんが顔色一つ変えないことも、私に葬儀に出る必要がないなんて言うことも許せなかった。母さんを手放しで好きだったなんて言えるわけない。言えるわけないけど――それでも私にとって、たった一人の母親だったのに。
ばあちゃんにとっても、たった一人の娘だったはずなのに。
私が拳を握って声を震わせても、ばあちゃんの表情は変わらない。その肩に乗る忍猫も足元にたたずむ忍猫たちも、何も発しない。
悔しさのあまり涙がにじみそうになったとき、ようやくばあちゃんは口を開いた。
「そうだ。死者の弔いなど生き残った者への慰みでしかない。それよりも、年に一度の試験のほうが大切だ。中忍となってやっと一人前、初めて里のために戦うことができる。凪が死んだ今、お前は一日も早く中忍となり、を背負って立つ必要がある」
「知らないよ! 母さんが死んで悲しむ暇もないってこと? 『平和』なんて、ここまで果たせなかったくせに、ばあちゃんにそんなこと言われたくない! ばあちゃんなんか大っ嫌いだよ!」
――大好きだったのに。任務で母さんが里にいないとき、幼い私の面倒を見てくれたのはばあちゃんだった。オビトと一緒に遊んでいた頃も、疎遠になったあとも、世話焼きのばあちゃんと一緒にオビトを心配したりして。
大好きなばあちゃんを、嫌いになんかなりたくなかったのに。
「」
ライがばあちゃんの足元で低い声を出した。こちらを睨みながら、尻尾を不機嫌そうに振る。思わず身構えたけど、ばあちゃんは静かにライを諌めた。
「ライ、よしな。、お前は強くなるんだ。強い者が生き残るとは限らない。だが戦場では弱い者から死んでいく。それが事実だ。早く一人前となり、自分の力で立てるようになれ」
ばあちゃんはそこまで言うと、私の返事も待たずに居間を出ていった。アイとサクだけが残り、隅のクッションで丸くなって眠っている。
母さんはもういない。どんな最期だったかも分からない。母さんのために泣く人が誰もいない我が家。
もちろん、私も含めてだ。
この涙は、母さんのためじゃない。ばあちゃんへの怒り、もどかしさ、やるせなさ、無力感――そんなものが綯い交ぜになって涙が溢れ出たけど、アイもサクも知らん顔だ。ライは怒ってた。でもばあちゃんは、私に大嫌いと言われても、悲しそうな素振りも見せなかった。
私のことなんか、もう、どうでもいいんだ。
私が一日も早く里の駒になることのほうが、大事なんだ。
ばあちゃんは家族なんかより、里のほうが大事なんだ。
悔しくて虚しくてたまらなかった。何のために努力してきたのか分からなくなった。
期待なんて何度も捨てた。なのにまだ、期待していた。私は何回この痛みを繰り返せば分かるんだろう。家族に期待なんかしてはいけないと。
次の日、私はいつもより荷物を持って家を出た。中忍試験までの五日間、家に帰るつもりはなかった。数日くらい野営した経験はある。ばあちゃんのお望み通り、葬式なんか出なきゃいいんでしょう。
ゲンマは任務できっとしばらく戻らない。中忍試験にも間に合わないかもしれない。私は演習場でガイ、トンボと共に最終調整を重ねた。夜になっても私が帰らないのを見て、ガイも一緒に野宿すると言い出した。さすがに鬱陶しいし一人になりたかったから、喚き散らして帰らせた。
――一人になりたかった。
二日目の昼過ぎ、いつものようにガイ、トンボと連携攻撃の訓練をしていると、演習場に珍しい人物が姿を現した。
またあのゴーグルを頭につけたオビトだ。
「! 今日は凪おばさんの葬儀のはずだろう? 娘のお前が何でこんなところにいるんだよ!」
「オビト……」
知ってたんだ。まぁ、いくらでも耳に入るか。オビトの声を聞いてガイが素っ頓狂な声をあげた。
「何っ? 本当か、っ! なぜ言わない!? どうしてそっちに行かないんだ!?」
「中忍試験前だ。はそういう選択をした。それだけだろう? 忍びとして充分あり得る話だ」
「何を言ってる!! 家族だぞ!? 任務中ならまだしも里にいて葬儀に出ないなんてあり得ない!!」
「……あり得ない、か」
飄々としたトンボにガイが息巻くのを見ながら、私はぽつりと呟いた。やっぱりガイは、家族に愛されて育ったんだな。そう思ったら、また純粋に彼を羨ましいと感じた。ガイはゲンマと同じだ。家族の愛を知っている。
こちらに大股で近づいてくるオビトは見るからに怒っていた。思わず後ずさる私の手首を無造作につかんで引っ張る。オビトにそんな風に強引にされたことなんか一度もなかったから驚いた。
「ほら、行くぞ」
「ちょっと……待ってよオビト」
「いいから行くぞ!」
「おう、、行ってこい!」
ガイに見送られて私はオビトと演習場を出た。でもグイグイ引っ張られてしばらく歩いたあと、逆に引っ張り返してオビトを止まらせる。振り向いたオビトの顔はまだ怒っていた。
「ごめん、オビト。心配かけて悪いけど……私、行かない」
「は? 何でだよ! もう始まってるだろ!」
「ばあちゃんに言われたんだよ。中忍試験前なんだから出なくていいって。そんなこと言われて……出る必要ないでしょ」
「……澪ばあちゃんが、そんなこと言ったのか?」
オビトはショックを受けた様子で固まった。やっぱりオビトの中で、ばあちゃんは昔のまま止まってるんだろう。きっと母さんの姿も、昔のまま。それとももう、忘れたかな。
オビトの腕をつかむ指先に、思わず力がこもる。
「ねぇ、オビト……私、おかしくなっちゃったのかなぁ。母さんが死んだのに、泣けないの。昔は好きだったはずなんだけど……思い出せなくなっちゃった。オビトのおじさんやおばさんと、みんなでいたときは……大好きだったはずなのに……もう、思い出せないの。私……どうしちゃったのかなぁ」
「……」
私を怒ってくれたオビトに、昔の面影が重なる。一緒に遊んでいたのなんか、五年以上前の話だ。でもオビトのことは鮮明に思い出せる。それなのに――母さんのことは、もう。
オビトの声が、優しくなった。でも、悲しそうだった。私は悲しめないのに、オビトのほうが今にも泣きそうな顔をしていた。
「でも……葬式は、一回しかないんだぞ」
「……うん、分かってる」
「ほんとにそれでいいのか?」
「……うん。私、行かない」
「……………そっか」
オビトは目に涙を浮かべながら、力なく私の手を離した。私は泣けないのに、代わりにオビトが泣いてくれてるみたいだった。
やっぱりオビトは、優しいな。オビトは、人の痛みが分かる人だ。
うまくいくといいな。オビトと、リン。オビトはきっと、ずっとリンのことが好きだから。
カカシにだっていつか、オビトの優しさが響くことがあるかもしれない。
すぐに戻ればまたガイからあれこれ突っ込まれるだろうから、私たちは近くの公園で時間を潰した。でも最近の任務はどうかと尋ねると、オビトは悲鳴をあげて飛び上がった。
何と、今日の任務の集合時間をとっくに過ぎているらしい。Dランクとはいえ、ばか! ばかばか、ばか!!
「さっさと行って!! 何してんのよ!!」
「やばいやばいやばい、カカシに殺される!!」
「もうっ!! 人のお節介焼く前に自分のことやってよね!!」
「誰かさんの癖がうつったんだよ」
振り向いたオビトは歯を見せてニヤリと笑った。久し振りに見る、懐かしい笑顔だった。
「またな、! 無理すんなよ!」
「オビトはちょっとくらい無理したほうがいいよ! ほら、急いで!」
「俺だって頑張ってるよ!」
そう言いながら走り去るオビトの後ろ姿を見て、自然と笑みがこぼれた。
ありがとう、オビト。
泣けない自分が、少し救われたような気がした。