59.英雄
ゲンマは興味本位で聞いてるんじゃない。ゲンマはいつも私を見守ってくれていて、私が悩んだり苦しんだりしてるときには手を差し伸べてくれる。時にはお節介すぎるくらい世話を焼いてくれる。
大事に思ってくれてるなんて、当然知ってる。
私が一人で抱え込むから、吐き出させてくれようとしてるんだろうってことも、全部。
ゲンマは、本当に優しい。
涙が止まらなくなった私の頬を、ゲンマの冷たい指がそっと撫でてくれる。冷たいのに温かい。やっぱり私はゲンマが大好きだって、私は何回でも思い知るんだろう。
涙は、知らない間に収まっていた。
「……私、カカシに無神経なこと言った」
「うん」
「……何にも分かんないことで、分かったようなこと、ズケズケ言っちゃった」
「うん」
ゲンマは顔色一つ変えずに、ただ相槌を打つだけだ。本当に、壁打ち相手にでもなってくれるつもりらしい。負けたのは私なのに、結局ゲンマは、私のためにその権利を使ってくれてる。
ゲンマになら、サクモおじさんのことを話しても、いいかもしれない。
私はそっと視線を上げ、ゲンマの落ち着いた眼差しを見つめた。
「……ゲンマ、カカシのお父さんのこと、知ってる?」
「木の葉の英雄って言われてる、はたけサクモだろ? 見たことあるよ」
「……今どうしてるか、知ってる?」
「今? 亡くなったって、聞いてるけど」
そこから先を、どう話せばいいのか、分からない。ゲンマがサクモおじさんの死について何も知らないとしたら、私が勝手に話していいことじゃない。でもそしたら結局、私はゲンマに何も話せない。あのときと同じように、ただそばにいてもらうことしかできなくて、結局ゲンマは何も分からないままだ。
黙り込む私から手を離して、ゲンマは足を組みなおした。自分の太ももに肘をつきながら、淡々と言ってくる。
「噂くらいなら聞いてる。自宅で亡くなったって。大きな任務で、失敗したってことも」
自分で聞いておきながら、私は驚いてゲンマを見た。あのときばあちゃんは私に他言無用と言い聞かせたし、検視班など事実を知る忍びたちには口止めがされたらしい。
でもきっと、人の口に戸は立てられぬということだろう。
ゲンマがどこまで知っているかは分からない。私が勝手に話していいこととも思えない。でも私は、もう、一人で抱えて持ってはいられない。
また溢れる涙を拭いながら、私は震える声をなんとか絞り出す。
「私……サクモおじさんが大好きだった。おじさんは昔からうちに来てて、私のことも可愛がってくれてた。おじさんは優しいし、いつも穏やかで、私みたいな子どもの話もちゃんと聞いて、真剣に答えてくれてた。私の尊敬する大人だった。大好きだった」
「」
不意に名前を呼んできたのはゲンマじゃない。いつの間にかストーブのそばに陣取っていた、忍猫のアイとサクだ。
私は後ろ暗い気持ちでふたりを見やる。
「……何よ」
「サクモのこと、話していいにゃ?」
「いいわけないにゃ、澪から止められてるにゃ」
やっぱりふたりは、ばあちゃんのために私を見張ってる。サクモおじさんの死について、私が話を広めるのを阻止しようとしてる。
それでも私がゲンマに話そうとしたら、アイたちはどうするんだろう。
するとゲンマは忍猫たちに顔を向けて、何の感慨もなく口を開いた。
「はたけサクモの最期なら知ってるよ。任務失敗を仲間から責められて、疲れ果てて自死したって。噂になってた。口止めしたいならもっと情報規制すべきだったな」
ゲンマも知ってたんだ。そりゃ、忍びの家に生まれたら、どこから情報が入ってくるか分からない。よっぽど厳しく情報規制しなければ、どこからか漏れるのがむしろ当たり前かもしれない。
アイとサクはそれを聞くと、興味なさそうに大きく欠伸をした。私が話すまでもなく知られていることなら、特に関与するつもりはないらしい。今はただ暖を取るためだけにストーブの前で丸くなっている。
私はしばらく忍猫たちを気にしながらも、ゲンマに視線を戻して少しずつ話し始めた。
「……サクモおじさんが死んだあの日、ばあちゃんのところにすぐに知らせが入ったの。おじさんが任務に失敗したことも、私はそのとき初めて知った。おじさんは前の大戦で英雄って呼ばれるくらい活躍した忍びだし、すごく……仲間思いの優しい人だって、昔から聞かされてた」
アイとサクは何も言ってこない。ただ丸くなったまま寝息を立てているようだった。本当に眠っているかは分からないけれど、止めてこないのならそれでいい。
脳裏をよぎったのは、元気だった頃の母さんの姿だ。いつもサクモおじさんのことを嬉しそうに話していた。家族の話なんて、ほとんどしないのに。父さんのことなんて、一度も積極的に話してくれたことなんかないくせに。
次に発した声は、少しだけ震えてしまった。
「英雄って言われたおじさんが、何で任務に失敗したのか――それは任務の成功より、仲間の命を選んだからだって。目の前で死にかけてる仲間がいたら、助けるなんて当たり前なのに……それなのにおじさんは、助けた仲間にも責められて……優しすぎたおじさんは……」
思わず、言葉に詰まる。私は結局、おじさんのお墓参りにも行っていない。もちろんおじさんの最期なんて知らない。本当はまたいつか、道端でひょっこり会えるかもしれないなんて、未だに夢みたいなことを考えてる。
じいちゃんは生まれたときにはもういなかったし、父さんのことなんてほとんど覚えてない。会ったことのない身内なんかより、私にとってはサクモおじさんのほうがずっと大事だった。最も信用できる大人だった。
母さんがサクモおじさんを好きになるなんて、何の不思議もないよ。
それが私の存在を、否定するものだったとしても。
それくらいサクモおじさんのことを、私は大好きだった。
大好き、だったんだ。
だから忙しいおじさんに時間を割いてもらえるカカシのことが、本当に本当に羨ましかった。
「私は……おじさんが間違ったことしたとは、思ってない。でもそれが原因で大事な拠点が落とされたって……それを取り返すために、犠牲者が出たって聞かされた。おじさんが間違ったことしたとは思わないけど、何が正しいのか……私も、ずっと迷ってる。それでも信じたい。忍びになっても、人を捨てないでいられるって。おじさんの選択が、間違ってなかったって」
ゲンマはただ黙って、まっすぐ私の目を見て話を聞いてくれている。時には相槌を打ちながら、肯定も否定もせず、ただそうかと受け止めてくれる。それがどれほど安心するか、私は初めて思い知ったような気がした。
母さんのことは話せない。それは私の存在そのものの否定だ。でもサクモおじさんのことを話せるだけで、心の重荷が少し軽くなる気がした。
「でも、カカシは……そう思って、なかったみたい。そりゃ、大好きなお父さんが傷ついて、最後にあんな死に方して……ショックだったと思うし、何が正しいのか、カカシだって迷ってたんだと思う。でも、一人になったカカシが、仲間よりも掟ばっかり大事にして、どのチーム行っても長続きしないって、そんなの聞いてたら……気になるじゃん、ほっとけないじゃん。でも私はその頃まだ、下忍でもなかったし……私は何にもできないんだな、早くカカシに追いついて話したいって、ずっと思ってた……」
先に行くからなって不遜に私を見返したあの頃のカカシは、もういない。
「やっと下忍になって、チームワークとか色んなこと勉強して、外での任務も増えてきて……またカカシと話したいって思ったの。カカシが今どんなこと考えて任務に出てるのか……今なら少しくらい、分かるかもしれないって……そう、思ったのに……あんなこと、聞いたら……」
「あんなこと?」
「……仲間なんか要らないって。足手まといは、要らないって……最初から一人なら、おじさんだってあんなことにならなかったって……平和なんかどこにもないって……」
追いつけばもしかしたら、私の言葉なら聞いてくれるかもしれないなんて――そんな思い上がったことを考えて。
カカシに追いつくこともできないし、それどころか、彼の傷を抉って遠ざけただけだ。
「だから私、仲間を見捨てて任務を成功させたってそんなの意味ないって言っちゃった……でもカカシからすれば、私は戦場も知らない半人前で、目の前で親を……あんな形で亡くしたわけじゃないし、俺の気持ちなんか、お前に分かるわけないって言われちゃった……私、何にも言えなかった……だって分かんないもん。分かんないけど……分かんなくても……」
それでも。
カカシを一人に、したくなかった。
大好きなサクモおじさんが大事にしてたカカシを――ずっと、私の目標だったカカシを。
技術だけが優れてたって、心を失くしていくのを黙って見ているのなんか嫌だ。
でも、私はもう、どうしていいか分からない。
「分かんなくても……カカシの力に、なりたかったよ……」
ただ、それだけなのに。
胸の奥からこみ上げる痛みも、涙も、私は一人で止めるすべを知らない。ゲンマの冷静な眼差しを受けて、私はやっと落ち着いて息を吐ける。
一人じゃきっと、私は何もできない。