71.強い男


 ゲンマがついてきてくれて、どれだけ心強かったか。
 大丈夫。私はただ、家族の無事を確かめに来ただけ。どれだけ放ったらかしにされたって、誰も二度と帰ってもこない家なんて寂しすぎる。やっぱり私は、絶望したって家族をきっと諦めきれない。

 受付で教えられた番号の病室を開けようとすると、中から知らない男の人の声がして私は動きを止めた。

「凪、もうあんな戦い方はやめろ。お前はあくまで補助役、前に出るのは俺たちの役割だ。昔のお前なら、決してあんな無茶はしなかった」
「……昔の私? あんたと一緒にした仕事なんて数えるほどしかないじゃない」
「話をすり替えるな。今のお前の話をしておる。お前が犬死にしたところでサクモさんは喜ぶまい」

 突然耳に入った名前に、心臓が跳ね上がった。ダメだ。どこの誰だか知らないけど、これ以上ここにいたらダメだ。聞いちゃダメだ。咄嗟にそう思ったけど、身体が動かなかった。

 次に聞こえてきたのは、母さんのヒステリックな叫び声だった。思わず胸がぎゅっと締め付けられて、息苦しさが喉の奥でつっかえる。ゲンマがすぐ後ろに立っているけど、私は振り返ることもできなかった。

「あんたに何が分かるのよ!! 私のことも、サクモのことも……あんたなんか、何も知らないくせに!! あんたみたいに強いやつに……私の気持ちなんか、分かるわけないでしょ……知ったような口利かないで……」
「俺が何も知らないと思うのか? お前とサクモさんのことなど、エイリでなくとも知っておるわ。あんな馬鹿な戦い方はもうよせ。命を粗末にするな」

 そのとき急に両耳に冷たい感触が触れて私は飛び上がった。慌てて振り返ると、穏やかに微笑むミナト先生が私の耳を優しく塞いでいた。
 端正な顔立ちの男の人に触れられて、これまでとは全く違うドキドキに頬が熱くなる。ミナト先生は戸惑う私に小さくウィンクしてから、病室のドアを三回ノックした。

「凪さん、ミナトです。入りますよ」

 ミナト先生は返事も待たずに扉を開けた。中にいたのはベッドの上に横たわる母さんと、その傍らに立つ大柄な男の人。伸ばした白髪が印象的なその人は、現れた私たちを見て驚いたようだった。
 一足先に病室に足を踏み入れたミナト先生が、優しい口調で語りかける。

「凪さん、お加減は如何ですか? 娘さんが来てますよ」

 私は恐る恐る母さんを見たけど、やっぱり母さんはろくに私のほうを見なかった。病衣を着て顔にもアザがたくさんあったけど、しっかり話せていたところを見ると危険な状態ということはなさそうだ。私はまた家族に期待をかけてしまった自分を恨んだ。
 私が来たところで、母さんは喜ばない。

 病室を一瞬暗い沈黙が支配したが、ベッド脇にいた男性が一転して明るい声を出した。

「凪、お前の娘か! これはこれは、将来はお前に似て良い女になるぞ」
「私になんか似ないほうがいいし、子どもをあんたのそんないかがわしい目で見ないで。ミナト、このエロ男連れて行って」
「はいはい。自来也先生、行きますよ。三代目様がお呼びです」
「そんなもん、待たせておけばよかろう」
「よくありません。行きますよ」

 自来也先生と呼ばれた男性はミナト先生に連れられて渋々歩き出した。でも病室を出る前、足を止めてベッドの母さんへと厳しい声で念押しした。

「凪、忘れるな。お前はひとりで戦ってるんじゃない。仲間を忘れるな」

 それを聞いた母さんは布団の上できつく拳を握り締めていた。怒り、悲しみ、やるせなさ――そんなものがごちゃ混ぜになったような険しい眼差しで窓のほうを見ている。横を通り過ぎるとき、ミナト先生は私に優しく目配せして出ていった。

 病室に残されたのは、母さん、私、それにゲンマだ。ゲンマは私の後ろに立ったまま何も言わない。そちらを振り返る勇気もなくて、私はしばらく黙って母さんの暗い顔を見ていた。昔からそうだ。母さんはもう、私のことなんか見てない。サクモおじさんのことしか、見てない。
 娘の私が待ってたって、『命を粗末にする』ような戦い方をしているんだ。

「母さん……怪我は、もういいの?」
「ええ。問題ないわ」

 また、それ。
 問題ないわけないでしょう。一昨日送還されて、さっきまで面会もできなかったんでしょう。問題ないわけないのに、私がサクモおじさんの話を聞いてたことだって分かってるはずなのに、また、何も言ってくれない。
 母さんもばあちゃんも。私に何も、話す気なんかないんだ。
 私が子どもだから? 下忍だから? 私がもっと強くなれば話してくれるの? そんな疑問も全部、喉の奥でくすぶって消えていく。聞いたって意味ない。だって、答えてくれないんだから。



 名前を呼んでくれたのはゲンマだ。母さんじゃない。振り向いた私を、ゲンマは真っ直ぐに見てくれていた。
 私を見てくれるのは、家族じゃない。ゲンマや、ゲンマの家族だ。ずっと前からそうだった。

 ゲンマの顔を見たら、安心して涙が出そうになった。
 震える声を絞り出して、何とかゲンマに話しかける。

「ごめん、ゲンマ……ありがと。行こ」
「おう」
「不知火くん」

 母さんが名前を呼んだのは、私じゃなくてゲンマだった。母さんがゲンマの名前を覚えていることに私は驚いたけど、他の不知火の誰かを知っているだけかもしれない。
 母さんは横になったまま、ゲンマを見てはっきりした声で問いかけた。

「昔、私が言ったことを覚えてる?」
「はい。もちろん」
「……ゲンマ?」

 一体、何の話? 瞬いて見つめる私の肩をそっと叩いて、ゲンマは母さんのほうを見た。

、ちょっと先行ってろ」
「……何で?」
「言っただろ。おばさんに挨拶しときたいって」
「……何で私がいちゃダメなの? さっきの、何の話?」

 ゲンマまで、私に隠し事するの?
 私の不安を和らげるみたいに、ゲンマは小さく笑って私の頭を撫でた。それだけで、すごく、安心した。

「俺のちょっと恥ずかしい話するから。お前にもいつか話してやるよ」
「やだ。今聞きたい」
「心の準備ができてねぇからダメ。もうちょい俺にカッコつけさせといてくれ」
「……ゲンマはカッコいいから。カッコ悪いゲンマ、もっと見せてよ」

 可愛いなって思うことも増えたけど。やっぱりゲンマはカッコいい。もっとカッコ悪いところも見せてほしい。
 ゲンマは照れたような困ったような笑いを浮かべてから、今度はポンポンと私の頭を撫でた。

「そのうち嫌ってほど見せてやるよ。だから今日はナシだ」
「今見たいってば」
「ワガママ言うな。またそのうち、だ。約束すっから」

 何でゲンマが母さんとそんな話をするのかとか、母さんが昔ゲンマに何を言ったのかとか、悶々と気になることは山ほどあるけど。
 でもゲンマが約束してくれるなら、私は信じることができた。いつかきっと話してくれる。ゲンマの言葉なら信じられる。それだけ長い間、アカデミーの頃も、チームメイトになってからも、信頼を重ねてきた。

「……分かった。エントランスで待ってる」
「ん。終わったらすぐ行くわ」

 多分、廊下で待ってたらさっきみたいに聞こえてしまう。私は唇を尖らせながらもゲンマにそう声をかけて病室をあとにした。

 母さんとは、一度だって目が合わなかった。