56.決裂
ゲンマのおばさんにもらったお守りは、忍具ポーチの中に簡単に縫い付けた。ゲンマはどうしているのか分からないけど、ゲンマなら多分、同じようにどこかにつけていると思う。
大好きなおばさんが心をこめて作ってくれたお守りを、ゲンマと同じように身に着けていると思ったら、まるで不知火家の一員にでもなれたような気がして、とても胸が温かくなった。
平和とは、家族。大切な人たちが、今日も無事にあること。ゲンマのおばさんが教えてくれた。私も最初は、そう思った。
じゃあ、今日も大切な人たちが無事だったから、私の心は平和なのか――そう考えたら、やっぱり少し違うなと感じた。いつ自分たちが戦火に巻き込まれるか分からないし、そもそもこの戦争は、私たち忍びが起こしたものだ。忍びが在る限り、平和は訪れない。
やはりその思いが頭をかすめて、私はまた重苦しい気持ちで息を吐いた。
カカシは、どう思っているんだろう。もう背中も見えないほど先を行く同期のことを、私は頻繁に考えるようになっていた。ガイも、ここのところカカシをあまり見かけないという。
カカシは中忍になって二年以上経つ。戦地での任務経験も増え、里を離れることも多いのだろう。
サクモおじさんが亡くなって、もうすぐ二年だ。今ならもしかして、カカシとあの頃のことを、少し話すことができるかもしれない。
『君の力はいずれ、必ずこの里のためになる。仲間を守る力になる』
サクモおじさんが里を発つ前に、私にかけてくれた言葉。
おじさんはきっと、忍猫使いとしての私の力に期待して言ったんだろうけど。忍びになって一年、まだその片鱗も感じられない。アイとサクが、一年目よりも少し、顔を見せる機会が増えたくらいだ。
私にはまだ全然力がない。でも、カカシには充分すぎるほどそれがある。
そのカカシが戦場に立ち、何を思って戦っているのか。
だから私は数か月ぶりに近所でカカシを見かけたとき、思わず大声を出して即座に駆け寄ってしまった。絶対に逃がさないように、彼の腕をしっかりとつかむ。
「カカシっ!!!」
「なんだ、お前か……うるさい、あっち行け」
「嫌だ!! 今日は、離さない!!」
「鬱陶しいな、離せ」
「嫌だ、今日は絶対話したい!! ね、ごはんまだでしょ? 奢るから一緒に食べに行こう!!」
「はぁ? 一人で行けよ。こっちは疲れてんだ」
「お願い!! カカシと話したい!! 何でも奢るから、お願い!!」
カカシは眉間にきつくしわを寄せていたが、私が一秒たりとも目を逸らさなかったから、根負けしたようにやがて大きなため息をついた。
カカシと一緒に来たのは繁華街の隅にある居酒屋だ。飲酒にさえ気をつければ、忍びであれば未成年でも特に咎められることなく利用することができる。適度に雑音があって、半個室。チョウザ班で食事に行くときは大抵焼肉屋だったが、ごく稀にこの店を利用することもあった。
奥の方に空いているスペースを見つけ、私は気乗りしない様子のカカシと向かい合って席に着く。そういえば、カカシとご飯なんて初めてだな。口布を取ったところ見たことないな。さすがに食べるときは取るよね? どうでもいいけどちょっと気になるな。
そんなことを考えている間に、カカシは次々と料理を注文していった。そんなに食べるの? とかなり疑わしかったけど、何でも奢ると言った手前、口は出さずに黙っていた。
ヤバい、もっとちゃんとお金持ってくればよかった。足りるかな。私は控えめに、サラダとクリームコロッケだけを頼んだ。
カカシはお茶を飲むとき淡々と口布をずらしたけど、別になんてことなかった。というか、普通にサクモおじさんに似ていた。その髪色も、髪質も、顔立ちも、すべてがおじさんを思い出させる。違うのは、まとっている空気感だけ。
私は懐かしさと同時に、胸がぎゅっと締め付けられて息が詰まりそうになった。おじさんには、もう、二度と会えない。二年近く経って、少しずつ消化できたような気になっていたのに、私はまだ、自分の中で何一つ考えがまとまっていないことに気づいた。
サクモおじさんのことも、里のことも、戦争や、仲間というものについても。
カカシとたくさん話したいと思っていたのに、何を話していいのか、急に分からなくなってしまった。
「あー……その、最近、どう?」
つい、当たり障りのないことを聞いてしまう。カカシはどんどんテーブルに並んでいく料理から、焼き鳥をつまみながら「普通」と言った。
「普通って何よ」
「別に、任務を遂行するだけだ。それが忍びの『普通』だろ。他に何かあるのか?」
やっぱり、カカシはあの頃と、変わってない。
サクモおじさんを亡くしたあと、虚ろな眼差しでぼんやりと空を見上げていた、あの頃と。
「……カカシが忍びを続けるのは、何で?」
「何言ってんだ、お前」
ずらした口布を戻しながら、カカシが苛立たしげに眉をひそめた。
「忍びは、道具だぞ。道具が理由なんていちいち求めない」
「それは、建前でしょう。みんな大事なものを守るために、里を守るために戦ってる。平和なんてないかもしれないけど、でも道具なんて割り切ったら、判断を迷うようなときに仲間を切り捨てることになる――」
「――平和なんて、そんなものあるか」
カカシの顔つきがいっそう険しくなった。その冷たい眼差しに、心臓が急速に冷えていく。カカシの触れてはならないところに触れてしまいそうで――でも、もうここまで来たら引き返せないと思った。
私だって、軽はずみな気持ちでカカシに声をかけたんじゃない。
「聞いてるわよ。あんた、今もチームワークそっちのけの単独プレイでいつも揉めてるって。ひとりでできることなんて限界があんでしょうが」
「お前らと一緒にするな。足手まといは要らない」
カカシがはっきりと口にしたその単語に、私は言葉を失った。チームメイトを、仲間を、そんな風に考えたことなんて一度もない。たとえ最初は馬が合わないと思っていたガイでさえ。
「……足手まとい、ですって? あんた、仲間のことそんな風に」
「仲間なんて最初から必要ない。そんなもの、切り捨てれば良かったんだ。最初から一人なら……そしたら……あんな風に追いつめられて……あんな……」
鋭いカカシの眼差しに突然涙がにじみ、彼はきつく瞼を閉じて横を向いた。カカシの中にも、私の中にも、死んだサクモおじさんのことがはっきりと思い出されているのは明白だ。
やっぱりカカシの時間は、あのときから止まったまま。
「……サクモおじさんがしたことは間違ってるって、私は思わない。目の前の仲間を見捨ててつかんだ任務の成功なんて、私にとっては嘘っぱちよ。その一人一人が、里を、国を、作ってんでしょうが。それを――」
「――お前に何が分かる!」
振り絞ったカカシの声は掠れ、口布の上から覗く顔は怒りのあまり紅潮していた。
私は、ついに触れてはならないところに触れてしまったことを知った。
「ずっと……憧れだった……父さんは俺の誇りだった……それを目の前であんな形で失うことになった、俺の気持ちなんかお前に分かるか!」
店の喧騒の中では、さして目立つほどの声量ではない。特に周囲の気配が変わることもなく、他の客たちは夜の陽気な雰囲気を楽しんでいる。
だが俯いたカカシは、そのまま飛ぶように私の前から立ち去った。
ようやく少し話せると思ったのに、私はまだ何も癒えていないカカシの傷に、汚れた素手で塩を塗り込んだようなものだ。
戦場も何も知らないのに、カカシの痛みなんて、分かるはずもないのに。
『平和なんて、そんなものあるか』
そう……だよね。
所詮、私はまだ何も知らない下忍でしかない。
何で、今、カカシと話せると思ってしまったんだろう。
本当に、馬鹿だ。
「カカシって、あんな風に怒るんだな」
ひとり取り残された半個室で呆然としている私の耳に、声が聞こえた。ハッとして顔を上げると、衝立の向こうから見覚えのある青年が覗いている。
不知火イクチ――アカデミーのときに何度か会ったことのある、ゲンマの従兄だった。