68.器


 ゲンマに千本を貸して一週間ほど。
 いつもの演習場に行くと、ゲンマとガイはやっぱり私より先に着いてすでに修行を始めていた。

 ゲンマが中忍になって一か月が経ち、私たちは任務のときにチョウザ先生不在のスリーマンセルで臨むことが増えた。もちろんチョウザ先生が私たちの担当上忍であることに変わりないので、任務や修行についてくれることもあるけど、先生も他の任務があるし、中忍になったゲンマに一任しているといった感じだ。
 ゲンマは相変わらず私たちの意見をよく聞いてくれたけど、チョウザ先生がいない分、私たちの判断力や連携がより試されるようになった。いざというときにチョウザ先生が後ろにいないことに不安がないと言えば嘘になるけど、隊長のゲンマに、仲間のガイを信じてやれることをするしかない。そうやって新米の中忍は、まず下忍を率いてCからDランクの任務をこなすことから始めるようだった。

 何にせよ、演習場でいつものように楊枝吹きの修行を進めているゲンマを見て、私は違和感を覚えた。なんか、変。音に速さ、的に刺さるときの重量感、すべてが不思議としっくりこない。もう何年もゲンマの楊枝吹きを見ているのに、一体何なんだろう。

 違和感の正体はすぐに分かった。ゲンマがポーチから取り出した次の長楊枝を咥えながらこちらを見たとき、私はそれが決して長楊枝ではないことに気づいた。

 ゲンマが咥えている細長い棒、それは――。

「ゲっ……ゲンマっ!! なんてもの咥えてんのっ!!!」

 ゲンマが当たり前のように咥えているのは、長楊枝ではなく千本だった。艶消ししていないところを見ると、私が貸したものではなく、オーソドックスな支給品の類だろう。でも、まさか、一般的には暗殺や医療に使われる鋭利な金属を、口に咥えようとするなんて。

「ばかっ!! ちょっと、危ないでしょ何やってんのっ!!」
「お前が危ねぇわ! こら、触んな!」
「なんだなんだ? 何が危ないんだ?」
「ガイっ! あんたも見てたなら止めてよ! ゲンマがこんな危ないもの咥えてるっ!!」
「え、なんだ? いつもの楊枝じゃないのか?」

 騒ぎを聞きつけてやってきたガイだが、ゲンマの長楊枝が千本に置き換わったことには気づいていなかったらしい。私は慌ててゲンマの口から千本を奪い取ろうとしたけど、かなり険しい顔をしたゲンマに遮られた。

「お前の千本なら必ず返す。つっても咥えちまったから、さすがに買い直して返すわ」
「そんなのどうでもいいから! 何で咥えようと思ったわけ!?」
「そりゃ、ぴったりの形状だったから」
「ぴったりの形状、じゃないっ!! 危なすぎでしょ、もし口に刺さったらどーすんの!!」
「んなもん楊枝だって一緒だろ。楊枝だって八年咥えてて一度も刺さったことねぇぞ」
「そんなこと言ったって……」

 もしもがあったとき、千本だったら洒落にならない。

 でもゲンマは私とガイを少し遠ざけて、口元の千本を的に向かって吹き飛ばした。楊枝より重量もあるだろうし、まだチャクラ量や制御方法が掴みきれていないのだろう。長楊枝なら容易く的の中心に突き立つのに、千本はかなり隅のほうに浅く刺さった。

「俺だって武器を増やしたい。新しいことに挑戦したいのはお前だけじゃねぇんだよ。お前がそのヒントをくれたんだ」
「……でも」
「ゲンマっ! やるな! ボクも負けてられないっ!!」
「ガイ……」

 ガイはいつも前向きだ。仲間が新しいことに挑戦するのを、心配だからと止めたりしない。
 私はゲンマがまた新しい千本を取り出すのを複雑な思いで見つめた。

 そう……だよね。危ない、けど……新しいことを始めるときなんて、いつだってリスクが付きまとう。楊枝より千本のほうが威力が上がるなんて当然だ。私の千本を見てゲンマが新しいアイディアを得たなら、それは喜ぶべきことだ。

 仲間はまたそうやって、どんどん先に進んでいく。ガイだって範囲や威力をかえて技のバリエーションがかなり増えてきた。
 傷つきたくないからと、家族にも声をかけられない私と違って。

 その夜、一週間ぶりにばあちゃんが帰宅した。ばあちゃんは中忍試験の本戦は見に来ていたけれど、私の予選は見ていない。私が千本を使ったことが、耳に入っているかどうかも分からない。

 疲れた顔で寝室に向かうばあちゃんの背中に、私は思い切って声をかけた。

「ばあちゃん、ちょっといい?」
「……何だ?」

 ここのところ、顔を合わせても言葉を交わすことさえ少なくなっていた。これではいつかの母さんと同じだ。昔はもっと、ばあちゃんとは気軽に色んな話ができていたのに。
 いつから変わってしまったんだろう。戦争が始まってからか、それとも私が、下忍になってからか。そんなものよりずっと前からか。

 嫌な動悸が全身を打ちつける。私は小さく息を吐いて、仲間のことを思い浮かべながらやっとの思いで口を開いた。

「私に、千本の使い方教えてほしい」
「……何だって?」

 ばあちゃんは苛立たしげに眉根を寄せた。その顔を見て一瞬怯んだけど、脳裏に浮かぶヒルゼン様の穏やかな笑顔が私を踏みとどまらせてくれた。家族なのだから、時には我儘を言ってもいいのだと。私たちは、こうなってしまったとしても紛れもなく家族だ。

「ばあちゃんは里で一番の使い手だって聞いた。私も千本を使えるようになりたい。武器を増やしたいの。お願い、忙しいのは分かってる。でもいつか必ず里の役に立ってみせる。だから私に教えてほしい」
「……ヒルゼンの入れ知恵だね」

 入れ知恵って、そんな言い方。ばあちゃんが呆れた様子で嘆息すると、いつの間にか足元に現れた忍猫のライがばあちゃんの足に擦り寄った。きっとライから、ヒルゼン様がうちに来たことは聞いているのだろう。

「私はヒルゼンとは違う。一線を退いて長い。中忍にもなれない身で、こんな老いぼれの千本使いを真似る前に、他にやるべきことが山ほどあるはずだ」
「……やるべきことはやってる。その上で、武器を増やしたいって言ってるんだよ。他の人に千本を教えてたことだってあるんでしょ?」
「……そんなことまで聞いたのか。昔の話だ。そいつはお前の年にはとうに中忍となり、医療忍術まで極めた逸材だ。お前とは物が違う。お前に千本使いを教えるつもりはない」

 悔しくて、もどかしくて、強く唇を噛む。ばあちゃんはもう私なんて見ていない。いつかの教え子や、この里、国の先行きしか見ていない。私のことなんか、顧みる価値もないと思ってる。

「……私が、その人や、カカシみたいに優秀だったら、私に千本を教えてくれたの?」

 すでにこちらに背を向けているばあちゃんに、震える声で問いかける。ばあちゃんは足を止めたけど、振り返りはしなかった。

「――優秀かどうかではない。すべて、お前に然るべき覚悟ができてからの話だ。それまで、私からお前に教えることは何もない」
「然るべき覚悟って何よ! 命令通りに戦場で死ねってこと? それに逆らったらサクモおじさんみたいに苦しんでも仕方ないってこと? カカシみたいに単なる道具になりきる覚悟? ばあちゃんのその教え子だってもういないんでしょ? 中忍にもなれないような未熟者が、里のために死ぬ覚悟がないなら何も教えられないってこと?」

 もどかしさはやがて怒りに変わり、これまで溜め込んでいたものが一気に溢れ出した。サクモおじさんが死んだあと、ばあちゃんにそのときのやりきれなさをぶつけてから私はもう諦めてしまった。忍びの世に忍びとして生きる限り、飲み込まなければならないものがある。それでも、人として生きていきたかった。
 今もそう、願っているのに。

 振り向いたばあちゃんの眼差しは冷たかった。その目はもう、幼い頃に笑いかけてくれたばあちゃんの片鱗も見られなかった。
 ヒルゼン様はこんな顔、絶対にアスマに向けたりしない。

「お前は何も分かっていない。やはりお前にはまだ中忍の器もないようだ」

 そんなこと――私が一番、よく分かってるよ。

 ばあちゃんの後ろ姿が遠ざかるのを、私はもう呼び止めることができなかった。ばあちゃんはもう、私の知ってるばあちゃんじゃない。時間を割いてくれないとか、そういう次元の話じゃなかった。私に何も期待してないし、背中を見せてくれることもない。ただ突き放して、離れていくだけだ。
 家族だからと、ヒルゼン様は言った。きっともう、ばあちゃんはヒルゼン様の知っているばあちゃんでもない。

 その夜、私は忍具ポーチから千本の収納ケースを取り出した。もう、見たくもないと思った。でもゲンマは翌日からもずっと、千本吹きの修行を続けていた。
 ゲンマは私が千本を一切使わなくなったことに気づいただろうけど、取り立てて何も言ってはこなかった。