289.いい男
「やはりお前に、私は必要なかったようだ」
私に、ばあちゃんは必要なかった?
私があのあと、どんな気持ちでいたか、知りもしないくせに。
考えたことも、ないくせに。
考えることも、できなかったくせに。
噴き上がる怒りに、唇が震える。
「何……言ってるの? 私にとってばあちゃんは、最後の家族だった。あんな形でいなくなって、大丈夫なわけないじゃない!! 何で自殺なんかしたの? サクモおじさんのこと知ってるばあちゃんなら……そんなこと、分かってたはずじゃない!!」
許せない。絶対に、許せない。
私がどんな気持ちで、ずっとゲンマを遠ざけてきたか。
どれだけゲンマのことが好きでも、その手を取るのが怖かった。
家族になれば、必ず失うと信じてしまったから。
全部、全部ばあちゃんのせいじゃんか。母さんのせいじゃんか。
「」
背中を支えてくれているカカシが、とても小さな声で私を呼んだ。ハッとして顔を上げる。カカシだって深く傷ついた。カカシの前で、こんな形でサクモおじさんの名前を口にしていいわけない。
でも涙に揺れる瞳で振り返れば、カカシは穏やかに微笑んでいた。その顔を見たら、もうおじさんのことは吹っ切れているんだと分かった。
私だけがいつまでも、子どもみたいに苛立ちを抱えたまま。
でも、決めた。もう、決めたんだ。この戦争が終わって生きていたら絶対、今度こそゲンマに気持ちを伝えるんだって。だからもう、昔のことは忘れるんだって。
こんな形で、過去と向き合うことにならなければ。
あぁ、ダメだ。カカシの笑顔を見たらまた、抑えていた痛みが溢れ出す。
「ばあちゃんは……昔から勝手だよ! 私のことほったらかしにしてたくせに口出しばっかり、忍猫使いになったのだってのためなんかじゃない、でもそうやって生きるしかないって分かって、いのいちさんや自来也さんに色々教えてもらって、やっと決心がついたのに……を継ぐために色んなものを捨てようと思った、家を続けようって思った、なのにばあちゃんは……家も私のことも捨てて死んだ!! 私がばあちゃんを必要としてなかったんじゃない、ばあちゃんが私なんか要らなかったんでしょ!!」
こんなこと、口に出すつもりはなかった。墓場まで持っていくつもりだった。カカシの目の前で、みっともないことこの上ない。でも、止められない。今ここにこうして、在りし日の祖母が身動きも取れずにただそこにいる。
祖母は黒い目で、じっと私を見つめた。
「違う――と言いたいが、否定したところで無意味だな。お前がそう感じたのなら、それが真実だ」
祖母の表情は変わらない。怒りでも悲しみでもない。ただ淡々と、事実を述べるだけ。
ばあちゃんが私を必要としていなかったって、否定もしてくれない。
涙が、止まらない。今さら、期待なんかしていなかったはずなのに。
「……家族にも必要とされなかった私が、誰かに必要とされるわけないじゃない。母さんもばあちゃんもあんな風にいなくなったのに、何で私に家族なんか作れる? 私の子どもなんか、不幸になるに決まってるでしょ? 私、を後世に継ぐつもりはないから。は私で終わらせる。ばあちゃんが遺したかったものも、これで終わり」
ばあちゃんが遺したかったはずのものを、否定する。それがせめてもの、最後の反抗。
それなのに祖母は、僅かに瞼を伏せただけだ。
「それがお前の決めたことならば、私に言えることは何もない」
「何……それ。そうよね。ばあちゃんはもう死人。がどうなろうが、もう、どうでもいいのよね」
「、そのへんにしとくにゃ」
聞こえたのは、レイの声。今、忍猫たちはひとつになり巨大化している。それでも、独立心の強い彼らの個々の意識は変わらず存在する。
続け様に、サクが言ってきた。
「そうにゃ。お前はとっくに分かってるはずにゃ。お前のそばにはいつもゲンマがいたにゃ」
――ゲンマ。
ゲンマ、ゲンマ。ゲンマ。
ずっと、そばにいてくれた。どんなときも、私が何度、撥ねつけようとしても。
ずっと苦しめてきたのに、それでも私のところに戻ってきてくれた。嫌いになれるわけないって、嫌いになれるなら、とっくになってるって。
私だって、そうだよ。
嫌いになんか、なれるわけなかった。
祖母の顔つきが、少し和らいだ気がした。
「……ゲンマか。やはりあいつは、今ものことを」
「そうにゃ。振られても振られても懲りずにずっとのことが大好きにゃ。気持ち悪いにゃ」
「本当に。二人の関係を知らない木の葉の忍びがいたら間違いなく潜入者ですね」
「ちょ! カカシまで!!」
顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。慌てふためく私にカカシが笑いかけていると、後ろから小さく吹き出す音が聞こえた。
祖母がかつてのように、微かに笑っていた。
「お前は本当に、いい男に巡り合ったんだな」
子どもの頃に見た、祖母の笑顔。
そうだ。私は、ばあちゃんのことが――。
苦しくて、苦しくて、ただ、胸が痛い。
本当はばあちゃんを、嫌いになんかなりたくなかった。
「。お前に、父親の話をしてやったことはほとんどないな」
やがてまた、色を失くした瞳で、祖母が静かに話し始める。思ってもみなかった名前を聞かされて、心臓が跳ねた。
遮ったのは、レイだ。
「澪。もういいにゃ?」
「……いいんだ。お前たちにも苦労をかけたな」
するとレイが、フンと鼻を鳴らすのが聞こえた。
「お前たちの物差しでうちらを測るにゃ。やりたくないならやってないにゃ」
「……すまない。お前たちの友情に、感謝する」
一体、何の話なの? 鼓動がどんどん速まり、額に嫌な汗がにじむ。
祖母は小さく嘆息してから、まっすぐに私を見た。
「お前は愛されていた。父にも母にも。お前がそれを信じられなかった責任は、全て私にある」
祖母の言葉を聞いて、これまで以上の怒りが一気に噴き出すのを感じた。