58.勝敗


「ふつーに美味いよ」

 私の作った味噌汁をひと口飲んで、ゲンマは淡々とそう言った。自分の分に口もつけずにゲンマの感想を待っていた私は、パッと顔を上げてガッツポーズをとる。

「やったぁ! 嬉しい!」
「欲を言えばもっと出汁が効いてるほうがいい」
「かつお節でも足しとけば?」
「感想聞いといて何だよそれ。あと南瓜」
「だって今ないんだもん。ゲンマが来ると思ってなかったし」

 それに、南瓜は好きだけど、私は味噌汁には入れたくない派。それなら茄子がいいな。

 ゲンマは卵焼きや肉団子も全部美味いと言って食べてくれた。ダメ出しする気で来たのに、特に必要なかったと。意地悪。

 ゲンマの家でそうするように、ご飯のあとはゲンマと一緒に洗い物や片付けを済ませた。ゲンマにお皿を洗ってもらって、私が拭いて棚に仕舞う。最後にテーブルの上を拭いて、おしまい。
 昔ダメ出しされたお茶も、あの頃よりはマシになったってゲンマが笑いながら言った。

「じゃあ、そろそろやるか」

 ゲンマがそう切り出したので、私は少し緊張しながら顔を上げた。ゲンマとはこれまで何度か対局して、全部私が勝ってるけど、ゲンマが徐々に強くなっているのは疑いようがない。

 いいよと答えたけど、私の心は妙にざわついていた。カカシとのことがあってから、二週間しか経っていない。
 心を落ち着けて、深呼吸して、今できることをするしかないのに。



***



 外の景色を見ているほうが、考え事に耽るには向いている。冬の冷たい空気は、集中力を高めてくれる。

 居間から小型のストーブを引っ張り出して、俺たちは縁側で将棋盤を囲んだ。ストーブの柔らかな熱が、冷たい空気をじんわりと溶かしていく。
 冬とはいえ、庭先の梅の枝には小さなツボミがいくつかついていて、その薄紅色が冬枯れの景色に控えめな彩りを添えていた。が小さく息を吐くと、白い靄が浮かんでは消えていく。

 寒くないかと声をかけると、はアウターの首元を引き寄せながら頷いた。

「うん、平気。もうすぐ春だね」
「ま、もう一荒れ来そうだけどな」

 この時期にまた一気に冷え込むことも多い。曖昧に肩をすくめたに、俺は自分から口火を切った。

「今日も俺からでいいか?」
「あ、うん……いいよ」

 やはり、歯切れが悪い。いつもならもっと余裕を見せて「いいよ、私のほうが先輩だもんね」と、ないはずの胸を張るのに。

 勝負は序盤から俺が優位だった。のほうが半年ほど早く始めているし、詰将棋をコツコツ進めていたから理論には強い。だから前半はが優位に立ち、中盤で俺が少し攻めて、結局は巻き返しての勝利――これまでほとんどがその流れだったのに、今日は最初から俺が押している。
 はいつもより、焦っているように見えた。それは俺が優位に立っているから、だけではなく。

 結局、ものの二十分ほどで俺が勝ってしまった。これまでの対局で、まず間違いなく最短記録だ。

「……うそー」
「うそ、じゃねぇだろ、どう見ても。お前、ボーッとしてるしさ」

 俺の指摘に、は悔しそうな表情を浮かべながらもそれ以上は何も言わなかった。俺は口元の長楊枝を揺らしながら目を細める。正直、こんな状態のに勝ったところで嬉しくはない。が。

「勝負は勝負だ。で、風遁の術、まだなんだって?」
「……ゲンマと一緒に修行できるほどの術は、できて、ない」
「じゃあ賭けは俺の勝ちだな。俺が勝ったら、何するはずだったか覚えてるか?」
「……相手の言う事、何でも聞く」
「正解」

 正直まったく張り合いがないし、いつもの俺ならこいつが元気になってから再戦、というのでも良かったかもしれない。
 だが今は、聞かせたい望みが一つだけ、ある。

「何でも聞くよ。どーぞ」

 ふてくされた顔で目を閉じるを、しばらくじっと見つめる。初めて会ってから四年。まだまだ子どもだなと思うが、あの頃よりは多少大きくなった、か。いつまでも可愛い妹分であってほしいと、未だに心の何処かで考えてしまう自分がいて嫌になる。
 は妹じゃない。チームメイト、なのに。

「カカシと何があった?」

 パッと目を開けたの顔が一瞬で凍りついた。微塵も想定もしていなかったらしい。俺だって、こんな聞き方をするつもりはなかった。
 しばらくしてやっと思い当たったのか、が目線を落としてから小声で聞いてくる。

「……イクチに何か聞いたの?」
「まぁ、それもある」

 だが別に、カカシとのことはイクチに聞いて初めて知ったわけではない。がカカシに並々ならぬ感情を抱いていることなんて、アカデミーの頃から知っている。
 に初めて声をかけたとき、はカカシにやたらと突っかかっていたし、それからもそういう光景を何度か見かけた。カカシが父親のはたけサクモと連れ立って歩いているとき、が気心の知れたように父親の方に話しかけるのも見たことがある。のばあちゃんは里の重鎮だし、力のある大人の忍びたちとに接点があっても不思議じゃない。

 俺たちがチームを組んだあとも、がカカシに声をかけるのを見たことがある。だがカカシはアカデミーの頃と違い、とほとんど口も利こうとしていないようだった。
 それでもは、カカシを気にして何とか関わろうとしているのが分かる。

『なんか、カカシの父親のことで揉めてたぞ。カカシがブチ切れてた』

 先日本家に寄ったとき、が居酒屋でカカシと揉めていたとイクチから聞かされた。そんなこと軽々しく話していいのかよ、と呆れて言い返せば、「お前だから話してる」と悪びれた様子もなく答える。

『お前、チームメイトだろ? ちゃんのこと、気にかけといてやれよ』

 言われなくても気にしてる。お前の百倍は気にかけてる。
 そんなことを言えば、からかわれることなど分かりきっているので、適当に流しておくが。

 がカカシとどれだけ揉めようが、俺の知ったことじゃない。だがカカシの父親といえば、噂程度にその悲惨な最期は知っている。
 詳しいことは伏せられているようだが、家が近所ということもあって、あの日何が起きたかという話は俺の家にも何となく流れてきた。
 検視班がはたけ家から出てきたということも。

 は白い牙を慕っている様子だったし、アカデミーの頃からカカシをかなり意識しているようだった。修行に勤しむのも、カカシを見返してやるため。そういえばが一時期やつれて疲弊していたのは、カカシの父親が死んだあとだった気もする。
 もしかして、は俺が思っていた以上に、はたけ家と強い繋がりでもあるのかもしれない。

 がカカシとどれだけ揉めようが、俺の知ったことじゃない。任務に支障があるわけでもないのだから、俺が首を突っ込むことじゃない。
 そう思う自分も、確かにいるのに。

 結局、俺はが暗い顔をしているのを放っておけないらしい。

「……そんなの、ゲンマに関係な――」
「ねぇよ。でも、俺の言う事、何でも聞くんだろ? 話せよ。何があったか」

 こんな聞き方は、卑怯だ。が進んで話してくれるまで、待つつもりだった。話さないのならばどうということはない。それまでの話だ。
 でも俺は、がカカシのことで気を揉んだり振り回されたりするのなら、知らん顔して放っておくのはもう嫌だと思った。

「誰にも言ったりしねぇし、壁打ちだと思って何でも話せよ。母さんにも言わねぇし、イクチにも何にも言わない。約束するから。それでも嫌か?」

 俺を見つめるの瞳が、涙に揺れて見開かれる。そんな顔は見たくない。お前には、笑っていてほしいんだ。
 俺がそっと手を伸ばして頬を撫でると、小さく身をすくめたの目から涙がこぼれて、彼女はしばらく黙って泣きじゃくっていた。