62.誕生祝い
あれ以来、カカシを見かけることはなかった。以前から、里で見かけるのは数か月に一回程度だったし、二か月見かけないくらい、別にいつも通りだ。それなのに、この落ち着かなさは何だろう。
私はいつも以上に呼吸法を意識したし、どうしても修行が手につかないときはまた家で詰将棋に打ち込んだ。ゲンマとの勝負はひとまず終わったから、勝敗は意識しなくていい。
時にはゲンマやガイと組み手をして、あっけなく投げ飛ばされるのも良い鍛錬になる。頭の中を空っぽにできるし、反射神経も鍛えられる。
アスマも時々修行に付き合ってくれたし、ヒルゼン様もこの二か月の間にまた術の制御について一度指導してくれた。
そして四月の中頃、私はようやくアスマから烈風掌の合格をもらうことができた。初めてゲンマから手裏剣術の合格をもらったときくらい嬉しかった。
「やったーーーっ!! アスマ、ありがとう!!」
「大げさなヤツだな。たかが烈風掌ひとつで」
「だって初めて風遁の修行始めてから! 九か月!! やっと……やっとぉーーーっ!!!」
「……九か月……」
アスマが数字を聞いてガックリと項垂れる。多分、木の葉の修行のときと同じで、私より時間がかかったんだろうな。でも結局は付き合ってくれる。アスマって本当にいいヤツ。
「ほんっとにありがとう!! たんまりお礼しないと!! 何がいい?」
「いいってそんなもん……」
めんどくさそうに後頭部を掻いたアスマが、はたと思いついたようにそのままの姿勢で動きを止めた。私たちは第九演習場にいて、紅とライドウは離れたところで一緒に修行している。紅の幻術に対し、ライドウは苦手としている幻術返しの練習をしているらしい。
紅、アカデミーの頃から幻術めちゃくちゃ得意だったもんね。すごいな。
「俺はいいからさ、紅に付き合ってやってくれよ」
「え?」
「あいつ最近幻術の補助に使いたいとかで香の専門店行きたいって言ってんだけど、俺もライドウもそういうの苦手でな。ちょうどいいから、、付き合ってやってくれよ」
「別にいいけど……アスマへのお礼がそれでいいの? アスマはしてほしいこととか何もないの?」
「別にお前に何も期待してねぇから。ま、思いついたらそのとき言うわ」
「ちょっと、言い方」
思わずムッとして指摘したけど、アスマは飄々とした様子で頭の後ろで伸びをする。そんなアスマをしばらく睨みつけていた私は、我慢できなくなって思わず吹き出してしまった。
「アスマってほんとに良いヤツ。ありがとね」
「何だよ、改まって。気持ちわりぃな」
「素直に言ってんじゃん! 半年以上修行に付き合ってくれたし、今だって何かしてほしいことない? って聞いてんのに、チームメイトのこと頼んで来るしさ。顔怖いからずっと誤解してたよ」
「一言余計だなお前は」
「言われるでしょ? 顔怖い」
「お前は見た目よりだいぶめんどくさいよ」
「うるさいな、知ってる! めんどくさいヤツだからまた修行付き合ってって呼びに来るよ?」
「生憎、俺たちは今年中忍試験だ。受かったらお前の相手なんかしてらんねぇからそのつもりでな」
あぁ、そっか。中忍試験。戦時中でも年に一回は開催されている選抜試験だ。アスマたちはアカデミーを卒業して今年で三年目。実力もついてきただろうし、シカク先生が推薦を決めたんだろうな。
私たちはまだ二年目で、Cランク任務だって失敗することもあるし、しばらく先の話だろうな。
「そういうことは受かってから言ってよね」
「分かってるっつーの! まぁ見てろよ、お前なんかすぐ引き離してやるからな」
引き離すも何も、アスマたちのほうがずっと先行ってるじゃん。そう思ったけど、私は少し背の高いアスマを見上げてニヤリと笑ってみせた。
「負けないよ。すぐに追いつくからね」
自分で発したその言葉に、ちくりと胸が痛んだ。胸の中にあるその思いが、誰に向けたものなのかもう私にはよく分からなくなっていた。
***
数日後、夕食を終え部屋でひとり詰将棋をしていた私は、玄関から呼び鈴が聞こえてきて顔を上げた。
こんな時間に、また誰かばあちゃんに用かな。今日も、帰ってくるかどうかも分からないのに。まずは火影邸に行ってほしい。
珍しく私の部屋で丸くなっていたアイが、耳だけ動かしてつぶやいた。
「ヒルゼンにゃ」
「え? ヒルゼン様?」
どうしたんだろう。ばあちゃんと一緒じゃないんだろうか。私が慌てて玄関先に出ると、アイの言う通りヒルゼン様がひとりで立っていた。柔らかな笑みを浮かべて、手に何か小さな包みを持っている。
「、こんな時間にすまんの」
「いえ、ヒルゼン様。ばあちゃんなら帰ってませんけど」
「ハハッ、澪ではない。今日はお前に用件だ」
私は驚いて目を瞬いたが、すぐに思い当たって、しまったと思った。アスマに烈風掌の合格はもらったものの、ヒルゼン様に報告していなかった。会えるのはヒルゼン様がアスマに修行をつけにくるときくらいだし、多忙な火影をわざわざそんなことのために煩わせるのも……と思ったのは事実だが、そのあとそのまま忘れていた。何回も指導してもらったのに。
「あ、ごめんなさい、ヒルゼン様……アスマに合格もらったの、お伝えしてなかったです……」
「構わんよ。アスマから聞いておる。辛抱強く、よく頑張ったな」
ヒルゼン様はそう言って、手にした包みをこちらに差し出してきた。手のひらを二つ並べれば充分に載ってしまうくらいの大きさ。私が首を傾げていると、ヒルゼン様は快活に笑った。
「風遁の術を初めて物にした記念だ。ぜひ、受け取ってほしい」
「えっ!? え、何で!? ですか!? ヒルゼン様にはコツとか教えてもらったんですから、私がお礼することはあっても、私が何かもらう理由なんかないですよ!?」
「何を言っている。貴重な風遁使いが誕生したのだ。アスマのときにも贈り物をやったよ」
「いえっ!! だってアスマは、お子さんじゃないですか!! 私がもらう理由にならないです!!」
「ハッハッハッ、噂通りの頑固者だ」
どこでそんな噂。ヒルゼン様の前ではこれでも素直なつもりなのに。私は思わず顔をしかめたけど、突っ込みだけは我慢しておいた。相手は火影様だから。
ヒルゼン様はいつかそうしてくれたように、私の頭をクシャクシャと撫でた。少し落ち着かないけど、胸がこそばゆくなった。
「私がお前に贈り物をする理由は二つある。一つは、先ほど話したな。木の葉にて風遁使いは貴重だ。これからも精進してほしい」
「……はい」
「二つは、ずっと後悔していたことだ。お前の誕生祝いを贈りそびれた。九年の遅刻だが、受け取ってほしい」
「……はい?」
誕生祝い? 九年の遅刻? わけが分からない。何を言っていいか分からず口ごもる私に、ヒルゼン様は優しく目を細めた。
「澪は私の旧友であり、長年私をそばで支えてくれた相棒だ。お前が生まれた頃のことをよく覚えておる。久しぶりに澪の穏やかな顔を見たよ。本当は何か贈り物をと思ったのだが、妻にお前はセンスがないから物はやめろと止められてしまっての。それがずっと気がかりだった。だが今やっと、旧友の大切な孫に贈り物ができる」
以前にも、ヒルゼン様は同じことを言ってくれた。大切な旧友の、大切な孫だと。
胸の奥から込み上げてくる熱で、思わず喉が震えた。
「……本当ですか?」
「うん?」
「……ばあちゃんは本当に、私のこと、大事だと思ってると思いますか?」
こんなことを聞いても、ヒルゼン様は本当のことは言わないだろう。それでもいい。それでも何かに縋りたかった。
「当たり前だ。だが……そうだな、澪は……の歴史をすべて一人で抱えている。澪も、祖母や母親から同じようにして育てられた。あまりに多くを抱えているうちに、大切なものを大切にする方法を、見失ってしまったのかもしれん」
「ヒルゼン。余計なこと言うにゃ」
声がして、私は急いで振り返る。家にいることはほとんどない忍猫のライが、尻尾をパタパタさせながらヒルゼン様を睨んでいた。
私は思わずムッとしたけど、ヒルゼン様は気楽に笑って肩をすくめる。
「そう言うな、ライ。大切なことだ。子が育つ上で、愛情を信じられることは重要だ」
「お前のやり方をの家に持ち込むにゃ」
「だからここまで意図して関わりを持たぬままきた。今、私はの風遁の師としてアドバイスをしているだけだ」
「御託を並べるにゃ。だからお前は好かん」
「ライ、いい加減にしてよ……」
私がたまらなくなって口を挟むと、ライは牙を剥いて一度唸ったあと、尻尾を大きく振って消えた。ばあちゃんにべったりの忍猫と話をすることはあまりないので、少し緊張してしまう。
窺うようにヒルゼン様を見ると、気にした様子は特になかった。いつもばあちゃんの忍猫とこれくらいのやり取りはしているのかもしれない。
ヒルゼン様は穏やかに微笑んで、もう一度小さな包みをこちらに差し出してきた。
「これを、受け取ってくれるな?」
「……はい。ありがとう、ございます」
「開けてみろ」
言われるままに包みを開いていくと、中から現れたのは淡い緑色の筒状のホルダーだった。